理系おじさんの社会学
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山本太郎「原発がミサイル攻撃されたら?] 
参議院の安保法案審議の中であの山本太郎議員は「原発がミサイル攻撃されたら?」という質問があった。これは非常に良い質問だ。弾道ミサイルの情報共有は関係各国で共有するのが集団的安全保障でもある。そして、原発は稼働していても冷温停止でもミサイル攻撃されたら甚大なる被害が発生する。彼の最終的な方法論は私と全く異なるが、議論の切り口は非常に良いと思う。このテーマはまさしく国民の生命財産をどう守るかかの重要なテーマだ。

こういう重大な懸念について国会で十分な審議をすることは有意義だ。ある意味で民主党や社民党の議論より幾分マシな議論だ。ちなみに私の個人的な意見だが、基本は脱原発を計画的に進めるべきと考えている。おそらく多くの保守系の意見とは相反するだろう。この件に関しては、むしろ私は山本太郎議員に近いかもしれない。脱原発を進めないとこの問題は根本的に解決しない。もちろん先ほど述べたように弾道ミサイルの情報を関係各国で共有することは非常に重要だ。しかし非常に残念なことではあるが弾道ミサイルの防御できる能力は今だに低い! これは悲しい事実だが絶対に受け入れなければならない。つまり関係各国が情報連携したからといって、現時点では「原発がミサイルに攻撃された」場合の防御のすべはないのだ。

したがって山本議員が述べたように「どれくらいの被害が想定できるのか?」そういったことも考慮する必要がある。つまり大きなリスクを考えないで国民の生命財産を守るなんて議論はできない。その中で最善の策を講じるのが政治の役割だ。原発推進は確かに電力安定供給に寄与することは間違いない。しかし当然ながらリスクを考えなければならない。私は原発事故自体のリスクは先の福島原発の経験より大幅に低減したと考えている。そのこと自体を否定する気はない。しかし原発に対するミサイル攻撃やテロ攻撃のリスク、あるいはその脅しに対処する術がないことは従来より何も変わっていない。

離島のドンパチの議論も重要だが、本質的には弾道ミサイル、特に原発施設への攻撃されるリスクを考えるべきだ。かつてアメリカも先の大戦で日本の風船爆弾がたまたま原子力施設の近くに着弾したことによって危機感を高めたことがあったといわれている。現代社会と国際関係での本当のリスクは何か? この「原発がミサイル攻撃されたら?」は本当に重要なテーマだ。それを議題に上げた山本議員はある意味エラいと私は考えている。彼の論理は時に支離滅裂になることも多いが日本を素直に心配している感じがする。保守系勢力は問答無用で山本議員を攻撃する傾向があるが、こういう彼の問題提起は保守系であろうが左派であろうが謙虚に耳を傾ける必要があるだろう。


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強い相手と戦わない国
以前、当ブログでは「シナ(中国)は強い相手と戦わない」と述べた。しかし、これはアメリカも全く同じだ。つまりアメリカは現代のシナ(中国)とは決して戦わない事を意味している。現在、安全保障関連の法案審議が参議院でもスタートした。集団的自衛権は同盟国アメリカに従属する法案との指摘もある。当然ながらアメリカは日本を利用しようとする。そして日本もアメリカを利用する。ある意味当然のことだろう。

太平洋におけるアメリカ軍の存在はシナ(中国)への抑止力になっていることは間違いない。しかしアメリカとシナ(中国)が全面戦争になることはありえない。何故なら、互いに損害が甚大になることが容易に想定できるからだ。かつてシナ(中国)がアメリカとの首脳会談で太平洋を互いに二分しようという案を出したことは有名な話だ。これはかつてスペインとポルトガルが地球を東西に分けて二分しようという合意があったことと全く同じである。

私は基本的に集団的自衛権行使には賛成だ。反対派の意見は、そのほとんどが思考停止であることは間違いない。「戦争できる国」とか法案にも記載されない「徴兵令」だとか「安倍は悪」とか・・・。しかし私がただ一つだけ同意できることがある。それは「アメリカ追従」について。単純なアメリカ追従はシナ(中国)追従にもつながる危険性は十分ある。アメリカを利用することを考えるのは間違っていないが、そこに従属するような思想に陥ってはいけないこと。

日本はかつて、日本より大きな国であった清国、ロシア、アメリカと戦った。あの英国もスペインの無敵艦隊を撃破した。もちろん無謀な戦争は決して実行すべきではない。しかし柔道や相撲のように、「柔よく剛を制す」「小よく大を制する」という精神も必要だ。強い者に追従するいわゆる「金魚のフン」ではなく、あらゆる手段で大を制すること・・・。実は軍事だけでなくあらゆる分野で可能性は満ちている。そうしたことを強かに考えることが今に日本には絶対に必要だろう。


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野生化できない生物(民族)
ここ最近、当ブログではミツバチの話題が多かった。ミツバチといえば女王蜂を中心とした社会性のある昆虫だ。しかし、ちょっとしたきっかけで絶滅する危険性のあるデリケートな昆虫だとも言われている。また前回のブログで述べたようにミツバチには人間のような「性格」があるとか、時にはスズメバチを集団で蒸殺したり・・・様々な特徴がニホンミツバチには存在する。

長く日本に生息するニホンミツバチに対して、セイヨウミツバチは明治に日本に輸入されてから100年以上経っても「野生化」していない。そのためオーストラリアなどの外国から女王蜂を輸入するなどの対応を都度とってきた。その野生化しない原因は、ニホンミツバチと違ってスズメバチに対抗できないとか、気候(特に寒気)に耐えられないという説が有力だ。ここでは「野生化=社会環境適応」という意味で考えたい。

セイヨウミツバチのような生き物はヒトによる保護や援助によってしか生存を続けることはできない。それは動物園のパンダやコアラ、そしてゾウでもそうだ。動物園の動物たちは人間から「かわいいー」って言われて入園料を得られなければエサ代も捻出できない。そして最悪の場合は処分される。

