理系おじさんの社会学
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必要は発明の母、そして弁護士は必要をつくる。
「必要は発明を生む」この言葉があるが、正確には英語の「Necessity is the mother of invention」が元になっており、「必要は発明の母」ということわざが正しい。この「必要は発明の母」というのは、現代の日本社会を考える上で非常に興味い。今回は、そんなことをじっくり考えたい。

現代社会は、科学技術の発展にともない多くの「便利なモノ」、「健康によいモノ」、「楽しいモノ」、「美味しいモノ」・・・などの数々の発明を生んできた。例えば、赤ちゃんが産まれればオムツは要る、粉ミルクも要る、ベビーカーも要る・・・。オムツが増えればゴミ袋もふえる。粉ミルクは必要なら哺乳瓶も要る。ベビーカーが必要になると置き場も必要になる・・・こうして必要が必要を生んでいくことになる。

一方で科学技術が成熟してくると、今後はコンパクト化や軽量化といったことが要求される。つまりムダの削減だ。例えば、オートバイに取り付けつけられるサスペンション・スプリングは従来は左右に配置して2本だったのが、中央に1本にすることが主流になりつつある。また電気機械のフレーム板厚をうすくして軽量化にするとか・・・つまり顧客の「軽量化」という「必要」のために材料などの需要(必要)を減らすということが近年の重要な発明(invention)となっている。

軽量化やコンパクト化は結果的に材料の必要を減らし、燃費のよい自動車は燃料の必要を減らしたといえる。これらは物質的な必要を減らすという発明といえる。事務所のペーパーレスやキャッシュレスだってそうだ。しかし、こうした発明は結果的に企業の営業利益が減少することにもつながる。特に材料や燃料販売の会社はそうだ。工業界ではこうしたリスクを承知の上で軽量化やムダの削減に協力してきた経緯がある。しかし、限りある資源を有効活用することは社会全体としてメリットがあることは間違いない。

一方で企業が労働者を減らしたり、賃金を減らしたりといったような企業側から見たコスト削減という「必要」が、労働者という「必要」を失わせる行為も多く見受けられる。しかし、それが結果的に生産性の向上が伴っておらず、何処かに負担が集中するようであれば、それは発明でも何でもなくただの数合わせだけの話となる。政府や地方行政だって、ムダの削減と叫んで必要な公共事業やメンテナンスを疎かにすれば、その分を国民がリスクを負うことになる。

一方で現代日本社会で不思議な存在がある。その一つが弁護士会である。いまから30年以上前の日本では、弁護士の数がアメリカに比べて少ないとか、法的判断というより、「人道的配慮」とか叫ばれることが多かった。近年になって弁護士の数は増加したが、この「人道的配慮」ということは今だに続いている。さすがに一昔前に話題になった「超法規的措置」という言葉は使われなくなった。しかし世界的な人権重視の風潮に乗じて、そうしたことを叫ぶ勢力は非常に多い。

しかし、よくよく考えると不自然である。例えば、世界における人権問題としてパレスチナ問題や北朝鮮問題、さらにはウイグルやチベットでの人権問題は間違いなく存在する。しかし日本においては、学校のイジメ問題以外は大きな人権問題は存在しない。だが、何かあるたびに人権だー人権だーと訴える。私は諸外国と比較しても日本が大きな人権問題を抱えているとは思えない。

私は確信している。「弁護士たちは必要を作ろうとしている」 つまり、弁護士だって仕事がなければ収入源がなくなる。だから「法的紛争」がなければ困るのである。例えば日弁連は死刑廃止を求めていたり、夫婦別姓を主張したり、住基ネットの反対していたことも有名だ。基本的の日本の弁護士は日弁連に加入が義務付けられている。特に若く仕事に少ない弁護士は日弁連を頼りにすることは多い。あとは人権屋に脅されたり、逆に法に準じているのに「えこひいき」していると勘違いされるケースもある。まあ、弁護士も苦労しているのも間違いない。いずれにせよ「後味悪い紛争」が絶えないわけだ。

先般、静岡地裁は<在日社員に「本名使ったらどうだ」で社長に慰謝料支払い命令>というニュースがあった。どこが差別なのかさっぱり解らない典型的な判決だ。おそらく日本名を名乗ったら名乗ったで半世紀後には「日本名を強要された」として訴える・・・そしてそれも静岡地裁は「差別だー」とう判決を下す。どこまで日本の司法は日本人をバカにすれば気が済むのだろうか? ・・・多くの日本人がそんな疑問を呈するのは当然のことだ。

結局、弁護士たちのやっていることは「だれかを犠牲にして、だれかの利益にする」という何の生産性のないことをしているということだ。 「弁護士報酬 + 原告の利益 = 一般日本人の犠牲」 このように全くのイコールとなっているわけだ。それはミクロ的な作用反作用の原理、あるいはエネルギー保存則と同じである。

社会的な利益というのは、相乗効果でなければ意味はない。そしてマクロ社会としての利益が見いだせなければならない。経済学で乗数効果が重要だという論理と同じだ。本当に社会が必要なのは「争いのない社会」、そして弁護士がいなくなる社会・・・本当はこれが必要なのだ。 しかし弁護士が必要なものを求めている・・・「それは不要の争いだ」。

彼らのやっていることは「必要は発明の母」ではない。「必要を作って、仕事を得よう」であり、その影ではだれかがその分の犠牲を払っているということだ。実は、正義の味方のつもりの多くの弁護士は実は加害者であるという認識が薄いこと、そこに問題の根底がある。そして彼らは「必要は発明の母」とは、どういう意味なのか考える必要あるだろう。


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サラリーマンの世界
サラリーマンの世界で、昇進や昇格する条件として「一つ上の立場でモノ事を考えること」ということがよく言われる。つまり一般社員は管理職の立場でも考える。例えば、課長は部長の立場を考える・・・とか、部長は社長の立場を考える・・・とか。または社員全員が経営者になったつもりで仕事をする・・・そういう内容が社是、社訓になっている企業も多い。なるほど私もそういう論調は随分前から聞いたことある。たしかに上司の立場を考えることは会社組織としては重要なことであることは間違いない。また自分が上司だったらどう判断するか?なんて考えることも多かった。

が・・しかし、いざ自分が上司になって部下を持つと違ったことが見えてくる。それは一般社員は上司のために仕事をしてくれた方が得だし、楽だ・・・ということ。だから「一つ上の立場でモノ事を考えること」と指導することが、もっともらしくも聞こえるし部下を説得しやすいという側面もある。幹部社員の中には、「役割分担は重要」という論理を悪用して「すべて誰かに丸投げ」となるケースも多々ある。だいたい、そういう上司は無能であることが多い。

