理系おじさんの社会学
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古賀茂明って何者?
テレビ朝日系のニュース番組「報道ステーション」で、古賀茂明氏の発言が話題になっている。その発言内容は私にとっても多くの日本人にとっても、どーでもいい内容なので、あえてここでは詳細は触れない(他のブログ参照)。

それより、この人ってよく知らないけど、今何やって食っているのだろう。「元経済産業省官僚」という「肩書?」のようだが、元何々で食っていけるのは、元金メダリストとか、元横綱・・・とか、そうそう元プロテニスプレーの松岡修三氏なんて「元」なんてこと以上に現在も輝いている方だ。 元なになに・・・で食っていけるのはホントに限られた人物のはずだ。

一方で「元官僚」って何なのだろう。一般的にどこかに天下りするか、博士号持っていれば大学に勤務するというイメージはある。しかしテレビのコメンテーターなんて、どれだけの意味があるのだろうか?特殊な専門知識があって公平公正な発言ができれば多少は意味があるかもしれない。そもそも、どうやってコメンテーターに選ばれたのだろうか?

しかし実際には、コメンテータとしてのギャラだけでなく、誰かから「日当」貰っているのかなあ? なんて勝手な想像をしてしまう。 国会議事堂前で反原発運動やっている人たちは誰かから「日当」貰っているようだし。あの在特会と対立している「しばき隊?」も日当を得ているという。 結局、多くの「活動家」は日当で動いているのは揺ぎ無い事実だ。

古賀茂明氏が番組おろされて、日当も無くなったとしても「知名度」を上げ、次の活動につなげることはできるかもしれない。そして政府の圧力と対峙する・・・なんて一見してカッコいいこと言って、結局国民のために何ができたのだろう。

本当に古賀さん(もう古賀さんでいいでしょー)が国民のことを考えるなら、牛丼の「すきや」が人手不足なのでパートでもいいから仕事したらどうだろうか? 一国民として真面目に働くことができない人間は何言っても説得力はない。


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雑種は本当に強いのか
いよいよ桜の季節がやってきた。現在、日本で桜といえばソメイヨシノが有名。しかし、この全国に広がるソメイヨシノは「クローン(コピー)」であることはよく知られている。通常、微生物のように細胞分裂による増殖(クローン)する生命以外の動植物としては「クローン」は非常に弱いといわれる。たしかに何らかの環境の変化で一気に壊滅するリスクはある。しかし、ソメイヨシノは寒暖にも耐え、非常に強く生命力はある。

さて人間や動物の世界でもクローンとか近親交配するとどうなるかという議論がある。かつて人間でも「近親婚は病弱な子供が産まれる」とか「雑種は強い」という説があった。たしかに歴史上、近親婚を繰り返したことによるリスクとして、かつてのスペイン・ハプスブルグ王家のようなケースもあった。また、南米ではメスチソと呼ばれるアフリカ系民族と現地インディオ系の混血が体格的に強靭であるという説もある。

またイヌやネコのペットの世界でも、雑種は強いとか、可愛らしさと生命力とは反比例するとか表現されたことがある。人間でも「美人薄命」という言葉があり、その事実関係については定かではない。とにかく生命力としては雑草は強いとか雑木林は強いとか云われ、美しいものは弱いという日本人的な文化意識も混在して、雑種は強いというイメージは強かった。

しかし当ブログのカテゴリ「遺伝学と優生学」でも述べたが、人類の場合は長期に渡り同じ地域で「いとこ婚」を繰り返した民族は近親婚の弊害が少ないという論説があることを紹介した。また遺伝的な優劣は環境によっても異なり、異民族が異環境のもとで近親婚を繰り返すと優生とおもわれた特徴ですら逆に劣生となることがある。そもそも優生学上での優劣は便宜上の表現でしかない。最近のニュースでは、日本人のみが「海苔」を食して分解できる能力があるとかいう話題がある。それは長期間の環境適応による日本人独自の優生遺伝であるとも言える。

では、植物に関して目を向けてみる。日本では植物や野菜の品種改良が盛んだ。桜だってソメイヨシノだけでなく、もともと様々な品種があった。それがさらに品種改良された。また、種なしブドウとか、甘いイチゴとか・・・品種改良には様々な掛け合わせで長い時間を掛けて開発する。あの統計学者であり優生学者として有名な英国のロナルド・フッシャーは「実験計画法」を考案したが、現在でもそうした品種改良の試験に役立っている。

品種改良で新たに開発されるまでの経緯のなかで、様々な世に出回らない生物(品種)が生まれる。例えば、イチゴの開発の場合、商品になりそうにもない試作イチゴが多くある。それは全体の90%以上だという。つまり、ごくわずかに品種のみが新種として市場に出回ることになる。もちろん市場での商品価値を高めることが目的なので、生物としての強いとか弱いというのが全てではない。しかしイチゴの場合、輸送中に崩れにくいとか腐りにくいとか生物的な強さも求められる。