また日本では食物連鎖のバランス崩壊によりニホンオオカミは絶滅した。しかし現在の日本の森林では鹿やイノシシが繁殖し続けているので、例えばiPS細胞などでニホンオオカミを復活させたら再び繁殖させることは可能かもしれない。要するに環境として「食い口」がなければ絶滅するのは生物全般の宿命である。このように日本で野生化できない動物や昆虫も何らかの人間の役に立って、人間の保護を受ければ生存することは可能である。それは金銭的な収入増加だけでなく、ペットのように「心の癒し」があれば人間の立場からすれば重要であり、ペット側も「食い口」ができて生存することが可能になる。

さて、今回は人間に置き換えて考えてみよう。現代人の場合は「食い口」はカネであり、カネの基本は「仕事=社会貢献」と「環境適応(需要と供給)」である。また遺伝的要素もある。寒さに弱いとか湿気に弱いとか。だが、この「野生化」できるか?というキーワードを加えて考えると非常に興味深い。特に日本に最も多い外国人は韓国朝鮮人である。最近では中国人が多くなっているようだが、韓国朝鮮人の日本における人口推移を確認すると、将来の中国人の人口推移もある程度推測することができる。

終戦前の日本では最大約200万人の朝鮮人(当時は日本人)が住んでいた。戦後、1946年3月までに日本政府の手配のもとに希望者140万人が半島に帰国している。また1980年代まで続いた北朝鮮系の帰国事業にて約9万人(日本人配偶者含む)が帰国した。しかし朝鮮動乱や済州島の事件などにより、20-40万人といわれる主に密入国者が再び日本に移住する。中には一旦半島に帰国した者も含まれていた。従って、戦前戦中に徴用にあたる人たちで日本に在住しているのは僅か245人であったことは有名な話だ。

さて今回はそうした徴用(強制連行虚偽)の歴史に注目している訳ではない。彼らは何故に日本で「野生化」できないのであろうか?1990年に60万人いた在日韓国朝鮮人は年々減少して2010年には40万人程度になっている。もちろん日本人に帰化している者も多いが、未婚率の高さ(50%)や日本人との婚姻により、純粋な韓国朝鮮人は減少する一方である。おそらく100年後には数千人から数万人程度になっているだろう。その残された人たちも日本人に自然に溶け込んでいく。それは古代弥生人や平安渡来人と同じのように・・・これは縄文人社会に他民族が自然に溶け込んだ歴史がすべてを物語っている。

例えば、稲作や仏教を日本に伝えたとされる弥生系大陸人、平安時代に帰化人となった文化人、秀吉の唐入りでの朝鮮陶工・・・彼らはむしろ本国で虐げられた人々だった。決して大陸からの侵略者ではなかった。むしろ難民に近い存在であり、特に文化的な難民は当時の日本の権力者の保護も受けていた。そういう民族は長い年月をかけて自然に日本社会に溶け込み、二度と本国へ帰ることはなかった。

しかし戦後の半島からの密入国者は必ずしもそういう文化人ではなく、欧州やアメリカにも社会問題となる不法移民が主流だった。また在日韓国朝鮮人のもう一つ興味深いデータは「未婚率の高さ」だ。それは現在の日本人以上である。かつて「チョンガー」という独身を示す言葉も存在したが、自由結婚が当たり前になった現代でも在日韓国朝鮮人の未婚率が高い。それは経済的な問題ではなく、本能的に異性同士が通じ合えないことが原因と私は考えている。これは何も韓国朝鮮人だけの問題ではない。国際結婚というのは依然として離婚率も高い。もちろん上手くいっているケースもあるが、それは配偶者のどちらかがは完全に相手に染まっている(惚れている?)ケースのように思える。

かつて元在日韓国人で現在は日本に帰化した政治活動家の李 敬宰(イ・キョンジェ )は「民族共生」をスローガンとして日本人が日本社会でマイノリティーになることを望む発言をして話題になったことがあった。彼は天皇家の根絶やしまで希望したとされる「ゴミ」のような人物である。しかし皮肉なことに、その在日韓国人や韓国系日本人がマイノリティーとなり、いずれは自然に、そして完全に根絶やしされる運命が待っている。「自然に」と述べたが、何も日本人が彼らを虐殺するわけではない。 

そう、彼らは在日韓国朝鮮人の多くは生活保護とか人権支援とか何らかのヒトの手助けがないと生きていくのが困難であるということだ。まるでセイヨウミツバチのようだ。セイヨウミツバチは人々の役に立つが、犯罪率の高い在日韓国朝鮮人が社会に大きく役に立ったことは少なく、「人道的見地」のみで特別在留や特別保護をしているのが実情だ。逆にそれがなければ容易に絶滅する可能性がある。ある民族がその地に移民したとしても、社会貢献しなければ「食い口」へと繋がらない。そして「食い口」がなければ絶滅していく。これは自然の掟であり、人間社会の掟だ。

このような私のコメントは「人種差別」と受け止める人たちもいるかもしれない。しかし人間を含めて生物というのはそういうものだということ。日本人だって、全く違う地域環境に移民として移動しても同じような運命になることは多々ある。実際に海外移住した人の生活がテレビでも取り上げられることが多いが、実際には失敗しているケースも多い。ちなみに日系ブラジン人の場合、様々なケースがあるが多くは現地人化して地域に大きく社会貢献した。だからこそ繁栄できた歴史がある。それは現地で野生化(同化=適応化)して「食い口」を掴んだからである。

しかし歴史上で全く異なるのはアングロサクソンに支配されたアメリカであり、ラテンカトリックによって支配された南米であろう。そして現代のシナ(中国)だ。ここまでの大量移民と現地人虐殺をすれば民族入替は可能だ。しかし虐殺というのは現代社会では許されない。しかし現代でもシナがチベットやウイグルで虐殺行為(シナ人同士でも虐殺)を行っている。シナ人(+朝鮮人)も欧州人も大陸人というのは本能的に移民遺伝子と虐殺遺伝子を持っているのかもしれない。