しかし本当に能力のある社員は違うことを考えている。上司のため、部下のためなんて然程考えていない。能力のある社員は「お客様に満足いただく、お客様に迷惑を掛けない」ということしか考えていない。それって、ビル掃除のプロおばちゃんだって、街の豆腐屋のオヤジさんだって仕事のできる人たちって職種を問わず同様のことを考えている。日本の場合、顧客というのは結構やさしいものだ。でも気分損ねたら、信用を失い取引を失う。どんな大企業だって、社員への給与は会社から、さらには顧客から、さらにはエンドユーザからおカネをいただいている。そう、エンドユーザのことを考えなければビジネスは成功しない。当たり前のことだが、それを見失っている大企業の社員は非常に多い。

経済学的に需要側と供給側は平等であると言われる。たしかに売り手と買い手は同等だろう。私は顧客に媚びることが絶対ヨシとは思わないし、三波春夫の「お客様は神様です」なんて大げさな表現するつもりはない。しかし顧客やユーザのことを常に考える。安全性の配慮とか、細かな心配りは絶対に商品の良し悪しを決定している。実際、日本のいくつかの企業はそうした細かな心くばりが抜群であり、そういう企業が常に成長している。そうでない会社は社会のルールが変われば簡単に衰退する。

一方でここ最近、私が強く感じることがある。大企業の多くの幹部社員や管理職は病んでいると。各セクションに必ず一人は鬱(うつ)を患っている企業もある。その多くは一般社員ではなく管理職の方が多い。こういう人たちに共通するのは特別な専門知識がないこと。仕事は「管理だけ」そういう人の多くが病んでいる。そういう人物を上司に持つと部下はたいへんだ。それこそ「俺のために仕事をしてくれー」という上司の雄たけびが聞こえてきそうだ。

やはり社会人、いや人間というのは何か得意分野があって、顧客を満足させる力量がないと精神的にもたない。上司のためとか所属部署のためということでは、なかなか満足感は得られない。大きな会社であれば尚更だ。会社としての利益に貢献するとか顧客満足に貢献するとか・・・それで社員の報酬アップなどに繋がればモチベーションもあがるだろうが、そういうものがなければ仕事に生きがいを感じることは難しい。

春になって新入社員や配置転換された方も多いだろう。とくに新入社員など若い方々に訴えたい。「必ず自分の得意分野を持つこと」、「顧客満足を考える」 そういったことが達成できれば常に仕事は楽しくなる。もちろん、そのためには相当の時間が掛かるが・・・。日々の積み重ね・・・それしかない。そして、意外な助っ人は社外(顧客や取引先)にあることがある。結構、社内の人間より社外の人間の方が頼りになる場合も多い。


戦争認識
安倍首相は20日夜のBSフジの報道番組で、戦後70年の節目に出す「安倍談話」をめぐり、戦後50年の「村山談話」などにある「植民地支配と侵略」「心からのおわび」などの文言を使うかどうかについて、「同じことを入れるのであれば談話を出す必要はない」と述べた。一方で民主党の細野議員は「反省とおわびの部分を、安倍総理はご自身の口からは言いたくないんだろう。」と述べたとのこと。また、安倍首相はアメリカ議会で日本の首相としては初めての演説も行われる予定であり、その内容も注目されている。

また靖国神社について安倍首相は「春の大祭」に参拝せずに「真榊(まさかき)」と呼ばれる供物を私費で奉納したとのこと。それは中韓に配慮した・・・との記事があった。いまだにこのようなニュースが大きく話題になるなんて、それこそマスコミは問題を「煽りたい」としか思えない。以前にもブログで記事にしたと思うが、首相は「毎日参拝」すればいいのだ。そうすれば騒ぐ連中も静かになる。ていうか疲れて騒ぐパワーもなくなるだろう。たまに行くか行かないか?・・・なんて状況だから都度「煽りたて」が発生するのだ。「その都度」というのが余計なパワーを温存させる時間を与えているに過ぎない。

まあ、意図的に問題を煽り立てて日本と中韓の仲が悪くなることを良しとしているのならば、一部の右派系?の「思うつぼ」かもしれない。しかし、いずれの目的にせよ、こうした事案を政争の道具にするのは不適切といえるだろう。

その「村山談話」のご当人である村山元首相がアジア諸国への謝罪訪問したときに、当時のマレーシア首相であったマハティールは「日本が半世紀前のことを今だに謝罪続けるのが理解できない」という有名なコメントがあった。もう、あれから20年経っている。同じように謝罪を続けるのは諸外国(中韓以外)からしたら不思議に思えるのは当然だ。しかし公式コメントならば、それに準じるべきという解釈されるのも当然のこと。

結局、反日左派勢力は問題を煽り立てた結果、さらに日本と中韓との中が悪くなる・・・という親中、親韓派の「大義」が達成できない結果になる。にもかかわらず、恒例行事のように反発するだけの「ハブロフのイヌ状態」になっている。 だから日本の首相はきっぱりと「戦後は終わった」と宣言すべきだ。

たとえば、1904年に日露戦争が勃発した。日本が戦勝国となったわけだが、ロシアに対して永遠に戦勝国気分ということはなかった。せいぜい10年くらいであり第一次大戦で既に状況は大きく変わっている。そして大東亜戦争でもアメリカは確かに戦勝国であることは間違いないが、中華民国はたまたま形式上では連合国だったわけで単独では決して戦勝国ではない。ちなみに戦後建国した中華人民共和国は全く戦勝国とは関係ない。また朝鮮は日本と戦争していないので論外だ。

そもそも「戦争」とは、「一般に、国家もしくはそれに準ずる集団が、自衛や利益の確保を目的に武力を行使し、戦闘を起こす事。 ・・・wikipediaより」。つまり、中国共産党は当時は国家に準じる集団でもなく、朝鮮での内部動乱も国家に準じる集団ではない。にもかかわらず「戦勝国のような態度」をして「敗者の日本」と定義して、永遠に搾取する感覚・・・これが中韓の思想である。もし日本が米国と組んで、中国や韓国を攻撃して勝者となれば、彼らは恥も外聞もなくひれ伏す。それが彼らの民族性だ。

相手を上手く利用することしか考えない人間というのはどこにでも存在する。そういう人間は必ず誰かから利用される。一方で相手のことを本当に考える人間は相手も自分のことを考える。しかし、そういう理論は国境を越えることは稀である。だって、いつも一緒に生活しているわけではない。どれだけグローバル社会になっても、インターネット社会になっても、高速鉄道の時代になっても、生活基盤とその生活スピードは普遍的なものだ。実はそうした普遍的なスピードが最も重要なことだ・・・というのが私の哲学だ。

たしかに戦争というのは社会も生活基盤も崩壊する。そして、その影響は数年は続く。パレスチナ紛争のように現在進行形の紛争もあるが、多くの紛争は、現在では何事も無かったかのように時代が流れている。戦争だけではなく、日本の場合、大火事や大地震、そして津波があっても数十年後には確実に復活に向かっている。

むしろ問題なのは、農地の土壌汚染、砂漠化・・・といった百年スパンの問題だ。意外にも「戦争」というのは終結して、各国と各種条約を締結して復興すれば、数十年で復活している。それは世界史の様々な戦争の経緯と結果を見ても明らかだ。現在進行形でなければ戦争の傷跡が半世紀以上続くことはありえない。実際に騒いでいる連中は戦争を知らない世代だ。そう、先の大戦から70年も経過して人間も第三、第四世代へと移行している。

