理系おじさんの社会学
02 | 2017/03 | 04
S M T W T F S
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

天皇陛下の譲位と有識者会議
天皇陛下の譲位に関する「有識者会議」の状況が報告されている。そもそも「有識者」って何だろう? 有識者以外の人々は「無識者」ということだろうか? 昨日の私のブログでは「専門家」の重要性についてコメントした。しかし「有識者」というのは私がイメージする「専門家」とは全く異なる。このような人たちが譲位に関することを議論するのに強い違和感を感じる国民も多いであろう。そもそもマスコミや有識者までもが「譲位」を「退位」と表現することに本当に「有識?」を疑ってしまう。

昨日のブログでは「トップの責任追及」について記事にした。しかし今回は違った側面で考えてみたい。政治家や企業経営者というのは、時に判断に困るときには専門家や有識者の判断にすべて委ねようとすることがある。「餅は餅屋」といった理屈を振りかざして、悪くいえば「丸投げ」することがある。特にトラブルを抱えた企業が弁護士を過度に頼りにしたにも関わらず、結局は弁護士費用だけが計上されることはよくあるようだ。つまり政治のトップや企業のトップは「専門家」や「有識者」がすべてやってくれるとでも思っているフシがある。

つまり、判断したくない案件については誰かに委ねる。そして問題が発生すれば、すべて責任を彼らに擦り付ける・・・という思惑がある。しかし専門家だってバカではない。意見やコメントはするが、最終判断は決してしないものである。では誰が最終判断をするのか? それは国家であれば国会であり、企業であれば取締役会や株主総会である。もし国会の多数決で同数だった場合には議長の一票で決定する。 かつて御前会議でも多数決で決定され、同数だった場合は議長である内閣総理大臣の一票で決定する。御前会議といえども天皇陛下はその決定従うのが通常であった。 終戦時の鈴木首相が御前会議議長の一票を放棄して昭和天皇の御聖断を仰いだことはあまりにも有名である。

今回の譲位に関しては、「有識者?で自由に議論させる」⇒「世間にその内容を広める」⇒「国会で議論する」⇒「国会で決定する」という内容であろう。 ここで懸念されるのは「世論操作」である。国会での法改正は世論の動向に左右されがちである。その世論操作の元凶がこうした「有識者」にならないように気をつけるべきだ。政府としては一応は広く意見を収集したという形式にしたいのであろう。そもそも「有識者会議」とか「第三者委員会」なんてのは国会議員の「言い訳材料」にしている感が非常に強い。特に一部の「社会学者」とか「歴史学者」、一部の「経済学者」なんてのは「物理学者」と違って、身勝手な思想哲学をベースにしていることがあるのは周知の事実である。

通常、国会で成立した内容については、内閣総理大臣から天皇陛下に直接報告される(本件だけでなく、あらゆる国政の状況を首相は定期的に陛下に報告している)。 おそらく今回の案件については、法改正の前に陛下に報告されると私は考えている。ていうか絶対にそうすべきと考えている。 こういう内容は、陛下のご了承がなければ出来るものではない。もし私が首相だったら国会での採決前に陛下に報告し、了承を得てから採決する。もし陛下から異論があれば、再度審議をする。 現在の天皇陛下は非常に真面目で実直な方なので「無茶苦茶、あるいは無理難題な異論」と唱えるなどはそもそも考えられない。

もちろん日本は天皇主権の国家ではないし、天皇の権威や権力をむやみに振り回すべきではない。将来に渡って、どのような天皇であっても国家が機能する制度であるべきである。しかし今回の譲位に関しては、現陛下のご意志を十分に反映できるような国会での決議であってほしい。私は陛下が「上皇」になるご意思があればそれで良いと思う。もちろん平安時代の院政のようなことを現陛下がすることはありえないし、また二重権威になることもありえない。そこには人間天皇である現陛下への信頼と信用を国民はもっと持つべきである。


