理系おじさんの社会学
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富の再分配
格差社会が拡大すると、さまざまな議論が活発になる。昨日記事にした「同一労働同一賃金」もそうである。一般的に「富の再分配」を議論するとき代表的なのが「租税」であろう。累進課税、そして食料品非課税というのは典型的な富の再分配である。戦後の日本はこの税制、および「国土の均衡ある発展:(富の分配)」をスローガンに一億総中流をほぼ実現した。

しかし、その後の日本経済が安定し、国民の価値観の多様化が進むことによって消費税という一律な税率を導入した。元々消費税導入前の物品税は何が贅沢品で何が必需品か?なんて議論が盛んになり、「バナナはおやつに含まれるのか?」的な議論が多くあった。そこで一律の消費税導入することは、消費者や生産者に対して平等な思想がべースであったことは間違いない。しかしその反面、従来比較として低所得者に不利であり、高所得者に有利であったことは間違いない。

また派遣労働法の改定、各種規制緩和によって競争社会を是とする風潮が強くなった。もちろん従来の既得権益との対立が激しくなった。それによって腐敗した社会構造を一新させる効果も多少はあったことは事実である。しかし、行き過ぎたビジネスも増え、それがブラック企業の蔓延など、最近では「格安危険バス」の放置にも繋がった。つまり、税制も含めこうした政策転換が格差社会を拡大させたことは間違いない。

そうした格差社会を是正するために「同一労働同一賃金」という議論が盛んになった。また「相続税」に関しても非課税枠を引き下げるなど、税制面での「富の分配」を進めようとする動きもある。経済学者の森永卓郎氏、2ちゃんねるでも有名だった「ひろゆき」さんも「格差是正」と「富の分配」のためには相続税の拡大が必要と主張している。一方で経済学者の竹中平蔵氏はそれに反対している。私は珍しく竹中平蔵の主張に賛成である(理由は少し違うが)。

さて、ここで日本の「富の分配」に関する歴史を考えてみよう。二千年以上続く天皇家の現在の固有財産は極めて僅かである。たしかに明治憲法の下で名目上の財産が拡大した時期もあった。しかし長い日本の歴史の中で天皇の財産が常に拡大した事実はない。むしろ、度重なる臣籍降下とともに一部の財産と家来を引き連れて地方移転して地方豪族になるか、不幸にも没落するケースが多かった。そして現在でも養子制度のない皇族、宮家は存続の危機にさらされている。

また江戸時代の諸大名は、参勤交代などにより彼らの富が旧街道などで多く消費(分配)された。百万石の加賀藩は、その財を文化振興に当て、職人や町人に富を分配した。これらは徳川幕府によって諸大名が軍事拡大させないための政策だったのは事実であるが、同時に社会に「富を分配」させ国家全体が潤ったことも意味している。また、諸大名に大きな問題があれば「取り潰し」と「資財没収」になることはあったが、何も問題なければ幕府は「相続」を認めた。

また諸大名は跡継ぎがなければ取り潰しになるので、盛んに世継ぎを儲けることに精力を尽くした。その結果、大名からの分家が進み、ここでも事実上の「富の分配」がなされたわけである。また養子縁組も多く、何とかして家を守り伝統を維持した歴史がある。
一方で財政難に悩む諸大名も多く、商家からの借金を踏み倒すケースも多かった(これも違った意味での富の分配であるが)。また、薩摩や長州藩のように外国との密貿易した例もあると云われている。

このように日本の歴史(日本だけではないが)では、富裕層が一夫多妻によって結果的に「富を分配」した。よく「タワケモノ」の語源が「田分」であり、相続によって数代で資産を失うといった誤解が世間で蔓延っている。しかし本当は「たわけ=戯け」であり、「田分」とは関係ない。むしろ富裕層の「田分」は「富の分配」であり、格差社会を是正しながらも一定の相続を認めた過去の日本社会を意味している。今考えても、こういうシステムは結構理にかなっている。

一方、現代社会の富裕層はいずれは没落する運命が待っている。ていうか相続税推進者によって崩壊させられようとしている。そして彼らの持つ伝統や文化は失われる。また日本をはじめ先進国は全体的に人口が減少する中で、性欲旺盛な貧困層は子供を増やし、またその子供も貧困層になるという所謂「貧困の悪循環」あるいは「貧困の連鎖」が生まる。そして社会全体も衰退する。大量移民政策を実施した欧州もこのような最悪の社会に突入している。

もちろん過去の古い日本社会にすべて戻すことは不可能だろう。しかし富裕層や社会に適応した人々が多くの子供を増やすことは正しいと私は確信している。私は別に優生学を肯定しているわけではないが、遺伝というのは成功者主導で行うべきだと考えている。そのような社会は結果的に発展する。要するに、富裕層の財産を貧困層が奪うという「革命的」のような発想でなく、富裕層が世代交代する際に次世代に分配する。そして普段から積極的に消費する。それが誰も痛みを感じずに富の分配が進む方法である。

そもそも相続税の計算において、「法定相続人の数で割る」というのは正しい考え方である。つまり富裕層は子沢山になるべきだ。それが富裕層の使命であると私は考えている。もし子供がいなければ養子でもよい。相続というのは何もカネだけの問題ではない。文化や伝統といった家族教育を維持継承するという義務も含まれている。相続は単なるカネの問題ではない。カネを分配すればいいというものではない。相続税、そして富の再分配を議論するときには、このような考え方は絶対に必要である。



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同一労働同一賃金
政府自民党は「同一労働同一賃金」について本格的に検討部会をスタートさせ法案作成の準備をさせるとのニュースがあった。従来より、この議論は様々な意見があり一筋縄ではいかない。以前も何度も議論になったが法案が改正されたり廃案になったりしている。先ず労働組合(民主党)は反対するであろうし、企業側も総賃金の上昇に繋がるとの懸念があるので結構難しい。一方で派遣労働に関係する人たちは基本的に賛成する傾向が強い。またパートさんも法案成立に期待している。たしかに労働組合や企業の利己的な論理もあるかもしれない。私も格差社会は是正する必要があると考えている。しかし私は「同一労働同一賃金」が制度として格差是正の解決策になるとは思っていない。

この一見して人権重視と思われるこの構想の実態は本当に複雑である。まず国際認識として、国連の国際労働機関が「同一労働同一賃金」を推奨している。加盟国である日本も建前を果たすべきという意見がある。しかしあのレベルの低い国連である。強制力はなく実際には各国の判断に委ねているのが現状である。どこまで国際的な建前を貫くかは各国の時の政権が判断することが多い。まあ、日本の憲法学者や法律バカは、集団的自衛権の議論と同様に「憲法理念があ!」とか、「これは国際的な流れだ!」とか言って推進する姿が目に浮かぶ。

もちろん同一労働同一賃金が効果がある職種もあるだろう。例えばスーパーのレジは社員でもパートでも仕事内容は同じである。社員が自給換算で2500円、パートが800円だと相当な格差である。そのスーパーの社員が別の職務の合間に忙しい時間にサポートとしているなら理解できる。しかし、丸一日丸一年同じレジ業務なら「同一労働同一賃金」の意味はよく理解できる。一方で忙しい時期や時間帯のみ活用されがちなパートさんや派遣さんにとっては有り難い話であることは間違いない。しかし、その反面として先にも述べたように社員(組合員)は反対する。それは彼らの賃金抑制になることも恐れており、実際にそうなる可能性が非常に高いからである。こうした議論は様々なパターンがあるので、一概に良いとか悪いとかは判断が難しい。