ここで興味深いのは、決して雑種だから強いとか、近親交配だから弱いという結果には必ずしもならないこと。遺伝とは、あくまでもランダムな方向性であることが解る。そして重要な要素は環境だ。例えば、水が多い少ない、日光が多い少ない。そうした要素との組み合わせで品種改良における商品性が決定する。こうした様々な条件を振ることは、四季があり気候変動の多い日本だからこそ可能であり、それにプラスして地道に開発する日本人技術者の気質によるところが大きいだろう。

雑種は強い。たしかにそういう側面もあるだろう。一方でオーストラリアのコアラは、弱い存在であるが故に生き残ったと云われている。それはかつてのオーストラリアの厳しい気候変動より多くの植物が絶滅して、それとともに多くの動物も絶滅した。従って、土壌も痩せてユーカリのような植物しか繁殖しなかった。そして、それをエサとするコアラが生き残った。

日本の場合も遺伝的要素というより、四季折々の環境下の中で様々な進化を遂げたといえるだろう。そして、美しい桜であるソメイヨシノもクローン(コピー)ではあるが、日本の環境が生んだ美しく強い存在であるといえるだろう。

まあ、そんな難しいことばかり考えないで素朴な気持ちで桜を眺める方がいいだろうが。


拒否反応とは?
「拒否反応」というと、一般的に医学的な用語としてよく使われる。例えば、異なる血液型を人体に輸血するとヒトは確実に死亡する。また同じ血液型であっても臓器移植については、拒否反応を起こすケースが多い。従って移植手術は血縁関係者や遺伝子が類似のタイプで実施すると成功率は高くなる。そして近年では、本人の皮膚等から培養したiPS細胞を利用して拒否反応を起こさずして移植手術の成功率を高めることが期待されている。

さて、こうした「拒否反応」はなぜ発生するのだろうか? 逆に生物学的に拒否反応が存在しなかったらどうなるか?例えば動物の場合、頭は昆虫、手足はヘビのような爬虫類、本体がヒトのような哺乳類なんてまるで「化け物」だ。そんなものが簡単に成立することはありえない。植物の場合では、別の品種で接ぎ木して育てることが可能なものもある。しかしリンゴの木にミカンが実ることは困難だし、松の木に茶葉を生成させることは不可能だ。つまり生物学的に共有できるか、できないか?ということが自然に判断されているということ。一方で共有できないものには「拒否反応」を示していると言える。

人間においても、それぞれの趣味趣向によて「より好み」や「選別」をする。逆に嫌いなモノや嫌いな事を避ける性質がある。子どもの頃は、「好き嫌いなく何でも食べなさい」とか「誰とでも仲良くしなさい」とか教育される。しかし、大人になれば好きな異性と結婚し、興味ある仕事を始め、好きな趣味に没頭する。これって自然に選別行動をして必要のないモノやヒトに対して多かれ少なかれ「拒否反応」を示して排除しているとも言える。

社会性のある動物や昆虫の世界でも、異なった品種の生物が混入すると攻撃することがある。人間社会においても移民族への攻撃は歴史上絶えなかった。また身近な社会では学校でのイジメ、会社でのイジメといった多数派が少数派を駆逐するような行動は多く観察される。これらは何を意味するのだろう?生物の本能?当然ながら人間社会では理性が伴えば無意味な差別やイジメは抑制することはできる。しかし生活が脅かされるような異民族の侵入やシステムの導入に対して一種の拒否反応を示すのは当然のことだ。例えばTPP交渉に農業関係者が反対したりするのも当然な拒否反応であり、「抵抗勢力」という表現は相対的に対岸に存在する立場の表現にすぎない。

このように「拒否反応」というのは医学界だけではなく人間社会にも間違いなく存在するものだ。それは生物学と同様に「何らかの秩序」を形成する自然のシステムとも言える。極端な表現をすれば、iPS細胞のように人間社会においても「類似、あるいは同一の遺伝子を持つ民族を移民として受け入れれば成功する」可能性が高いということ。確かにフランスでは同じキリスト教徒であり、人種的にも類似の存在である東欧からの移民にはある程度成功している。そうでない民族とは摩擦が絶えないことは言うまでもない。日本でも日系ブラジル人をはじめとして日系人だからこそ移民に成功している側面は否定できない。一方で朝鮮韓国系の移民とは100年経っても、どうしても融合できない事実も存在する。

ではこうした「拒否反応」は否定されるべきであろうか?ある勢力はそれが「差別、偏見」という解釈することもある。たしかに人間(いや生物全体)には本能的に異種異物に対して拒否反応を示す存在であることは間違いない。子どものイジメ問題のように無意味、不必要な差別は人間としての「未熟さ」を示しているのかもしれない。しかし生活が脅かされるということであれば、誰だって「拒否」する。そして時には戦う。それは当然のことだ。もし社会において「拒否反応」を否定したら、おそらく先に述べた「化け物」のような社会になるだろう。


