理系おじさんの社会学
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嫌韓を永遠に!
ハワイ真珠湾訪問から帰国した稲田防衛大臣が靖国神社を参拝したとして話題になっている。相変わらず、靖国で世論を煽る日本のマスコミであるが、煽られているのはシナや韓国くらいである。日本でもどこかの党首が否定的な意見を述べているが、戦没者をかつての敵味方問わず慰霊することは今や世界の常識である。もちろん現代社会における大戦への評価として、欧米でもプロパガンダとして扱うこともある。しかし日本では「戦前を美化する」と否定的な発言する輩が存在する。アメリカにとってコロンブスは発見者であり、フランスにとってナポレオンが英雄であった。そして、その裏側に何があったか言うまでもない。

それでも政治的に和解することは可能である。こうした考えはスポーツに喩えると解りやすい。サッカーでは試合が終わるとノーサイド(敵味方がなくなる)という言葉を使う。もちろん試合中は闘志をむき出しにするが、試合終了すれば互いの健闘を称えあう。おそらく、こうした考えは西洋での騎士道、そして日本の武士道に通じるところが多々ある。あの柔道では「礼に始まり礼に終わる」・・・、こうした思想が日米欧の戦後処理にもよく見られる。もちろん「わだかまり」が一切なくなるとは思えない。それでも、いつまでも後を引きずっても政治的に意味がないことを知識人であれば気付くものである。時が流れ、特に世代が代われば尚更である。

しかし、こうした考えが全く理解できない民族が存在する。もちろんシナ人や韓国人である。先日のニュースでも韓国釜山の慰安婦像の問題がニュースになった。日本政府が10億円払おうが100億円払おうが永遠に和解できないのが韓国である。あのパククネも「1000年の恨み」をコメントしていた。つまり、このような国々や民族とは永遠に和解できないと断言できる。そもそも韓国とは戦争していない(戦後和解の対象ですらない)。まあ韓国はスポーツでもフェアな対応ができないことで有名である。それは国民性、文化そのものであろう。このような状況は1000年経っても変わらない。彼らがそうした文化を守るのは勝手だが国外に拡散されるとたまったものではない。鳥インフル、口蹄疫・・・と同様に日本に、または世界に拡散させるべきものではない。

このような国に同情する必要はない。カネや技術支援も行ってはいけない。韓国製品も買ってはいけない(不衛生である)。そして何よりも「約束」はできない。当然ながら国際関係は構築できない。今以上に嫌韓を日本国中に拡散させ、世界にも拡散させることが重要である。韓国の文化を貶めることが日本、そして世界の国益にかなう。「目には目、歯には歯を」である。決して同情してはいけない。 嫌韓を永遠に!そして日韓断交! 世界各地に「たかりババア」の像を建立し、永遠に彼らの悪しき民族性を忘れないようにする。これこそが世界平和の一歩である。  さようなら韓国! それが日本の国益である。








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もはや従来の歴史戦に意味はない!
オバマ大統領が広島訪問したのに続き、安倍首相がハワイ真珠湾を訪問した。そもそも非武装市民を大虐殺した広島長崎とアメリカ軍事拠点を先制攻撃した真珠湾と同列に扱うことに違和感を感じるが、これは日米両国民へのリップサービスの色彩が強い。特にオバマの地元であり、民主党勢力の強いハワイということに意味がある。・・・これは誰もが感じていることだろう。

早速、チャイナや韓国は警戒感をしめしている。これらの国々にとって所謂「歴史戦」は今でも重要であり、虚構である南京大虐殺を永遠にアピールし続ける・・・やはり言論の自由のない国は滑稽である。あの韓国も然りである。こうした国々は言論の自由がなく、インターネットも厳しい規制下に置かれている。こうした歴史戦を重視する国々は言論の自由が乏しい国々といっても過言でない。

国家というのはどの国も正当性がないと国民が一致団結しないというリスクは確かに存在する。それは自由の国を自称するアメリカだってそうだ。しかし多くのアメリカの歴史家が広島長崎への原爆投下は国際法違反であり、ネイティブアメリカンを虐殺した欧州移民は残酷であったことを認識している。それでも政治的にはアメリカに正当性がなければ他民族国家として纏まらない。それでも二大政党制であるアメリカは形式上の意見の対立は存在した。