現代の欧米人は辛うじてそうした本能を「理性」で制御しているように思える。しかし本質的には有色人種や異教徒への差別意識は存在している。それはシナ朝鮮人も同じだ。これは善悪論ではない。大陸人というのはそういう生き物だ。 そうでないと移民先でいずれは絶滅することを本能的に知っているからかもしれない。「移民政策というのは現地人を虐殺しないと移民側が絶滅する」 つまり大量移民政策というのは移民側が自然に全滅するか? 現地人が虐殺されるか? あるいは永遠に紛争が終息できない状況に陥るか・・・これら三つのパターンが主流になる。

従って「民族共生」とか「移民推進」というのが、どれだけ恐ろしいことか?「野生化できない生物」を考えるとよく解る。これは移民推進を主張する側も真剣に考えることが必要だろう。最近まで日本政府がとってきた方針である「高度な技術者」、「日系人」、「日本人の配偶者」などに関しては在留条件あるいは帰化条件を特別にしているのは歴史的にも科学的にも重要な意味があることを再認識になければならない。




「仲直り」を考える
5年ほど前の書籍だが、久志冨士男氏の「ニホンミツバチが日本の農業を救う」を読んだ。社会性のある生物に興味のある私にとって、非常におもしろい本だった。あまり細かな内容をコメントするとネタバレになってしまうので控えるが、一点だけクローズアップしたい。それはニホンミツバチとヒトは「仲直り」できるということ。筆者によると、ヒトとセイヨウミツバチが一旦敵対すると仲直りできないがニホンミツバチはそれができるという。それは何か遺伝的要素もあるのかもしれない。

それって人間同士、あるいは国民同士でも同じことが言える。かつて日本とアメリカは戦争した。現代でも双方の歴史家や文学者が様々な論説を唱えることがある。しかし基本的には完全に仲直りしている。それはイギリスに対しても同じだ。しかしシナや朝鮮とは戦後に様々な条約や協定を締結しているにも関わらず仲良くできない、あるいは仲直りできない。そもそも仲良かった時期など歴史上でもほとんど存在しないので「仲直り」という表現も不適切かもしれない。

これは何故だろう? 日本ではケンカするほど仲が良いとか、大ゲンカしたあとに大親友になるケースもある。一方で親子断絶とか兄弟断絶ということも珍しいわけではない。特に友人同士であれば対等な関係を維持できる。しかし歪んだ儒教思想がある家庭では親子は永遠に親子としての上下関係があり、兄弟も永遠の上下関係があると勘違いしているケースが多く、それが「仲直り」できない大きな要因になっているように考えられる。日本でもそうした家族は多く、シナ朝鮮になると更にその傾向が強い。

当然ながら兄弟姉妹は他人の始まりであり、成長すればそれぞれの家庭を持ち、それぞれの仕事をする・・・家族経営の仕事でない限り、誰もが親離れ、子離れして独立する・・・それは動物のツルだって同じだ。しかし、よく議論される話題ではあるが、朝鮮人の思想も「シナ=兄」、「日本=弟」という意識があり「弟の分際でエラそーにするな!」という精神が時代を超えて宿っているように考えられる。従って、弟に対して「何言っても、何やっても許される」と思っている。それでは永遠に改善修復できるはずはない。

またシナ人朝鮮人は、兄弟でなく、友人であっても日本や欧米人とことなり「友人同士で壁を作ってはならない」という思想がある。だから朝鮮人の友人は冷蔵庫のものを勝手に食べたり、カネや物品を借りても返さないという習性がある。こうした民族的特徴は日本人とは相いれない文化である。しかし、なにも日本人側が合わせる必要は全くない。そういう特性を十分知る必要がある。残念ながら、こういう問題は親中派や親韓派ですら理解していないことが多い。

誰れだってケンカすることや対立することはある。でも、「仲直り」できる相手と絶対に「仲直り」できない存在がある。そうした絶対に「仲直り」できない相手とは無理をせず、絶縁するのが望ましい。どれだけ修復しようとしてもムダである。 私の身の回りにも、かつての家族とどうしても「仲直り」できない・・・という話を聞いたことがある。 そういう場合は決まってこう言う。 無理して仲直りする必要はない。あなたが大人であり、仕事もあり、新たな家族があるなら、それを優先すべきであると。

なんでもかんでも「仲直り」は重要だ!なんて論調は今だに多い。しかし、そうではない。ニホンミツバチの特性を知ると色々な事が解るようになる。スズメバチは絶対にミツバチの敵であることは永遠に変わらない。やはり敵は敵であり、味方は味方・・・もちろん敵が味方になるケースもあるが、ずっと敵のままの敵は変わらない。 それは生物学的にも文化的にも疑いのない事実だ。


新国立競技場の問題点?
新国立競技場の建設費について、森元首相が「たったの2500億円!?」の発言が波紋を呼んでいる。たしかに年収数百万円の私からすれば「たったの・・・」は不適切に感じる。おそらく多くの国民はそう思うかもしれない。しかし、多いとか少ないという議論は必ず比較対象を適正化しなければならない。例えば、動物園の象さんのエサ代と一般家庭の金魚のエサ代を比較しても意味が無い。また日本のGDPはおおよそ500兆円だ。それに比べれば2500億円なんて小さなカネだ。だいたい「億」を超える金額はピンとこないのは私だってそうだ。しかし、東京都庁が1569億円の総工費だったという。そして、あのベルサイユ宮殿は大林組の試算では現在の400億円という。そう考えるとそんなものかなあ?なんて考えてしまう。

・・・やはり億を超えると何だかよく解らなくなる。それよりも問題は期日までに間に合うのか?資材や職人の確保ができるのか?ということが大きな問題だ。つまり巨額の資金であっても執行できるかどうかが問題だ。 金額の問題ではなく、そうした可能な範囲で計画を立案して実行するということ。これって至極当然のことだ。デザインが決定してから何故このようになったか経緯はよくわからない。おそらく「億」を超えると詳細は誰もが解らない・・・そしてどんどん水増しする・・・それが原因かもしれない。まあ、安倍総理も「白紙に戻す」と明言したわけだから、これから早く対応しなければならない。

