理系おじさんの社会学
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人工妊娠中絶と社会
このテーマをいつかは取り上げなければならないと考えていた。当ブログでは何度か少し取り上げたことはある。しかし本格的に取り上げることはなかった。それは、優生学と同様にあまりにもタブー視される内容だから・・・。優性学(当ブログ:カテゴリ「遺伝学と優性学」参照)に関しては、近年になって改めて議論されることも多くなった。しかし宗教、倫理上、この問題で取り上げることは難しい。しかし、あえてこの問題を直視して深堀したい。

現代の中絶の主な理由は、①親の都合 ②経済的理由、この二つが圧倒的多数とのこと。そもそも日本では「人工妊娠中絶」は、特殊事例である「強姦による妊娠」や「妊婦の健康問題」を大きな理由として「優性保護法」の下で特別に認められるはずの処置である。しかし強姦による妊娠と中絶で20万件にもなるわけがない。これほど多いのは「拡大解釈」しているに他ならない。実際には若年層だけではなく、40歳以上の女性が多いようである。それは高齢出産の肉体的、経済的リスクを考える?あるいは世間体を気にする?自己の生活を妨害したくない?・・・そうした様々な理由があるようだ。

以前より、私は少子化問題と関連して「人工妊娠中絶」の実情を直視して社会的に対策を打つべきと述べてきた。日本の厚生労働省の統計によれば、2008年に日本で行われた人工妊娠中絶は約24万件とのこと。1955年には約117万件、1965年では約84万件という。減少傾向にあるとはいえ、驚くべき数字だ。

件数が多いとはいえ近年減少している要因は、「経済的理由」に対する効果であると考えている。50年前と比べて社会的に子育て支援が拡充している(出産一時金や児童手当も拡充している)。つまり貧困でも子育ての将来設計が比較的容易になったことも大きな要因である。前回のブログで述べたように江戸時代にすでに「間引き対策」は一定の成果を上げていた。かつて自民党は民主党政権時の子供手当を「バラマキ」と非難したが、継続すれば一定の効果は現れる。

一方で、フェミニストは「人工妊娠中絶」は女性の「産まない権利」だと主張する。以前の当ブログでも述べたが「タイの代理出産問題」では、「鬼畜男性の人身売買行為」であり「女性たちはカネを貰って出産する」と非難しながら、「女性たちはカネを払って命を奪う」は肯定する(しかも年間数十万件である)。明らかにフェミニストの主張は矛盾している。しかし先進国では、この「産まない権利」という考え方は一般的に普及している。しかしフェミニストの思想は、貧しい社会の「間引きの風習」とは似て非なるものだ。

それにしても中絶が年間数十万件とは驚くべき数字だ。最近の日本の移民計画では年間数十万とかの議論があるのは「不条理」に感じることは当然といえるだろう。。単純計算で現代の日本人成人女性(全妊娠)の四人に一人は人工妊娠中絶を経験していることになる。もちろん、そんな事を公言する女性は少ないだろう。なぜなら、そこには罪の意識と世間体があるからだ。

多くの人工妊娠中絶の経験のある女性は罪の意識を感じている。中にはノイローゼになって自殺する女性もいるらしい。私は、フェミニストの思想に全面的に賛同する気持は全くないが、「終わったことは仕方がない」、そして「その子は神にお返しした」・・・というように昔の日本人のように「自己説得」すべきだと思っている。私は、終わった事を責任追及する気は毛頭ない。罪の意識と世間体を気にするのは、そういう社会の雰囲気があることが影響している。

ただ私は、フェミニストの「権利だ、権利だ」という主張には違和感を感じる。そこには社会を犠牲にしてでも、利己主義を貫き通す思想が見え隠れするからだ。「そういう思想に一般女性は決して惑わされていいけない」・・・それを私は強く主張したい。そもそもフェミニストは結婚、出産そのものを否定している人々が多い。「妊婦の中絶権利の主張」は実は嘘であり、幸せな女性に対する嫉妬心が根底にある場合が多い。その証拠にフェミニストは独身女性が圧倒的に多数派である。