しかし最も私が気になるのは、労働者はモノでないと言いながら固定賃金にすることは、固定価格と同様に共産主義的な思想に思えることだ。むしろ労働者が感情のないコマ扱いしているようにも思える。ヒトというのは同じ労働であろうが、同じ発言であろうが、同じ動きであろうが、相手(顧客)が感じる価値は随分違うものである。そこには「信用」、特に過去の実績が重視される。そして人間性として仲間に溶け込みやすいとか、そうでないとか、仕事というのは人間関係が重要なのでどうしても人間関係構築に問題がある労働者は敬遠されるし、高給にもならない。そして何度もウソをつく労働者が存在した場合、同時に仕事は遅いが正直に真面目に仕事をする労働者がいれば、当然ながら私が企業経営者だったら後者を選ぶ。しかし前者は「同一労働同一賃金」を根拠にクレームすることもあるかもしれない。

つまり、ヒトはモノではないということ。「同一労働同一賃金」という思想は、むしろ人間性を否定しているようにも思える。もっと言えば、モノだって千差万別、様々な特徴があり、育て方(造り方)や管理方法は違って当然である。モノやサービスをつくる現場ではそう簡単ではない。どのような世界でも最後には人間性がものをいう。カリスマ社長や一国の首相の言葉に重みがあるように、中身は同じお菓子でもパッケージが人気の妖怪ウォッチなら、消費者は購入するのである。あのレジェンド葛西と号泣野々村被告が同じ挨拶として「ありがとう」という言葉を述べても、その重みは数百倍も数千倍も違うものである。要するに、こういう議論は「マクロ経済」としての視点だけで考えても実態社会とかけ離れるケースが多くなる。それどころか「人権を盾に人権を攻撃する」かつての共産主義の失敗を彷彿させるようになる。

従って、私はこの国家主導の「同一労働同一賃金」には反対である。導入できる分野はそれぞれで導入すれば良い話である。国がコントロールするような話ではない。どうしても格差を是正するなら。そして、どうしても一億総活躍を実現するなら経済のパイを拡大させること。そして労働者に技能や知識を養わせることである。技能も知識も養えない低賃金労働者の拡大を前提にしている経済状況である以上、格差是正は決して達成できない。一方、パートさんであろうが派遣さんであろうが、技能や経験があればどこでも通用する。それが労働者の価値を育てることに繋がる。また労働者はカネだけでなく働く生きがいがあるかどうかでその価値が決定するのである。そして、そういう考え方がモノやサービスの価値を高めることに繋がるものなのである。

もちろん社会にはブラック企業や不当な賃金形態の企業もあるだろう。そういう企業はさっさと見切りをつけて転職するか?会社選びのテクニックを身に付ける方が近道である。国民に職業選択の自由があるのだから、それこそ自由選択すれば良い、そういう転職しやすい環境とは、まさしく「失業率」の低い社会であるといえる。そもそも私は、問題の根源は派遣業界にあると考えている。直接雇用のパートさんならスキルがあれば自給を上げることは十分可能である(まわりにバレないように)。しかし派遣会社の場合、どのような派遣先(勤務先)であろうが個別の特性も知らず(現場を知らず)一律賃金にしてピンはねする。それが問題を複雑化している。私は過去に何度も多くの派遣社員と話をしたことがあるが、多くの派遣労働者さんは派遣会社に対する不満が非常に高かった。あのリーマンショック後の大量派遣切りのあとに優秀だった元派遣社員は企業に呼び戻され派遣会社に内緒で直接契約するケースも多かった。派遣会社のメリットは単に企業に代わり社会保険に加入が義務付けられている事くらいである。

むしろ私は派遣労働法を改正(縮小)し、企業がパート枠の拡大を義務付ける方が効果的と考えている。つまりワークシェアの拡大である。たしかに派遣社員も可哀相なケースもあるが、社員も人手不足が原因で過度な労働でストレス過大になっているケースも多い。そういう状況こそ是正すべきである。特に主婦は時間帯や場所の都合で働けないことが多い。また高齢者や障害者も長時間労働ができないとか、力作業はできないなどのハンデイはある。場合によっては在宅ワークも増やしてもいい。パート労働の拡大し個別で契約すれば、企業の人事担当者は大変かもしれないが仕事全体の回転もよくなる可能性は高い。人事業務をケチちる企業に将来はない。そして大抵の主婦や高齢者は仕事の経験があり、得意分野が解れば企業は賃上げしてでも採用する。

しかしそれはデフレだとすべてが悪循環になる。そして何の技能や知識のない労働者は取り残される。それが問題の根本である。表面的に国家が同一労働同一賃金にしても問題は決して解決しない。そもそもヒトをモノと考えている人権派もどきのシステム管理屋さんは共産主義者のゾンビであるといえる。新自由主義者の考えていることは、かつての中国共産党の大躍進政策の論理と大して変わらない。「人権を盾に人権を攻撃している」極めてやっかいな存在であることを一般国民は理解する必要がある。


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アメリカのアジア重視?
2011年頃よりオバマ政権が「アジア重視」を主張しはじめた。そして、その後の現在までどうなったかを考える非常に興味深い。当初から日本でもさまざまな論評があった。例えば「アジア重視でなく中国重視」だとか、「アジア重視=欧州軽視」とか、「いやいやアメリカはようやく日本重視になった」という論評すらあった。しかし当たり前の話だがアメリカはいつも「アメリカ重視」だったことだけは間違いない。

先ず、この5年間のアメリカの政策を見ると特に際立っているのが中東政策である。アメリカ国内のシェールオイルやシェールガスの開発で中東依存が低下した云われている。そしてイランへの制裁解除し、長年の友好国であったサウジアラビアと対立するようになっている。中東諸国はアメリカのシェールオイルを抑えつけようとして減産をせず原油価格の低下を黙認してきた。もちろんアメリカの一部のシェール業界やそれに参入した日系企業もダメージを受けている。

しかしアメリカは自国の農業政策同様に補助金でシェール業界をサポートできると私は考えている。もちろん日本への新たな輸出も含めシェールオイル輸出は国際原油価格の低迷が大きなダメージになるかもしれないが、アメリカ国内消費に関しては補助金とともに国内石油関連税制改正も可能なので然程影響はない。むしろ新たな雇用が創出できるのでアメリカとしてはメリットがある。そもそもアメリカGDPは個人消費が多く占めている。シェール輸出なんてアメリカのマクロ経済的にはオマケであり、大戦前のように日本を牛耳れるというメリットを感じているに過ぎない。

そしてアメリカの最大のメリットは「面倒な中東情勢から逃避できること!」 これに尽きるだろう。まあ、無責任といえば無責任だがアメリカとはそういう国である。しかし中東が大混乱して大量難民が発生してもマヌケなドイツが受け入れる。更にVW排ガス問題や中国景気減速でドイツ(欧州)の衰退を目に見えている。アメリカとしては一石二鳥である。英国もEUと更に距離を深める可能性が高いが、そうなるとEUが本来目的としていた「アメリカに対抗」が事実上不可能になる。そして何よりもアメリカは今年選挙である。どんな民主主義の国家でも自国兵の海外派遣に反対の声が高まる。国民は自国重視の政策を支持するのは当たり前のことである。

さてアメリカのアジア政策はどうなるか?私は相対比較として中東、欧州に比べてアジアを重視する傾向はあると考えている。しかしアメリカ輸出入総額は陸続きのNAFTA(カナダ、メキシコ)が最大であり、それに比べてアジア向けは相対的に少ない。そしてアジア向けは貿易赤字である。多少アジアへの輸出が増えてもアメリカGDPに占める割合なんて僅かである(全くGDPに影響しないかも?)。そんなアジアに軍事的プレゼンスを高めて中国と正面衝突するメリットなんて何も存在しない。まあ、アメリカ軍事プレゼンスは日本や東南アジアを外交的に上手く利用する意味しかないであろう。