スポンサーサイト

テーマ:最近のニュース - ジャンル:ニュース

トップ責任追求するバカな人たち
最近、バカバカしいニュースが多い。豊洲移転の問題や森友学園のニュースが代表的である。そこでいつも議論になるのは「トップの責任問題」である。森友学園に関しては、安倍首相という国政のトップに結び付けたがるし、豊洲問題は当時のトップであった石原元知事まで狩り出される。要するにトップという有名人と結びつけて「話題性」に踊らされるマスコミ、そしてどうしても与党の支持率を下げたい野党の思惑がベースになっていることは間違いない。つまり韓国パククネ大統領の訴追問題と同じ非常に臭い匂いがするということである。だいたい「トップ責任」に拘る連中は半島の匂いがする。

そもそも民主主義のない独裁政権でもあるまいし、民主主義国家においてトップ責任を追求するということは、本質的な問題をうやむやにして終わらせようとする悪しき手法である。民衆の低俗な「うらみ」「ねたみ」「いかり」を煽り、個々の利益を優先する・・・社会悪といっても過言でない。私はこのブログで何度もコメントしているとおり「トップ」というのは全知全能の神ではない。各分野の専門知識はもちろんのこと、細かなことなど知るはずもないし、覚えてもいない。「記憶にない」という答弁を非難するバカ市民は多いが、じゃー5年前のあなたは○月×日の12時に誰とどんな話しましたか?と聞かれて明確に答えられる奴なんて誰もいない。

そんなことよりも豊洲はさっさと移転すべきである。地下水なんて東京湾の埋め立て地であれば基準値を越えるのが普通である。埋め立て地だけでなく一般の住宅地でも地下水調査すれば基準値を上回るデータは検出するものである。そもそも水の基準値とは「飲料水」にできるかどうかの厳しい基準である。そんな議論をすれば世界中の上水道はほとんど飲めない。でも洗い物したり、シャワー浴びたりすることはできる。・・・そういうレベルの話である。しかも豊洲で地下水を使用する計画はない。当然ながら水道水を使い。これって一般の東京都民の暮らしと何ら変わらない。・・・騒いでいる連中はバカである。

そもそも騒いでいる連中の目的は違う。トップやかつてのトップを引き摺り下ろしたい!それだけである。パククネの訴追と同じである。こういう議論は一般企業でも存在する。誰が承認したとか?だれが確認したとか? トップとか職制にこだわるバカが多い。形式上どこでも組織上の上下関係があり確認や承認行為があるが、承認者なんてのは細かなことまで確認しない。そしてその分野での専門家とは限らない。 重要なことは一般企業でも行政でも、どれだけ専門家が関わっているか、そして適切な検査や調査がなされているのか?ということである。 専門家もいない、そして適切な調査もない・・・そんな状況でトップが適切な判断や承認などできるはずもない。

私の想像であるが、「専門家の重要性」、そして「適切な調査の重要性」を認識していない人々が多いことに問題の本質があると考えている。こういう人たちは、あるときは理屈抜きに「トップの判断」に委ね、あるときは理屈抜きに「トップの責任」に擦り付ける。つまり個人としてのプロ意識に欠ける無責任であるといえる。まあ子供や学生、新入社員なら判らないでもないが、社会人を10年以上も続けてもこういう発想しかできない人々が多いのは悲しい事実である。 しかし、それでも日本はまだマシな方かもしれない。となりの韓国はあまりにも酷すぎる。 日本は韓国を反面教師としてもっと学ばなければならない。 そしてテレビマスコミはバカさかげんを楽しく観察することも必要であろう。


テーマ:最近のニュース - ジャンル:ニュース

人はみかけによる?
最近何かと話題の森友学園の問題であるが、私は一連の報道に全く興味がない。ただ籠池理事長のあのカオを見たとき、「このヒト何だか怪しいなあ」と思うことだった。よく「人はみかけによらず」という言葉があるが、結構「みかけによる!」ということを感じることが多い。それは何故だろう? もしかしたら人間には本能的にカオやオーラなどで危険を察知するような能力があるような気がしてならない。あるいは本能的ではなく、長年の「カン」のようなものが育まれたのかもしれない。