ただし、私は妊娠中の羊水検査等による「胎児の障害有無の確認」とそれに伴う「人工妊娠中絶」には肯定的である。よく「命の選択」という議論になり、日本や欧州では否定的な意見が多い。しかし、障害のある子供を育てるということが社会や家庭にどれほど影響を及ぼすか? 当然ながら頑張って育てる人たちも存在する。だからといって産んで育てることを強制されるべきではない。それは現実を知らないから「理想論」に走るのである。

実際に重い障害児を産んでも悲観して親子ともども自殺するケースも珍しくない。一方、障害福祉には莫大な予算もかかっている。しかし予算があるからといって「女性の心のキズ」は完全には癒されない。私は現場でそういう人たちを多く見てきたが並大抵の苦労ではない。そして、彼女らは必ずこう言う「産まれてきてくれて、ありがとう」って、ホントに胸が痛くなる・・・。そうやって「自己説得」して努力する・・・もはや、それしか道はない。しかし、周りのサポートには敬意を表するとともに「生かされることの苦悩」も感じざる得ない。当然ながらそうした人たちの前では「命の選択」は禁句(タブー)になる。・・・だから議論も難しくなる。

しかし冷静に考えれば解る。そして歴史的にも考えれば社会的、家庭的な多大な負担は明らかだ。そして、それは今も昔も変わらない。現代社会では、産まれてからの間引き(子殺し)は「殺人」としての犯罪と認定される。従って、それに代わる方法は「人口妊娠中絶」しかない。しかし、だからといってフェミニストの主張するように一方的な「産まない権利」には賛同できない。事はそう単純ではない。乳幼児の自然な死亡だけでなく、こうした障害に伴う中絶も「神へお返しする」・・・そのような古来の日本人の精神があっても良いのはずだ。そして七五三の意味を改めて知るべきだ。障害を乗り越えて・・・とか、健常者も障害者になることはある・・・とか色々と反論は多くあるだろう。しかし綺麗ごとだけで、豊かな社会が形成されるわけではない。

どうも、フェミニストにせよ、各種人権団体にせよ、「女性の産む義務」を主張する保守系グループにせよ、「身勝手な論理」をしているとしか思えない。私には彼らが「偽善者」に映る。要するに「社会を考えない人権」というのは最終的に「誰かの人権を奪っている」ことになる。それに気づいていないからだ。前回のブログで述べた江戸時代の東北での「間引き」「姥捨て」「娘の身売り」・・・こうしたことは悲しいことだが、その社会では当然のことだった。

私の考えはこうだ。「男女はもっと楽しくセックスしよう」、「元気な子供は産んで育てよう」、「本人が育てるのが難しければ、養子や養女をもっと可能にしよう(そういう環境つくりを推進する)」、「重い障害がある場合は、残念だが諦めよう。そして、その子は神にお返ししよう」 ・・・私は歴史的にも生物学的にも、そして日本の文化、社会学的にも、それが正しいと考えている。

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間引き(子殺し)と社会
江戸時代、東北の農村では貧困ゆえに「間引き(子殺し)」「姥捨て」「娘の身売り」が盛んだった。当時は、人の移動は完全に制限され、農地の拡大ができない。そうなると限られた資源(食糧)は、限られた人数しか割り当てされない。一族の存続のためには「個人犠牲」は絶対に必要だった。特に障害のある子供を捨てることは当然のことだった。古事記や日本書紀でも、神々の子供ですら障害があれば捨てられる記述がある。それが当時の社会の掟(おきて)だった。「間引き」に関しては東北だけでなく日本各地で「風習」として行われていた。

江戸時代、幕府は各地のこうした「間引きの風習」を改善しようとした動きもあった。老中の松平定信は白河藩に対してこの風習をなくし、1785年から7年かけて領内の人口3500人を増加させた。また地方行政としても、常陸下総の天領代官であった竹垣直温は、間引きを止めさせる代わりに、小児養育金を出して子供を育てさせ、結果的に人口の回復と田畑の増加をもたらして村々を再建させたという。現在でも、つくば市の金村別雷神社に竹垣直温を称える碑が残されている。