これは私の個人的な意見でもあるが、基本は旧来の国立競技場と全く同じデザインで施工すれば良いと考えている。そうすれば工期も費用見積も妥当な数字が算出される。要するに、奇抜なことをする必然性は全くないということ。奇抜なことをしようとするから見積額が奇抜になり不確定になる。 例えば、古い城郭を再建しながらも最新の技術を応用して施工するとか、伝統の甲子園球場も一見して同じように見えても中身は最新技術を導入するとか・・・私はそういう発想こそが重要と考えている。今回の新国立も基本は旧来と同じデザインだが最新の素材を使うとか、耐震性や耐久性にすぐれた部材を使うとか・・・見た目だけではなく様々な工夫を凝らす余地は十分ある。

つまり、これは金額だけ問題ではない。意匠、構造、設備といった三大設計要因、そして工期、人員、資材といった総合的な建設コンセプトが乏しく「意匠設計」だけが一人歩きした典型的な事例といえるだろう。これは一般的な土木建築でもよくある話だ。奇抜な意匠だけが先行して構造設計屋さんや設備設計屋があとで頭を悩ます・・・実際には構造(強度)や設備設計も意匠以上に重要なはずなのに、後回しになっていることが問題だ。私は、「意匠」は伝統を重視する。それ以外の設備や構造(強度)を重視する・・・こういう考え方も、安倍首相のアルゼンチンでのスピーチように「他にはない」と言える内容と思うが・・・。

・・・まあ、見た目の重視でインパクトを目的としているのであれば私の意見は反対されるだろう。しかし、立派な設計というのは何も見た目だけではない。様々な目に見えない部分で人々の努力の結晶がある。そういうことに敬意を表するようなコンセプトだってアリだと思う。本当はそれが日本文化の真髄だと私は考えている。「神は細部に宿る!」 良いモノを構成しているものは必ず良いモノが支えている・・・それを無視して斬新さだけを求めるからややこしくなる。意匠優先に振り回されてはいけない。 

一方、東京の「おもてなし制服?」がダサい!ということでネット上で話題になっている。これは問答無用で「ダサい」に私も強く共感する。何となく「悪意」すら感じる。もしかしら、見た目より中身(おもてなし?)を強調したのか? まあ、そんなことはありえない。やはり、お洒落なユニフォームで歓迎されたいものだ。 ヒトがお洒落に見えるようにするには会場は自然で素朴な方が良い。例えば、グラビアアイドルは豊かな自然環境を背景にすると一段と映える。しかしケバケバしい背景だと水商売っぽく見える。当然ながら会場が斬新でケバケバしく、スタッフのユニフォームもダサいと、ヒトの品位も落ち全体のイメージはバカっぽく見える。

そういうことも含めて全体のコンセプトを考える方が良いだろう。選手やスタッフ、そして日本人が輝いて見えるようにするには新国立競技場はシンプルで便利、そして素朴で自然がいい。「意匠」はオーソドックスで「衣装」はお洒落に! まあ、私の個人的な意見であるが結構同意いただける方も多いのでは?


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安保法案の問題点
とにかく毎日毎日のようテレビでは安保法案関連ニュースをやっている。本当の問題点は何だろう?強行採決? そんなものは民主党政権下でも何度もあった。今回の審議時間だって結構長かった。立法府としは、合法的な手続きなので何の問題もない。戦争ができる国? 戦争できない国は世界中に存在しない。 個別自衛権はもちろんのこと、集団的自衛権を保持するのは世界でも当たり前のことだ。スイスのような永世中立国でさえ当然武力はあるし徴兵制度はある。もちろん韓国だって徴兵制度はある。 今回の安保法案では徴兵制すら一言も書いていない。日本は徴兵制度すら持たない国家であることは変わらない。

日本政府は長い間、集団的自衛権はないとか、あるが行使できないという公式見解を持っていた。それを明確に集団的自衛権はある。だが侵略戦争はしない、また侵略戦争に加担しないとすれば良いだけだ。しかし、個別の事案についてあれこれ検討するなんて無意味だ。最前線で防御にあたる自衛隊や海上保安庁に縛りを与えてはならない。敵に隙をあたえるだけだ。防衛戦争は勝つことが使命だ。極端な表現すれば、勝つため(戦争を終わらせる)ためには核兵器もやむを得ないという米国歴史認識(一部の日本人、中国、朝鮮も支持している)も参考にすべきだ。そして、すでに現代は弾道ミサイルの時代でもある。離島でのドンパチだけでなく、弾道ミサイルの情報交換だって関係各国が協力しなければできない内容だ。

現代、幸いなことに仮想敵国である中国は、強い相手とは戦わない。弱い相手、あるいは弱っている相手なら容赦しない。これは朝鮮人も同じだ。これは昔からそうだ。ヒジョーに判りやすい。それはスネオがジャイアンにはむかわないようなものだ。一方でかつての日本のように清国、ロシア、アメリカのような自分より大きく強い相手と戦い、負けたとしても相手にも大きな損害を与える国はそう多くない。当然ながら現代日本もアメリカを頼らずして単独で敵対できれば理想的だが、残念ながら日本一国でそれを対処するのは難しい時代になっていることは現実だ。そして多くの経済学者が述べているように個別自衛権の拡大よりも集団的自衛権の方が格段に安上がりなのは確かだ。

もうひとつ重要な要素として現代日本が他国を侵略する理由など何一つないこと。中国大陸だって、朝鮮半島だって・・・侵略しても美味しそうなモノは何一つない。かつて戦前の日本はロシアやソ連の脅威として大陸に進出しただけで、美味しいモノを探しに行ったわけではない。特に朝鮮半島では日本からの融資の方が大きく赤字が続き、当時の日本にとって経済的なメリットなど全くなかったことは有名だ。不味いものを食わせれて吐き出した、そしてその一部が寄生虫と化した・・・それが実態である。また大東亜戦争では東南アジアに対しても欧米が支配していた資源貿易を現地人と直接できることを目的とした進出であり、東南アジア人と直接戦ったわけではない。そこにいたイギリス人、オランダ人と戦ったことが事実である。

