理系おじさんの社会学
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マンション生活のリスク
また悲惨な事件が発生した。大阪府豊中市のマンションで住人の女性が刺されて死亡。同じマンションに住む男性の犯行だったとのこと。報道では、原因は被害者の女性の子供が男性の部屋のドアを無意味にノックする・・・とか、男性に少し精神的に問題があるような報道だった。また女性は第2子を妊娠中だったことも判明し、波紋を呼んでいる。

犯罪に至らないにしてもマンションやアパートでは、隣上下の音の問題とか、幼い子供が走るとか・・・様々なトラブルリスクがあとを絶たない。しかし都心部では一軒家のマイホーム購入は困難であり、マンションやアパート暮らしになることは一般的だ。リスクはあるといっても、最近では都心部だけでなく地方でもマンションは売れ行きが好調とのこと。

これは若い世代の意識の変化もあるだろう。一軒家の夢はあるがマンションの方がイザという時に売却しやすいとか、管理が楽とか、何よりも最近のマンションのモダンな仕様に憧れるということもあるようだ。ちなみに韓国では若い世代の8割は一軒屋でなくマンション(アパート)を選択するとのこと。

日本でも古い住宅が空家になり、さらに廃墟になっているケースが多い。最近では60-70年代の高度成長期に建設された団地が老朽化しているのも問題になっている。次世代がそうした老朽化した住居に住みたくのは普通のことだろう。ということは、今のマンションだって、いずれはそういう運命になるのかもしれない。なぜなら今後、日本の人口減少は避けられず住宅事情は大きく変化することが予測されるからだ。

一軒屋がいいのか?マンションがいいのか? 様々なケースや考え方があるだろう。しかし重要なことは、住民同士のコミュニティーがどうなっているかだ。小さいアパートの場合は隣に住む人と全く交流がないケースもある。しかしマンションの場合はマンション自治会?のようなものがあって住民同士の交流がある場合と、全く無い場合に大きく分けられる。

通常、町内会というのは強制性はなく、マンション自治会は強制性がある場合が多い。つまり一軒屋は完全独立した世帯と解釈され、マンションは共同体と解釈されることが多いからだ。これは様々な日本の判例を見ても明らかだ。・・・ということはマンションの場合は、地域コミュニティーを重視する・・・地域コミュニティーを重視しないなら一軒屋のほうが良いと解釈することもできる。

しかし一般的な購入者はどうであろうか? マンションやアパートは気楽・・・一軒屋は地域コミュニティー(町内会など)が面倒・・・というイメージが強いのでは? たしかに古い町並みでは旧来の町内会活動で長老がうるさいとか、イヤなおばさんがいるとか色々あっただろう。しかし最近ではそうした長老もすでに他界しているケースが多い。そして、そういう住宅が空家となり廃墟となっている。

もしマンションを選ぶなら、しっかりした管理人と住民同士のコミュニティーが必要だ。特に子供を持つ世代同士とか、学生同士とか、音楽家同士とか・・・そういう住民同士だと上手くいくだろう。一方で何の管理もコミュニティーのない無秩序なマンションはトラブルリスクが常に存在することになる。

本来なら、様々な世代や様々な業種の人たちがコミュニティーを作る方が地域社会としてベターと考えられてきた。特に保守系の勢力はそうした主張をする。しかし良い悪いは別として、これだけ多様性社会となったことを受入れる必要はあるだろう。多様性社会を認めると言っても、なんでもかんでも共存共栄させるのではなく、社会の安定を考えればマンションのあり方だって大いに考え直すべきだろう。

それは地域社会をどう考えるかとも密接な関係があるだろう。こうした悲惨な事件を防止するためには、無秩序な地域社会にならないような計画性が必要になることは間違いない。


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集団的自衛権の議論
国会では安全保障関連法案の審議入りがスタートした。相変わらず野党や左翼勢力は「戦争ができる国に反対」とか「アメリカの戦争に巻き込まれる」とか「自衛隊の安全が確保できない」とか、さらには「石油資源などの経済的目的?」とか様々な反対理由を述べている。これらに対して、よくよく考えれば非常にナンセンスな議論であることが解る。私はバカバカしさをとおり越えて怒りすら感じる。

まず「戦争できる国」についてだが、現在でも日本は戦争できる国である。個別自衛権は、国連および諸外国も認めている。また国内の社民党系ですら認めている。もし他国が日本を攻めてきたら対抗できる、つまり日本は戦争はできるということだ。こんなことは当たり前だ。また集団的自衛権についても中世以前の世界でもあるまいし、一国のみで安全保障を考えることは非常に困難だ。現代は「弾道ミサイル」の時代である。関係諸国が連携するのは当然である。ハード面、ソフト面、金銭面・・・いずれの要素を見ても単独でなく集団的自衛権とするほうがトータル的にメリットが高いことは事実だ。

一方でもし「戦争できない国」になったらどうなるか?そう、日本はそれを過去に経験している。先の大戦が終結した直後だった。日本が無条件降伏したが、これは武装解除を意味している。そして、何が起こったか?まずソ連が北方諸島を占領した。そして竹島が韓国に奪われた。そして国内は第三国人(韓国、朝鮮、台湾人)が暴れ治安が大いに乱れた。これが近現代の歴史的事実だ。軍備を持たない、海上保安庁を持たない、治安維持できない・・・これほど社会が混乱する状況はない。そして、いつの世も「火事場ドロボー」という最低の人間は存在する。

次の「自衛隊の安全が確保できない」についてだ。現在だって自衛隊員の安全は確保されていない。自衛隊(軍隊)とはそういう存在だ。例えば、ときどきニュースで話題になる「不発弾処理」、今だにどこかの工事現場などで先の大戦での米軍が投下した不発弾が発見されることはよくある。その際には必ず周辺住民を非難させた上で自衛隊の特殊部隊が不発弾の処理する・・・つまり命がけの任務を遂行しているわけだ。また、大きな災害時には危険地域での活動する。もちろん、先ず一般市民を非難させて彼らが様々な任務をする。彼らは一般国民の生命財産を守るらめに犠牲になることも覚悟して任務を遂行している。にも関わらす「自衛隊の安全?」・・・何寝ぼけた事を言っているのであろうか? これは単純に政府が公に自衛隊員の生命を軽視すると言えないことを逆手にとった野党の発言であるのは明白だ。

そして「アメリカの戦争に巻き込まれる」について、政府の答弁では「ありえない」と述べている。しかし、これは厳密にいえば「ありうる」というのが私の見解だ。実際に戦争というのは様々なケースが想定される。しかし、アメリカ単独の戦争に巻き込まれるというケースはレアケースだというのが一般的な考え方だ。これは誤解を招かないためにも政府は「ありえない」と答弁するしかないだろう。しかし、国際政治というのはその都度において大局的な判断が必要になるケースもある。結局、こういう案件というのはルールがどうとか?個別案件を議論しても無意味になることが多い。安部総理も「木を見て森を見ない議論が多い」とコメントしたようだが、個別案件について、例えばブラウン運動の花粉の動きをルールで判断するようなものだ。以前、当ブログでは「木を見て森を見ず」について様々な考えを述べた。しかし、このケースにおいては「木を見て森を見ず」の議論では結論はいつまでたっても見えてこないだろう。

最後に「石油資源などの経済的目的?」・・・実はこれも重要な要素だ。原発を最小限にして、世界各地から資源を安定供給させることは国民の生活に関わることだ。以前もこのブログで主張したように戦争の中で「兵糧攻め」ほど残酷な戦法はない。大東亜戦争もアメリカの石油禁輸という「兵糧攻め」にて国民が飢え、欧米人の奴隷になることを恐れてスタートした戦争だった(はっきりいって仕掛けられた)。これは自衛戦争であり、ちなみにこれは個別自衛権の発動だった。資源ルートを守る・・・これは重要な安全保障だ。この意味を解らない人には先ず「兵糧攻め」の悲惨さを学ぶ必要がある。