時間の流れは「はかない」かもしれないが、それを受け入れるのが人間だ。私にも可愛い子供がいる。この子たちのためにも1000年の恨みを是とする民族との決別を決意しなければならない。それが我々世代の使命である。


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いつも韓国はずれている
昨日はブログが1週間更新できなかった理由、そして韓国出張での出来事を紹介した。通常、仕事で海外出張すると「海外出張報告」というものを会社に提出する。その内容が結構おもしろいがさすがにここでの紹介は控える。まあ、仕事でも仕事以外でも個々の韓国人が悪い人という印象は低い。しかし、「どこかずれている」というのは共通している。

昨日ブログで紹介したとおり、日本の嫌韓ブームは韓国でも有名だ。しかし問題はその解釈だ。中国メディアの人民日報でも以下のような記述がある。「日本国内では近年、在日韓国人に対するヘイトスピーチが問題になっていると伝え、「日本は周辺国を脅威とみなすよう煽り立て、日本国民に武力保持の必要性を植え付けようとしている」 

どうも中国にしても韓国にしても、このような主張が目立つ。ここでの「煽りたて・・・」というのは私の知人の韓国人もそう述べていた。通常、仕事関係において彼と私は長い付き合いだが、政治的な話題に触れることは稀だった。一般韓国市民も含め、非常に懸念いている事案であることがよくわかる。

しかし、ビジネス上での韓国の最も大きな問題は為替問題だ。それに対する韓国の懸念は百歩譲って理解できる。しかし、彼らは安倍さんがどうこう(おそらく集団的自衛権の問題)とか、在特会のヘイトスピーチがどうとか、すべてがごっちゃになって、とにかく日本が右傾化(私の知人はConservativeという言葉を使った)しているという解釈だ。

たしかに日本の集団的自衛権は中国を念頭にしていることは間違いない。しかし韓国は全く関係ない。一応は韓国は同盟国という位置づけだ。また在特会は民間団体であり、安倍政権とは直接関係ない(このことは彼にも伝えた)。そもそも嫌韓感情はインターネットの普及とともに大手マスコミが封印していた事実が拡散したことが主要因だ。そのへんの理解が韓国人に全く足らない。

韓国人の在日特権、犯罪率の高さ、売春輸出、竹島問題、いわゆる慰安婦問題、仏像盗難事件、文化侵害(パクリ)問題、起源説問題、反日教育、食品の不衛生問題、スポーツでのマナー、そして天皇陛下への侮辱・・・いやーまだまだある・・・これだけあって嫌韓にならない日本人の方がどうかしている。そして最も問題なのは、そうした韓国の問題をすべて覆い隠そうとしている韓国にある。そして逃げも隠れもせず、過去のことを隠さず事実を確認しようとしている日本側を「隠している」と非難する・・・滑稽極まりない。 

この「問題を覆い隠す」これが最も韓国社会の汚点であり、韓国の特徴的文化だ。それは韓国国内の様々なニュースを見ても理解できる。何か問題があれば、それを隠そうとする。反対勢力はそれを暴こうとする・・・その繰り返しだ。実はビジネス界でも日常茶飯事だ。問題はそうしたことを改善できない「面子重視」がある。つまり問題を隠すことは韓国では普通のことである。しかし、問題を暴くことも大好きだ。それは日本のマスコミ以上だ(日本のマスコミも韓国的だ)。 

もちろん日本側にも問題はある。そういう韓国人の問題には目もくれず、「日本が永遠の謝罪と賠償を対応することを是とする」日本の偽善者の存在だ。それはまるでペットの飼い主がイヌが小屋を汚しても「よしよし、掃除してあげなくてゴメンねー、うーんエサもあげるよー」という姿に似ている。まあ、可愛いペットなら多少は許せるだろうが、はたして韓国人は可愛いだろうか?

呉善花さんも述べていたが、そうした日本人の態度こそ、韓国を見下した対応である。私はビジネス上でも彼らに甘い態度はとらない。しかし最近、私の心の中で「だめだコリア」という感覚が支配している。・・・うーんビジネスマンはつらい・・・
会社として韓国とビジネスを続ける以上はどこかに「割り切り」が必要だ。

しかし私はこう考える。 政治にしてもビジネスにおいても日韓の関係を築いた世代は引退しようとしている。そして、そうした世代交代によって、偏った思想における日韓関係が是正されることに期待したい。それは日韓友好ではなく、日韓断行でもよい。そう、彼らを「突き放す」・・・もう、そういうまともな時代になるべきだろう。 もちろんケンカする必要はない、「距離を持つ」 それがお互いのためだ。 


やっと更新
この1週間ブログが更新できずにやきもきしていた。実はまた仕事で韓国出張だった。現地でブログ更新しようとしたところ、「アカウント認証確認」という画面が出てきた。何やらセキュリティーが低下したとのこと。認証コードも解らなかったので、日本に帰国してから別のパソコンを操作して、ようやくログイン、そして今ブログの更新している。こうしたセキュリティーの低下ってよくあるのだろうか?詳しい方おられたら教えてください!

ところで、今回の韓国出張では泊ったホテルは初めてのホテルだった(現地の仕事関係者に予約してもらった)。しかし、とにかくムダに広い。つくりが奇抜、というより意味不明・・・ムダな飾り付けが多い。ヘアリキッドや不思議なアメニティグッズはあるが、肝心の歯ブラシがない。ガウンもあったがヒモがボロボロ、なぜかテレビの画面が悪いと思ったらテレビ線が半がかりだった。また異様に部屋が暑かった。しかしエアコンの電源は切れている。・・・えっ、なぜとおもったら、電気ポットが水も無しで加熱状態だった(ちょっと危険)。

まあ、こんな調子で「見かけだけで、細かい配慮が全くナシ」 これだけでも韓国という国を象徴している。それはインドや中国のビジネスホテルでも同じだ。日本のビジネスホテルは狭いのは確かだが、こうした問題はほとんどない。

さて、仕事仲間との食事のときだった。周りは全員が韓国人で、私一人が日本人。皆が大きめのスマートフォンを持っていて自慢げに見せていた。一人の韓国人が私に「なぜスマートフォン使わない?」と尋ねた。そこで私は「値段が高いし、意外に使わないから・・・」と話した。すると「そこの彼(別の若い韓国人)は金持ちじゃないけどスマートフォン持っているよ」なんて話が出た。・・・うーん、やはり思った通り私の意味を理解していない。「別に私はビンボーだからスマホ持っていないわけではない。」「モノと価格が自分に適していない」ということ。しかし、そんなこと言っても解らないだろうから、私はこう述べた。「数年前まで、i-Phoneを使用していたが、意外に外では使わなかった。そこで電話契約解除して今では自宅のWi-Fi利用のみで使用している。携帯電話としてのスマホ更新はしなかった。そして今では外でガラケー使っている」・・・まあ日本と韓国では契約システムも違うので単純な比較はできない。しかし韓国人達は、一様に不思議に思ったようだ。