現代では石油メジャー(日本企業も含む)を通じているとはいえ、現地と直接取引をしている。もちろん国際法上もWTOがあり、日本が経済制裁される「こじつけ」などない。現在、日本の集団的自衛権に反対しているのは中国と朝鮮だけであり、アメリカはもちろんのこと世界中が歓迎している。この件で日本が孤立化?あるいは経済制裁されるようなことはない。そして日本の有利なところは資源以外は自国で完結する産業構造であることだ。別に外国を侵略する理由など何もない。そしてメリットもない。しかし侵略している民族と戦うことはある。それだけだ。

さて、現代の中国は成長拡大を続けなければ死ぬ運命が待っている。だから彼らは必ず他国、他民族を攻撃する。すでにチベット、ウイグルはもちろんのこと、南沙諸島も侵略している。彼ら中国人や朝鮮人は自分たちの力で国力を高めることがことができない。他国の富を奪うしか生きることができない・・・自己完結ができない侵略的外来生物であるといえる。それは歴史上でそういう運命を背負ったとも言えるだろう。ある意味では哀れで不幸なことかもしれない。しかし、だからといって我国の富を奪うような侵略行為は許してはいけないし、それを集団的に防衛することは当然のことだ。

このように冷静に考えれば誰だって解る議論である。そんなに難しい話ではない。もちろん私だってこの法案内容がすべて良いとは思っていない。こういう説明をどれだけしてもカネをもらっている活動家は意見を変えることはない。だって、そりゃそうだ。そもそも反対派は議論することそのものを拒否しているからだ。形式上、議論したって結論は決まっている「反対」って・・・。にもかかわらずバカマスコミは国会前のデモ隊に注目したり、プラカをもった国会議員に注目したり、「強行採決」だとか「戦争できる国」とかによって論点をずらす・・・この「論点をずらす」ということが結果的に国民を騙すことにつながる。今回の安保法案の最大の問題は「論点をずらしている」ということだ。 


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外来種と移民問題
以前、私のブログで「良いものは時代を超えて生き続けるし、そうでないものは消えていく・・・。文化ってそういうものだ。」と述べた。今でも概ね間違っていないと確信している。その良いもの、悪いものは、その地域で暮らす人々にとって有益か有害かという判断、あるいは楽しいか楽しくないかでも判断することができる。特にその生活する土地や人々に適応できるかどうか? こういう話は、生物の外来種や移民問題と関連させて考えると非常に興味深い議論になる。

先ず「外来種」に関して、一般的に「外来種」というとネガティブなイメージがある。例えば、琵琶湖に住む在来種が外来魚であるブラックバスやブルーギルに駆逐されるとか、ニホンザルがタイワンサルに勢力を奪われるとか、はたまたニホンザリガニがアメリカザリガニに駆逐されるとか・・・。しかし実際には外来種が現地で野生化する確率は10%以下ともいわれている。あのセイヨウミツバチも明治時代に外国から輸入されたが、100年経った今でも日本では野生化しない。というより出来ない。またミツバチ同様に多くの外来の果実や野菜も人(農業従事者)が手をかけることによって、ようやく生育するものが多い。

つまり人間を含め生物は、生活環境を大きく変化させることで大きなリスクを伴うということ。もちろん外来種の中には原産地で発揮できなかった能力を他の地域で大いに生かすケースもある。特にイネが大陸より日本に導入されて、日本の風土に適合、さらに発展したケースが代表的な例だろう。またサトイモやサツマイモのように湿気の多い土地に馴染んだり、ジャガイモのように痩せた大地でも育ち、その土地の人々の飢えを救ったことは有名は話だ。しかし、人が手を加えても根付かない外来植物も多数あることも事実だ(そちらの方が多い)。

さて、私も強く反対している大量移民政策だが決して100%に反対しているわけではない。そもそも外来種生物と同様にヒトの場合も基本は同じだ。移民となっても現地に溶け込めずに帰国するか、衰退するか、はたまた病気になるか・・・決して上手く適応できるとは限らない。歴史的にも民族大移動は、長い時間をかけて現地に適応したのが人類の歴史でもある。おそらく一世代で適応するのは困難で外来種と同様に90%程度が適応できないと推定できる。その一方で10%は野生化する。もちろん保護管理したり、生活保護費を与えれば生き残ることはできる。 

ヒトを植物や昆虫に比較するのは心苦しいが、、役に立てば保護しながらでも移民(外来種)を受け入れるのも一つの考え方だ(セイヨウミツバチのように)。しかし、そうでない場合は拒否しなければならない。この役に立つというのも単純に「人件費が安い」というような一部のヒトに有益であって多数、あるいは社会にとっては有害であるならば拒絶すべきと断言できる。また、「人権」を強調するなら10%程度しか適応(野生化)しない移民、つまり90%が絶滅するのであれば、これほど残酷なことはない。また難民でもあるまいし、過度な保護は地方の経済負担にしかならない。

そして最も大きな問題は「侵略的外来種」だ。人類の歴史でいえば、ゲルマン人の大民族、アメリカへの大移動、植民地支配での大移動・・・そのほとんどは、かつての欧州人による侵略だった。またアジア人でもフン族やモンゴル族は大移動した。日本人もアメリカやブラジル、そして満州に移民した(規模としては小さい)。 現代では欧州へのイスラム移民、中国人移民が移民の代表格だが、イスラム系移民は文化宗教的に侵略的であり、中国は経済的に侵略的であるといえる。

現代の欧米はかつての侵略的な行動はできないが、経済的な侵略は存在する。さてこの経済的侵略の場合、固定化(野生化)する可能性はどれくらいあるのだろうか?もちろん自由主義や個別のルール化をした場合、経済侵略が固定化(野生化)することはある。 実はここ30年の間に様々な物品、サービスが日本に輸入されたが、その多くは廃れた。 例えば、以前は多く見かけた中国野菜もあまり見かけなくなった。フランスの大手スーパー「カリフール」はあえなく日本から撤退した。 これらの失敗は日本の規制によるものではない。・・・日本に馴染まなかったからと断言できる。