とにかく国内ルールだとか国際条約だとかいっても結局は国際紛争の場合は「勝てば官軍」である。ルールがどうとかじゃなくて、どうやったら紛争があっても勝利できるか?どうやって国益を守るか?どうやって治安維持するか?そういった強かな議論を着々と進めるほうが大きな意味がある。たしかに私もアメリカに不信感もある。しかし戦争を勝つことが重要だ。勝てるためには集団的自衛権も必要だ。


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現代の訪中団と遣唐使
23日、自民党の二階総務会長を中心とした約3千人が訪中したとのこと。メンバーは財界や日中友好団体の関係者らで構成されていたようだ。産経新聞ニュースによると習主席は以下のことを述べた。

「唐代の詩人、李白と、唐で学んだ阿倍仲麻呂との友情などを例に挙げ、日中交流には長い歴史があり、今後も民間交流を展開する必要性を強調した。その上で、日中戦争が中国国民に大きい災難をもたらしただけではなく、「日本国民もあの戦争の被害者だ」と主張し、訪中団に「歴史を歪曲(わいきょく)する動きに一緒に反対しよう」と呼びかけた。」

いやー、突っ込みどころは満載だ。先ず、唐代の詩人「李白」・・・現代の中華人民共和国とは全く関係ない。それは人種的、政治的、文化的にも現代の中国に全く継承されていないということだ。中国の歴史というのは王朝が変わるたびに先代の政治だけでなく文化、民族を抹消してきた歴史である。特に今世紀の中華人民共和国はあの文化大革命とともに過去の歴史を抹消しようとした経緯がある。

一方、日本は阿倍仲麻呂のころは確かに唐の文化を学んだ。しかし100%唐の文化を受け入れたわけではない。その後894年に遣唐使が廃止になり、日本の国風文化が発展した。言い換えれば、それ以降の日本は大陸に学ばなくとも良い・・・という大きな判断(決断)があったというのが歴史的事実である。そして、そうした日本の国風文化は現代にも確実に継承されている。

習主席のコメントで間違っている二つ目は日中戦争についてだ。日本は現在の中華人民共和国と戦争したことはない。日本が戦争したのは中華民国(国民党軍)であり、彼らは国共紛争によって敗北し台湾へ逃げた。ちなみに共産党軍(自称「人民解放軍」)は旧日本軍の武器を使用したり、旧ソ連の支援を受けて他力本願で国民党軍に勝利した。実際には共産党軍が勝ったというより、国民党軍が勝手に敗走したというのが事実だ。(*中国人は負け戦はしない。勝目がなければ逃げる・・・これはいつも変わらない。)

三つ目の内容、「日本国民もあの戦争の被害者だ」と主張し、訪中団に「歴史を歪曲(わいきょく)する動きに一緒に反対しよう」と呼びかけた。」 ・・・これがいかにも中国人らしい発想だ。 日本国民と日本政府が一体となるのを嫌う日本の左翼の根本思想と同じである。そして極めつけが「歴史の歪曲?」 ・・・唐代のはなし、日中戦争のはなし・・・こうした短い習主席のコメントの中にすら自らが歴史歪曲をしている。こんなこと歴史をしっている人だったら簡単に解る。にもかかわらず日本が歴史歪曲をしていると主張する・・・。

先日のブログでも述べたが、中国人は普通にウソを吐く。そして、罪をだれかに擦り付ける。これが中国の文化であり政治であり歴史だ。もし彼らが唐代の高度な文化と思想を取り戻すことができるなら、遣唐使は復活すべきだろう。しかし今のシナ大陸に「唐」は二度と戻ってこない。そして894年以降は日本は二度と遣唐使を派遣しなかった。

今回の訪問団は遣唐使とは全く違う。ただ定期的に訪問しているのを、突然止めるわけにはいかない・・・という悪しき「前例主義」に基づいているだけである。現代国際政治では、何か定期会合や定期訪問を始めることは簡単だが、終わらせることは難しい。国連の核不拡散会議だって有名無実化しているのに定期会合は止められない・・・皆、嫌だろうな。

そう考えると日本が894年(この年号は不正確であるが)に遣唐使を廃止した決断は重要であり、それが今日の素晴らしい日本の文化と歴史を本格的にスタートさせたことを再認識する必要があるだろう。今回、皮肉にも阿倍仲麻呂の話題で私自身も再認識することができた。

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Sinophobia (シノフォビア)とAIIB(アジアインフラ投資銀行)
最近、「Sinophobia=シノフォビア:中国嫌悪」という言葉が世界中でよく使われるようになった。しかし、なぜか日本の大手マスメディアは、こうした表現を使用しない。おそらく観光業をはじめとして「中国人=大切なお客さん」というイメージがあるからだろう。しかし日本において国民の「反中」意識は「嫌韓」とともに完全に浸透している。それらを日本の左翼勢力が「日本の右傾化」という表現に置き換えようとしている。つまり悪いのは中国ではなく、日本の右傾化だと主張したいのだろうか?。嫌韓や反中が日本だけの話ではなく、シノフォビアとして世界中に拡大しているという現実をもっと知る必要があるだろう。

近年、そのシノフォビアは世界中で益々拡大している。それは国際ジャーナリストなら誰でも知っている。あのマイケル・ヨン氏だって、戦場カメラマンの渡部陽一氏も、世界の紛争地を渡り歩いた人たちは、中国はもはや「世界的脅威」と断言している。そうそう、ノンフィクション作家の河添恵子さんも同じような主張をされている。現在、こうした「脅威」は特にアフリカや南米で現実化している。こういう方々の貴重な取材情報やエッセイは日本人としても必見必読だ。

そもそもカネやインフラ開発だけを目的として、中国と接近することがどれだけ愚かなことか気づいていない途上国側にも問題はあるだろう。それでも「騙される奴より、騙す奴の方が悪い」という論理は絶対に正しい。従って、AIIB(アジアインフラ投資銀行)の話題もあるが、そんな構想に惑わされてはいけない。「騙される方が悪い」って中国人に言われるだけだ。

実際に中国はアジア以外で既にアフリカや南米に多額のインフラ投資をしている。彼らのやり方は単純に資金援助ではなく、中国人労働者も大量に送り込む。また多くの中国製品も現地に送り込む。結果的に、現地人の雇用は拡大せず、むしろ現地人の仕事や資源を奪っている。これらは形を変えた植民地政策である。それが中国と関わった結果である・・・これが現実だ。その根本には中国人が現地人を「見下している」という感覚があるとのこと。

たしかに欧米人だって日本人だって海外進出した際には、現地人を見下す連中は多少なり存在する。しかし中国人や韓国人はそれが際立っている。私もグローバルビジネスマンなのでそれが非常によく解る。カネのためなら平気でウソと吐く。現地の発展なんて考えていない。時には面子も捨てて「カネもうけ」それだけになる。これは中国人への偏見でもなんでもなく事実だ。そんな中国人に「痛い思い」をさせられてから気づくのでは遅すぎる。実際に日本だって赤サンゴの密漁で多大な被害を受けているではないか。

こうしたシノフォビアは経済議論でおさまらない。実際にアフリカでは中国人と現地人との間で軋轢が拡大して、武装闘争まで発展している地域もある。当初、アフリカ各国は中国の投資を歓迎していたが、結果的に社会不安が増大している。

そもそもAIIB構想だって中国国内の土木建設業界の仕事を作るため、また中国の国際的影響力を強化するために「先進国からの資金協力」も得て海外進出するのが目的である。そう考えると日本がAIIBに参加しないという選択は「理事会云々」がどうとか以前の問題であり、当然のことである。まあ、日本が有利になるような条件でAIIBに加入することは中国のそもそもの目的と違うし、何より中国人の面子が絶対に許さない・・・といったオチでBRICS銀行と同じ運命になるだろう。