つまり韓国人にとってスマホは、クルマと同様に一種の面子、ステータス?・・・といった「身分の象徴」のような意識がある。クルマだって日本のような軽自動車が普及することもない。また自転車もあまり使わない。そして居住に関しては若い世代はアパート(日本でいうマンション)住まいが中心で、できるだけ広いスペースを好む。つまり、「小さいモノ=カッコ悪い」「最新のモノ=面子」という感覚がある。それは日本のかつてのヤクザが高級車しか乗らず、派手な背広を着ていたことと似ている。

一方で食事に関しては保守的だ。最近の都市部の中国人は洋食や和食は食べるようになったが、韓国人はそうではない。韓国内に中華や和食もあったとしても、粗悪なものが多い。おそらく韓国として韓国食を推奨しているように思える。そしてその内容として、ムダに小皿が多く、そして必ず残す。これはインドでも同じだ。しかし、それは彼らにとっては客人に対する「もてなし」と考えている。こうした意識はすべて「面子」が中心にある。

まあ食事をムダにすることに抵抗のある私だが、「郷に入っては郷に従え」という感覚と、「まあ、仕事できているしなあー」という複雑な心境だった。たしかに「ムダ」が経済を活性化させるという側面はあるだろう。しかし「細部の神が宿る」といった考え方が結果として全体の文化、そして全体の経済にも影響させているのが日本という国である・・・ということを改めて考えさせられる。

まあ、こういった感想は仕事で様々に国を出張する度にある。しかし今回の韓国出張ではおもしろい話題もあった。すでに多くの韓国人は日本での「嫌韓ブーム」というのを知っている。どうも韓国のテレビで特番があったようだ。あの「在特会」もすで韓国では有名だ。日本とのビジネス関係のある人たちは一様に今後に不安感を感じているようだ。そして相変わらず国民あげての「アベさん嫌い」がある。そして安倍総理が嫌韓を煽っている・・・と思い込んでいるようだ。

しかし実際に韓国での問題は経済問題であり、日銀金融緩和による円安、ウォン高が最も影響している。しかし非難の的は黒田日銀総裁ではなく安倍さんなのだ。また日本で安倍さんの支持率が高いことも疑問に思っているようだった。私は基本的にビジネス関係の人たちと政治の話はしない。しかし聞かれれば仕方がないから応える。そこで私はこう述べた。日本で安倍さんの支持率が高いの株価の上昇と景気向上の期待感。安倍さんと在特会は直接関係ない。 また、多くの日本国民は「歴史認識」を中心にして政治を考えることはない。かといって歴史に無関心なのではない。

結局、韓国人の考え方はすべて同じ。 歴史認識という「面子」が中心であり、細かな実生活における細かな配慮や心使いはない。こういう意識が変わらない限り、韓国は大きく変わることはない。でも、それは彼らが決めること。私は心の中で「勝手にすれば!」と思っている。

本当の意味で日本と韓国が理解しあうことはない。ていうか無理して理解することはないだろう。そう、韓国は日本とは別の国である。最近の私は、そう割り切って仕事をしている・・・。


訴訟社会の弊害
「小6蹴ったボールで死亡、両親の監督責任なし」という最高裁の判決があった。読売新聞ニュースより抜粋する。

2004年2月、愛媛県今治市の市立小学校の校庭で、放課後に子供たちがサッカーで遊んでいた際、小6男児(当時11歳)がフリーキックの練習で蹴ったボールがゴールと高さ1・3メートルの門扉を越えて道路に転がった。これをよけようとしたオートバイの男性(同85歳)が転倒し、足の骨折などで入院して約1年4か月後に肺炎で死亡した。

先ず、驚きなのは2004年から10年かけて争われ、最高裁までいったということ。こんなの両親に責任あるわけねーじゃん・・・て思うのが普通の感覚だ。また、校庭で・・・肺炎で・・・ただ単に運が悪かっただけじゃないか!  まあ、とにかく「訴訟社会の弊害」だと言っても過言ではないだろう。 たしかに日本はアメリカに比べて弁護士の数が少ないとか、法令順守の文化じゃないとか、日本のアメリカ化を望む人たちは事ある毎に日本の法制度や弁護士の増加を主張してきた。弁護士は「争いごと」がなければ仕事を失う。だから、何としてでも訴訟社会になってもらわないと困る存在だ。そりゃそうだ、弁護士だってビジネスだ。

そして最近、やれルール化だー、仕組みつくりだー、とか主張する人が多い。ビジネス界でも仕組みつくりをリードすれば業界で影響力を高めることができる・・・なんて発想する経営者は非常に多い。そして訴訟社会になると、企業だけでなく誰もが「責任逃れ」のために「とにかくルールを守ればいい」という発想になる。しかし実際の社会はもっと複雑でケースバイケースだ。そして企業のマネージメントは、常に様々な「応用問題」を解くといことが最も重要な仕事のはずだった。

しかしISO普及の頃より、企業の従業員にせよ管理職にせよ、仮に重大問題が発生しても「私はルール通りの仕事をしました。だから私に責任はありません」という、「お役所的」なことが平然と黙認されてしまう世の中になってしまった。結局は、誰もが誰かの責任追及しようという、「訴訟社会」のような感覚をもっているので、攻撃する側、守る側という構図ができる。そして問題が発生した際に直接被害に直面している人たちは置き去りにされることが多い。

私は「現場主義」というのはモットーにしているが、こういう責任論に傾く人たちは実際の問題ある現場なんて見ていない
また製造業では「カイゼン」は重要といいながら、一度「認可、認証」を受けた製品に対して製造工程上の「変化点を持たせることは悪だ」という考え方がある。それは一度「認可、認証」を受けた製品を許可なく変更することは「約束違反」という解釈ができるからだ。しかし「認可、認証」を新たに得るためには相当な時間が掛かる。しかし、その間に市場で問題が拡大する・・・そうした現場、市場のことなど「どーでもいい!」 なんて発想になる。何故なら、そこには「責任論」というのが発生するからだ。

ここで重要なことはルールがどうとか、責任がどーとか問題ではなく。常に時は動いているということ。そうした時が移り行く中で我々は生きている。ルールというのは最低限守らなければならない必要最小限にとどめるべきだ。そうしなければ製造業に限らず常に「カイゼン」とか「発展」というものは生まれない。たしかに様々な犠牲というものはあるだろう。過失というものもあるだろう。しかし、時を止めてルールに照らし合わせることに「どれだけの意味」があるのだろうか? そこには、本当の意味での勝者も敗者もいない。

時間の流れを意識する・・・こうした感覚が薄れていくのも「訴訟社会の弊害」だろう。 だって、桜だって散っていくじゃないですか! 時を止めて裁判したって、時は戻ってこないし、時代は流れていく。カネや名誉が欲しけりゃ、今からでも遅くないから真面目に働けばいいじゃないか? どうしてそういう考えができずに、過去の責任追及や責任逃れに走るのか? あまりにも馬鹿げた裁判があると、いつも私はそう思う。


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元校長1万2000人フィリピンで買春
昨日のニュースで興味深いニュースがあった。横浜市の元中学校の校長(64歳)がフィリピンで1万2000人以上と女性を買春したとのこと。中には未成年女性もおり、多数のポルノ写真を撮っていたとのこと。1万2000人というのは本人の供述だけなのでどこまで真実か判らない。もし事実だとすると、1年365日で毎日一人を買春したら33年かかる。また1回あたり5000円くらいとして(相場はよく解らない)、のべ日本円で6千万円使ったということになる。・・・学校校長ってそんな収入あるのかなあ? 