シンガポール元首相
シンガポールの元首相であるリー・クアンユー氏が亡くなったというニュースがあった。91歳とのこと。シンガポールと言えば、戦前は英国の植民地だった。その後、日本の占領下を経てマレーシアとして独立した。当時、英国は再び元の植民地として戻そうとしたが、マレーシア国民に反対された。その経緯を知るとおもしろい。1941年12月8日、あのハワイ真珠湾攻撃と同じ日にシンガポールを攻撃した日本はあっさりとシンガポールを占領した。

当時、シンガポール人(ほぼ華僑)は義勇軍を結成して英国軍とともに日本軍に対抗しようとしたが、英国軍はあっさり拒否。そして、あの山下泰文との会見後に現地を見捨ててオーストラリアへ逃げてしまった。そしてシンガポール人は中国国民党を支援して日本軍に対抗しようとした。当時、日本軍はマレー系住民やスルタン(マレー系王族)を保護したため、彼らマレー系は歓迎した。一方で華僑系は日本軍の監視下に置かれることになった。 

そんな中で華僑系の頼みの綱だった英国軍はさっさと現地を見捨てて逃げたのである。その後、日本がアメリカに敗北した後に英国軍が再びシンガポールに訪れて、「英国軍がここを守る」と宣言し、再び植民地にするような行動をとった。さすがの華僑系の住民もこれには納得できず、マレーシア独立へと進んでいく。

しかしシンガポールは華僑系は過半数、マレーシア全体ではマレー系が過半数ということでシンガポール人(華僑系)がマレーシアで主導権が握れないという理由でシンガポールが1959年に独立することになる。そこでリー・クアンユー氏が首相になった。その後、貿易や金融の拠点として香港と同様の発展を遂げることになる。現在では英語を公用語として、国際貿易国家として成り立っている。最近では他の新興東南アジア諸国に押され気味である。

こういう国家は貿易で成立している。日本とは全く歴史が違い、価値観も違う。私も何度もシンガポールを訪問したことがあるが外見では東京や大阪と変わらない。しかし中身は違う。基本的には華僑系の移民国家だ。おそらくグローバリストはこのような国を理想としているのかもしれない。もちろん観光地としてもショッピングとしても人気が高い。しかし、中身をよーく知ることは重要だ。


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木村太郎の学歴差別発言
福井県勝山市で大学院生が先生(特命准教授)に殺害される事件について、テレビ番組『Mr.サンデー』に出演している木村太郎が「学歴差別発言」をしたとのことで話題になっている。しかし、木村太郎は統計データを用いて事実を発言している。一方でこの記者は「貧困によるもの」と格差問題を強調しようとしている。

実際に、低学歴は高学歴より犯罪率が高いのは事実のようだ。また貧困層が富裕層に比べて犯罪率が高いのも事実だ。こういう分析はいわゆる「統計からの比較論」である。となると、この記者は同じ統計データから選択している、あるいは優先順位?を付けているとも考えられる。データとは先ずはフェアな見方からスタートしなければならない。結論ありきのデータ分析はそれこそ偏見に満ちたものになる。

当然ながら統計データがあっても、例外(あるいはバラツキ)というものが存在し、高学歴でも犯罪者になる人もいるし、貧困層であっても犯罪もなく立派に社会貢献している人は多い。個別の事例を細かに挙げればキリはない。まあ今回も統計的には個別の事例にすぎない。しかし、そもそも母集団である日本の人口全体からみれば犯罪者になる割合は非常に少ない。貧困層だって、過半数以上は普通に真面目に生活をしている。

少し見方を変えると、貧困層だから犯罪者になったという表現は不適切だ。なぜなら日本の場合、貧困層の大多数は真面目に暮らしているから。よく在日だから、とか被差別部落民だから=貧困層=犯罪は仕方がない・・・そして社会が悪い、政治が悪いという表現は強い違和感を感じる。よく犯罪者の言い訳に利用されることが多いのも事実だ。もちろん社会全体で景気の底上げをして、失業率低下は犯罪率の低下にもつながる。しかし、どんな社会情勢であろうが犯罪する人物は犯罪を犯す。どんな経済対策を政府が講じても働かない人物は働かない

私は基本的に「知性と人間性は比例する」と考えている。それは「高学歴」という表現でなく「知性」という表現を私はあえて使いたい。それは低学歴であって多くの高級職人(プロ)の方は、高い人間性を持っているからだ。つまり何故ヒトは勉強したり訓練するのか?それは自身の生活のためであり、社会貢献のためだ。福沢諭吉の「学問のすすめ」では、学ぶか学ばざるかで人間の価値が左右される・・・だから学問をすすめる・・・というのが本論だ。たしかに社会の在り方やマクロ経済がどうかということは重要ではあるが、国民一人ひとりが様々な知性を養うことを心がけることが重要だろう。 