さて、中国人は「クルマ以外の四足は何でも食べる」といわれるが、「カネのためには何でもする」のも中国人だ。そして得るもの得たら、さっさと別の畑をあらしに行く・・・まるでイナゴの大群だ。そこで中国人を「イナゴ民族」とか表現されることも多い。しかしイナゴは佃煮にすれば貴重なタンパク源になるが、中国人は煮ても焼いてもヒトや社会の役には立たない。中国人をイナゴに喩えるのはイナゴに失礼であり、むしろ不潔で生命力も強いために「ゴキブリ民族」と表現するほうが適切だろう。

もちろん個別の中国人では、多少まともな人間は存在するだろう。しかし中国人のほぼ99%以上が「ウソは生きるために必要」と信じている・・・だからタチが悪い。私の意見がウソだと思うなら身近な中国人に聞いてみよう!彼らは必ずこう言う「ウソは必要だ」って。こういう人たちと真剣に長期に渡るパートナーになること自体間違っている。

日本のネット上では嫌韓の方が話題になるが、私はむしろ中国問題の方がより深刻だと考えている。正直言って韓国なんて、どーでもいいが、中国の場合は世界規模で大変なことになる。そもそも、それは日本にも責任はある。ここ半世紀にわたりODAという名の大量のエサを与えてきたのは日本だからである。さらに長期にわたり日本の円高デフレ状況は中国の世界進出を加速させたことは間違いない。

今後はアメリカと協力して中国の力を低下させる政策を徹底的にとるべきだろう。ムシには蚊取り線香や殺虫剤が効果的だが、中国本土は大気汚染、水質汚染、そして土壌汚染といった自家中毒に既になっている。本土は勝手に衰退だろうが海外進出は何とかしなければならない。特に日本に来られては困る。

当然ながら日本人の意識も変化させる必要があるだろう。中国人が「大切なお客さん」だとか「重要なビジネスパートナー」とか発想は綺麗さっぱり投げ捨てる必要があるだろう・・・痛い思いをする前に。

最も大事な考え方は、「虫よけに蚊帳とキンチョール!」・・・これが暑い夏を乗り越える秘訣だ。そうすれば上手いビールだって飲める。そうでなければ、痛く、かゆい夏になる。そんなの誰だってイヤですよね。


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大阪の犯罪率
昨日のブログでは大阪は犯罪率が高いことを述べた。この問題に真っ向から立ち向かうことのない大阪行政は信用できないと言っても過言ではない。各種データによると大阪府としての犯罪率は人口比で2%以上で全国都道府県でトップ、市区町村では大阪北区がなんと10%を超えて、これも全国でダントツのトップである。これってホントに異常だ。

ちなみに世界での犯罪率トップ3は、フィンランド、スウェーデン、ノルウェーとのこと。いずれも10%を超えている。様々な統計手法の問題はあるかもしれないが、イスラエルや南アフリカですら10%には到達していない。ということは、これら福祉大国といわれおり、日本の左翼が憧れている北欧諸国の現実は何なのか?という疑問にぶち当たる。

日本では、特に大阪北区は「率」としては世界トップの北欧諸国と肩を並べる。本来ならば、こういう問題を解決することが政治として先決のはずだ。にもかかわらず、橋下市長は大阪市分割や都構想なんかを「大義」として住民投票を行った。一体何を考えているのだろうか。先ず、やるべき内容は以下の通り。

①犯罪を起こした外国人(在日含む)は強制帰国させる。*現行法でも執行可能だ。
②犯罪外国人の再入国禁止 (ようやく最近になって少し実施している)
③マイナンバー制導入による犯罪防止や納税漏れをなくす。
④個人情報保護法を大幅に改定させる。
⑤警察官を増強する。また警察に権限拡大させる
⑥薬物犯罪を無期刑以上にする。
⑦性犯罪者を無期刑以上にする。

ICPOの調査によれば、日本の犯罪率よりマレーシアの犯罪率の方が低いというデータがある。マレーシアはイスラム教を中心とした他民族国家だ。この国でも麻薬・覚醒剤は運ぶだけでも死刑になる(薬物服用者より運び屋の方が罪は重い)。またイスラム教の影響もあり、酒は公には禁止であり、常に清潔が要求される(この清潔感がタイとの大きな違いだ)。そして諸外国と同様にIDカード制度(日本でいうマイナンバー)での管理はある。たしかに軽犯罪は日本より多いかもしれない。それでも凶悪犯罪が少ないのは、そうしたマレーシア社会の制度や構造にある。

私は、マレーシアには何度も訪問したことがある。たしかにイスラムの国といいながら酒も販売しているし、風俗もある(中東でも売春は存在する)。たしかにモスクや公共機関は清潔であるが、一歩路地裏へいくと不衛生である(特にインド系、華僑系はイスラム系に比べて不衛生、もちろんイスラム系でも不衛生な連中はいる)

・・・つまり、こういうことに関しては政府も半ば黙認しているということ。がしかし「麻薬・覚醒剤」は絶対に許されない。こうしたメリハリは社会が安定する一つの方法だろう。もし酒まで完全禁止したら禁酒法下でのアメリカのように更に治安が悪化する可能性もある。また風俗も性犯罪を減少させるために効果的であることは世界中の暗黙の共通認識だ。

私は、多くの日本人が欧州に憧れ、彼らの思想こそが理想であると勘違いしていると考えている。それは北欧の犯罪率だけでなく、多くのイスラム系移民を受け入れたドイツ、フランスだって同じことが言える。そこには歪んだ啓蒙思想や人権概念が根底に存在する。日本はそういう世界の現状を十分に把握したうえで政策を考えるべきだろう。

日本では、相変わらず国家権力を嫌う勢力が多い。そろそろ現実に目を向けるべきだ。


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大義とは何か?
前回のブログでは大阪都構想は「大義」としては「しょぼい」と論じた。また、「今も昔も住民(国民)というのは、保守であろうが革新であろうが先ずは平和を追求している。そして生活が向上することを願っている。それはいつの時代も同じだ。そして、いつの時代も混乱に乗じて大もうけを企む者も少なからず存在する。」とも述べた。

生活が安定する、あるいは生活の質が向上するためには先ず平和でなければならない。平和を脅かすものがあれば、それを取り除く必要がある。つまり安心・安全だ。そしてヒト、モノ(サービス)、カネがまわることで経済が活性化する。これは至極当然のことだ。従って政治的に「大義」を掲げるなら以下のことを考えるのが本来の筋だ。

1.平和 (外国の脅威があれば、それに備える)
2.治安維持 (国内の犯罪率低下を推進する)
3.経済活性化
4.失業率の低下
5.子育て、教育

この1-5の順番は重要だ。平和や治安維持ができない国や地域(例えば紛争地)で安心した経済活動や子育て・教育ができるはずもない。また経済活動が低迷しているときに、結婚や教育なんて後回しになってしまうことは多くある。こうした問題が重要な案件であり、それを解決することこそ「大義」であるとすべきだ。現在、安部政権がある程度の高い支持を維持しているのは、上記の内容を多少なりとも考慮?しており、今後に期待できるから・・・と解釈できる。

一方でだれそれの既得権益がどうとか・・・の類の議論は「恨み」「妬み」の発想であり、挙句の果てに何だか解らない権力闘争となる。それに各々の安っぽい面子が加わると更にややこしくなる(これこそ「応仁の乱」の本質だ)。今回の大阪都構想も大阪を分割(実質的には大阪解体)であり、安っぽい「大義」での構想(抗争)だったわけだ。

もし大阪が「犯罪率低下」と「経済活性化」の二つを「大義」としたら、多くの市民は賛同するだろう。だって基本は平和・治安であり、住民サービスだって経済活性化での税収増がなければ成立しない・・・こんなこと、冷静に考えれば誰だって解ることだ。もちろん非効率な行政もあるなら、個別で解決できないことはない。そういうことは「犯罪率の低下」と「経済活性化」である程度は吹っ飛んでしまうものだ。

そして私が述べた「・・・いつの時代も混乱に乗じて大もうけを企む者も少なからず存在する」は要注意だ。火事場ドロボーは絶対に許さないという立場を鮮明にすべきだ。そして犯罪者に対して容赦しない。・・・日本では「やれ人権、人権」とか主張して、犯罪者すら過度に擁護してきた経緯がある。そうした議論の中でも大阪では、強盗、強姦、ユスリ、たかりが横行している。そんな街に誰が住みたいと思うか?