まあ、とにかく「凄い」とおもわれる事件だ。しかし、未成年者がいたとか、ポルノ写真が大量にあったとか、元校長とかでなければ、それほど話題にならないだろう。実は、こういう男性って結構いる! 私が東南アジアで海外赴任していたころ、とある日本人で東大卒のエリート商社マンだったM氏は自称「ソープの帝王」と呼んでいた。たしかに頭脳明晰だったが、その方面でも大活躍だった。 校長だからとか、役人であろうが、東大卒だろうが、そういうことが大好きな男性は多い・・・。そりゃ、そうだ。 学歴や立場なんて関係ない。

今回、誰か女性が被害を訴えたわけでもなく、フィリピン警察に常習犯がいるとの通報で明らかになったようだ。それにしても、この元校長・・・ご家族がおられればお気の毒だ。 家族には何の罪もないのに。 大抵こうした男性は絶対に家族に知られないように写真や記録は抹消するものだ。また仮に家族に気付いても「おとーさん。しょーがねーな」とか「おとーさんってサイテー」とか家族に怒られる・・・でも時間が経てば解決する。 しかし、このような形で報道されらば家族親戚ともども崩壊する可能性すらある。

確かに、「けしからん」男性かもしれない。しかし、この元校長が何か病気を媒介したとか、だれかを傷つけたというわけではない。先に述べたように約6000万円?を地元にカネを落としている。そりゃーフィリピン警察は単純に任務を果たしたまだ・・・こうした報道されれば誰もが注目する。彼は十分に刑事的責任だけでなく社会的制裁は受けている。でも・・・家族はかわいそうだ。 そういう配慮はマスコミにはないのだろうか? あるいは誰かに嵌められたのだろうか?

そして、私はこの男性にどうしても一つ納得できないことがある。記事の中では本人は「ストレスから解放したかった?」ような発言をしているという。ストレス発散でフィリピン女性1万2000人?? ただフィリピン女性が大好きだっただけではないだろうか?これはフィリピン女性に失礼だ。フィリピン女性があまりにも素敵だったから・・・と発言すればよかったのに・・・。

こういう社会とは実に不思議なものだ。男性が女性に対して「あなたみたいな女性なんて絶対に抱かない!」という発言すれば、最大の女性に対する侮辱になる。一方で「あなたみたいな素敵な女性は一度でも抱いてみたい」なんて言ったら、それでもセクハラだと言って反発されるかもしれないが、女性は内心悪い気はしていないものだ。

戦前戦中のいわゆる従軍慰安婦も事実上の売春であった。しかし、どちらかというと戦地での男性のストレス発散のようなことに近かった。今回の元校長のように趣味の世界ではなかった。もし日本兵が「朝鮮人売春婦はとても素敵だった」という発言を多くしていれば・・・反発は多少?は少なかったかもしれない。でも、あのテキサス親父も紹介したアメリカの記録にあるように「・・・uneducated, childish, and selfish. She is not pretty・・・」とある。 これが事実だ。

もちろん買春、売春はけしからんことだ。しかし各国も法的規制しているとはいえ、事実上黙認している。現代社会において、最も重要なことはストレス発散を目的にする買春は後味の悪いものであり、あとあと揉める主要因にもなるということ。こういうことを考えない男性側の問題は非常に大きい。 私は事の本質はそういうところにあるように思える。


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粛々と!
最近ニュースでは「粛々と・・・」という言葉が話題になっている。あまりにもバカバカしい。おそらく、こういう話題を持ち上げようとする人々の精神構造を疑う。また、国会議員の高市早苗さんがどうしたこうした・・・とか、ホントにマスコミってバカ丸出しだし、国民はそうした話題をホントに望んでいるのだろうか?テレビ離れの原因を作っているのは明らかにマスメディアだ。

まあ、そんなくだらん話題はイライラするので話題を変える。

さて昨日、私のブログでは政府は電子マネーポイントを保有して、国民にバラ撒け!という意見を記事にした。随分前にもブログで記事にしたが「こども手当」も結構重要だと考えている。あの民主党政権下での「こども手当」に対して、時の野党であった自民党は「バラマキだー」と叫んでいた。しかし実際はそうではない。

私の尊敬する統計学者で優生学者のロナルド・フィッシャーは、子沢山の家庭に補助金を出すべきと主張していた。その根拠は自身の研究する統計学、そして英国での国勢調査を元にして、「文明の衰退と凋落は、上流階級の生殖力の低下に帰することが出来る」と主張していた。しかし周りからは、彼自身が子沢山だったから・・・とか、この論説には現在も様々な異論もある。しかし、私はフィッシャーの主張は正しいと考えている。

また経済学者の高橋洋一氏によると、公共事業のような間接投資と子供手当のような直接投資の場合、その乗数効果はあまり変わらない・・・。と主張している。もともと民主党の「こども手当」は高橋氏の論説が基軸となっていたようだ。つまり、「バラマキ」という表現は「粛々と・・・」と同じでイメージの言葉でしかない。経済学的に重要なのは「乗数効果」であることは言うまでもない。たしかに個人の感覚からしても、こどもにはカネが掛かることは間違いない。そして、おカネが掛かる・・・というよりも子供に対して「おカネを掛けて投資すべき」というのが正しい解釈だろう。

当然ながら「財源はどこに!」という議論になる。その答えは昨日のブログで記事にした通り。誰の負債もなく、政府が通貨、あるいはそれに相当するものを発行すればよい。随分前に高橋洋一氏は、日銀が金融緩和しないなら政府紙幣を発行すべし・・・と主張していた。それも、この議論と本質は同じである。しかし、私が主張するのは硬貨なんて論外だが、紙幣も扱いにくいものだ。だから電子マネーポイントにすれば良いと主張するまでだ。

そうすると、電子マネーを使えない老人はどうするのか?なんてイチャモン付ける議論が必ず沸き起こる。そんなこと何も心配する必要はない。もうすぐマイナンバー制が導入される。それと紐付けすればいいだけだ。それと役所に申請しなければ、何ももらえないのは今も昔も同じだ。何もしないでカネ貰えるなんて考える輩の方がどうかしている。

さて新年度が始まって、新入生、新入社社員がスタートする。この失われた25年?、そして長らく続いたデフレのせいで、最近の新社会人となった若者たちはまともな教育を受けていない。私だって若手に育成を後回しにしてきた。企業は設備投資抑制だけでなく、賃金抑制、そして若手の教育訓練抑制という最も重要な投資を抑制してきたのだ。若手社員は、雑用だけを押し付けられてきた。たしかに雑用も大切だが、何もスキルが身につかないとなると若者のやる気はなくなる。 やはりスキルを付ける教育訓練として、カネと時間は必要だ。そして何よりも「やる気」・・・これは、あの松岡修三氏を見習うべきだろう。

そして「粛々と・・・」、若者を応援して「電子マネーポイント」を付与し、「時間を与え」、そして「やる気」を与える。何でもそうだが、教育訓練なんて一気には変わらない。奇跡は起こらない・・・・少しずつ積み重ね・・・

そう、やはり「粛々と」だ。なんだー、やはり「粛々と・・・」っていい言葉じゃないか! 