確かに一部のアメリカ政治家はアジアでの軍事力を強化しTPPとともに経済圏と安全保障を担保する政策推進を主張する勢力も存在する。もちろんアメリカの各種業界もTPPに期待する動きもある。しかし共和党トランプ候補も民主党サンダース候補もTPP政策を否定している。さらにトランプ氏に関しては中国からの輸入品に高関税を!と主張している。そしてトランプ氏は「日本はアメリカの安全保障をタダ乗りしている」と非難している。こうしたトランプ氏の発言は彼個人的な発言と解釈するのでなく多くのアメリカ人の声であることを日本人は理解すべきであろう。(私がアメリカ人だったらトランプ氏を支持するだろう)

さて話は戻すがアメリカの「アジア重視」なんて言葉に惑わされてはいけない。アメリカが「アメリカ重視」と考えるように、日本も「日本重視」の政策を先ず考えるべきである。もちろん外交儀礼もあるし、諸外国に飴が必要な時はあるだろう。先ずは日本国内政策と国内景気の改善に全力を尽くすべきである。景気が良ければ、やれ関税がどうしたとか、為替がどうしたなんて吹っ飛ぶものである。そして重要なことはドイツや韓国のように外需依存の国家にならないこと。それが将来の日本の安全保障を確保する重要な道であるといえる。





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目は口ほどに物を言う
全国各地で高校生が反安保法案デモをしたというニュースがあった。写真や映像で様子を見ると何故だかデモに参加する人々の顔(特に目)が奇妙に見えることがある。例えば元プロ野球選手の清原さんの覚醒剤事件に関する報道で、過去の清原さんの映像を見ると素人が見ても不自然に思うことがある。また鬱(うつ)患者の場合、専門医がその患者の「目」を診てすぐに「問題あり」と判断できるという。私は専門医ではないが、何となく病んでいる人の「目」は不自然さを感じる。「目は口ほどに物を言う」と言われるが、精神状態に関しても同じことが言えるかもしれない。

今回の反安保デモに参加している若年層(中高年もいるが)の「目」も気のせいか不自然に見える。こういう人たちに多く共通するのは「睡眠不足」である。まあ、その結果として単純に「寝ぼけている?」とも考えることもできる。例えば、「若年層切捨ての安倍は悪い!」とか「安倍の戦争法案だ!」とか? 彼らは何かに憑りつかれたように叫んでいる。「若年層切捨て!」と言っても、彼らを戦場に送っているわけではない。たしかに格差社会が存在するのは間違いないが、それと安保法案は全く関係ない。要するに主張する内容が支離滅裂なのである。

一方で若くても真面目に仕事をして周りから評価されている人は目が輝いている。それは工場での製造作業者でも農業従事者でも土木工事の若い女性でも、そして夜の人気のホステスさんも・・・どんな仕事でも真面目に働いて成功している人は目が輝いている。実際に真面目に働いているのが日本人の大多数である。目を見れば解る!もちろん仕事をしながら精神的にも病んでいる人も存在している。今の時期には受験で失敗して落ち込んでいる人もいる。そのまま挫折から立ち直れない人もいるかもしれない。しかし多くの日本人は立ち上がっている。

私は以前のブログで何度も述べた。政治や社会を考えるとき、そのときの「失業率」、「犯罪率」、「寿命(事故、自殺含む)」を確認することが解りやすい。そして過去に何度もいい加減なコメントした評論家やヘンな友人を信じないこと!ということについても述べた。最後に他人の主張に耳を傾けるだけでなく目を見て判断すること。健康な人間ならば、病んでいる人の目に見て何か不自然さを感じるはずである。「目は口ほどに物を言う」、それは一理ある。もし本人が精神的に病んでいるとするならば、時間をかけてゆっくりと治すしかない。若年層であれば、それはなおさらだ。ゆっくりと目の輝きを回復させるべきだろう。


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選挙に向けて!
今年の夏に参議院選挙があり、それに向けて国会議員や政党が様々な動きを見せている。各党の候補者調整や選挙協力・・・そこまでは多少は理解できる。しかし、最近の国会議員のスキャンダルや失言?も政治利用される。それは選挙を意識していることはほぼ間違いない。一般国民はこのような、くだらない話題に惑わされてはいけない。私に言わせれば政治家は誰も失言していない。別に不倫したって構わない。しっかり議論をして政治をすれば良い。そう、彼らが様々な表現で自由に議論する当然のことである。むしろマスコミが一方的な失言をしていると言えるだろう。

まあマスコミ批判はこれくらいにして。さて有権者はどのように判断すべきか?もちろん国民一人一人だって様々な利害関係があるので有利な政策に賛成したり、不利な政策に反対するのはある程度は仕方がない。特に高齢者の多い日本では、さらに高齢者の投票率が高くなる。結果として高齢者に有利な政策が支持される傾向になることは非常に残念なことである。しかし、日本人として国家社会として考えなければ「利己主義」といわれても仕方がない。一億総利己主義になることを推進したら、それこそシナ(自称:中華人民共和国)と同じになる。

よくアベノミクスの成果の実感がないとかマスコミコメントや街頭インタビューも多い。株式投資に関心のない一般国民は株価が上がったとか、為替がどうなったかなんて然程興味はない。しかし物価や税(特に消費税)はすべての国民に影響するので興味があるのは当然である。あとは「当たり前」のように思われる「安心、安全、健康」、そして「仕事(収入)」があるかを重視し判断すべきである。この当たり前と思わることに注目しないで別のことに注目する評論家は「利己主義者」あるいは「利己主義の代弁者」と判断できる。

特に私が重視しているのは「犯罪率」、「失業率」、「平均寿命」の三つの統計である。犯罪率は「社会」を数字に表している。また失業率は「経済」を表している。さらに平均寿命は国民の「健康」を表している。もちろん統計方法の細かな問題はあり、様々な解釈も可能である。しかし、これらのデータで日本社会をある程度は把握することができる。そして、これらのデータから、最近ではすべて向上していることが理解できる。

犯罪率に関しては、認知件数が平成15年をピークに低下し平成23年には150万件を下回っている。それは昭和40年代の水準まで回復しつつある。もちろん人口統計(年齢層)との連動による影響もあるが社会が安定していることを意味している。また、最近ではDNA検査など科学捜査の発展、さらにはマイナンバー導入による検挙率の向上も期待できるだろう。

次に「失業率であるが」、総務省統計局データによると2013年4.0%、2014年3.6%、2015年3.4%と確実に低下している。ちなみに2002年は5.5%だった。これも非正規雇用とかの問題を主張される方も多いが、賃金が安くても職(食)がないよりマシである。トータルでGDPが上昇すれば国としても税収アップに期待できる。また失業率の低下は犯罪率上昇という問題とリンクしており、失業率を改善することが犯罪率を低下させることにも繋がる重要な指標である。

最後に「平均寿命」についてだが、寿命を語るときにはよく高齢者年齢をイメージされることが多い。しかしこの統計はゼロ歳の子供が何歳まで生きられるか?である。従って戦前は高かった「乳幼児死亡率」の改善の影響が大きい。そして全体としての寄与率は小さいが「事故」や「自殺」の統計も少なからず影響している。これは医療技術の発展、安全技術の向上がある。自殺率は景気の動向にも左右されるが、自殺の最も大きな要因は「病気」である。この「病気」は発生させない、あるいは治すことのできる社会が望ましいのは誰も否定できないだろう。

このように「犯罪率」、「失業率」、そして「平均寿命」を確認すると最近の日本は決して悪くない。もちろん、それは医療や科学技術の進歩も大きく影響している。しかし、経済、治安、そして医療福祉というのは必ず政治的な役割が大きく影響している。また国家の安全保障とは国土、領海を守ることも意味している。それは即ち日本人の生命と財産を守る、イコール経済、治安、そして生命に関わることと言える。