果たして、「平和や治安維持」と「犯罪者の人権」はどちらが重要なのか? 当然ながら平和と治安維持ではないか? こうしたことを「大義」にして選挙をすれば多くの市民は賛同する。仮に人権派弁護士が何言おうが関係ない。やれ人権がどうしたとか、妬み、恨みの世界では社会は良くならない。 私は、権力者は多少の権力を持ってもよいと思っている。しかし「大義とは何か?」 これを真剣に考えなければ市民(国民)はついてこない。これは日本の歴史が証明している。



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「応仁の乱」と「関が原の合戦」
昨日のブログで私は「大阪都構想」は、「関が原の合戦」ではなく「応仁の乱」のようだったと述べた。橋下市長はよく「天下分け目の合戦」と自ら評することが多かったが、実際には「応仁の乱」のような都市の混乱を招くだけの内容だったと私は考えている。そして今回の結果から、一旦は終息したように思えて、まだまだ揉める要素は今後も残っているだろう。

よく日本の歴史家は、「応仁の乱」が戦国時代の幕開けであり、「関が原の合戦」が戦国時代の集結のように解釈されることが多い。もちろん「応仁の乱」以前にも予兆とも言える騒乱はあったし、「関が原の合戦」の後も余震のような抗争は多くあった。特に「応仁の乱」については様々な諸説もあり、本当のところはよく解らない。しかし、概ね戦国時代の「始まり」と「終わり」を象徴していることは間違いない。

さて、この歴史上の二つの戦は何を物語っているのだろう。そして、それらを大阪都構想と比較するとどうであろうか?先ずは「応仁の乱」であるが、歴史上これほど醜い戦はなかった。よく「大義なき戦」とも言われた。Wikipediaによると、その背景として「名門武家・公家を始めとする旧来の支配勢力は、生産力向上に伴い力をつけてきた国人・商人・農民などによって、その既得権益を侵食されつつあった。」とある。・・・なになに既得権! どこかでも聞いたことある言葉だ。

そして守護大名の家督相続争い、そして後見人同士の争い、そして将軍家の跡継ぎ問題・・・それこそ「カオス」という表現がぴったりだ。おそらく兵士(武士)たちは何が何だか解らないまま過酷な戦を11年間も続いたわけだ。もちろん武士だけでなく、商人や農民も訳の解らない「とばっちり」を11年間も受けた。中には戦に乗じて大もうけした連中もいたかもしれない。そうした混乱は京だけでなく全国に広がり、全国各地で所謂「下剋上」が盛んとなり本格的な戦国時代となった。

一方、「関が原の合戦」は当然ながら徳川家康の権力争いの象徴という側面はある。しかし仮に「権力争い」という本音があったとしても「大義」がなければ武士や民衆もついてこない。その「大義」で最も重要なことは「天下泰平」であり、そのためのパワーも必要だったと考えられた。織田信長の頃に「天下布武」という言葉が使用されたようだし、逆に秀吉の唐入り(朝鮮出兵)は「大義なき戦」といわれた。そうした思想が武士や民衆にも深く残るようになったのは、あの悪夢のような「応仁の乱」の記憶が強かったのかもしれない。

一方で上杉謙信や石田三成も「義」を強調していたと言われる。どちらかというと石田三成の「義」は、儒教での「仁義礼智」に近い思想であり、天下泰平というよりは主君に対する「義」を強調したとも考えられる。また三成の「三杯の茶」の逸話は有名だが、これも主君に対する忠誠心を示しているともいえる。もちろん三成自身も権力欲はあったかもしれないが、居城であった佐和山城はいたって質素であり、権力を誇示するようなタイプではなかったことは間違いない。

それに対して橋下市長は権力、あるいは独裁的な手法が改革を断行すると信じていたようだ。しかし大阪都構想は大義として「二重行政の弊害是正」とか「財政と住民サービスの改善」といったことが挙げられた。・・・正直いって「しょぼい」。今も昔も住民(国民)というのは、保守であろうが革新であろうが先ずは平和を追求している。そして生活が向上することを願っている。それはいつの時代も同じだ。そして、いつの時代も混乱に乗じて大もうけを企む者も少なからず存在する。

今回の大阪都構想では「効率化」や「財政健全化」も大義としていた。挙句の果ての「改革すること」を目的とする。誰だって「何故に改革?」と考えたときに明確な答えが導き出せない・・・つまり大義があまりにも軽いということだ。そもそも、そうしたテーマに大阪市民は「危機感」を感じていない。要するに大阪市民は軽く「大義のない戦」に巻き込まれていると言える。大阪だけではないが「改革」という言葉が「美しい」と感じているのかもしれない。そうした雰囲気に惑わされた者も多かっただろう。

世界史を眺めても「改革」とか「革命」とかは悲惨なものが多い。フランス革命だって、ロシア革命だって血なまぐさかったし、極めつけは中国の文革(文化大革命と大躍進政策)だ。こうした独裁的な改革に多くの人々が魅力を感じるのは日本の歴史教育に問題があるのかもしれない。一方で明治維新では「西洋列強の奴隷になるかもしれない」という大きな危機感がベースにあった。この強い危機感が「日本を富国強兵の国にする」というまともな「大義」へと成長した。まったく「維新の党」が維新を名乗るのは不適切と感じるのは私だけではないだろう。

今回の住民投票でも、何が何だか解らなくなった大阪市民は大勢いた。そして「応仁の乱」でも、何が何だか解らない状態になっていた・・・ということは、無意味な、あるいは大義のない住民投票であり、このまま継続すれば泥沼になったといえるだろう。何となく改革が必要だと考えている大阪市民や日本国民も多いかもしれない。しかし、もっと歴史を考えるべきだろう。特に「応仁の乱」と「関が原の合戦」、そして世界史では「フランス革命」、そして極めつけが中国の文革・・・これらをしかっり学べば、単純に「何となく改革が必要だ」なんて主張できるはずがない。


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大阪都構想は反対多数
昨日行われた大阪の住民投票は、わずか1万票程度の差で「反対」が過半数となった。橋下大阪市長は、「たたきつぶそうとして、たたきつぶされた・・・」とか「権力者は使い捨てでよい・・・」などの発言しており、さらに「任期満了で政界引退する」ことも述べている。これらの発言に対して市民の反発もあるようだが、「いさぎよい」と思われる市民も多いかもしれない。

私は橋下市長の発言に強い違和感を感じる。たしかに選挙でも住民投票でも結果として勝敗はあるだろう。しかし、叩き潰すとか・・・権力者は・・・とか、私が何度もこのブログで述べていたように本質は「権力闘争」以外の何でもない。今回の住民投票では自民党や共産党は反対派となっていた。保守系も左翼系も反対を表明するなかで、新自由主義的な勢力だけ賛成した。もちろん反対派も賛成派もそれぞれの中での理由は様々だろう。しかし、その理由の中心は「権力闘争」だったことは間違いない。