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三橋貴明氏の「お金の話」
今や有名な経済評論家で人気ブロガーである三橋貴明氏のブログを拝見した。「お金の話」というタイトルで2回に分けて掲載されるようだ(まだ私は1回目しか読んでいないが)。そこでは、・・・日銀が発行する通貨は日銀の負債であり、保有する国債は日銀の資産、そして銀行の預金は銀行の負債・・・まさにその通り。しかし、その後のコメントには少し注釈が必要だ。

ところが、この世には一つだけ、「誰の負債にもならない」おカネがあるのです。すなわち、政府が発行するおカネです。日本政府は「硬貨」という政府通貨を発行していますが、これは「政府の負債」にはなっていません。硬貨保有者と対になる貸方(バランスシートの右側)は、純資産なのです。

三橋貴明氏のこちらのブログ

たしかにマクロ経済学として、政府バランスシートの見方としては正しい。しかし実質は違う。何故なら政府発行の硬貨は、材料価格と加工経費が必要だからだ。これはバカバカしいと思えるかもしれないが重要な議論なので是非注目してほしい。例えば、1円硬貨はアルミニウム1gである。通常、アルミ1キロが500円程度(アバウトな数字で失礼)なので材料費は0.5円、金型費用(償却費)、加工賃(人件費含む)等でほぼ1円近くになる。こうした費用がどこかで計上されているので実質的にマイナスなしの純資産にはならない。硬貨とは、基本的に原価と価値がほぼ同一にならなければならない。もしアルミ1キロが1000円を超えたら、一般社会で1円玉を溶かして売った方が得ということになる。

一方、何年前だったか?政府は「十万円記念金貨」というものが発行したことがあった。当時、なんと同一重量の金の価格5-6万円で、金型費や加工費を加えても原価十万円未満でこの「十万円記念金貨」が製作可能だった。そこでよく思いついたもので「偽造?」されたのだ。偽造とはいっても材料的、形状的にも全く同じものだ。 通常、こうした記念コインはプレミアや付加価値が加わってマニアによって高値で取引されるのが常識だった。しかし、この十万円記念金貨に関しては、十万円以上の価値には決してならずにあっというまに流通が途絶えた。

また、かつて日本政府が新たに500円硬貨を発行した当初、変わった事件が多発した。同じくニッケル硬貨で外径もほぼ同じの韓国500ウォン(価値として50円未満)の表面をドリルで削り、重さを500円硬貨と同じして自動販売機でおつりを得るという、何ともセコい事件があった。これもニッケル硬貨の価値が原価とかけ離れているから発生する事件だった。あまりにもセコく、大したメリットがないので事件は拡大しなかったが、超円高でニッケル価格が大幅下落したら再び発生する可能性のある事件だ。しかし、一方で製造原価が安ければ実質的に政府の純資産が増えたという解釈もできる。

つまり現代社会における政府発行の硬貨とはこういうものなのだ。普通に考えれば政府の純資産にはならない。三橋貴明氏はあくまでもマクロ経済学的、あるいは政府のバランスシート上での議論をしている。それはそれで決して間違ってはいないが。またマクロ経済学では、カネはまわりまわって消えることはないといわれる。三橋氏もそういう表現をよく使う。もちろんマクロ経済学としてはそれは正しい。しかし物理学的に紙幣はいつかは消える。硬貨は紙幣と違って、燃えたり腐ったりしないが、錆付いたり、物質の半減期を考えたら決して永遠ではない。ちなみに銅銭は環境劣化が最も激しい。つまり、製造原価があるのだから物質的な消失とともにカネも消えていくことを意味している。

余談だが、江戸時代の「慶長大判」を本モノの金(18K?)で復元してて3Dプリンター等で形状を整えれば(コピー)、簡単に製作することができる。たしか慶長大判のホンモノは数千万円?するので、ぼろ儲けできるということ。まあ、最新の技術は凄いのでそうしたことを考える悪い輩(私も?)が出てきてもおかしくない。だ・か・ら・・・硬貨システムなんてのは限界があるということだ。ちなみに工芸品や芸術品も精巧なコピーもできるので、それらが資産価値ではなく、純粋に芸術品としての扱いされることのほうが社会的にメリットがあるだろう。実際に今までは闇取引の道具にされてきたから・・・。

話を元に戻すが、政府が硬貨の大量発行なんてできない。発行しても政府の純資産にはならない。しかし別のもっと良い方法がある。これこそ「ウルトラC」だ。政府は通貨発行権を持っている。そこで少し法改正してでも、政府発行電子マネーポイントをバラまくのだ(法改正も不要かも?)。現代社会はもはや硬貨の時代ではない。皆さんよくご存知の電子マネーがある。それを活用するのだ。そうすれば硬貨の材料費、そして金型費なんていらない。金型職人さんは別の仕事で忙しい・・・。そう、金型職人さんは別のところで大いに活躍してもらう。

ポイントといえば、最近ではnanacoポイント、Tカード、ポンタカードなど各社の連携が過熱している。政府だって様々なポイントを国民に特別付与する。例えば、国民の出生、新入生、新社会人に「お祝いポイント」をそれぞれ付ける。もちろん、これらのポイントの半分は期間限定、限定ショップで「教育、訓練」に限定する。そして、転売できないようにマイナンバー制度とリンクさせる。これって以前の「ケチ臭い家電エコポイント」とかよりはるかに良い。国民が国家を祝うように、国家も国民を祝う・・・何か問題でもあるだろうか? 

この制度は、何よりも日本国民に有利であること。一方で短期消費者である来日外国人旅行客には然程有利ではない。こうした何気なしに日本国民への配慮をすることは必要だ。なにしろ日本のGDPに占める割合は個人消費の影響が最も大きいのだから。もちろん電子マネーポイントではセキュリティーの強化は必要だが、それは紙幣や硬貨だって同じことだ。ちなみに電子ポイントの偽造は結構難しい。かつての磁気タイプのプリペイドカード偽造は簡単だった。しかし電子マネーは簡単に不正ができないシステムになっている。そして、ここで大事なのは日本国内だけに使える電子マネーポイントにすること。そして複数の電子マネーを持つことがセキュリティー上でも必要なことだろう。ちなみに私はガラケーでお財布ケイータイ(nanacoとEdy)を活用している。またTカードもポンタカードも持っている!