そういう意味では、現在の政府はある程度は支持することはできる。ちなみに私は自民党の支持者ではない。こうしたデータを下にして評価しているだけである。もちろん、これからどうなるか?は非常に大きな問題である。このまま消費税を増税すればGDP600兆円は困難になるだろう。TPPにおいても国内対策が不十分であれば、国内経済が低迷するだろう。また大規模な財政出動しなければマネーはさまようだけだろう。

はっきり言って、政治家の失言やスキャンダルなんてどーでもいい。国民全員が「犯罪率」、「失業率」、そして「平均寿命」のデータとその推移、さらに余裕があればその意味をじっくりと考えるべきだろう。そうすればマスコミに騙されずに正しい判断ができる。特に、今年18歳で選挙権を持つ国民にはそれを十分理解してほしい。

あとはイジワルな判断をしたいなら、こういう考え方ができる。過去の有識者?の発言である。「日米安保で日本がダメになる!」、「牛肉オレンジの自由化で日本は壊滅する!」、「郵政民営化で日本が破滅する!」、「日本は借金で破たんする!」・・・あれから10年以上たっても日本は大丈夫である。そして最近では「日銀が金融緩和したらハイパーインフレが起こる!」⇒まだデフレは続いている。

一方で「日本は人口減少するから大量移民が必要だー」⇒欧州では大混乱、過去の日本でも朝鮮半島からの密航者で治安は悪化した。「沖縄から米軍撤退だー」⇒米軍撤退したフィリピンが中国から攻められる。

このように過去の評論家や有識者?の発言にどれだけ騙されてきたか?何かビデオの編集でまとめると面白いだろーな!。まあ、とにかく過去に何度もいい加減な発言した人に意見には二度と耳を傾けないことだ。そして統計データの「犯罪率」、「失業率」、そして「平均寿命」だけをしっかり確認するほうが数段マシである。


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農業で解る民族性
前回のブログでは、中国共産党の大躍進政策による農業大失敗や北朝鮮による主体農法による大失敗について述べた。古代メソポタミアや古代エジプトも農地拡大による衰退があった。よく気候変動による砂漠化という表現されるが、文明が発展したあとに衰退している地域は過度な農地拡大による人為的な砂漠化も多かったことを忘れてはならない。

一方、欧州では古くは三圃式農業として、小麦の春撒き、秋撒き、羊放牧(現在でも残っている)、そして混合農業と言われる様々な農作物と家畜を組み合わせた農法が主流になっている。そもそも欧州の土壌は痩せており、雨も少ない(特に東欧)ので農業は結構難しい。しかし、長い年月をかけて様々な工夫を凝らして持続的な農業を発展させた。そして、そのベースの上に機械化や大規模化を実現した。農業を考える時、この意味を理解する必要がある。

一方で日本では、古くから稲作に適した場所であるために欧州のような混合農法は盛んではなかった。動物はあくまで野生動物の捕獲(農地を守るためでもあった)。稲作は連作できるといわれるが、それは収穫後の土壌の天日干し、籾殻焼き、冬の凍結によって病害虫を駆除、そして水田として水をはることによって陸上生物(害虫)を駆除している。それをしなければ稲も連作障害は発生する。ちなみにインドネシアでは冬の凍結がなく三毛作をするため大規模な焼畑をして環境問題になっている。

もちろん欧州でも日本でも気候によって凶作になることは多々あった。そういう時期の飢えをしのぐために中世以降の欧州ではジャガイモ、日本では江戸時代よりサツマイモの栽培が発展した。古代の日本でもサトイモ(東南アジア原産)はコメの不作に備えた作物だった。もちろん、その他の外来野菜や品種改良(多くは廃れた品種もあるが)も活用して現在に至っている。しかし、それでも過去のアイスランドの噴火とか浅間山の噴火は大規模な飢饉の要因となり、革命や維新のきっかけになったと云われている。

このように農業とは長い年月をかけて、その地域と人々に適した文化とともに発展した。それは1000年以上といっても過言ではない。もちろん、最近の生物学や遺伝子組換技術も進化している。しかし、1000年以上の農業の歴史を無視して強引な開発は危険極まりない。もちろん新しいことを試みるのは悪くはないが、それは全体の1割未満にすることが望ましいだろう。一方、そういう時間をかけずに一攫千金を狙うような農業は決して成功しない。大躍進政策や主体農法などを反面教師として、改めて日本人もよーく考えるべきであろう。「食い意地を張るとロクなことはない」と言葉は決して間違っていない。



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失敗に学ぶ
「失敗に学ぶ」、この当たり前の事ができない人々が古今東西に多く存在している。喉もと過ぎれば何とやら・・・とか、単純に忘れっぽいという生理現象。一方でイヤな思い出を忘れるというポジティブな思考ならまだ理解できる。しかし、平和ボケとか、バリアフリーによるボケの進行とか・・・人間でも何か機能を使わなければ退化するというのは生物学的にはよくあることである。

しかし、それをビジネスの世界で「失敗」を続けると顧客の信頼は失い重要なビジネスを失う。もちろん一般ビジネスだけでなく政治、経済、農業などで同じ失敗を起こさないための「学習」とは非常に重要である。こういう失敗の経験は、何も高等教育受けた人物だけ知っているとは限らない。むしろ学者や大学教授よりも現場の人間が一番よく知っているケースも多い。

かつて中国共産党の大躍進政策、北朝鮮の主体思想では、いずれも農業改革に大失敗している。大躍進政策では「深く掘って密集して種を植える・・・」もちろん失敗。最近でも、大量農薬と大量化学肥料で数年後には土壌汚染と水質汚染で収穫量が激減している。北朝鮮での主体農業でも、山を切り開いて土留めもせずに農地を拡大して数年後に洪水で大失敗・・・こうした失敗を繰り返している。現在でも似たような失敗を何度も繰り返しているようだ。

農業失敗で多いパターンは政治トップの「思いつき」、「インチキ学者の抜擢」を重視していること。そして現場の農民の意見を全く無視していることにある。政治トップやインチキ学者は農業や農民をバカにして、彼らの意見を採用する価値は無いと信じ込んでいるのだ。「農業なんてバカでもできる」とか、「農民は奴隷」、という「思い込み」をしているインテリもどきが非常に多いことである。最近では、そういうバカが日本にも多く存在している。農業というのは実は高度な学問の実践である。

こういう問題は農業だけでなく、工業界でも似たような現象がある。例えば、工業界でのある企業が大きな問題にさらされたとき、トップの「思いつき」で新たなシステムを導入しようとする。また外部の権威のありそうな学者を招待して改革させる。こういう安易なパターンが非常に多い。しかし現場に適応できないシステム導入しても、むしろ現場に混乱を招く。そして権威ある学者なんて、現場なことは何も知らない。結局、良くなるどころかむしろ混乱するという最悪の結果が待っている。

こういう時には、マネージメントとして「現場の声を重視すること」、そして権威ある学者ではなく「技術者の意見をよく聞く」ということである。どうしても一般技術者(Engineer)は 学者、博士(Doctor)より下に見られることが多い。しかし、インチキ学者が増加した現代では、むしろ現場をよく知る技術者の方が役に立つ。技術というのはどのような世界でも権威や地位で動かせるものではない。組織のトップや学会のトップはカネやヒトを集めることはできても、ミクロの改革を立案、実施することは不可能である。

もちろん、こうした考え方は経済学でも同様である。過去に消費税を増税するとどうなったか?金融緩和すればどうなるか?貿易自由化すればどうなるか?大量難民受入すると社会はどうなるか?世界を見渡しても、そうした結果(マクロもミクロも)は誰もが知りえることができる。モノゴトを考えるスタートは何も難しくない。過去の結果から学ぶ、特に「失敗から学ぶ」の重要性は誰だって理解できるはずである。しかし実体験のない、平和ボケに染まって「机上の空論」に没頭するようでは何も解らない。