一方で無党派層は、こうした両陣営の主張の両方を真面目に耳を傾けていたように思える。何となく感じる「空気」で投票が動くことが多かった昨今だが、冷静な判断だったと言えるのではないだろうか。比較的投票率が高いとはいえ多くは棄権している。その内訳が「無関心」だったのか「あえて投票しなかった」かは解らないが。投票しないという選択もあったことは間違いない。何となくスコットランド独立の住民投票と少しばかり似ているかもしれない。

何か争いごとが発生して、何かをぶっ壊して・・・それだけでも相当なリスクや犠牲はあるのに、その代償(メリット)が大したことはない。あるいは長期的にデメリットの方が大きいなら、そういった構想自体が間違っていたということになる。よく橋下市長は「天下分け目の合戦」という表現をよく使っていた。しかし、例えば「関が原の合戦」とそれ以降は泰平の世が続いたことは歴史的にも事実だ。しかし「応仁の乱」はただの権力闘争であり、世が更に乱れたことはよく知られている。

結局は大阪都構想は「応仁の乱」であり、「関が原の合戦」ではなかったということだ。橋下徹という一人の弁護士が法定で勝負するかのごときの論争を大阪での地方行政に持ち込んだ・・・これが事の本質だろう。まあ「応仁の乱」は長期間に渡った抗争であり、結果的に京は荒れ果てた。住民投票という短期決戦で「反対」として決着した今回の大阪は、泥沼になることだけは避けられたと判断できるかもしれない。この大阪市民の判断は妥当であるというのが私の感想だ。


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大阪都構想はどうなるか?
いよいよ今月17日は、大阪都構想の是非と問う住民投票がある。私は大阪市民でも、府民でもない。しかし興味深く見ている。報道によると、現在のところ賛否は拮抗しているとの情報が多い。まあ、権力闘争といった側面が強いので、どっちに転んでも後味悪いものになるのは間違いないだろう。個別の損得は別として、本当にそれで大阪全体が良くなるのかどうかという議論が重要だろう。私はどっちに転んでも、今後の大阪が発展する要素は少ないと考えている。

まあ、こうした議論をするには様々なアプローチ方法がある。もちろん大阪の財政問題や行政サービスは大きなテーマだろう。しっかりと全体としての損得勘定を考えることは重要だが、それで結果的に都構想がメリットがあると判断されたとしても、何か大きなものを犠牲にするのであれば(例えば住民感情)、こういう論争そのものに大きな意味があったのか?ということになる。

私なら先ずは大阪の歴史を考える。「賢者は歴史に学ぶ」なんてのを意識しているわけではないが、大阪の歴史を考えると色々と解ることがある。

・・・そもそも大阪とその周辺地域は、古代(縄文後期)においては一面が海だった。南の堺市あたりが陸地で、大阪市では難波京あたりが半島のような陸地だった。難波京のすぐそばが大阪城であり、もともとは石山本願寺があった場所である。現在でも難波京跡や大阪城跡地の標高が比較的高い。もし大阪湾で大津波が発生してもこの地域の被害は少ないと言われている。一方でそれ以外の大阪中心部はほとんどが海だった。つまり現在でも海抜は低く(実際に海抜マイナスの地域もある)、大津波が発生すれば、大阪市のほとんどの地域は水没する。

歴史上、大阪とは常に人の手が加えられたことによって発展した歴史がある。古くは仁徳天皇の頃にすでに様々な土木工事を行っていたことも知られている。そして、あの豊臣秀吉が大坂城を築城してから本格的に街が栄え、江戸時代に入っても「天下の台所」として繁栄し続けた。江戸(東京)が中世以降に人工的に作られたように、当時の大坂も人工的に作られた街だった。誰によって? 当然ながら時の権力者だった。 そもそも地方自治という形で発展した歴史はない。つまり時の権力者によって作られた基盤に上に現代の発展があるといっても過言ではない。

そして、20世紀になると工業も栄えた。特に阪神工業地帯といわれる現在の西淀川区あたりから兵庫県尼崎市 にかけて大小の工場が軒を揃えた。先の大戦で一時期は焼け野原になったが、交通の要所であることから急激に復興を遂げた。町工場は戦後も栄え、高度成長期には戦前以上の発展を遂げた。しかし、それは大阪としても努力もあったかもしれないが、日本全体として復興に力を注いだこと。特に池田内閣の政策や国際関係の変化による要因が大きい。しかし大阪は自分たちだけの力で発展した・・・と勘違いしている人々も多いようにも見受けられる。

その後、80年代以降は東京の一極集中の影で少しずつ衰退して、国際的にも新興国におされている。大阪の古い町工場は衰退するか、郊外に移転した。そしてその跡地はマンションが立ち並ぶ。大阪府内や市内に存在した多くの大学も一部は郊外に移転している。したがって現在の大阪市は、オフィスビル、マンションが中心となっている。最近ではマンション増加のせいか、人口は多少増えている。がしかし、年齢別人口分布よりいずれは減少することは間違いない。大阪でも少子高齢化、そして空家の増加、治安の悪化(全国でも犯罪率は高い)が進行している。

大阪の郊外では一部農業や工業も残っているが、全体的には減少している。得意とおもわれた第三次産業としての流通サービスも、大手百貨店の衰退に象徴されるように決して良くない。何となく大都市ではあるが廃れているイメージが強い。私は仕事の関係で関西空港をよく利用するが、関空から大阪へ向かう電車からの車窓からの風景は「錆付いた建物」が目立つ。この風景がすべてを物語っているように思える。 

さきほど私は、大阪は「時の権力者によって作られた基盤に上に現代の発展がある」と述べた。世界の大都市のほとんどがそうであったように、時に権力者によって街の基盤が形成された。それはローマだってアテネだって、あの香港だってイギリス人は支配したことによって発展した。にもかかわらず大阪は「お上」の関与を拒み、地方自治としての権力を強化しようとしているように思える。住民投票なんてすれば、誰もがそれぞれの損得勘定を中心に考える・・・当然のことではある。では、果たして住民の意志を中心にして本当に街が栄えるかどうか?それは歴史的に考えても全く別問題だ。

本来ならば、大阪のような街は「国の直轄地」とすべきだろう。だって江戸時代も大阪(大坂:難波)は幕府の直轄地だった。秀吉の時代も直轄地だった。仁徳天皇も堺を直轄地にしていた。租税を免除したり、現代でいう経済政策も実施していた。だ・か・ら・こそ・・・この地域は発展した。それが大阪の歴史だ。それが都市文化というものだ。大阪市以外の地域は昔ながらの「和泉」「摂津」「河内」として地方とすることだって選択視だ。・・・ちなみに私は日本各地の旧国名を復活させるべきと考えているが・・・。

そもそも大阪都構想は個別の権力闘争であり、こうした歴史や文化を真剣に考えているようには思えない。いつも議論の中心にあるのは財政とか住民サービスとか・・・歴史的経緯や文化を軽く見ている。こういう権力争いのもととなるような議論を制しするためには、国の直轄地にするのが一番だ。国に直轄地にすれば二重行政だって発生しない。また直轄地にすれば金融政策ができない他の地方と同様の運命にはならない。つまり国の直轄地にすれば、地方財政の問題は発生しないし、多くの諸問題は解決する。・・・ただし地方自治は存在しない・・・そりゃ当然だ。

まあ、しかし近代民主主義や自由主義に染まってしまった現代人には受け入れられない内容かもしれない。特に新自由主義者は「お上の関与が大嫌い」である。しかし本当に大阪の長期的な発展を考えるのであれば国の直轄地しかない。東京だって名古屋だってそうだ。大都市が崩壊すれば必ず地方にも波及する。食い止められるのは国家しかない。地方の勝手な権力闘争ばかりを続けば地方が衰退するのは当然だ。住民投票って叫んでも、皆自分たちのことしか考えていないじゃないか?そもそも住民投票で、大都市のあり方を決めるなんて、民主主義の悪例そのものと言えるのではないだろうか? 