しかし今回のトランプ氏の大統領当選は今までの二大政党の対立としうより、「ナショナリズムVSグローバリズム」、または「特権階級(Establishments)VS民主主義(Democrcy)」という構図もあった。そして重要なことは、そこに「歴史戦」とか「国家の正当性」というものはあまり存在しない。なぜなら、今更そういう議論をしても現実社会の発展には然程影響がないからである。韓国人が今だに慰安婦問題をアピールしたり、中国人が南京をアピールするのにアメリカ人はすでにウンザリしている。

それでも真珠湾攻撃を今だに「ジャップのだまし討ち」という表現をするアメリカ人も多い。そして、やっかいなことにそれに同調する日本人も結構多い。しかし、かつてアメリカはフィリピン攻略もベトナム戦争も事前の「宣戦布告」などしていない。それどころか植民地時代のほとんどの欧米列強はアジア・アフリカに宣戦布告などしたことはない。もちろん先制攻撃は国際法違反でもない。むしろ特筆すべきは欧米列強はアジア・アフリカの非武装民を大量虐殺していることである。

日本の歴史でも、例えば源平合戦の「一の谷」では崖の背後から攻撃したり、「壇ノ浦」ではこぎ手に矢を打つ・・・など「卑怯」といえば「卑怯」な戦いだった。また織田信長の桶狭間の合戦も「一の谷」を参考にしている。もちろん「宣戦布告」などない。徳川家康の「大阪の陣」でも家康のとったやりかたは「卑怯」だったかもしれない。それでも結果として「天下泰平」となったことは評価すべきである。また日本では一部の武将の民間人虐殺や豊臣秀吉の兵糧攻めなど非武装の民間人が犠牲になることもあったが、欧米やシナ朝鮮のそれに比べれば各段に少ない。

世界の歴史では、むしろ同情や偽善の方が結果的に社会が混乱することが多い。特に同情や偽善が招いた悲劇は日本や現在の欧州に顕著に見られる。だからこそ過去の戦争に対して現代人が謝罪コメントをすることは「愚の骨頂」であると言える。しかし私は先の大戦の意味は大きいと考えている。なぜなら、こうした歴史を考えると、日本は二度と戦争しないという「不戦の誓い」は歴代首相がコメントすることであるが、「アメリカも二度と日本と戦争しない」という気持ちを植えつけさせることも重要である。

もし「歴史戦」というのがあるとするならば、そうした「日本を二度と敵にしない」と思わせることである。従って、今までのように「どちらかが悪い」というような善悪二元論は通用しない。特にシナや韓国朝鮮は、自分より強い相手とは戦わないというのが常識である。アメリカだって最終的に「勝てる」考えていても、結果的にアメリカにも甚大な被害があると想定されれば戦争はしない。・・・というよりできない。それが本来の民主主義国家というものである。これからトランプ政権になれば、こうした考えは主流になる。

政治の世界では、ときに「卑怯」なことをすることもあるだろう。それでも国家国民の安寧につながれば良い。国際関係において、真面目な国とは「真面目な付き合い」をそして不真面目な国には「不真面目な付き合い」が良い。下手に同情したら負けである。ももちろんケンカする必要はない。真面目な付き合いできる国とは付き合う。そうでない国とは付き合わない・・・それが重要である。特にくだらない歴史戦を今だに続ける国家や人間は相手にしない方が良い。時間のムダである。


好きなことをして生きる!?
仕事、結婚、趣味、その他様々な活動・・・学生から社会人になるときに選択する道は基本的に「好きなこと」を選ぶ。趣味はもちろんのこと、恋愛なんてのも「好きな異性」を考えるのは当然である。仕事だって「お金」、「「やりがい」など色々と理由はあるだろうが、自分の向き、不向きを考えて最終的には「好き、嫌い」で職業選択をすることが多い。実は会社の人事も「好き嫌い」で決定することが多い。そして何処に住むのか?それは「利便性」はもちろんであるが、「好き嫌い」も大きく左右する。・・・それが「自由」、特に婚姻の自由、職業選択の自由、そして移動の自由の基本であろう。