知性を養い、日々の生活や仕事に真面目に従事しているヒトは「恨み」や「妬み」なんて持っているヒマはない。もちろん真面目にやっても報われない社会であるならば是正する必要はあるだろう。教育訓練の機会をすべてのヒトに与えるべきだろう。つまり教育や訓練は犯罪率低下に貢献するというのは事実であり、それを差別と断定して貧困層や低学歴者の犯罪を擁護するような姿勢こそが、「偽善」であり、「偏見」の確信犯であると強く主張したい。


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庭園文化
昨日、庭園の関するおもしろいニュースがあった。アメリカの韓国系市民団体による「韓国庭園」建設運動が米シカゴで起きている(産経新聞より)という。記事によると、日本庭園は世界各地に約500カ所、中国庭園も約70カ所あるが、韓国の庭園は約10カ所に過ぎないのが実情だという。それを韓国人が悲しみ?「日本の美しさ羨む?」との表現されている。

そもそも韓国に庭園文化は存在しない。木は邪魔だから切ってしまえ・・・というのが韓国の文化だ。にもかかわらず、10ヶ所も世界にあるとは不思議だ。世界で庭園と言えば、日本庭園はもちろんもこと、イスラム庭園、フランス庭園、英国庭園、インド庭園も有名だ。中国でも4大庭園というものが存在するが、いずれも庭園というより自然そのままという感じだ。まあ、あれだけの中国の大気汚染、土壌汚染、水質汚染があれば伝統的な中国庭園ですら衰退する可能性は高い。

韓国や中国の話題はさておき、世界の庭園はそれぞれ特色がある。フランス庭園は幾何学的、英国は自然活用・・・近年日本でもイングリッシュガーデンはハーブや草花を活用するガーデニングとして人気が高い。私もカーデニングや家庭菜園を趣味の一つとしている。しかし夏場の湿気の多い時期にイングリッシュガーデンを試みても虫(特に蚊)のパラダイスになって大変だ。かといってフランス庭園を日本で応用すると、夏は暑いし冬は寒くなる。その点、日本庭園は高温多湿と四季折々の景色に適応して非常に良い。景観だけでなく、夏場は中庭の石に打ち水するだけで家中に風が通るという粋な仕掛けがある。また冬場の乾燥を防ぐ役割も果たしている。日本庭園ってホントによくできている。

やはり、それぞれの国における風土や文化に応じた庭園があると考えるとおもしろい。自慢ではないが(少し自慢?)私も小さいフランス式庭があり、実家には古い日本庭園がある。庭がある家は本当に楽しい。私も子供の頃から、庭で何となく瞑想することが好きだった。もちろん庭がない家庭でも大丈夫。京都の庭園を見て感動することもできる。盆栽だって小さな庭園の世界として楽しむことができる。

しかし、日本庭園も良い事ばかりではない。それは手入れが大変だからだ。100坪程度の庭で庭師に手入れを依頼すると数日で数十万円掛かる。手入れの仕方もランクがあって上限はキリがない・・・でもそれくらい愛情がなければ維持できないというわけだ。逆に数年放置するだけで庭園は簡単にジャングルのように荒れ果てた土地に変化する。よくビギナーがガーデニングを始めたはいいが、維持管理がたいへんなので継続をあきらめる人も多いらしい。

そうそう、日本庭園と言えば、北陸新幹線が金沢まで通じて兼六園が人気のようだ。兼六園は京都の庭園とは少し違った北国の色彩がある。大雪で樹木が倒壊しないような独特の工夫がある。でもやはり維持費もたいへんだろう。それでも維持することは大きな意味がある。しかし、その大きな意味はすぐに誰でも理解できるわけではない。

あのエリザベス女王が日本に来日した際に京都の古い庭園で「私には解らない・・・」という素直なコメントを述べている。それは下手に「よく解る」なんていうより良いだろう。だって日本庭園って、ちょっと見てわかるものではない。生活の一部として、あるいは季節ごとに感じるものがあるから。それは日本に住んで初めて理解できることかもしれない。 

昨日のブログで紹介したあの「竹取物語」も「源氏物語」もこうした日本庭園や自然環境の存在があってこそ名作として生まれたような気がする。もし、美しい自然環境や芸術の無い環境で考え事をしてもタダの「妄想」にしかならない。しかし日本庭園のような芸術的な空間で「瞑想」すると何かが違う。そう「妄想」と「瞑想」は似て非なるものだ。ドビュッシーの名言「芸術は最も美しい嘘」というのがあるが、芸術の中での「瞑想」は時代を越えて人々の心を豊かにしていることは間違いない。もちろん、瞑想だけでなく現実との行き来の中でバランスを維持しているのが人間社会だ。

まあ、そう考えればどこかの人々のように国の面子だけで庭園をつくろうとしても限界があるだろう。まあ、そんな話はどうでもいい。 春はそこまで来ている。今週末には心を込めて庭の手入れをしよう! 運動不足解消にもなるしね。


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かぐや姫の物語
先般、民放テレビで高畑勲監督のアニメ「かぐや姫の物語」が放映され、私の娘に薦められて一緒に見た。まず独特の色彩で数ヵ年掛けて製作されたとのことで、その根気と情熱に感服した。