それは韓流ブームもそうだ。新大久保でのデモがあったから衰退したのではない。本当に日本人が韓流が好きならばデモがあっても、政治問題があっても繁盛するはずだ。中国では、反日デモのあとでも日系ショップは繁盛している。そして日中関係が悪くても日本人は中華料理が好きだし、反日中国人でもスシは大好きだ。韓流が衰退した理由をいわゆるヘイトスピーチや安倍政権と判断している韓国の愚かさには呆れるばかりだ。 まあ、韓国の話はこれくらいにしよう。

たしかに情報量の少ない時代では、「良いものを知らない」とか「楽しいものを知らない」といった停滞した社会になることもあった。しかし現代はインターネットの時代、情報は容易に入手できる。わざわざ、余計な宣伝やブーム扇動なんて不必要だ。先般、フランスで行われた恒例のJapan Expoは相変わらず盛況だったようだ。そもそもフランスでのJapan Expoは日本人が積極的に宣伝したり、ルール化したりしたものではない。もちろん文化登録なんてしていない。素朴にフランス人に受け入れられ、そして馴染んだから・・・これがすべてだ。

「良いものは時代を超えて生き続けるし、そうでないものは消えていく・・・」 これは文化だけでなく人間を含む生物全般、そして経済でも同じことが言える。


空き家問題
高齢化社会に突入した日本では人口減少と同時に「空き家問題」が深刻化している。これは人口減少問題だけでなく古い家屋が次世代に受け継がれないことも大きな原因のようだ。たしかに新しい世代のライフスタイルは100年前とは大きく異なる。古い家屋に設備だけを新しくしても、どうしても効率よく使えない。また最も大きな課題は、古くなった家屋を解体する費用や固定資産税軽減にならないことが解体が進まない大きな理由のようだ。

一説によると毎年20万件もの空き家が増え続けているとも言われている。人が住まなくなった家は簡単に廃墟になる。室内はクモの巣が張り、風が通らないためにカビや腐食が進行する。庭は草で覆われ虫などが増殖する・・・・。当然ながら周辺住民に迷惑がかかる。最悪の場合には倒壊して人が怪我をしたり、衛生上の問題も発生する。それは木造だけでなくコンクリート製の建物ですら同様だ。先般、世界遺産登録されたいわゆる「軍艦島」のような姿が全国各地に広がる可能性がある。

もちろん、古い物件であっても買い手や借り手がいたり、古民家再生するケースだってある。しかし、それは極めて希なケースだと考えるべきだろう。これは地方だけの問題ではない。都市部のほうが密集地帯であるが故に問題は深刻だ。各自治体で様々な対応を検討しているが、カネとヒト不足で苦慮しているようだ。そして何よりも法的に「個人資産」であることがスピーディな対応を妨げている。中国共産党のようにヒトが住んでいても勝手に解体するようなことは日本ではできない。

財産権、移動の自由、職業選択の自由・・・現代社会では当然のことだ。しかし皮肉にも、こうした自由や権利がこの問題の解決を妨げている。考えてみれば、それ以外でも矛盾は多くある。例えば、移動の自由があるのに一票の格差を問題にすること。最近話題の一票の格差是正で「合区」なんて議論もある。つまり人々は「一票の格差」が解っていても、生活のために都市部に移動する。でも権利は主張する・・・

私は日本人の「義務」が少なく、国家の権利が小さいと考えている。それは、おそらく先の大戦の反省からきていると考えられる。国家は権限を持ってはいけないとか、個人は無限に自由であるべきとか。結局は、空家問題はこうした矛盾の一つと考えることもできる。そもそも財産(遺産)というのは正の遺産もあるが、負の遺産もある。正のときだけ権利を主張し、負のときだけ放棄権や移動の自由を訴える・・・身勝手に思えるが、金額が大きいので誰でも同様の判断をする可能性がある。

この問題は地方自治体では解決できない。なぜなら日本国の法律が根底にあるからだ。従って、この問題は国家が積極的に関与すべきだ。場合によっては国がそうした物件を買い取り、あるいは借用する。再生不可能な物件は早急に解体して土地を一旦は国有地にする。農地だってそうだ。跡継ぎのいない農地は国が買い上げる。 

これって歴史的にも当然のことだ。かつて聖徳太子の時代に「公地公民」という考え方は存在した。江戸時代にも幕府の直轄地は多くあった難波(大阪)も幕府の直轄地だった。それが戦後になって人口増加すれば、当然ながら国有地の民間への売却が進んだ。また公営企業の民営化も進んだ。それは時代の流れでもあった。しかし、これからは人口減少になるのだから、国有地を増やせば良いということだ。国の場合、バランスシート上で土地も財産になるので何の問題もない。土地の評価価格が変動したからといって国家は何も心配する必要は無い。

かつて江戸時代には、度重なる江戸の大火で「幕府が黒幕」との噂は絶えなかった。それは大火の後に必ず都市再開発が行われたからだ。不謹慎な言い方かもしれないが関東大震災でも東京大空襲でも、結果的に後の都市開発が推進された・・・。もちろん、「焼畑政策」は決して肯定されるべきものではない。しかし社会が大混乱した際には「ガラガラポン」されることは歴史的な事実。 まあ、そこまでしないにしても国家がすべて空家を国有にすることはあっても良いと私は考えている。


世界遺産登録なんていらない!
今回、日韓の世界遺産騒動はあまりにもバカバカしく、「世界遺産登録」そのものの価値を大きく低下させたことは間違いない。1970年代だったかユネスコが文化遺産保護なんとか条約(名前なんてどーでもいい)を締結されて数多くの世界遺産登録があった。これはあくまで「登録」であって世界的な「認定」でも「承認」でもない。単なる登録に「名誉」を感じるのは、はっきりいって「騙されている」といっても過言ではない。特に名誉に拘る韓国人が一番騙されていると言えるだろう。