間引き(子殺し)は現在の法律、思想からいえば、完全に「殺人」であり、個人の「人権侵害」といえる。しかし、当時はそうしなければ生きていけなかった。古くから子供に関しては、乳幼児死亡率も高かったことから七五三までは「人間」という扱いではなかった。日本では、間引き(子殺し)したら「神にお返し」という思想で「自己説得」させてきた経緯がある。ただし当時の幕府や地方も、社会的な改善の試みはあった。こうした社会の改善には「食糧増産」、「経済活性化」が効果的であることは間違いない。

日本の長い歴史を確認すると、人口が増加した時期は環境変化や社会変化と重なっている。縄文後期は、いわゆる「氷河期の終了」と「稲作の導入」により人口増加している。江戸幕府が成立した後は、社会の安定によって全体的に人口増加している(江戸後期はあまり増加していない)。そしてご存知の通り、近代から現代にかけて大幅に人口増加した。その際には大都市への人口移動は盛んだった。

さて現代社会に目を向けよう。ご存知の通り、日本は少子高齢化と人口減少が進んでいる。そして形を変えた「間引き(子殺し)」である「人工妊娠中絶」は現在も行われている。ではタブーともいえる現代の「人工妊娠中絶」について次回に深く考えたい。


仮説の棄却ができない人たち
朝日新聞の「いわゆる従軍慰安婦問題」の訂正記事が話題になっている。そもそも、朝日新聞や様々な反日勢力は「日本=悪」という仮説を「正」とするためのエビデンス収集にやっきになっていた。「強制連行」というエビデンスが崩れても「人権問題」に摩り替えて、目標である「日本=悪」を証明しようとしている。

このような仮説(あるいは幻想)を証明する試みは欧州でも多くあった。その代表的なものが「優生学」だった。特に「白人優位説」を証明するために様々なデータ収集がなされた。身体的特徴の統計的処理だけでなく、近代オリンピック、ノーベル賞・・・そういった事も「白人優位説」を証明するための手段だった。

最近では、遺伝子学が進化して大量のデータの情報解析が可能になった。有名なヒトゲノム解析では、「人間が最も高等な生物」という仮説が揺らいでいるのが知られている。そもそも、「何が優秀で、何が優秀でないか」という議論は社会構造によっても異なり、ナンセンスだとの意見も多い。

日本でも結論ありきの研究というのは実に多い。以前、高血圧薬のデータ改ざんが有名になった。最初から、結論は決まっていて、それを覆すデータが出ても納得しない人が存在する。立場上、あるいは政治的な立場から「そんなはずはない。最初からやり直せ」なんて恫喝されれば担当者はデータを改ざんすることもあるだろう。特に予算(支援金)が決定していると後戻りするのは容易ではない。

つまり社会的な圧力があれば、どんなデータやエビデンスがあっても納得しないものだ。もし、この「従軍慰安婦問題は嘘だった」となると反日勢力や韓国人の「面子まる潰れ」である。・・・ただ、ひたすら「面子のため」、そして更に社会から攻撃を受ける・・・哀れでならない。つまり、「仮説の棄却」ができない人たちは哀れである。

そもそも彼らには「仮説」と「証明」なんて思想はない。ただ「勝つか負けるか」・・・、おそらく彼らは、プロパガンダに負けたという発想をするだろう。 要するにアカデミックな思考能力が弱いともいえるだろう。

私はやはり、理系的な思考(特に物理学、統計学)を社会に応用すべきだと考えている。個人レベルで文学ファンタジーに浸る行為は否定しないが、政治的、あるいは社会的に影響を及ぼすことは、それこそナンセンスな「偏見」を生む土壌になる。「人権、人権」と叫ぶ彼らが最も「人権無視」しているという皮肉な結果になり、逆に社会から攻撃されるからである。


食料対策
現代社会では大規模戦争になる可能性は極めて低い。小規模な地域紛争は発生するだろう。一方で自然災害の拡大の可能性の方が高い。寒冷化や自然災害のための農業衰退だけは避けなければならない。そういう対策を常に考えることが重要である。最近の日本でも集中豪雨による人的被害が話題になっている。当然ながら、人的被害を最小限に抑えることも国家としての重要な役割である。しかし、同時に農業へのダメージと価格高騰など、長期的な食料対策も必要だ。