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仕事をしない銀行、企業、そしてヒトは没落する
日銀のいわゆるマイナス金利政策によって、銀行経営が悪化するという見方は相変わらず多い。たしかに確実に安全に利益を生み出す日銀当座預金は一般金融機関にとっておいしい存在だ。しかし、日銀から一般融資を促しても動かない銀行はその「存在理由」が疑われることになる。

日本の大企業についても同様のことが言える。長いデフレのために内部留保が多く、景気の先行きによって設備投資をしない状況である。仮に設備投資をしたとしても金融機関に高金利で融資されるよりも自己資金を活用する可能性が高い。それでもデフレなので内部留保はそのまま大口預金にした方が得ということになる。やはりデフレが解消しなければカネまわりは良くならないということだ。

そこで根本的に疑問に行き着く。一般融資をしない銀行とは何なのか?設備投資をしない、そして人的投資をしない企業とは何なのか? 先に述べたように、その「存在理由」が疑われる。本来の仕事をしない銀行や企業は、「仕事をしない」ことにより技術やノウハウの発展が妨げられる。このようにデフレの恐ろしさとは本当に根深い。

ヒトや企業、そして銀行も「仕事」をすることによって本来の潜在能力が発揮、あるいは成長するものである。しかし現在は、相対比較としてのマネーの運用、極度なリスク回避(バブルのトラウマ?)、スケールメリットの追求、規格統一化(グローバル化も含む)・・・といった単純な算数の論理で動いているように思える。

このままでは日本の銀行や企業、そして労働者のレベルは低下して崩壊する危険性もある。そう、「仕事をしない」ということは、頭脳、技術、体力・・・すべてにおいて「退化」することを意味している。不労所得が減少することで大騒ぎする人々にはどうしても同情する気になれない。


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「重力の波動」世紀の大発見!?
「重力の波動」を観測できたと話題になっている。また、これはノーベル賞クラスであると報じている。もちろん、研究の成果は素直に評価すべきであろう。しかし私個人的には少し違った見方をしている。よく報じられているように、100年くらい前からアインシュタインをはじめ様々な物理学者が予言していたとされている。しかし「予言」というより「予測」(いずれも英語ではPredict)であり、理論物理学者が理論的に説明したが設備がなかったので立証できなかったということである。つまり、その時点ではすでに理論的には発見していたといえる。それが現代の観測設備の進化によって明確に観測できた。日本でも岐阜県あたりで観測していたのが、アメリカのパワーに先を越された?.というのが正しい解説といえる。

これはヒッグス粒子もそうであるが、素粒子物理学というのは理論が先行してから後で実証するというパターンである。一方でiPS細胞や青色発光ダイオードなどは、理論は完成していないが実証試験で発見するという手法である。よく理論物理学はドイツ的で実学はイギリス流という論評がある。「重力の波動」はドイツ的な理論から、大国アメリカが立証というパターンである。しかし、これが社会に何かすぐに役に立つようなものではない。私はそういう観点よりも、よく観測できる巨大設備を作ったものだ!と感心している。このような観測設備はカネもヒトも時間も掛かるし様々なノウハウも必要である。しかしその反面、こういう設備は後のメンテが大変になることが多い。

「世紀の発見」というと、どうしても何か特定のモノに対して想像することが多い。しかし、実際にはそれを実現させるための生産技術力や設備能力が重要になる。たとえば身近な例でも、スマホのような小型の電子機器だと「バッテリー」をどうするとか、超小型ロボットのマイクロモータは「マグネット」はどうする?とかさらには小型で高強度部材の「耐久性」はどうする?とか・・・必ずネックとなる部品や機械構造の問題が発生する。仮に試作として設備開発に成功したとしても、メンテ頻度が多いとか、稼働率が悪くなることは多々ある。

日本でも新しい発電技術として期待されたガスコンバインド発電装置もそのメンテ費用の増大によって、思ったほどトータルメリットがないことが判明している。もちろん改良、改善は進めているが、現在停止している設備も多い。その他、民間企業でも様々な生産設備において似たような問題が発生している。どうしてもダウンサイズ、ハイスピード化を要求すると別のところで問題が発生するということである。一方、国営や大学の研究では予算があれば、巨大な土地に巨大な設備を投入することも可能である。そうした力づくで観測設備を導入して、何か新たなものを観測するというやり方は特にアメリカが得意とするところである。正直いって今回の「重力の波動」に関してもそういうイメージが強くある。

もちろん、だからといって私は今回の発見に否定的ではない。まあ、あそこまで予算を投じて何も発表しないわけにはいかない。というコメントに留めておこう。私自身も大学時代は物理学専攻であったので、理論物理学とそれを実証したり観測することに全く興味がないわけではない。しかし人間というのは不思議なもので、社会人になって様々な仕事をして特に品質不具合対応などをしていると、顧客や社会に役に立つ、あるいはどう満足させるかの実学しか興味がなくなってくる。それでもそれは夢を失ったわけではなく、何か人や社会に役に立てるという一種の自己満足ともいえる(自身の存在理由を確認)ことだって大きな夢であることには変わりはない。立場による価値観の違いというところだろうか? 大発見というのは誰もが身近で見つけられるような仕事ができれば、それはそれで大きな満足になるであろう。


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不倫騒動の本質
最近、タレントのベッキーさんの不倫とか、自民党の宮崎議員の育休中?での不倫騒動が週刊誌やテレビで話題になっている。そもそも有名人のスキャンダルにはあまり興味のない私なので、こうした話題は素通りしようと考えていた。しかし、よくよく考えると社会の深い闇が見えてくる。

英国での報道では、ベッキーさんの問題は「女性差別」とのコメントもあったそうだ。たしかにイスラム諸国では浮気は女性側に問題があるとか、古い日本でも浮気は男の甲斐性であり、女性は許されないような風潮はある。一方で女性の側でも、よく「どろぼーネコ」という表現されるが、それは男性を誘惑する女性を揶揄する表現としてよく使われる。

今回のベッキーさん騒動や宮崎議員の問題では、奥さんが法的に訴えている訳でもない。騒いでいるのは周りやマスコミだけである。宮崎議員は議員なのでスキャンダルは政治利用される。ベッキーさんの場合、彼女は美人で清楚なイメージがあるので、一般女性から嫉妬や軽蔑の目があり、それが騒動を大きくしているように思える。

つまり、これらの問題は女性差別というより、むしろ女性(特にフェミニスト)が美しい女性を攻撃したり、だらしない男性を外野から罵声を浴びさせているというのが事の本質のように思える。はっきりいって、プライベートな話にも関わらず全くカンケー無い人々がゴチャゴチャ文句言っているだけの話である。

もし不倫女性がベッキーさんでなく大阪の吉本芸人である山田花子さんだったら、多くの女性から「よくやった花子!」と絶賛されるであろう。また宮崎議員も不倫がばれずにイクメンぶりを発揮して、それだけをアピールすれば、世間の女性から「やさしい、いい男だねー」となるわけだ。実際に、そういう不倫がばれずに世間の評判を良くしている男性は大勢いるかもしれない。

このように他人のスキャンダルや嫉妬や軽蔑心というのは、人々の心を狂わせ「うねり」になって社会を変えることは歴史上でも多々存在した。例えば、フランス革命ではオーストリアから来た王妃マリーアントワネットが諸悪の根源のように誤解され、挙句の果てにギロチンで処刑されるまでに至った。そこには、つまらないスキャンダルや嫉妬心、そして軽蔑心が背景にあった。そして、それを政治的に上手く利用したというのが事の真相だった。