たしかに初期の世界遺産登録はエジプトのピラミッドとか、フランスのモンサンミッシュエルとか・・・誰もが納得するような遺産登録だった。そこには「名誉」のようなものも存在した。しかしその後は何だかわからないものが多く登録され続けた。私の個人的感想としても、日本の姫路城あたりは理解できるが、富岡製糸工場跡が何故に世界遺産なのかよく理解できない。地元の人たちには申し訳ないが、そんな安っぽい「名誉」にこだわったツケは今後大きくなるだろう。今後の維持管理費だけでなく、賠償訴訟に加えて国際的なイメージダウン・・・長期的にはデメリットが大きくなる可能性は高い。

そもそも、国内地域の文化振興は国内の国宝登録や重要文化財(重文)登録で満足するべきだ。それとも国宝や重文では「名誉」として足らないとでもいうのか?そういう地域は衰退したほうがマシだ!国の名誉を売って、地方活性化? はあ、そんなことありえない・・・。もちろん今回はいちゃもんを付けた韓国に最大の問題があるが、登録申請した地域への非難も多くなるだろう。彼らの「よかれ」と思った行動はグローバル社会、そして国内では仇となることを肝に銘じなければならない。

世界遺産にせよ無形文化財にしてもそうだが、そもそも「政治や経済と切り離して・・・」というのが大きな趣旨だった。それが日本も欧州ですら、経済的メリットを強く意識した申請となっていることは明らかだ。それに加えて韓国は政治的なプロパガンダを加えたのだから、もう完全に機能麻痺している。特に「世界遺産登録」の価値を著しく低下させた韓国はユネスコ加盟する資格をはく奪しても良いだろう。そして、今回の騒動で日本の「嫌韓」が拡大したのは間違いないし、「嫌韓」を作り出しているのは韓国そのものだ・・ということに韓国人は1000年は気付かないだろう。だから日本は1000年国交断絶するほうが好ましい。

そもそも日本の国宝にしても重文にしても「登録」であり「認定」ではない。たとえば伊勢神宮や熱田神宮、そして仁徳御稜や応仁御稜は「世界遺産申請」はもちろんのこと、国宝登録も重文登録もされていない。しかし日本人なら誰でも事実上の「国宝」だと考えている。しかし、一部の日本人でそうした皇室ゆかりの文化を世界遺産申請しようとする動きもあった。今となっては本当の申請しなくてよかった。そんなバカバカしい登録と同レベルになることは日本の「恥」以外なんでもない。

世界遺産登録なんていらない。でも日本の文化遺産を大切にすべきだろう。肩書きや名誉なんてどうでもいい。良いものは時代を超えて生き続けるし、そうでないものは消えていく・・・。文化ってそういうものだ。

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100年後には「お台場のフジテレビ」を世界遺産に?
昨日、明治日本の産業革命遺産がようやく登録決定したとのニュースがあった。色々とすったもんだして、いわゆる「強制連行」という誤解が継続するリスクを含んだ登録だった。はっきりいって関係諸国も呆れているというのが実態だろう。ネット上では「慰安婦問題の二の舞だ!」などの批判も多い。もちろん、そうしたリスクはある。一方、日本(地方)としては地域活性化の目玉になるか、ならないかは大きな問題である。良い悪いは別として地域の経済効果があることは間違いないので地元支援者は真剣になるのは当然のこと。そのため、地元では間違いなく「嫌韓」が拡大したようである。これはいずれ韓国への大きなしっぺ返しになるだろう。

そんな中、全然関係ない話だが、私は何気にお台場にあるフジテレビ建屋の映像を観た。そのとき、ふとこんなことを思った・・・。この建物、100年後に世界遺産申請したら面白いかも? 何となく想像してみる・・・。フジテレビは十数年後に崩壊し、100年後には建物が廃墟と化して・・・。あの軍艦島と同様に潮風に打たれて崩壊していく。そんな「輝かしくも、忌まわしい」フジテレビの栄枯盛衰の物語をさながら平家物語のように語り継がれ、それが文化となっていく・・・。それって、なかなか面白いかも・・・

さて、100年後とはいわなくても現在でも日本各地に廃墟は増加している。少子高齢化社会に伴い、東京や大阪などの都市部だけでなく地方でも空家や廃墟が増加しており、近隣住民への影響が問題視されている。レベルの低い建物は所有者の資金(+自治体の援助)などで解体される。そして、中レベルなら一般への売却が進む。そして高レベルの建物の場合は国や自治体によって保護され、運が良ければ文化遺産として保存される・・・。こうした動きは今後も増加するだろう。その高、中、低のレベル分けは非常に難しい。しかし、その判定はその時代背景によって変わることも十分あり得るだろう。

また、あの原爆ドームのように建物そのものというより「象徴的」文化遺産という形式もあるだろう。東日本大震災の一本松や役場庁舎など「象徴的な遺産検討」というのも今後増えていくだろう。このような戦争や自然災害を忘れないための遺産というのは、世界各地に存在している。時には政治的なプロパガンダに利用されることも多い。こういうものは文化遺産というより、慰霊碑のような扱いにすべきというのは私の基本的な考え方だ。

日本では古来より「竹取物語」「源氏物語」・・・そして「平家物語」のように本居宣長が述べた「もののあわれみ」とか「栄枯盛衰」という世界に文化を感じ、歴史を感じるものだった。そういう意味では明治の産業革命遺産も、そうした感覚を覚えることはあるだろう。 そもそも、そうした感覚は外国人、とりわけ韓国人には理解できるのだろうか? 以前にもブログで述べたが、日本人が日本文化を大切にすればいいだけの話であり、外国人がその文化に興味があれば自然と広がっていくというのが本来「あるべき姿」だ。