農林水産超のデータ(平成18年12月1日現在)によると、農振農用地区域内の農用地面積は439万ヘクタールで、そのうち耕地面積は407万ヘクタール、耕作放棄地は15万ヘクタール、採草放牧地は16万ha となっているという。

すでに決定されている「減反政策」を廃止するのは当然だが、余ってもいいから国内で農産物を生産するべき。減反政策が推進されていた頃は、新規の開農は完全に制限されていて、田畑を埋め立てて住宅地や工業地への転用が進んだ。一方で農地の税制優遇処置があったために登記上は農地であるが実質は耕作放棄地、そして転用期待という考えが主流になってしまった。

食料品というのは価格を度外視すれば、余っても「家畜のエサ」「養殖魚のエサ」そして「バイオ燃料」になる。さらに残っても農業用たい肥にすることができる。農業というのは、どれだけ付加価値のある農産物を生産できる農家でも、100%がAランク商品にはならない。必ずBランク、Cランクの商品は生まれる。そこで、まとまった量があれば国内でリサイクルに回しやすくなる。そうすれば輸入飼料や輸入肥料に依存することはない。廃棄せずに活用することは可能である。

一方で漁業(養殖以外の沿岸漁業)に関しては、反対にしばらくは漁獲制限した方が良い。例えば、福島沖の水産資源が震災前の数倍になっているという。これは震災以降に漁獲をゼロにしたことが影響しているといわれている。つまり3年程度漁獲を制限するば、漁獲量は5倍以上になり安定さが増す。こうした計画的な漁業は事業主レベルでなく行政レベルでないと対応できない。

農業にしても漁業にしても、こうした対策は国家が関わらなければ不可能である。すべて国が管理せよと言っているわけではないが、食料もエネルギーも国家の安全保障問題である。うまく量を確保して循環すれば、それだけでも安全保障が確保できるといっても過言ではない。

TPPをはじめとして、食料品も含めたグローバル化にしか興味ない人たちは依然として多い。もっと日本という国を見つめ直す必要があるだろう。これだけ自然災害の多い国である。常にバックアップする体制を維持しなければ、国家が衰退する。一部の製造業(自動車メーカー)の思想である「在庫は悪」という発想は通用しない。そんな考えは、さっさと葬り去らなければならない。


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タイでの代理出産問題
タイでの日本人男性による代理出産問題が話題になっている。代理妻には1人当たり30万~40万バーツ(約98万~130万円)だとか、少なくとも15人の代理妻の子はすべて生物学的にこの男性だとか、話題は満載である。また、同じくタイで代理出産したオーストラリア人の幼児がダウン症なので受け取りを拒否したとか、してないとかでも話題になっている。

AFP時事ニュースによると、タイでは報酬目的の代理出産が医療評議会(Medical Council)によって公式に禁じられていたとされる・・・。これって法的に禁止なのかどうか解りにくい表現だ。実際に、法整備は整っていなかったのが事実である。「法案」では、報酬目的の代理出産に関与した場合、10年の禁錮刑を科すことが定められている・・・つまり、まだタイでは法案の段階である。

「代理母が血縁上の親戚である場合のみ代理出産が可能」という考えは理解できる。日本でも最近では義父の精子で不妊治療というケースもある。しかし歴史上でも現代社会でも「血縁関係のない養子や養女はいくらでもある。また、制度的に一夫多妻が認められている国は現代でも存在する。また歴史上では、あるアラブの王様は1000人近い子供がいたとか、日本の古代天皇でも50人程度の子がいたケースもある。江戸時代の徳川家斉(大奥で有名)も100人近い子供がいたようだ。

現代でもケニアのアクク・デンジャー(1918年 - 2010年)という男は、120回結婚して息子が106人、娘は104人で教師、医師、弁護士、パイロット、運転手、宅配員などになったという(Wikipedia 情報)。