では、一方で老舗のご子息、歌舞伎界のプリンス、はたまた子供の頃からの「いいなずけ」・・・こうした人々は自由がなく不幸だと言えるのだろうか? 歌舞伎界のプリンスは当然ながら様々なご苦労はあるだろう。しかし、その「運命」をまっとうした人々は幸福であるように思える。また過去には多かった「お見合い結婚」も、最初はイヤイヤでも月日が経って気が付けば仲むつまじい夫婦も結構多かった。 つまり「自由」でないことにより、結果的に幸福を掴んだケースである。

私も社会人になったとき、自分が気に入った企業に入社して最初は希望に満ちていた。もちろん「好き嫌い」だけでなく当時として入社できるかどうか?のレベルも考慮していた。そして必死に働いたが、ある時期から「こんな単価も安く、リスクの大きい・・・割に合わない仕事」と思うことも多かった。誰もが子供の頃や学生の頃は、将来に夢をもっている。例えば「プロ野球の選手」になりたいとか色々とあったであろう。そして社会人になると理想と現実の違いに翻弄されることも多い。

またサラリーマンが他人の「自由奔放な生き方」をしている人に憧れることもあるだろう。それでも私は50歳を過ぎて、自分のためというよりも妻や家族のため・・・あるいは勤務先の会社や社会に役にたてればそれが一番嬉しい・・・という一種の自己犠牲の精神によって個人の存在理由を感じ、幸福感を得ていることに気付く。もちろんブラック企業のように「奴隷的」な仕事や生活をすべて肯定するわけではない。誰かのために献身的になる・・・こうしたことも人間社会には必要ということである。

例えば単純な喩えではあるが、私は趣味で家庭菜園をやっている。私個人的にはネギが好きで大量にネギを栽培したとしても、子供たちはあまり食べない。しかしイモ類であれば家族は皆よく食べる。だからイモ中心の畑になる・・・つまり何が言いたいかというと、そこには簡単な「需要と供給」の関係があって、どれだけ自分個人が好きな野菜を栽培しても誰も消費しない「寂しさ」というのが存在することに気付くからである。

これは社会全体としても言える。誰かが自分を必要としていると思えるからこそ一種の「生きがい」は生まれる。一般的な商売はすべてそうである。もちろん「好きなことをして生きる」ことも結構なことであろう。当然ながらイヤなことばかりでは気が滅入るのも十分理解できる。それでも誰にも役に立たないことを継続しても、その先にあるのは「寂しさ」と「虚しさ」である。それは個人でも企業でも国家でも同じである。

そういう意味で世の中には「寂しさ」や「虚しさ」を持つ人が多いような気がする。クリスマスで「くりぼっち」という言葉も流行した。普段忙しい人が孤独を味わうことも良いかもしれない。また普段孤独な人が大勢集まるパーティーに参加するのも良いであろう。それでも心の中に「誰かのために・・・」とか「社会のために・・・」という気持ちがないと心がもたないことも多い。 また普段忙しい人はそんなことすら考える余裕はなく、気が付いたら友人も増えて、財も増えるというケースも多い。

重要なことは、イヤなことであっても頑張った方が良いケースも結構あるということだ。しかし最近ではブラック企業が話題になり、パワハラ防止やコンポライアンス遵守が厳しくなるご時勢である。もちろんブラック企業は大問題であるが、そうしたことで企業や社員が萎縮するのも懸念される。 幸いにも日本社会は基本的に奴隷社会ではない。誰かが何処かで重要な仕事をしているから社会が成り立っている。まあ、そのことに気付くのは時間が掛かることではある。