内容に関しては、原作(竹取物語)にそこそこ忠実に書かれている。(不老不死の薬の場面などは無かったが・・・) この原作については様々な物語がミックスされているとも言われているが、まとまりもある。

竹から産まれたり、急成長したり、月に帰ったり・・・非科学的な部分もあるが、5人の貴公子のうち、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物で、車持皇子は藤原不比等といわれ、石作皇子のモデルは多治比嶋と推定されている。また当時の帝(ミカド)が登場したり、右大臣や大納言という言葉は当時の役職(地位)であることはいうまでもない。

こうした物語は様々な「謎解き」の試みある。例えば、作者は紀貫之で当時の藤原氏に反発していたとか説も有力だ。しかし、それよりも主人公である「かぐや姫」が絶世の美女であり自由奔放な女性であったこと。そして五人の貴公子をもてあそんだ。さらに挙句に帝と接近しそうになって(藤原氏に)追放されたという事実があったかもしれない。月に帰ったのではなく追放されたというのが私の解釈だ。

つまり絶世の美女は恋愛の自由がなく、そして帝(ミカド)も恋愛の自由がなかったということ。そして、その当時から、皇后、中宮、女御は藤原家から、それが後の五摂家(近衛、一条、二条、九条、鷹司)と繋がっていく。この物語の時代背景は天智・天武天皇のご時勢といわれ、この作品が成立したのは平安初期と言われている。

このアニメでは帝は何故かアゴの長いワガママな人物のように描かれている。しかし原作では帝はかぐや姫を惜しみ「不老不死の薬」を求めるシーンがある。つまりこの物語は、美しき美女と帝が孤独な存在となっている様を憂いた・・・とする方がしっくりくる。当然ながら「不老不死」は徐福伝説を思い浮かべるし、羽衣は余呉湖の「羽衣伝説」を思い浮かべる。またチベットにも類似の物語があるという。

しかしこの物語は紛れもなく日本の物語であり、当時の宮中の様子、そしてこの物語があの源氏物語へとつながっていくように思える。 まあ、私の勝手な解釈だが、詳しい方おられたらコメント宜しくお願いします。


「木を見て森を見ず」は正しい
よく世間では「木を見て森を見ず」とか「胃の中の蛙(かわず)」という言われ方をするが、これらの言葉はネガティブなイメージが非常に強い。なるほど確かに何か小さいことだけに拘って、大きなことを知らないことは愚かなことかもしれない。しかし私は昔から「大きなことを知る人ほど小さなことを知っている」と思うことが非常に多かった。それは何故だろう?たとえば、街の古い豆腐屋さんや職人さんは世間を語るときに結構正論を口にしていた。一方で(一部の)学校の先生やPTAの担当者はどこかズレていると感じることが多い。

さて近年になって、あの山中教授のiPS細胞をはじめ、様々な遺伝子研究が進んだ。そして昨日のニュースではガン患者の匂いを「せんちゅう」が判断する最新研究とか、何やら小さな物質や小さな性質で大きなことを知ることが注目されている。こうした考え方は最近にはじまったことではない。例えば、金属のミクロ組織を制御することで全体の構造物の強度を保持することは重要な技術だ。また小さないくつかのサンプルを計測して母集団(全体)を知ることは統計学の基本中の基本であり、科学技術の発展とともに統計学が果たした役割も大きかったことは疑いのない事実だ。

一方でマクロ経済学のようにミクロ経済では説明できない要素を考えたり、ニュートン力学と量子力学を比較することも学問的にも実学的にも有効であることは近代文明が証明している。しかし、一般的に会社経営を考える上で「資本金がどれくらい」とか「従業員がどれくらい」とかいう議論は何となく「ふーん」で終わってしまう。国際関係でも「GDPがどれくらい」とか「人口がどれくらい」という議論は、それだけでは何の議論にならない。株価や利益率といった数字だって結果として重要ではあるが、それを見て「だれそれがどうした」という議論にはすぐには到達しない。

ある一人の人間を見て、その人の遺伝子を勝手に想像することはできても科学的に推定することはできない。しかしある遺伝子からその人の病気の可能性や性質を推定することはできる。つまり、木を見て森を推定することはできても、森を見て木を想像することは困難であり、仮に想像できても経験則によるもので科学的な推定ではない。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言われるが、私は経験に学ぶ人を決して愚者とは思わない。しかし時代の流れとともに経験が生かされないこともある。歴史が科学的な統計の集大成だとするならば、それに学ぶことは賢者といえるかもしれない。

人間社会で関係しうる範囲(スケール)をどの程度に設定するかは色々と議論はあるだろう。少なくとも人間一人の単位(次元)で考えた場合、とにかく「ひきこもり」と言われてもいいから何かに集中して訓練や勉強すれば、広い世界が見えてくることは間違いない。これは私自身の経験でもある。一方で無知無力でグローバル社会に飛び込んだりしても世間に埋没するだけのケースが多い。また個人の力量が乏しい人がひたすら「しくみ作り」や「システム設計」することは法的優位性やビジネス戦略の一つとしてはあり得るかもしれない(アメリカのTPP戦略のように)。たしかに技術力だけではビジネスに勝てないとか、そういう議論は正しい。がしかし技術力がなくシステムつくりに情熱を注いでも大した成果は生まれない。