一方で「素敵なカオ」というのがある。ヒトが何か努力の結果報われた時、特に今のこの時期には厳しい受験勉強を乗り越えて晴れて合格したときもそうであろう。あるいは子供の病気が治ったとき、単純に楽しいことがあったとき・・・商売やっているひとは顧客が満足したカオを見るのが何よりの幸せを感じる。しかし満足にも色々あって、相対的に誰かが不幸になると喜び、誰かが幸福だと嫉妬する。 カネを得た人は憎らしい、しかし落ちぶれたかつての勇者を見て笑いものにする・・・こうした喜びの人々の眼は死んでいる。

おそらく、こうしたことがカオや眼に現れて「人は見かけによる」ということに結びついているのかもしれない。人気のあるヒトは眼に輝きがある。 子供の素直な笑顔は大人を和ませる。しかし大人のイヤミな笑顔は憎悪につながる。 これは企業だってそうだ。あの東芝やシャープ、かつての社員の活力は失っている。もちろん世間体があるのでヘラヘラ笑っていられないのも事実だろう。政治家だって意味も無くヘラヘラしていたらバカにされる。 ホントの笑顔を分かち合えることができる社会が理想である。

今後、森友学園がどうなるか判らない。しかし、そんなことより子供たちがホントの笑顔を共有できる学校になれば私は何も文句言う気はない。 安倍首相夫人は講演費100万円貰って、それを返した・・・それを寄付したと表現していれば何だか辻褄がある。でも、そんなことはどーでもいい。 100万円程度のカネ(私個人としては大きなカネだが)で社会を混乱させようとする連中は保守であろうが、パヨクであろうが怪しい連中であり、それらはよーくカオを見れば判る。・・・そう、ヒトはみかけによる!





テーマ:最近のニュース - ジャンル:ニュース

生産性の向上
少子高齢化にともない人手不足の問題が拡大している。経済評論家で人気ブロガーである三橋貴明氏は人手不足を解消するためには「生産性の向上が必要」と常に訴えている。例えば、公共インフラの整備、工場やサービス業のロボット化の推進など。またクレジットカードや電子マネーなどキャッシュレスなどの推進も重要との意見が多くなっている。

もちろん私もこれらの意見に賛成である。しかし長年にわたり製造業の品質保証の業務に携わった私からすると「品質」の重要性を再認識する必要があると強く訴えたい。よく日本の製造業の技術は世界でトップレベルと言われることが多い。しかし自動車業界や電気業界では品質に関する「リコール」があとを絶たない。これは各種「製造者責任」や「コンポライアンス強化」の潮流の影響もあるが、確かに過度な製造コスト追求があったことも否定できない。

製造する上で製造コストとは非常に重要である。しかし一度大きなリコールが発生すれば、代替品の手配、信用の失墜、そしてこれらに関する余計な業務が増えるのである。こうしたコストは単年度での決算では解り辛く、特別損失という形で計上されることが多い。 しかし製造原価として考えれば、代替品の手配によって最低でも負担は倍になる。品質不具合品というのは対価が得られないどころか、不具合品を製造するためにもコスト(原材料費、人件費、光熱費などなど)が掛かる。

このような品質問題における損失は莫大である。品質リコールに至らなくてもサービス費用も莫大である。特に建設機器メーカのコマツはその修理(分解、修理、部品交換、再組立など)に1台でも数ヶ月、そして数千万円が掛かる。したがって彼らは必死で故障モードのモニタリング、そして品質改善活動を常に実施している。なぜなら品質問題は時間差がありながらも莫大なコストが掛かるからである。

これほどの重要な「生産性の向上」のテーマはないだろう。そして市場にたいする「信用」、これも重要な要素となる。しかしながら「品質」というのは一日で完成するものではない。 様々な経験の積み重ねがないと成長しない。多くの新興国が大きな壁にぶち当たるのもその瞬間であることが多い。しかし日本でも技術の伝承は疎かになっているのは間違いない。従って「生産性の向上」を達成するためには最新鋭のロボットに頼るだけでなく、先輩たちの経験に学ぶことも重要なことであると言える。



テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術



プロフィール

小室沢直樹

Author:小室沢直樹
「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

小室沢カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。