たしかに「好きなこと」をすることは結構なことである。しかし「イヤなことも経験すべきである」。そのためには若い頃から学問や訓練に勤しみ、そして社会人になっても勉強や訓練を継続することが重要だろう。そして、何時の日か、「イヤなこと」と決め付けていたことが逆に好きになる瞬間が来るかもしれない。 その時に真の「幸福感」を得られるだろう。 「自由」というのは時に残酷である。 「好きなことをして生きる」も時に過酷である。 この意味を十分に理解することが重要なのだと・・・50歳を過ぎた理系オジサンが今更ながらツクヅク感じる次第である。  



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2種類のナショナリズム
アメリカのトランプ大統領の誕生、欧州での右派勢力の台頭、日本での右傾化・・・こうした流れは従来の保守と革新の対立、あるいは右派と左派の対立とも様相が違う。グローバリズムと反グローバリズムの対立という構図はたしかに存在する。一見して排斥主義とも受け止められるトランプ氏の発言やフランスのマリーヌ・ル・ペンの政策をよくよく確認すると決して排斥主義ではない。実際にアメリカの善良なヒスパニックの多くはトランプ氏を支持している。またフランスの古くからのムスリムの多くはル・ペンを支持している。

どこの国でもそうだが、善良な移民系の市民は素行の悪いニューカマーを決して歓迎していない。なぜなら「同一視」されたくないからである。日本でも犯罪を繰り返す在日韓国朝鮮人に対して最も厳しい処罰を求めているのは、むしろ善良な在日韓国朝鮮人かもしれない。にもかかわらず強制送還もせずに永住を認め、数年経てばシャバに戻れるなんて・・・日本の法律、そして社会システムの問題であることは間違いない。そして、そういう人物の再犯率は非常に高く、それが在日のイメージを著しく低下している大きな要因の一つになっている。。

さて国際的に見ると所謂「ナショナリズム」というのは二種類あることに気付く。一つはチャイナや韓国のように強制的に愛国心を煽ることである。そして、あのロシアや中東諸国もそうである。またシンガポールのような貿易国家でもそうである。シンガポールは金融やグローバルビジネスを基本としているが結構自由が少ない管理国家である。そして、このような国家に共通するのは「ネット規制」をしていることである。チャイナは周知の通り非常に厳しいネット規制しているが、シンガポールのネット規制も結構厳しい。そしてあのオーストラリアもネット規制は厳しい(オーストラリアは別に意味で難しい国である)。

一方でアメリカ、欧州、そして日本のネット規制は然程厳しくない。もちろん日本では犯罪予告とか不正なネットオークションとかは監視されているといわれている。またアメリカや欧州でも著作権に関連するネット監視はされている。それでも基本的には「言論の自由」は確保されている。それは既存のメディアであるテレビや新聞の様々なプロパガンダや放送倫理規制などと相反している。当然ながら人々は既存のメディアを信じなくなり、ネットで自ら調べることになる・・・そして行き着いたのが「ナショナリズム」であることが多い。つまり彼らのナショナリズムは誰かに強制されたものではなく自発的だったともいえる。

一方でネット規制とともに強制されたナショナリズムは脆弱である。チャイナや韓国、そしてロシアのナショナリズムも崩壊しやすい。その証拠にこれらの国民は常に海外へ移住を夢見ている。そもそも彼らの国家を信じていないのである。一方でネットの自由と自発的なナショナリズムは強靭である。どれだけ既存のマスメディアが制御しようとしても不可能である。もはや「世論操作」というメディアの特権は崩壊している。そしてそれぞれの国家で発展したナショナリズムが、結果として各国がそれぞれを尊重する結果を生み出す。それこそが真の国際化であろうと私は考えている。

一方でチャイナや韓国、そしてロシアや中東は政府として国際的なネット規制を呼びかけている。それは、これらの国民が海外で不都合な情報に影響されるのを非常に恐れているからである。そして時には国内での問題を外部へそらすために国外で敵をつくる。それが彼らの典型的なやり方である。 国際的な不安を作り出しているのは「情報操作と強制された愛国心」である。それはかつての大日本帝国もそうであったかもしれない。誰かに強制されない「自発的なナショナリズム」、そして「自由な言論や情報」はこれからも大きな力に発展するであろう。一方で「情報操作」と「強制された愛国心」は国際的な安全を脅かすものになるだろう。


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「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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