本当の素直さや謙虚さというのは「木を見て森を知る」という精神のような気がする。逆に「胃の中の蛙」という言い方は腹の中にある乳酸菌に失礼であり、どこか傲慢さを感じる。そう、上から目線なのだ。成功者の多くが素直さと謙虚さを持っていたことに説得力がある。そして、私が子どもの頃から感じていた「大きなことを知る人ほど小さなことも知っている」という理由が大人になって何となく理解できるようになった。こういう考え方って様々な分野でも同じことが言えるのではないだろうか?


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メルケル首相は何故来日したのか?
メルケル首相が来日して安部総理と日独会談したが、一体何の目的できたのか?ニュースでは今年のドイツでのサミットの前準備との情報が多いが、私は以下の三点であると考えている。

①ロシアと接近するな! と言いにきた。 (鳩山元首相のクリミア入りも知っていた?)

安部首相はどう思っているか定かではないが、戦後70年経って今だに平和条約を締結していないのはロシアだけであり、何とかロシアとの関係改善を模索している勢力が日本に存在することは事実だ。北方領土問題と絡めて、ロシアの資源価格低迷の影響もあり、互いに接近する可能性が水面下で活発になっている。

②脱原発するようプレッシャー

脱原発を推進するドイツにとって、原発事故の当事国である日本が原発活用を維持する行動はドイツ内政としても「やりにくい」状況であることは間違いない。またドイツの思惑としては、国内的に脱原発と主張しながらロシアとのガスの供給や経済活動を有利に進めたいと考えている。そこで日本が脱原発に傾かずにロシアと接近することはドイツの国益に反するということ。

③日銀金融緩和へのプレッシャー

そもそも安部政権の当初からドイツが気に入らないのは日銀の金融緩和だ。欧州でユーロで主導権を握るドイツにとっては目障りな存在であることは間違いない。実際にドイツは世界経済低迷の影響というか、中国への輸出が低迷しており、それらの諸悪の根源は日本であるという認識は強い。

しかしメルケル首相が述べたように「様々な問題はあるが、日本は共通の価値観を持つ」との認識がある。日本(安部首相)もそれに同調した。つまり、韓国や中国と違って法の支配と民主主義を共通の価値観があると認識している。しかし「様々な問題はあるが・・・」というのはドイツの立場であり、日本の立場ではない。今回、メルケル首相は天皇陛下との会見はしたが、東京大空襲の慰霊の日である3月10日、そして東日本大震災の3月11日も日本に対する配慮は見受けられない。つまり、日本の事など然程考えていない。とにかくドイツの国益のために来日したということ。また韓国人が考えているようにドイツ人は歴史について今更どうこう考えていない(マスコミはクローズアップしすぎ)。まあ、しかしそれが普通の国というところだろう。おそらく安部首相も日本の立場を主張したと思われるが・・・。


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韓国人の思想は国際化できない
昨日に引き続き韓国の話題にする。あれほど反日で反安部政権の韓国だが、彼らが決して主張しないことが一つある。それは「日韓断交」だ。この日韓断交は何もあの在特会だけの主張ではない。多くの日本国民、とりわけ多くの日系企業も「脱韓国」「脱中国」が本音である。私の勤務するグローバル企業もそうだ。しかし、様々な事情があって仕方がなく関わりがあるだけだ。

しかし何故に韓国人は日韓断交を主張しないのか? それは日韓友好を旗印にすれば「友人」となって日本へ「ワガママ」が言える・・・という思想があるからだ。この思想は中国人もそうだ。彼らは「友人同士の壁を作ってはいけない」という思想がある。それは友人だけでなく親族関係も同じだ。借りたカネは返さない。勝手に友人の家の冷蔵庫のモノを食べる。約束はやぶってもいい・・・何故って「ともだちでしょ」・・・という考え方だ。

日本では「親しき中にも礼儀あり」という思想があるし、欧米人も個人レベルの財産やプライバシーは重視する。がしかし多くの中国人や韓国人はそうではない。「だってともだちでしょ!」だから、小さい島くらい、仏像くらいいいでしょ・・・というワガママが通じると考えている。この民族的思想のギャップはあまりにも大きい。また一度友人になったら絶交することはゆるさない。「来るもの拒まず、去るもの拒む」という不逞ヤクザや新興宗教の思想に似ている。・・・だから彼らは日韓断交は決して主張しないのだ。