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エネルギー保存則と相乗効果
「エネルギー保存則」といえば、物理学では基本中の基本である。それは「無から有は生じない」という論理が根底にある。一般物理学でも「作用反作用の法則」や「パスカルの原理」などとしても広く応用されている。

一方で仏教では「無の境地」とか「無から生まれる」という表現がある。何か心の中の雑念を捨てて空っぽにしたときに何か思いが発生するというのは一種の「心のゆとり」が出来て、別のことを考える余裕ができた・・・という考え方もできる。つまり、厳密にいえば心の中のエネルギー保存則が成立していると言える。

そりゃー、ストレスの多い社会人はリラクゼーションを求めるし、ヒマなヒトは何かの刺激を求める。食い物さえあればボーとして生きることも可能かもしれない。しかしそうなると、おそらくヒトは人間性を失うだろう。なぜならヒトは時間軸があり、方向性をもった存在だからだ。もし時間軸もなく、方向性がない存在ならば興石と同じになる。そう、エネルギー保存則は基本とはいえ、時間軸と方向性を持っているのがヒトということになる。

何だって、ミクロな解析すれば「エネルギー保存則」は成立している。またマクロ的な見方としても、例えば地球上の酸素の量が減るとか、二酸化炭素の量が増える・・・とか表現してもマクロ的には「どこかで吸収されているとか、どこかで発散されている」だけの話であり、全体としてはエネルギー保存則は成立している。

しかし、見かけ上「無から有が生じる」ように思える現象は数多くある。たとえば社会では「相乗効果」という言葉がある。また経済でも「乗数効果」というものがある。統計学でも、実験計画法などでは「組み合わせ効果」という表現もある。レストランでラーメンと餃子の単品はそれぞれ300円だが、セット価格で500円・・・となれば、これも相乗効果であるとも言える。

食べ物のセット価格の議論は別として、一般的に「相乗効果」というのは波動力学でいう「共振」とか「共鳴」という言葉
で説明されることが多い。つまり波形のピークが共振するとパワーも増大する・・・とか。例えば、オーケストラが心地よくグルーブするときは、個々の楽器パートのピークの音がそれぞれの音と共鳴したり、絶妙な「間」があったり、全体のバランスが取れることで生まれる。

音楽でいえば「リズム」という要素は非常に大きい。団体スポーツでも一致団結したプレーをすればとてつもないパワーを発揮することがある。スポーツの個人競技だって、自己の体力や精神をプレーに向けてピークに導く・・・といった表現が多くのトップアスリートが口にする。つまり団体であれ個人であれ、リズムとピークをどうやって導くか?が重要と言える。

結局、私は何が言いたいかというと「エネルギー保存則」はすべての物理学の大原則であるが、人間社会の中でどうやって「相乗効果」を出せるかかが重要となってくる。私の個人的な感覚かもしれないが、「美しいもの」には必ず時間的な要素がある。音楽はもちろんのこと、絵画や文学も物質としては静止しているが、ヒトが見たり読んだりすることで、そこに「時間的な感覚」が生まれる。

人間社会においてもそうだ。誰かが何処がで頑張っているから社会が成立している。それは、ゆっくりとしかも確実に・・・。そして、いずれは世代交代していく。そう、時間は流れていく。消えていくモノ、積み重なる文化・・・それらは比率を変えながら社会が変化していく。

「奪い、奪われ」とか「恨み、恨まれ」・・・なんて行動は単純なエネルギー保存則にしか見えない。何の生産性もない。でも時間とともに人々が何かに喜びあったり、文化を蓄積したり、そうそう!「相乗効果」・・・そうした現象って素敵だ。モノゴトを時間を止めて考える人は非常に多いが、それは虚しいことでもある。時間が動いているから社会は楽しい、そして美しい・・・

そういえばコメディアンであり、コント赤信号の渡辺さんだったかな? テレビ番組で「時間が流れることは素敵だ」と述べていた。私も全く同感だ。(それに対して歌手の和田アキコさんは意味が解っていないようだったが)。私は時間の流れを楽しむ人たちと共に生活できたら社会も人生も楽しいと思う。もし、時間が止まっていたら社会の楽しさは半減するだろう。

「エネルギー保存則」と「相乗効果」・・・そんな難しそうな言葉も、「時間の流れ」って考えると結構楽しくなる。


文化遺産って何だろう?
最近のニュースでは、ユネスコ文化遺産だとか世界遺産だとか話題になっている。何らかの遺産として国際的に登録されても、実際にどこまでビジネスに利用してよいのか?も話題になっている。しかし、登録されれば観光ビジネスとしても盛り上がるのは間違いない。今年のゴールデンウィークもそうした地域が盛り上がったとのこと。一方で何だかよく解らない理由で国際登録は反対する隣国もあるようだ。また、どこかの古い聖徳太子像が壊されるとか、観光地で黒い油をかけられる・・・とか、文化を破壊したり、汚したりするニュースが多い。そういうことをするフトドキモノはそもそも文化という概念がないと判断できる。

海外ではイスラム過激派?が宗教上の理由から「偶像」として文化財を壊すことも多い。そもそも美術や音楽は人間を堕落させるという考え方(これも文化?)も存在する。一方で韓国では、いわゆる従軍慰安婦の資料を「世界記憶遺産?」に登録するよう活動を続けているとの事。まあ、何が文化で何が文化でないのか、何だかよく解らなくなる。そうなると日本の吉原や川崎のソープ街だって世界遺産に申請検討することだってできるかも・・・。そもそも日本の歌舞伎も江戸の「浮世」を反映したものだったし、色恋モノのネタも多かった。それがいつのまにか文化遺産になっている。

まあ、文化なんてものは国際的に決められるものではない・・・というのが私の基本的な考え方だ。国連やユネスコだった「文化の優劣」を付けることを目的としていない。様々な「文化の紹介」という位置づけでよいだろう。私個人的には日本国内で「国宝」とか「重要文化財」とかで十分だ。国宝や重文であれば国の維持管理予算もある(少ないが・・・)。しかしユネスコの認定なんて、それぞれの「保護義務」はあっても「維持管理予算」なんて全くない。実は国際的な遺産登録とは権利よりも義務の方が大きい。

たしかに何かの文化を知るきっかけとしては国際登録は意味があるかもしれない。また、本来なら解体処分にするところを再活用することにも多少は意味がある。実際に日本の地方では60-70年代に高度成長の近代化に乗り遅れて、古い建物の取り壊しが進まなかった地域がある。しかし逆に最近ではそれを「再活」して「地域活性化」に成功している地域もある。このように上手くいけば地域の活性化には貢献するだろう。しかし、これからが問題だ。どんな観光地でもそうだが、リピーターをどれだけ確保することができるか? そこにはヒトが世代を越えて心に残る「文化」が存在しなければならないだろう。

歴史的に文化が発展した地域は必ず経済も発展している。「ムダこそ文化を生む」とまで言わないが、文化が盛んになればカネもまわる、そして更に文化が発展する。たしかに文化が人間の堕落を生むとか、贅沢三昧で民衆の怒りを買ったとか・・・そういう歴史も多かったのも事実。しかし、ベルサイユ宮殿がフランス革命を起こしたわけではない。江戸時代に歌舞伎を禁止してから、更に景気は悪くなった・・・とか、実は文化が社会を停滞させたという直接的な因果関係は存在しない。あるとしたら文化や贅沢などへの一部の人たちの「嫉妬心」だけだ。