現代でも民主主義であるが故に社会的イメージを上手く政治利用する動きは多々ある。様々なプロパガンダがそうであろう。現在のマスメディアはプロパガンダの塊であり、それに翻弄される人々は相変わらず多い。もちろん、どのような世界でも「空気」や「雰囲気」というものがあり、そこに風が吹いたり、渦を巻いたりすることはある。そうそう、最近では「重力の波動」が発見されたと話題になっているが「波動のうねり」とは一般社会でも様々な形で存在する。

しかし問題なのは、民衆の「怒り、妬み、嫉妬」というのは、大きな「うねり」をつくり易いうことだ。一方で幸福や歓びのうねりというのは日本では発生しにくい。むしろ「嫉妬心」の方が強調されることが多い。例えば、オバサンの井戸端会議では各々の「不幸自慢」することが常識となっている。そこには素朴に「同情をかって欲しい」という気持ちもあるだろうが、同時に「良い話は他人の嫉妬を買う」という恐怖心の裏返しのように思える。また、他人の喧嘩は面白いとか、他人の不幸は自分の幸せとか・・・相対的に他人が落ちぶれることでしか、自己の存在価値が上がらない人が多いということだろう。

まあ、一般庶民の心をどーこー議論しても仕方がない。しかし中にはまともな事を言う人もいる。私の妻もそうだ。不倫報道をテレビで見た私の妻はこう言った。「そりゃー、不倫したいという気持ちは誰だってあるんじゃないの?」、「奥さんもある程度は許しているんだから、いいんじゃないの」、「何でこんなくだらないニュースを何度もするんだろー」・・・うーん!マトモ過ぎる。そう、一般国民もバカじゃない。私の妻と同じことを思っている一般女性は数多く存在している。まあ、たしかにゴシップ好きな人々も多いのは事実であるが、マスコミが思っているほど日本国民はバカではない。


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国債がマイナス金利!?
日銀の政策決定会合でのマイナス金利(日銀当座預金の一定額以上のマイナス金利)導入、および株価の低迷によって国債の買いが増大した。その結果、「国債がマイナス金利」との報道がなされている。実際に国債自体がマイナス金利ではなく、国債価格の高騰により実質金利が瞬間的にマイナスになっただけの話である。にも関わらず「日銀の誤算」だとか、「国民の年金利回りが下がる」とか「庶民の定期金利が下がる」とか・・・ネガティブな報道が多く、唯一「住宅ローン金利が下がるメリット」のみを紹介している。一応、マスコミは社会の公平公正を意識?もあるのだろうか?ただ単にバカなのか?おそらく後者であろう。

まあ、相変わらずのマスコミのバカ報道はさておき、国債の市場価格が上昇し金利が下がるということは「国」が信用されている何よりの証(あかし)である。国にとっては高価格で国債が売れて金利も低いなんて、はっきりいって「大儲け」である。日銀の国債大量購入だって、その金利はあってないようなもの(日銀は政府から金利を得ても、また政府に戻される)。一般市場での国債の高価格と低金利の場合も本来は国が負担すべき国債利払いが縮小することを意味している。

日銀の当座預金のマイナス金利もそうだが、日銀や政府が負担する金利が減るのである。これも立派な政府の財源となる。例えば日銀の当座預金の「ブタ積み」が100兆円としても0.1%で1000億円である。1000億円といえば所謂「従軍慰安婦問題の手切れ金」である10億円の100倍である(喩え方が低俗で失礼・・・)そして一般国債市場での金利もゼロ、しかも高価格・・・相当政府はプラスになる。そもそもアベノミクスがスタートして政府の外国為替特別会計(通称:外為特会)や雇用保険は莫大なプラスになっており、これも政府の大きな予算になりえる。

このように考えると、財政破綻論者やプライマリーバランス均衡を主張するエコノミストは一体何を考えているのだろうか?更に安倍首相がスローガンにしているGDP600兆円が達成すれば、税収もそれに比例して増加する。政府の負債問題なんてそれで帳消しになる。したがって、国債の実質金利が瞬間的にマイナスになったからといって大騒ぎする必要は全くない。むしろ、問題なのはマネーが行き場がなく彷徨っていることである。世界的な景気減速は日本の株式市場にも影響している。さらにマネーを追い込むためには、むしろマイナス金利の適用を拡大することが今後の金融政策としては十分有りうる。日銀黒田総裁の考え方は間違っていない。

あとは政治の動きが問題である。今年はアメリカも日本の選挙がある。アメリカですら選挙前になると大型予算にするのが常套手段である。日本の建設器機メーカ(コマツなど)が4年毎に景気の波が発生する主原因はアメリカの選挙だと言われている。さて日本がどうするべきか?私が何度もコメントしているように選挙前に大型補正予算と消費税延期(あるいは凍結)すれば自民党は大勝できる。勝てるのであれば衆参同日選挙にする。サミットのある年は総選挙・・・このジンクスが当たる可能性は十分ある。まあジンクスというより政治的な一つの手段であることは間違いない。

しかし少し心配なのが戦争の勃発である。ここまで資源価格が低迷し、世界経済が悪くなると、どこかで紛争が発生する可能性が高くなる。例えば、ホルムズ海峡をはさんでイランとサウジが紛争を起こせば日本にも大きな影響が生じる。ロシアもこのまま黙っているとは思えない。ロシアの場合、日本に接近する可能性も十分ある。また北朝鮮の弾道ミサイル技術の向上でアメリカは半島に手出しができなくなる。すると北朝鮮が韓国に侵攻する可能性だってある。その場合、日本とアメリカは韓国を見捨てることになるだろう。一方で中国も北朝鮮を支援しない。そうなると、しばらくは半島は泥沼になる可能性もある。不謹慎な言い方になるかもしれないが、朝鮮半島は半島人だけの手によって統一することが本来は望ましいはずである。いわゆる大国依存からの脱却である。それが国民国家への道であると私は考えている。

もちろん大規模な戦争になる可能性は極めて低いが、小さな紛争はあちらこちらで発生する可能性は十分ある。日本としては、そうなることを十分考慮する必要がある。特に防衛予算の拡大は不可欠である。地対空ミサイルの運搬でアタフタしてはいけない。財政出動は当然ながら防衛予算を拡大することも絶対に必要になる。つまり今、国民が議論すべきことは国債の実質マイナス金利の話題ではない。日本が外交、内政ともにどのような政策をするべきか?その根本的な思想は日本の国家国民のために何をすべきか?という議論である。



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1億総活躍は可能か?
今回、安倍首相が新た掲げたスローガン「1億総活躍」は果たして可能なのか?を考えたい。先ず、何をもって1億総活躍とするかの定義が必要である。

雇用統計に用いられる労働参加率は生産年齢人口(15歳-65歳)に対して計算される。例えば2013年の生産年齢人口が8000万人である。それでも1億人には満たない。0-15歳はどうやって活躍するのか?65歳以上はどうやって活躍するのか?を考えないと1億総活躍にはならない。

もちろん生産年齢人口の労働参加率は高い方が望ましい。2013年の生産年齢人口は8000万とすると労働参加率0.63で5400万人となる。20年後の2023年に人口減少によりで生産年齢人口が6900万人となった場合、同じく労働参加率が0.63だと43470万人、しかし参加率が0.73になると50370万人で2013年の5400万人に近くなる。この計算からも労働参加率がいかに重要であることがよく判る。

労働人口を増やすためには先ずは景気を良くして完全失業率を3%未満することが望ましい。生産年齢人口は65歳までを対象としているので定年延長は確かに効いている。それと女性の雇用が進めば当然ながら労働参加率も増える(ただし、それは強制されるべきではない)。そしてあまり議論されないが15歳から20歳までの世代が労働すれば、これまた労働参加率は向上する。