かつて日清戦争の頃の日本は、清の属国だった李氏朝鮮から「朝鮮帝国」として保護国として、いずれはアジアの優等国として独立してほしいという思想があった。あの福沢諭吉だって開明派(韓国では売国奴)である金玉均を支援していた。しかし当時の朝鮮人全体としては自立心はなく、どこかの大国に依存することを望んでいたのは事実だ。そして現在でも韓国は軍事的にはアメリカに経済的には日本に依存して、またサービスやエンタメも日本を模倣して成長した。そして同時に彼らはアメリカや日本を「友人」と考えて、友人に対して何でも「ワガママやってももいい」と考えてきた。

時代は流れ現在では、アメリカも日本もこうした韓国人の思想に嫌気がさしたといっても過言でない。しかし韓国人は自らの思想は正当であると信じて世界に向けてプロパガンダを実施した。最初は「ふーん」といって多くの人々は耳を傾けたが、よくよく考えるとバカバカしくなってきた・・・というのが事の真相だ。あのアメリカのシャーマン国務次官の発言もそれを象徴している。ところが韓国は「アメリカが日本をひいきする」とか「日本のプロパガンダの成果だ」とか相変わらずズレた発想しか生まれない。これは民族性から発生するズレだ。

日清戦争からすでに120年が経った。本質的に朝鮮韓国人は何も変わっていない。どれだけ韓国人が頑張っても韓国人の思想は国際化しない。前回のブログで、それは民族の遺伝子組み換えでもしなければ治らないと私は述べた。もうひとつ付け加えたい言葉がある。それは日本人の「おひとよしさ」も遺伝子組み換えでもしなければ治らない。このズレはずっと続く。我々の世代で改善されることはない。いくら地政学的に近所であろうが、断交するのが正しい。福沢諭吉だって私だって韓国のために色々と努力(私の場合は仕事で)してきた。しかしマクロな観点で韓国が日本と日本人のためになったことは一度もないし、これからもないだろう。

それにしても「だって友達でしょ!」 これほど恐ろしい言葉はない。日本でもイジメをする人間は「仲良くしようぜ」とかいってイジメのターゲットを絞って接近する。オレオレ詐欺だって親族や友人のふりをして相手のカネを狙う。結局は、仲間意識と血縁選択性を利用して、更にそこから逃げ出せないような状況(尼崎連続殺人もそうだ)つくりを必死になって実行する。そういう人間の遺伝子は日本には不要だ。そりゃー中国や朝鮮韓国では歴史的にその思想が必要だったかもしれない。だからそういう思想はそういう場所で実行すればいいわけで、日本は謝絶するのが一番よい。

かつて福沢諭吉はあの脱亜論の最後に「・・・心の中で謝絶する」で締めくくっている。ここでは「心の中で」ではなく国家として断交すべきだろう。断交といっても一般人は何も心配いらない。あの台湾とも日本は今でも国交は断交している。しかし民間交流はある。韓国人だって日本人も人的交流はあるだろう。国家レベルの付き合いをしなけりゃいい。当然ながら首脳会談なんて必要ない。本当の意味での「脱亜」をこれから本格的に推進させるべきだ。

韓国はもう発展しない
約1週間の韓国出張も終わり、無事日本に帰国した。いやーしかしまあ韓国滞在中に様々なニュースがあった。日本でもかなり話題になっていたらしいが、韓国でもテレビや新聞で特番を組んで報じていた。

1.シャーマン国務次官の日中韓の歴史認識問題に関する発言

2.日本の外務省ホームページの更新(・・・共有の価値観・・・削除)

3・ 在韓国アメリカ大使へのテロ行為

1と2は実にくだらないニュースなのに何故か韓国人だけが騒いでいた。私はハングルは読み書きできないので英語の新聞記事(KOREA TIMES)を読んだ。慰安婦問題について「So called Comfort Women」として「so called・・・:いわゆる」と付けたり、吉田清治は「Fabricated story:作り話」と・・・ここまでは良いのだが、・・・しかし「Revisionist :修正主義者」とか、「Murayama Statement:村山談話」とか「Kono Statement:河野談話」があるので・・・という表現がある。ここで気になったのはやはり「Statement」という表現。どちらかというと「Statement」は談話というより「声明」と一般的には訳されることが多い。つまり、これが話をややこしくしている一因であることがよくわかる。つまり韓国人にとって一度「声明」として認めたことを否定するということが許せないという発想なのだ。あとでどんな理由を付けても一度謝罪したことは永久に変わらないというのがシナ人や朝鮮人の民族的な特徴なのだ。おそらく、この症状は遺伝子組み換えでもしなければ治らないだろう。

そうとは知らなかった日本の河野談話と村山談話もやはり積み深い。しかし一般の西欧人は違う。シャーマン国務次官はまともな人物だ。彼女は特定の国を名指ししたわけでもない。しかも韓国は、日本とも中国とも戦争していない。ホントに韓国人はどこか狂っている。たしかにインド人だってアフリカ人だって東南アジア人だって、欧米に反感を抱いている人々も多くいるだろう。しかし70年以上前の歴史認識で旧敵国にユスリやタカリするような国家はシナ朝鮮人以外に存在しない。しかも、その内容が「作り話」が含まれているとしたら嫌われて当然である。・・・それで「共通の価値観」なんてありえない。そして共通の価値観でないと日本人が判断することに韓国人が必死で反発する意味が理解できない。