嫉妬心なんてなく、純粋に文化を楽しめる・・・そんな日本になれば、それこそが「文化遺産」の礎になるだろう。

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日本の人口減少
今日は「こどもの日」。総務省によると15歳未満の子どもの推計人口(4月1日現在)は、前年より16万人少ない1617万人で、1982年から34年連続の減少となったとのこと。また、その内訳は男子が828万人、女子が788万人であり、総人口に占める子どもの割合は、前年比0.1ポイント減の12.7%で、41年連続の低下している・・・相変わらず、少子高齢化が進行していることになる。

こうした結果は、様々な要因が考えられる。まず統計としては15歳未満の人口を対象としているので、私はこの15年間の社会、および経済情勢が影響していると考えている。何度もこのブログでコメントしたが、社会および経済の情勢と人口は比例するということ。実際に「失われた10-20年」というのがこれに当てはまる。しかし、ここ数年の出生率はわずかに増加している。これは景気回復と国や地域も含めた子育て支援が影響していると考えられる。

少し気になるのが人口内訳の男子が828万人、女子が788万人というところ。ヒトの場合、生物学的にも男女比率は同じになるのが基本のはず。そして昔のように乳幼児死亡率としてのは男女差は確認できない。また、戦前と違って、「男の子が産まれるまで出生する」⇒「女の子が産まれるまで出生する」に意識が変わってとか、出生前検査による「産み分け?」をしている可能性もある。この理由については私もよくわからない。

さて世間では相変わらず「人口減少」を悲観する論調は多い。そこで「移民の大量受け入れ」という愚論も多い。しかし私は何度も主張している通り、楽観論者だ。もちろん急激な人口減少は様々な弊害はあるだろうが、長期的にはむしろ良い方向へと向かう。そもそも日本の国土に1億3000万人なんて多すぎる。まあ8000万人程度でも十分だ。そうすれば住宅事情、原発依存度、電車のラッシュアワーや道路の渋滞も解消できる。(2014年10月19-20日 当ブログ「人口減少で日本は復活する」参照)

人口減少で日本は復活する①

人口減少で日本は復活する②

歴史的に日本列島に人類が住みついたのは数万年前と言われている。当時、我々日本人の祖先である縄文人は1万人にも満たなかった。様々な説があるが8000年前にはようやく2万人、寒冷期を過ぎ縄文中期(4000年前)には25万人になって、縄文後期には気候変動により一時的に減少したが、弥生時代になると再び増加して60万人程度になった。これは弥生人の大陸からの流入ではなく、気候変動による日本人そのものに人口増加である。。

その後、平安時代には600万程度、室町時代には1000万を超えた。江戸後期に3000万超えて、明治になって急激に増加して大戦直前には8000万、そして戦後に再び増加して2008年に1億2000万を超えて ピークに達する。歴史的にも人口というのは気候と農業、そして経済、特に食料と住宅事情でほぼ決定する。もちろん現代社会のように女性が結婚にこだわらず独身を続けることや、裕福になると子育てより別の生き方を選ぶとか・・・色々言われているが、実は時間とカネと場所、そして恋する異性があれば子どもは必ず増える。ヒトとはそういう生き物だ。

しかし人口が増えれば、そりゃー電力需要も高まるし食料自給率も低下する。原発依存になってしまったのは人口増加が最も大きな要因だ。ちなみに私は保守系、右派系に思われることも多いが基本的に「脱原発派」だ。それは以前ブログにも詳細を記事にしている。しかし日本国内での多くの脱原発派とは少し違う方法論を持っている。それこそが「人口減少を受け入れる」というものだ。失礼ながら団塊の世代がお亡くなりになれば年齢別人口バランスの偏りは大幅に改善される。そして出生率を少しずつでも増加させればバランスは良くなる。それは年齢別人口分布を見るとよくわかる。
(*脱原発に関しては2014年10月15-16日のブログで記事にしている)

私の脱原発論①

私の脱原発論②

もちろん人口減少とその過程で様々な問題が起こるだろう。もちろん少子化対策は継続して必要だ。特に人口妊娠中絶の減少につながるような対策は必要だ。以前、そんなことも記事にした。

人口妊娠中絶と社会

そして世代交代する上で様々な問題が発生する。例えば古い住宅、古い街並み・・・、そうしたモノは解体するか新世代に受け継がれるよう整備すべきである。そうすれば若者の住宅事情もよくなる。そして高齢者の金融資産もスムースに次世代に引き継がれれば良い。そうすればヒトあたりのカネは増える。そして食料自給率の上昇、電力自給率の上昇する。そして何よりもヒトが減少することによってヒトの価値は上がる。

唯一つ日本で懸念があるとしたら先にも述べた男女の人口比率だ。一夫一妻の場合、女性の数が多くなければ人口増加しない。またイスラム教徒のように一夫多妻の社会であっても、男性が多ければバランスは崩れる。しかし世界的に見ても、例えば中東では男性の比率が高く、旧ソ連の国々では女性が多いという。これは何を意味しているのだろうか?日本でも男性の比率が高い状態が続けば当然ながら人口減少する。

そこで初めて「移民受け入れ」を考えてもいいだろう。つまり女性の多い地域(例えば旧ソ連諸国)からの女性の受け入れに積極的になるとか・・・もちろん中川秀直氏が主張する年間100万人で10年で1000万人の移民なんてありえない。そういう議論は単純に労働力をベースとして考えている。しかし先ほど述べた15歳以下の男女比で女性が40万人少ないということは、その半分の20万人を10年掛けて受け入れることはあってもいいかもしれない。こういう私の考えも、一般の保守系や右派との違うところだ。

・・・なんて非道な考え方!移民受入れ反対じゃなかったのか?・・・とお怒りになる方(特に女性)もおられるかもしれない。しかし一夫一妻制で女性が多いと結婚したくても、あるいは子どもが欲しくてもできない女性は大勢いる。先ほど日本の歴史上では移民の受け入れによる人口増加のデータは無いと述べた。(*ちなみに戦前の朝鮮人や台湾人は日本人だったので移民とは言わない。しかし戦後に入国した朝鮮人や台湾人は移民であると判断できる) 

しかし歴史的に日本人女性の場合は、政略結婚や生口(奴隷ではない)として周辺諸国から嫁いできた形跡がある。その証拠に日本人女性の遺伝子は男性とは異なり多種に渡っていること。例えば、日本人男性のY染色体ハプログループはD2、O2b1が大多数であるのに対して、女性のミトコンドリア染色体は日本人特有といわれるM7aをはじめとして、N9b、F、B、D・・・と多岐にわたり、それぞれ圧倒的多数は存在しない。これは様々な地域からの政略結婚や生口のなごりであろうと考えられる。または近親婚のリスクを意図的に軽減するのも目的だったのかもしれない。従って、女性を一族の子孫繁栄のために他の地域から受け入れることは歴史的にも生物学的にも自然のことである・・・というのが私の考えだ。

たしかに旧ソ連のラトビア、エストニア、ウクライナは美女も多いし親日派が多い。どこかの反日国家よりは数段いい。また、特にウクライナでは政情不安定のために人道的支援として日本に女性を迎えるのも良いかもしれない。現代社会はお見合い中心の社会ではない。男女が本能的に異性を求め結婚して子供を産む。特に女性の場合は本能的に血縁関係の遠い存在を求めるとも言われている。(なにやら匂いやフェロモンで解るとか・・・)

おそらくこういう私の意見は(感情的な)強い反発もあるだろう。しかし現代日本社会はかつての古い地域社会の時代と違って誰でも生活に困らなくなっている。パソコンもコンビニもスマホだって何でもあるし、そして努力すればある程度は報われる社会になっている。そして何より愛国心と忠誠心、そして真面目に働くことができるなら移民は決して拒否しない。

 私は大量移民受け入れには反対だが、一部は上記の理由で認めてもいいと思う。また基本的に人口減少傾向は受け入れる。そして中長期的に脱原発に向かう。もちろん様々な経済対策、そして少子化対策は実施する・・・。
 そうすれば間違いなく子どもは増える。小手先の少子化対策も結構だが、こうしたビジョンがあれば日本の将来は間違いなく明るくなる! 