何だって文化遺産に登録申請することはできる。しかし、もうそろそろ一旦打ち切りにして各国でそれぞれで実施すればよいだろう。かつて日本でも国宝が多すぎて重文に格下げされたことはあった。もうユネスコのこうした活動は限界がある。あと数年で終わらせるべきでだ。そうでなければ100年後にお台場のフジテレビ建屋が世界遺産になる。


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サウジ王子の3兆9000億円はどこへ行く?
先日、ニュースで大きく取り上げられた巨額寄付!サウジアラビアのアルワリード・ビン・タラール(Alwaleed Bin Talal)王子(60)が、320億ドル(約3兆9000億円)の全財産を今後数年間にわたって慈善活動に寄付すると発表した。

これまでの資産家らによる寄付金の中では最高額に並ぶ。近年ではマイクロソフトのビルゲイツも巨額寄付で話題になった。今回の発表では「文化的理解を育み、地域社会を発展させ、女性に自信と、若者には可能性を与え、重要な災害救助を行い、より寛容な世界を生む一助となるだろう」と述べている。また、この財産は「今後何年のうちに、計画をよく練って配分していく」とアルワリード王子は述べる一方で、寄付金の使用限度はないことを強調している。

4兆円近いのカネ! 日本でいえば年間の防衛予算に匹敵する。また、どこかの国のGDPにも相当する。このようなカネは先進国の国家運営する場合ですら「執行」するのは困難である。最終的にはどこかでバラまきするか、怪しい団体への寄付にもつながる。王子は「よかれ」と思って決断したのか、誰かに唆されたかは定かではない。しかし様々な社会的影響がでるのは間違いない。

実際に王族や資産家、さらには様々な著名人は大金持ちであるが、カネの使い道がないケースが非常に多い。あのローリングスローンズのミックジャガーは環境保護団体のグリーンピースに寄付をしていると聞いたことあるし、日本でもソフトバンク孫社長が東日本大震災で多額の寄付したことはニュースでも話題になった。

もちろん私は寄付そのものを全否定するつもりはない。特にタイガーマスクのランドセル寄付のように匿名での寄付は心に訴えるものがある。一方、映画アンタッチャブルでも有名なアルカポネは様々な慈善団体に寄付をしていたとも言われている。

日本でも慈善団体とか寄付というのは眉唾組織が多く、慈善団体に扮した政治的プロパガンダ集団も決して少なくない。そして大きな慈善団体は必ず大きな資金源がある。そうした資金源が元々は著名人であったケースも多い。あのノーベル賞のノーベルも自身の遺産を平和のためと云って寄付したのが始まりだった。

今回の寄付金がどのように使われるか? 各国当局が監視する必要がある。 何せ日本の年間国防費に匹敵する額だ。使われ方次第では世界的大混乱を起こしかねない。もちろん今回のみならず、大きな世界的なカネの動きは監視されなければならない。場合のよってはテロリストやプロパガンダ団体が虎視眈々とカネを狙っている・・・。大金が慈善t団体寄付! 一見して喜ばしく思えるニュースだが、最大限にリスク警戒すべきニュースである。


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犯罪者の心理
新幹線で焼身自殺するという痛ましい事件が発生した。その時、私は本州反対側の北陸新幹線に乗っており、このニュースには本当に驚いた。当初はテロか?と考えた。たしかに事前にガソリンを購入するなど計画性はあるが、何だかテロというより精神喪失の犯行のように思える。放火直前に「お金あげる・・・」とか「タバコは・・・」と言って誰も相手にされず、「逃げなさい」と言って最後に注目されるための行動だったのか?実行犯は71歳男性とのこと。本来なら老後をゆっくり過ごせる時期なのに・・・本当に何があったのか詳しいことは死んでしまった以上、誰も知るよしもないだろう。こういう事件の動機というのは、どうしても推測の域を出ることはない。

かつてアルベール・カミユの有名な小説「異邦人」では、主人公が殺害を犯した動機を「太陽が眩しかったから」というセリフを述べている。そこには一般的な「因果関係」とか「相関関係」とかを基軸に置かない人間の側面(本質?)を表しているとの論評が多かった。本当は因果関係や相関関係は存在するが、あえてそれに目を向けない。あるいは人間はそもそも本能や感情で行動を決定する生き物であり、因果関係や相関関係なんて、後になってからの何とでも理由付けしている・・・という考え方もできる。つまり自己美学や絶対肯定のような身勝手な論理を前面に押し出す「歪んだ心理」があるよう私には思える。

また古い映画ではあるが、あのアランドロン主演の「太陽がいっぱい:Plein soleil」でも、完全犯罪?を犯したあとで太陽の下で、寝そべっている主人公が「太陽がいっぱいだ」というセリフがあった。それは自然環境として太陽が眩しいだけでなく何か深い意味が含まれているようでホントに印象的だった。そして、あのビートルズの最後のアルバム「アビーロード」では、ジョンレノンの「ビコーズ:Because」という曲がある。その歌詞では「地球が丸いから・・・」、「空が青いから・・・」というフレーズが出てくる。それらも直接的な因果関係ではなく、何か心の中から湧き上がるイメージが強い。

まあ、いずれも年配の方や愛好家な方々しか解らない話でたいへん失礼。だが、こうした印象的な表現というのは時代を超えて色々と考えさせられるものがある。どちらかというと上記の小説や映画、そして音楽には「美学」のようなものがある。

もちろん今回の新幹線焼身自殺とそれらを同一視したら、愛好家の方々に相当怒られるのは間違いない。しかし今回の男性が71歳ということで、もしかしたら上記の話を知っているかもしれない。・・・淡々としてガソリンを撒き、火を付ける直前は涙ぐんでいたという。もし、そういう世界に本人が憧れていたとしても、今回の事件に何ら美学は感じられない。哀れだ!

巻き添えななられた方々、そして迷惑被った方がのことを考えると自殺というより犯罪としかいいようが無い。たった一人の老人のために多くの人々が迷惑被る・・・それでも自殺者を擁護するような論調はいつまでも消えることはないだろう。これが現代社会そのものを象徴している気がする。






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小室沢直樹

Author:小室沢直樹
「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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