私はこの15歳-20歳の労働参加率を高めるべき!というのが持論である。よく若い世代は労働ではなく勉強させるべき、という考えの持ち主は相変わらず多い。もちろん学業優秀で高校、大学と進学することは一概に否定はしない。しかし、多くの国民(私もそうだったが)は実際に働くことで多くを学んでいる。そして働くことで多くの技能を身につけている。当然ながら、働くことで社会をより知り得ることができる。それは紛れもない事実である。

一般的に中学校を卒業して何となく普通課高校へ行くより、より専門的な分野を実技とともに学ぶ方が余程効果的である。私が就職面接官であれば、そういう人を是非採用したい。できれば高校で職業訓練を必須項目にするのも良いであろう。もう中国人研修生に依存するのは止めて、農林水産業や医療介護、そして土木建築など・・・国家の基盤とする仕事について日本人の15歳以上を実習教育を義務付けることは効果的である。そして可能であれば現役引退した65歳以上の経験者がその教育係になるのも良いであろう。

そういった実習を経験した人のみが18歳での選挙権が与えられるとするほうが国家にとってはベターである。一方、今ままでのように誰もが高校普通課に進学し、誰もが高い学費で大学へ進学して、誰もが事務系職を希望し、新入社員でマナー教育からスタートするなんて本当にバカげている。そんな18歳に選挙権を与えても良い結果は望めない。15-20歳のレベルを上げないと選挙権の年齢を引き下げる効果は薄い。

一億総活躍を実現するには15-20歳の活躍をもっと考えるべきである。それはいずれ彼らが30-40歳代になっても効果は続くと考えれば決して愚策ではない。そして先に述べたように教育係は65歳以上も協力するのである。残念ながら現役世代(30-50歳代)は忙しくて若い世代を教えるヒマはない(これが一般企業の抱える最大の問題でもある)。

このような考え方も「一億総活躍」としては有効な手段であると私は考えている。それは多くの人が賛同すれば実現可能な政策だと確信している。


マイナス金利でも銀行は問題ない
日銀が政策決定会合でマイナス金利(日銀当座預金)を発表してから、直後に株価は乱高下した。しかしその後は着実に上昇に転じた。そんな中で銀行株は売りが続いた。銀行としては、安心で確実な収入源であった日銀当座預金が抑制される。そうなると銀行経営を圧迫するとの見方が一般的にもあるようだ。マイナス金利に反対する経済アナリスト(特に銀行出身者)も必ずこれを主張する。

しかし日本の銀行は確かにバブル崩壊直後は多大な不良債権を抱えて経営状態は悪化した。しかし、その後の様々な統廃合や人員整理、更には政府支援(モラルハザードという造語が流行した)・・・などで数年掛けて不良債権を処理した。しかし、その後は莫大な資金が銀行に還流した。もちろん自己資本比率も向上している。そして一般顧客からの借入(預金)は最低金利(0.1未満)なのに、日銀当座預金0.1%なのでそれだけでも巨額の利息となる(元手が莫大なので)。

つまり金融緩和によって流れた資金は日銀の当座預金にブタ積みされ、その金利を各金融機関に支払うという事実上の銀行支援を続けてきたわけである。通常の当座預金はあくまで決算用であり金利は付かないのが常識である。バブルの不良債権処理はとっくに終了しているにも関わらず銀行支援した訳である。これだって立派なモラルハザードといってもよいと思うが誰もマスコミは騒がなかった。従って、日銀の当座預金(一定以上)をマイナス金利にするのは当然の策と言える。これは政府(国会)が決定する新規国債発行や財政出動と違って、日銀独自に政策決定できる内容である。

はっきりいって株価が下落したからといって金融機関に同情する必要はない。これで金融機関が破綻してカネまわりが悪くなるようなことは決してありえない。しかし前回もブログで述べたが、ではマネーは何処へ向かうのか?ということである。安全な融資や投資・・・それはどこにあるのか?やはり、ここは政府の財政出動である。大型補正予算を組めば銀行は必ず関連企業に融資する。そうすれば株価も上がる。逆にここで財政出動しなければ完全に金融機関を敵にまわすことになる。政府が強かならば、そういう政策をちらつかせるべきだ。そして何よりも今年は選挙もある。多くの人々を味方にする必要がある。

こういう方針は日銀と政府が連携しなければできない。私の勝手な想像であるが、結構連携しているような気がする。時同じくして世界経済の低迷が伝えられている。財政出動や消費税凍結への大義名分も成立する。このように政府や関係機関、そして多くの人や団体が好感を持つような政策を実施すれば自民党は長期政権になる。もちろん困る勢力もあるであろう。しかし政策というのは、より喜ぶ人の数が増える方に傾く、何しろ日本は民主主義であるからマジョリティを制した者が政策実現できるのである。


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資源価格低下は日本復活のチャンスである
原油、資源価格の低下は、日本にとって大きなチャンスである。もちろん代替エネルギーの開発停滞というリスクはある。しかし前回も述べたように凍結されていた材料開発が復活することが大いに期待できる。レアアースやレアメタルなどハイテク部品に欠かせない材料もそうであるが、Ni(ニッケル)とかW(タングステン)のような合金元素は建設や自動車の重要保安部品はもちろんのこと、製造設備や機械工具の材料には絶対に欠かせない。実はこの数十年の間に資源価格の高騰により、本来必要なはずの合金元素添加を削減されるような材料供給が横行していた。それは単なるコスト低減だけでなく、供給側が事業を続けられなくなったことも大きな要因だった。(今は需要さえあれば設備投資の絶好のチャンスである)

何度か私はブログで記事にしたが、日本の製造技術というのは大手建設メーカー、大手自動車メーカー、大手電気メーカーという巨大企業より、それらの部品や材料を供給してきた各種メーカーの技術力によるところが大きい。大手メーカーは巨大なサプライヤーチェーン、あるいはサプライヤーピラミッドの頂点にいるような「傲慢さ」の影で、実は素材や部品メーカにコントロールされているケースは珍しくない。そういた素材や材料からスタートして大きな会社に成長したケースも多い。大手住宅メーカの積水ハウスは元々は素材メーカーの積水化学の一部門に過ぎなかった(今では大きくなりすぎた感はあるが・・・)。

よく日本の中小企業は世界一と言われることもある。しかし、それは業種業界によって相当違う。相変わらず弱いのは所謂「中間業者(大企業も含む)」である。例えば、地方の建設工務店は顧客に一般部品のカタログを見せて部材(市場価格)を選ばせ、テキトーな工法、そしてテキトーな価格で契約する。そして重要なトータルアレンジしない。法規満足だけで仕事をする。(*もちろん中には優秀な企業もあることは誤解のないよう注釈する)。そして倒産すればアフターサービスは崩壊する。また自動車部品のsub-assembly(中間組付品)業者もそうである。独自の材料や独自の技術が無いために、技術は素材メーカに依存し、市場評価は自動車メーカに依存するような所謂「他社依存型企業」も多い。 そういう企業は大きな問題を抱えているケースが非常に多い。

一方で注目すべきは素材メーカが作る市場製品である。例えば解りやすい身近な食品を例に挙げると、香辛料企業の「S&B」の作る「カレールー」は結構旨い。また酢のメーカである「ミツカン」の作る「ちらし寿司のもと」も結構旨い。漁港から直送、あるいは直営店は結構旨い。そもそも日本の食文化でも工業技術でも「素材の味(品質)を活かす」という思想が強く、それが日本の文化や技術を育成してきた経緯がある。鉄鋼の世界でも「この材料は生まれが悪いから・・・」という言葉は鋼材技術者がよく使う言葉である。つまり素材(鋼材)が粗悪な場合では、どんな加工や熱処理しても悪い製品品質にしかならないことを上手く表現している。