ところで最近、とても残念ながらニュースとして消費税10%が決定してしまったとのこと。従って、政府はこうした新たな政策を推進することが絶対に必要となる。硬貨ではなく政府がカネをポイントとして保有、そしてバラ撒く。そうすれば必ずデフレ脱却、そして負債とは関係なしに財政再建が可能になる。何しろ、政府発行のカネは「誰の負債」にもならないのだから・・・。

是非、このブログを三橋貴明氏に読んでもらいたい。それから、こういうのをホントの「ウルトラC」と言えるということを、是非とも菅官房長官にも知って頂きたい! そうすれば日本の未来は決して暗くない。むしろ、ずっとずっと明くなる!


技術の「規制緩和」は技術者しか判断できない
原発事故、飛行機事故、電車事故、自動車事故、そして医療事故・・・世の中には様々な事故がある。毎年どこかでそうした出来事が発生してニュース等でも話題になる。そして不運にも命を落とされる方も多い。先般のフランスでの旅客機墜落、マレーシア航空不明事件、また昨今の医療ミス?による患者の死亡では、事件なのか事故なのか?判断が難しいケースも多くある。

こうした悲しい出来事があると、必ず政府や業界団体は新たな規制やガイドラインを設けたりする。各種工業界においても、ISOの普及以来、「ルールの有無確認」⇒「ルールが遵守されているか?」⇒「特別監査の実施」⇒「エビデンスの確認」⇒「不備があれば、いついつまでに改善」・・・といった一連の対応(流れ)が決まっている。そうした一連の確認結果、ルールがなければルールを作ろう・・・とか、ルールが遵守されていなければルールを順守させようという管理者の指導?がある。一方で技術者チームは事故の残骸やDNA採取などで地道に原因究明や身元調査などを実施する。

科学技術の知識のない管理者は、ルールやガイドラインを「絶対」と考えることが多い。何故なら彼らの「拠り所」はそこしかないからだ。そもそも人間というのは本人が理解できる範囲のことしか判断できない。しかし技術者は、技術的な問題が発生したときに、既存のガイドラインやノウハウだけに拘っていると何も解決できない場合がある。当然ながら技術者はそうした過去の見識の意味を十分知りながらも、結果的にはそれを無視して解決する方法を見出すことが重要となってくる。これができる技術者がホントの技術者だと私は考えている。

当然ながら、公的な法規は遵守しなければならない。顧客との取り決めは「両社間の合意」があればよい。また社内の規定なんてものは社内で改正することだってできる。しかし一度決めたルールというのは企業間であっても社内であっても改訂、改正が困難な場合が多い。特に規制を厳しくすることには管理者(特に品質保証責任者)は合意しやすいが、緩和することは何かあった場合の「責任問題」となるので慎重になることが多い。私も技術者なので、そうした技術的に無知な管理者と対立することが多々ある。ちなみに医薬品等の場合は長期間のモニタリングがなければ技術者ですら解らないことが多い。従って、日本では結果的に公的認可が遅れる。これに関しては色々と議論はあるだろうが、ある程度は仕方がないこと私は考えている。

一方で政府の「規制緩和の推進」という言葉もあるが、そもそも様々な規制によって科学技術での改善や発展を妨げていることがあるのは事実だ。たしかに技術者のレベルの差による弊害防止、また部品や部材の共有化は調達や営業戦略として様々な規制が役に立っていた。しかし高度な技術者による新技術の開発や従来ある問題改善を推進させるためには、こうした規制がジャマになることがある。

私は高度な技術者による新たな改善や開発が、結果的に社会を豊かにするのであれば「規制緩和」には大賛成だ。しかし、それが判断できるのは技術者しかいない。政治家に判断は不可能だ。しかし政府は業界団体からの圧力で規制緩和推進することは多くある。それはどちらかというとビジネス戦略としての規制緩和が多いので、特に保守系勢力からは眉唾に見られることは多い。しかし問題は規制緩和が良いとか悪いとかの問題ではない。要は高度な技術がいかに社会を豊かにするのか?という概念だ。

従って、技術の「規制緩和」は技術者しか判断できないということ。実際にその技術と規制緩和でどのような社会になるか想像することができるのも実は技術者しかいない。「以前、リーダは偉い人がなれたが現代は本当のプロしかタスクは振れない・・・」そんなことをとある企業の元会長は述べていた。

あの東北の震災の際に、残念な原発事故が発生したが天災が関連しているとはいえ、これは技術的な問題だった。しかし、それを直すのも技術者しかいない。政府がガイドラインだとか、地方行政がテキトーにカネとヒトを集めても原発事故の処理は技術者にしかできない。

震災当時、理系の総理である管さんだった(鳩山さんも理系)。しかし当時、あまりの国家的な危機というイメージが強すぎたのか(国民もそうだった)、政治的な動きをしたのが間違いだった。原発の専門家集団(専門技術者+各種技能者+補助員)を結成して、かれらに「全権委任」すればよかった。だって技術的な問題なのだ。だから専門技術者が対応して専門技術者が判断する・・・そして全体的なタスクもプロ(専門技術者)が対応する。それが最善も道だろう・・・。もちろん、それでも失敗することはある。しかし技術のない人が判断するよりははるかベターだ。


連作障害と社会
農業に従事されている方、あるいは家庭菜園などで畑を趣味にしている人(私もその一人)には常識である「連作障害」という現象がある。同じ場所に同じ作物を植えると生育が悪かったり、病害虫の被害を受けやすくなるというもの。ちょうど春になって様々な作物を植える際に気をつけなければならない重要なポイントだ。特に大量生産が目的の農業では、化学肥料や農薬を使用する。その場合に連作障害のリスクが高まる。逆に有機肥料や無農薬の場合は連作障害が起こりにくい。また生育に関して、過度な水や栄養補給は返って品質の低下や、免疫力(抵抗力)の低下も伴う。従って、どこまで手を加えてやさしくするか? あるいは、どこまで放置したり、厳しくするか?・・・農業って結構難しい。

いずれにせよ農業というのは、多かれ少なかれ人為的(強制的)な制御が伴う。また土の管理として長期的な計画が重要だ。かつて古代ギリシャや古代ローマでは長期に渡り農地拡大を行った。その結果、大地は乾燥して痩せた大地と変貌した。それが現在のギリシャやローマの風景にも反映されている。(古代のギリシャやローマはもっと青々としていたという) こうした現象は決して、地球規模の環境変動の問題だけではない。現代においても、過度の化学肥料や農薬は、せっかくの肥沃な土壌を劣化させ、長期的には痩せた土地に変化させる。 現代中国では様々な環境汚染だけでなく、そうした連作障害による土壌の劣化も進んでいる。まあ、あの毛沢東時代の「大躍進政策」での農業大失敗ほどではないが、似たような環境劣化がゆっくりとしかも着実に進行している。