それにしても上記1と2はバカバカしいニュースだが、3は重大な事件だ。大使といえば国家そのものであり、アメリカを代表している人物に襲いかかるとはシャレにならない。しかし、この事件について北朝鮮は絶賛しているのが興味深い。つまり、かつて伊藤博文を暗殺して「安重根」と同じ扱いということ。さすがにパク・クネはこうしたテロ行為を非難したが、韓国人も北朝鮮人と同様に、この犯人に同情している感じがする。なぜなら韓国のニュースではこの事件については、大々的に報じながらも極めて冷静な報道をしているからだ。いつもの「火病?」が見受けられない・・・報道は極めて冷静だ。

まあ、たった一週間で韓国の韓国らしさを感じた出張だった。一方、仕事の方は・・・これはさすがに詳細記事にはしない。しかし通常の観光旅行ではなく、仕事でこの国を訪れると様々なことが解る。つまり韓国という国は「腐った精神」を核として外見を綺麗に着飾っているだけということに気づく。日本では、柔道や相撲の世界で「心・技・体」という言葉があるが、この「心」という核のようなものが存在しない。例えば中国人女性がアメリカで出産して子供にアメリカ国籍を得ようとしたり、韓国人が売春目的でアメリカやオーストラリアに移住する・・・。それは「人の褌で相撲を取る:ひとのふんどしですもうをとる」が正に当て嵌まる。また、「ひとの弱みに付け込む」「火事場どろぼう」のようなところも韓国人には存在する。

なぜそうなるのか?やはり核となる「こころ」が存在しないからだろう。柔道や相撲だけでない。製造業だって料理だって何だってそうだ。核となる「こころ」がなければ、自己発展はできない。いくらカネやインフラを整えても発展できない。韓国は戦後、軍事的にはアメリカの援助で、そして経済的には日本の援助があったから発展した。もしアメリカも日本も一切援助しなかったら李氏朝鮮時代に逆戻りだろう。それは北朝鮮の「思うつぼ」かもしれない。しかし、そのほうが韓国のためかもしれない。無理して背伸びしても、地に足着かない、腰がすわっていない・・・つまり、現在の状態はあまりにも不自然な状態ということだ。それで周辺諸国に迷惑かければ何のための援助だったか解らなくなる。そういう意味ではアメリカも日本の朝鮮半島で罪つくりだったかもしれない。

彼ら韓国人がアメリカや日本とは断絶して、北朝鮮と一緒に統一する。貧しくても汚くても、それで彼らが満足すればそれでもいいだろう。それは朝鮮半島の人々が決めることだ。いやそういう決意すら韓国には存在しないだろう。混乱はこれからも増すだろう。


マイケル・ヨン氏の記事
いわゆる従軍慰安婦問題に関してアメリカのジャーナリストであるマイケル・ヨン氏の記事が話題になっている。昨年末にあのケント・ギルバートさんのブログでそれが翻訳文になって紹介されている。タイトルは「第二次世界大戦中、韓国人男性が臆病者だったとでも言うつもりか?」。私がよく訪問するブログ「山岸教授の日英語サロン」でも詳しく取り上げられています。

いわゆる従軍慰安婦問題に関する真実が、ゆっくりと着実に世界に広がっているのが解る。マイケル・ヨン氏の記事は特に私にとっては目新しいものではなかったが、アメリカ人ジャーナリストが記事にして、アメリカ人であり日本でも有名人であるケント・ギルバート氏が紹介していることの意義は深い。どこの国でも自国民の擁護をするのは当然であり、日本人(特に男性)がどれだけ真実を叫んでも「自己保身」と受け止められることが多いからだ。

歴史修正とは、戦後直後から行われていた。ある団体は70年経って、真実を見直して理解を深めることを「歴史修正主義」とレッテルを張ろうとするのだから極めて滑稽な話だ。とにかくこの問題に関して、真実が明らかにされること極度に嫌う勢力が存在する。彼らの精神構造はどうなっているのか不思議でならない。とにかく論点をずらす、強制連行が否定されると強制性を強調する。20万人を否定されると、韓国だけでなくアジア全体であると主張する。もちろん、その内訳を具体的な数字で示すことはない。すべては数字ではなく想像の世界だ。

こうした勢力はインターネットが普及して、世界的な潮流にあせりを示しているとも言えるだろう。とにかく彼らが「うそつき」呼ばわれされれば、今後の彼らの仕事や社会的地位を失う。しかし、以前から私は主張していることがある。それは彼らも騙されたということ。多くの人々は騙されたということ。韓国人も騙されたのだ。そして日本人の敵は日本人だったということ。

戦後70年の総理談話がどうとか話題になっているが、もうこれ以上、自虐史観を持ち続けることは誰の得にもならない。カネと名誉が欲しければ、真面目に勉強して真面目に仕事をする・・・これにつきる。



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「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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