もちろん安い材料で代替技術を開発したり、新エネルギーの開発すること自体は否定しない。しかし、こういう研究には相当な時間と能力が必要である。短期間で開発された技術の大半は「マユツバ」と考えてほぼ間違いない。特に環境ビジネスは、人権ビジネスにも似た何やら腐敗臭が漂うことが多い。私は一般的に「良いもの」とか「新しいもの」の99%以上は過去の先輩方が開発されたものであると考えている。特に古くからあって将来も続くであろう技術は簡単には無くならない。例えば、クラッシク音楽でよく使用するフルートやクラリネットの構造は100年以上変わらない。新しい人間の生き方などとエッセイストが世間を煽っても、家族や夫婦の絆は1000年経っても変わらない。

今の時代、改めて素材の良さや人間個人の可能性が必要とされるだろう。つい最近まではシステム管理やマクロ政策で何でも変えられるような思想が蔓延していた。素材だって、部品だって、人間だって・・・価値のない奴隷のような扱いをされてきた。たしかにシステム管理やマクロ政策も重要ではあるけども、素材の意味、部品の意味、そして人間の価値を見出す。こうしたミクロな素地を養わないと、本当の意味でのデフレ脱却はできないかもしれない。なぜならデフレとはモノやヒトの価値が相対的に下落する現象である。カネの量を増やしたり低金利にすることはマクロ的な効果が確かに存在する。あとはミクロの価値をどれだけ見出せるかである。


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マイナス金利の影響(逃げ惑うマネー)
昨日、マイナス金利によってマネーが何処へ向かうのか?ということを記事にした。日銀の当座預金の一定枠を超えて実質マイナス金利にしたことによって、まだマシな国債やMMFが大量に買われ低金利となり取引が停止する事態になっている。つまり売れすぎて停止というわけだ。昨日も「マネーはより安全で確実に利益が出る方向へ向かう」と述べたがまさにその通りとなっている。そして各金融機関の定期預金なども金利は低下している(ちなみに民間金融機関でマイナス金利になっているところは無い)。

そして本日のニュースでは人民元が切り下げ観測もある。これらと関連するかは不明であるがアノニマスによる財務省などのサーバー攻撃があったとの報道もある。こうなってくいると不利を被った連中の「恨み節」や「嫌がらせ」というのが蔓延するようになる。テレビのコメンテーターや経済アナリストもどきの連中は、何らかの利害関係者をバックにしていることが多く、マクロ経済として、あるいは日本の国家国民のためにコメントしている者は非常に少ないのが特徴的である。

安全な運用先を失った銀行、さらに失速する中国経済、壊滅寸前の韓国経済、円安で利益が低迷した100円ショップやマック・・・現在の日銀や政府を非難する人たちはこういう人たちである。ていうか今まで散々美味しい思いをしてきた反動であるので、然程同情する必要はない。そして原油や資源価格低迷によって、代替エネルギー開発とかも利益確保が困難になり縮小するだろう。その反面、過去に凍結された新素材の開発などが再び陽の目を見る可能性も秘めている(私個人的にはこれに興味がある)。まあ民間主導の経済とは、どうしてもそういうパターンになる。

民間主導の経済とはやはり脆いものである。従って、私は常に主張しているように政府の財政出動は必須と考えている。但し予算を組んでも執行できないという問題は依然として残っている。東北の震災直後ではヒトもモノも不足していたが、最近ではモノは低価格で入手しやすくなった。あとはヒトの確保である。賃金を上昇したからといっても簡単のヒトの確保と育成はできない。こうした投資は時間をかけてじっくりとするしかない。もちろん財政出動はやらないよりやった方がよい。そもそも投資とは時間が掛かるものである。

どうしても即効性のある経済対策をしたいなら「カネのばらまき」がある。定額給付金、こども手当・・・こういうご時世では間接投資より直接投資の方が乗数効果が得られる可能性がある。そして何よりも「公平性(一部の業界を優遇するわけではない)」があると言える。しかし問題はマスコミによるやれ「バラマキだー」、選挙目当てで「国民を買収しているー!」なんて主張に国民が惑わされることだ。こういう時こそ「行き場を失ったマネー」を必要としている個人に配ればいいじゃないか?素直な子供だったらそう述べる。実はそういう素直な意見こそ的を得ている。

しかし、やっかいなのは変な大人である。野党時代の自民党も民主党の「こども手当」を徹底的に非難していた。そして民主党は自民党の公共事業を反対していた。はっきり言ってどっちもどっちであり、誰が支持団体であるかで主張は決定するものだ。また政府支出を反対する一般の人々は所謂「家計簿主義」といっても過言ではない。それはまるで目の前にたくさんの「良いモノ」があるのに全く手を付けずに皆が死んでしまうことに似ている。ということは国民は消費意欲のない病人なのか?我慢や質素倹約の美学を否定する気はない。しかし元気で明るくカネを使えるようなムード作りは今の日本には必要だろう。


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マイナス金利(逃げ場を失うマネー)
日銀が政策決定会合にて「マイナス金利」になったことが話題になっている。2%のインフレターゲットとしての金融政策の一つの手段であることは間違いない。たしかに「マイナス金利」という言葉に大きなインパクトがあることは事実だ。それで一般預金(資産)価値が下がるなんて庶民を「煽る」バカなマスコミ論調も少なくない。今まで金融緩和してもマネーが日銀の当座預金に「逃げ込む場所」を与えていた。それを一定枠以上についてはマイナス金利(手数料込)にすることは意味がある。

しかし、ではマネーはどこへ向かうのかが重要な論点になる。マネーは常に安全で確実に利益が出る方向へ向う。金融緩和でマネーを増やせば円安となり、日本株が買いやすくなる。それは特に海外からの取引が増えて株高になる。そもそも日本では年金運用以外では一般日本人が日本マネーで株価を大きく動かすことは比較的少ない。従って、今だに証券会社や政府は日本人に株を買うよう促す。しかし一般日本人はそうはしない。これは株取引(ギャンブル)に夢中になる中国人と正反対である。

マネーを右から左へ動かすのは大して苦労はしない。しかし、マネーを稼ぐことにパワーが必要であることはもちろんだが、マネーを使うこともパワーが必要である。その稼ぐパワーと使うパワー、それらがなければ実体経済を向上しない。そして、それらパワーとは経済学的には需要と供給であるといえる。日本の場合、潜在的は需要はまだ多くある。震災復興、老朽化したインフラ整備、防衛費、社会保障、教育・・・などなど需要があるのに満たされない国民や団体は多い。

やはり適切な財政出動は必要である。そして消費税増税を延期か凍結すれば日本は乗り越えることができる。現在の問題はマネーが行き場を失っており、それがさながら彷徨う難民のようになっているということだ。例えば、難民は低賃金労働者になるか?失業者になるか?はたまた犯罪者になるか?の運命が待っている。それはマネーも同じだ。行き場を失ったマネーは、低金利となるか?塩付けになるか?はたまた犯罪マネーになるか?

ヒトもマネーも適切な動き(必要とされるところで能力を発揮する)が取れるかどうかが重要である。マネーが日銀の当座預金にこれ以上流入しないようにすることは、まるで欧州への移民についてこれ以上を制限するのと似ている。もしヒト、モノ、カネがそれぞれが活発かつ効果的に社会に貢献すれば問題ないであろう。現代社会の問題は、ヒト、モノ、カネが価値を失い彷徨い続けることである。

今回の「マイナス金利」は金融緩和の一つの手段であることは間違いない。しかし、彷徨えるマネー、そしてヒト、モノが何処へ行くのか?それは方向性を失った鳥が飛び立つ先を予測するようなものである。まあ、我々一般庶民はそんな難しいことを常に考える必要はないかもしれない。私の場合、妻がいて、子供がいて、仕事があって、趣味があって・・・そうしたミクロの積み重ねを意識していれば心が彷徨うことは決してない。

もしかしたら事の本質は、ヒトの心が何処かへ彷徨っていることに最大の問題があるような気がする。


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「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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