さて、こうした連作障害のような現象は何も農業の世界だけではない。経済や社会にも似たような現象はある。例えば、最近話題の中国主導のアジア投資銀行、従来のアジア開発銀行、IMF(国際通貨基金)、世界銀行、そして各種ODA・・・こうした発展途上国への資金援助は農業でいうところの「化学肥料」に似ている。「カネは悪臭を放つが肥料になる・・・」という誰かの名言があったが、外国からの化学肥料のような資金援助で有効な肥料になるのかどうかは甚だ疑問であるケースが多い。

また物資の援助だって、かつてのアメリカの穀物援助はアフリカの農業を壊滅させたことは有名だ。つまり、資金援助は「化学肥料」、物資援助は「農薬」、そして結構厄介なのは技術援助だ。これは現地での技術開発能力を奪う。それは自己成長力や抵抗力(免疫力)が低下することを意味している。そして最も最悪のパターンが武器供与ということになる。このように同一地域において同じような資金援助、同じような物資援助、同じような技術援助を繰り返すことによって、現地の社会や経済が一種の連作障害を起こしているような状態になる。建前上の「人道支援」であったとしても、結果的には「麻薬中毒」になることは多い。

そういう観点で世界を眺めると、現代中国は間違いなく「麻薬中毒国家」、あるいは「連作障害国家」となっていると言えるだろう。また東南アジアやアフリカもどこかの援助がなければ成立しない「他国依存国家」と変貌している。輸出依存国家である韓国だってそうだ。そもそも欧米や日本の財界は現地を発展させるというよりは、「太らせて食べる」という性質が基本である。太らされる側も麻薬中毒のような状態になり、後戻りできなくなる。多くの東南アジア諸国が中国主導のアジア投資銀行構想に賛同するのは、すでに彼らが「中毒症状」を起こしているとも言えるだろう。・・・もう引き返すことはできないということだ。

一方でかつての日本のODAは比較的「自立支援型」のODAに拘り、有償援助が多かったり、紐付きではないケースが多かった。しかし、それが日本の財界に不利になるケースも多かった。そこで最近は日本政府ですら、他国同様の「太らせて食べる」という方針になりつつある。そして、ODAの個別の内容にしても様々な問題がある。仮に適正な経済援助してインフラ整備をしても、その後の手入れ(メインテナンス)を怠ると維持継続できないのは当然のこと。しかし現地の人々が公共物である鋼材製品を盗んだり、電線を盗んだり・・・そんなことは良くあることだ。仕方がないから再び外国の援助でインフラ整備して、また同じことを繰り返す。

そこで私はこのように考える。土地に対する愛着、自然への感謝・・・そうした精神がベースになければ、どれだけ発展途上国への援助をしても無駄であると。日本人だって、本当に発展途上国の土地に愛着を持っているなんてことはありえない。最近、多くのブロガーが主張しているように、あの中国主導のアジア投資銀行構想だって、日本は参加する必要はない。あの中国が現地のことを本当に考えるなんてありえない。中国人は中国の大地ですら愛着心なんてもっていない。そして「太らせて食べる」というより「太らさないで奪う」という結果になることも十分ありうる。

農業に関わる人たちが土地に愛着を持つように、そして連作障害が起こらないようににすること。そういう感覚って社会も経済も同じだと思う。だって・・・畑はホントに正直だもん。心を込めたら、心を込めただけ「実り」として返してくれる。しかも長期にわたって・・・。 それがすべてを物語っているように私には思える。


東洋ゴムの免震偽装
今日は4月1日エイプリールフール。ウソや偽装に関する話題を取り上げたい。最近、ニュースで東洋ゴム工業による免震ゴムの性能偽装問題が話題になっている。しかし実際には、国交省も「倒壊恐れなし」との見解を発表した。免震ゴムが変形する幅については様々な基準があるそうだが、結論としては問題ないとのこと。たしかにルール違反であるとか、性能偽装ということは由々しき問題である。しかし消費者にとって、あるいは社会にとって大きな問題でなければ、それほど騒ぐことではない・・・というのが私の見解だ。 どのようにして今回の問題が発覚したのか詳細の経緯はよく判らないが、少なくとも消費者の不安を煽り、東洋ゴムのイメージを傷つけたことだけが結果として残った。 

となると、これらの基準って何なのか?という疑問が生まれる。国の基準や各種ガイドラインというのは、必ずしも商品やサービスの安全や品質を保証するものではない。 私も技術者の端くれだが、うっとおしい法規とかルールというのはいくらでも存在する。建築基準、自動車の法規、放射能の基準だって、医療検査で行われる高血圧だって血糖値だって・・・品質保証や人命保証とは直接関係ない。特に医療検査の基準は医薬品業界に有利になっているという見方すらあるし、土木建築部材では過去の単品品質の実績データをそのまま基準にしている場合が多い。もっとも認可機関や法律家は技術的なスペシャリストではないので、所定の手続きを経て承認されるというわけだ。

何でもそうだが、法規とはただの線引きであって何かを保証するものでない・・・ということを理解していない人は非常に多い。まあ、一般の消費者はある程度仕方が無いかもしれないが、メーカ側もそういう理解が足らない人が多いのは驚きだ。はっきり言って、理解していないその多くは管理者(ゼネラリスト)であり、技術者(スペシャリスト)ではない。 管理者は技術的なことは解らないので「ルール」とか「ガイドライン」ですら絶対視する傾向がある。つまりシステム上での立場におけるリスクのみを気にしていると言うことだ。
 
例えば、一般的に建築物は役所に建築申請を提出するが、その際に「一級建築士のサイン」が必要となっている。それはどれだけ優れた二級建築士でも認められず、ボケた一級建築士のサインでも承認される。それが役所のルールだ。また、実際の施工状況がどうであろうが、申請内容が承認されるような記載であれば必ずパスする。従って、かつてのアネハ偽装事件のような出来事(申請時点での偽装)は摩訶不思議であるといえる。(⇒おそらく施工側か、デベロッパーに脅された?)

このように基準を満たしていないものが、実際には問題ないという事例は非常に多い。一方で各種認証試験に合格したはずの自動車や家電製品があとになって品質リコールが発生することが多発している。そして、そうした自動車や家電製品のリコール問題について各種認証機関に責任が及ぶことはない。なぜなら彼らは品質保証する存在ではないからだ。 役所は認可はしても製品保証は決して行わない。

本当の技術者とは、そうした法規や特許、様々な規制やガイドラインを心の中でバカにしながら開発するようなスキルが必要だ。軽自動車の660CC以下でギリギリにするとか、発泡酒の麦芽が何パーセント以下とか・・・そうした法規を小ばかにするような開発力が求められる。今回も実際に問題がないなら法規ギリギリで開発すればよかったのだ。また、よくガイドラインというものがあるが、技術力があればそんなもの無視すればよい。技術者にそういう「したたかさ」があればゼネラリストを見下すことが可能になる。 また工業界として成功することができる。

これって工業界、あるいは技術者の中では重要な考え方である。こういう考え方ができる会社とそうでない会社で勝負が分かれるといっても過言ではない。



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小室沢直樹

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「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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