安倍首相の英語表現
前回のブログではアメリカでの安倍首相の演説についてのコメントした。まあ、色々と国内外ともに賛否がある。だが、私は立派な演説だったと思っている。特に硫黄島でのアメリカ軍人スノーデン氏と栗林中将の孫である新藤大臣とのかたい握手はホントに涙を誘う。このシーンを見て感動しない者はアメリカ人として失格であり、日本人として失格である・・・と個人的 には強く思っている。テレビでは報じられていないこのシーンは絶対に必見だ。

私がよく訪問するブログでリンクも紹介させていただいている「山岸勝榮先生の日英語サロン」でも、この安倍首相の演説についてコメントされている。翻訳字幕ナシだが動画も添付されている。これは是非とも英語のまま聞くべきだ。もちろん英語が苦手な方は難しいかもしれない。しかし、この全文を自分で翻訳して朗読すれば結構レベルの高い英語の勉強になる。・・・特に英語な苦手な学生にお勧めだ。

ちなみに山岸先生は既に大学教授を退任されたそうだ。しかし私にとって先生であると勝手に思い込んでいるので、あえて先生と書かして頂きたい。山岸先生のブログでは、安倍首相の演説は日本人訛りの英語であり、決して流暢ではないかもしれないが・・・ 「すばらしい英語」と評されている。私も同じように思った。一方で演説を非難した小西民主党議員を山岸先生は強く非難されている。

私も仕事柄、中国人英語やインド人英語とやり取りすることが多い。特にインド人の英語は独特で、今でも戸惑うことは多い。おそらく相手側も私の日本語訛りの英語に戸惑っているだろう。・・・がしかし一緒に仕事はできる。なぜなら仕事に関する「知識」、そして「意欲」があるからだ。誰も私のヘタクソな英語を笑う人はいない。そして私も彼らの独特な英語を笑うことはない。だって仕事に懸命なのだ。そんなくだらないことを考えている余裕はない。

結局のところ、内容がどうであるか。そして、どうやってメリハリ付けた説明するか。言語は何であれ、政治家の場合は政治家だからこそ演説が上手いということもあるだろう。オバマ大統領だって、あのヒトラーだって演説の名人だと言われた。もちろん安倍首相は彼らほど演説は上手くないかもしれない。いや、あまり演説だけ上手いような政治家にはなってほしくない。ただ今回は純粋に安倍首相の演説はよかったと思った。その純粋さが政治では重要なのかもしれない。

長年、アメリカでは日本は旧敵国という意識が強かった。しかし、この演説が一つの節目になったと言えるだろう。こういうイメージつくりって、政治的とはいえ結構効果的だ。もちろんTPP交渉をアメリカに大幅に譲ったりすることは好ましくない。そして軍事的にもすべてアメリカ追従が良いのか議論は尽きないだろう。これからが重要であることは間違いない。

さて相変わらず不思議なのは、先に述べた小西民主党議員や中韓の反応だ。特に韓国は「外交的敗北」といった論調が多いようだ。何が「外交的敗北」なのかよく解らないが、パク・クネに怒りの矛先が向いているとのニュース記事もあった。何だかよくわからない国だ。いっそのこと安倍首相より流暢な英語で反撃すればどうだろうか?おそらく低レベルな人たちは言葉も問題くらいしか反撃要素がないってことかもしれない。でも英語や語学力がある程度ある人間からみれば、あまりにもバカバカしい議論ということに気づく。

また安倍首相は今は亡きダニエル・イノウエ元上院議員を偲ぶコメントもしていた。たしかにダニエル・イノウエは立派な人物だった。日系アメリカ人だけでなく、多くのアメリカ人にも愛された。一方で同じく日系アメリカ人のマイク・ホンダは相変わらず「反日」のようだ。しかし両者ともに英語は上手い。そりゃそうだ。だってアメリカ人だもん。そして今回、アメリカでも中韓系のデモもあったようだが、彼らだって英語は流暢だ。そりゃーアメリカに住んでいるのだから・・・。でも一体どれくらいの人たちが彼らの英語による主張に共感するだろうか?

安倍首相の演説は、英語が下手な私に少しだけ勇気を与えてくれた感じがする。今回の演説で、流暢な英語じゃなくても
アメリカの最高機関で「思いを伝える」ことができることを証明した。そういう意味でも貴重な演説だと確信している。


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安倍首相のアメリカ訪問
安倍首相のアメリカでの演説が話題になっている。日本のテレビでは「謝罪がない」とか、慰安婦問題がどうとか、相変わらずの低レベルの論調が目立つ。実際に安倍首相は映画などでもよく知られている戦時中の硫黄島の話とか、日本が戦後70年にわたって地域の平和や経済の発展に貢献したこと・・・結構アメリカ人にも日本人にも納得する内容の演説をしている。

一方、TPP交渉についてや、アジアへの経済援助の継続・・・こうした内容は日本国内の保守系でも賛否を呼ぶだろう。しかし戦後70年、アメリカの様々な援助(食糧など)やグローバル経済によって日本が成長したことも事実であり、こうした内容を「政治家として否定」することはできない。それは当時のアメリカにとって冷戦を見据えた戦略的な政策、そして近年の中国の台頭における政策が背景にあるとはいえ、日本に対して様々な援助したことは間違いない。

そして、あの東日本大震災ではアメリカは日本に多大な支援を行った。このように日本は他国から援助や恩恵を受けているにも関わらず、発展した後に「ハイ、アメリカさんはお役御免です!」とか「その他の国へ支援なんてドーでもいい!」なんてことを公に主張することはできない。そんなことしたら韓国と同じになる。もちろん日本が永遠に謝罪を続ける必要がないのと同様に、永遠にアメリカに義理を果たす必要はない。しかし過去を振り返り、「歴史を教訓にする」とか、「感謝すべきところは感謝する」・・・このような姿勢は政治家としては必要だろう。

同時にアメリカには「日本脅威論」という根深い意識がある。もちろん日本が武力でアメリカに対抗することはないにせよ、経済や技術の面で常にアメリカは日本を脅威に思っていることは明らかである。従って歴代の日本政府がそうした配慮をアメリカに示したことも明らかだ。そして日本がアジア中心に経済発展に協力して「その恩恵を自国のみとしない」という姿勢を示したことが、結果的にはアメリカにとってもアジア周辺国に対しても有効であった(中韓はそう思っていないが、)。

しかし、日本はそうした「配慮」や「義理を果たす」ことを永遠に続けるべきだろうか?おそらく多くの日本の保守系が最も懸念しているところであろう。もちろん、恩を仇で返すような国になれば、いつか誰も助けなくなる。嘘を続ければ、オオカミ少年のように嘘吐き国家となり誰も信用しなくなる。はっきりいって韓国はそうした「恩知らず」で「嘘吐き国家」というイメージが確立しており、アメリカでさえそれは浸透しつつある。日本はそんな国家には決してなってはならない。

戦後、アメリカの日本への物資援助、そして米軍の駐留・・・こうしたアメリカの対応は先に述べたように結果的に日本の発展をもたらした。これは国際的にも稀なことである。アメリカが正義の味方であり、ヒーローに喩えることができるのは戦後の日本への対応くらいだ。それはアメリカの物質的、あるいは経済的に援助もあったが、日本人自身の努力や精神力も背景になったことは疑いのない事実である。

がしかし、日本人の努力もあったとはいえ、恩を仇で返す国家に決してなってはならない。だからといってアメリカにすべて追従では問題だ。そうしたバランスをどうするか?日米関係って結構難しい。意外にも日米関係は、日中関係や日韓関係よりも難しいと言えるだろう。




プロフィール

小室沢直樹

Author:小室沢直樹
「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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