重要なことは法的に問題があるかどうか? そして誰かがそのせいで不幸になったかどうか? それが問題である。まず、代理妻には1人当たり30万~40万バーツ(約98万~130)はタイとしては高額である。おそらく代理妻も満足しているだろう。また生まれた子供たちが、その後に幸福に過ごせるかどうか?それは、普通の家庭に生まれた子供だって幸福になれるかどうかなんて解らない。大切に育てられるケースもあるだろうし、そうでないケースもあるだろう。

また「人身売買」という表現がよく使われるが、「結婚」だって「結納金」がある。そして養子縁組だって「結納金」のようなものはある。つまり、何だってお金やモノの動きが伴う・・・。それはいたって自然なことだ。もし、ここでお金やモノが動かない方が不自然であり、それこそ「強奪」に近いものがある。いわゆる従軍慰安婦だって大金が動いていた。動いていなければ「レイプ」と判断することも可能である。そもそも自然界の動植物は、カネやモノの移動が伴わない繁殖を続けている。

人間社会の場合、何かと人権問題と絡める人が多い。まずフェミニストはセックスしすぎる男性に嫌悪感を感じる。また今回も「日本人男性の人権問題」のようなコメントする人も多いよう。一部中国人のツイッターは「鬼畜」と表現していた。実は本音は「嫉妬心」の方が大きいのでは?いずれにせよ、私はそういう人たちは不勉強であり、主目的はフェミニスト的な思想、あるいは「人権問題で誰かを攻撃する」ことが本質であると断定している。

私は、あえて非難されることを覚悟で主張しよう。この日本人男性は立派だ。おそらく有能か、魅力的な男性なのだろう。一方、子供を儲けることを否定して、人口妊娠中絶を「女性の権利」と訴える勢力は「偽善者」だ。一説によると日本での人口妊娠中絶は年間20万件とも云われている。何かおかしくないか? 少子化問題を検討している連中は、この現実を直視すべきである。


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ヘイトスピーチ規制は不可能だ
ヘイトスピーチを規制することを大阪の橋下市長や東京の舛添知事は検討している。しかし、おそらく規制は不可能だろう。たしかに個人の誹謗中傷は人権問題に該当するかもしれない。しかし国家や他国民に対する非難は普通のことだ。これが例えば、他の人種(肌の色、髪の色、目の色、・・・等の身体的特徴)であれば人種問題になるだろう。

しかし、韓国や中国は日本と同じアジア人種であり、身体的特徴は大して変わらない。何よりも在特会の主張は「ルールを守れ」、「犯罪を許さない」、「特権を許さない」・・・そういう、まともな言論をしている。決して身体的特徴で排斥しようとはしていない。もし犯罪率が低いのに犯罪率が高いなんて主張すれば、それは「嘘」であり規制の対象になるかもしれないが、韓国や中国人の犯罪率が高いの紛れもない事実である。嫌われる原因は間違いなく韓国や在日に存在する。

諸外国を見ても、中東諸国なんて、反米デモや反イスラエルデモで「アメリカに死を」なんて普通である。中国や韓国でも、犯罪レベル(暴徒化、略奪など)の反日デモをやっている。日の丸を燃やしたり、安部首相や天皇陛下の写真を侮辱することもしている。一方で在特会が大極旗を燃やしたり、パククネのポスターを侮辱するのは見たことがない。

よく欧州の例を挙げてヘイトスピーチ規制を訴えるが、そもそも韓国、中国にはそうした規制がないのに日本に要求するのは理不尽である。まるで日本の近隣諸国条項と同じである。日本は近隣諸国に配慮する・・・しかし中国、韓国は日本に配慮しない? そんな理不尽なことがあっていいはずがない。

日本人的な「譲り合いの精神」なんて世界では通用しない。こちらが譲れば相手が譲るなんてことは特に韓国、中国の場合は絶対にありえない。こちらが譲れば、さらに要求する・・・それが彼らの思想だ。そして、すでに戦争が終わって70年が経とうとしている。現代の日本は、韓国や中国、そして在日に配慮する必要はない。(今までが配慮しすぎ、日本と日本人への逆差別だった)

もし、こうしたデモが日本で規制されたら左翼系の反米デモや反天連デモもできなくなる。都合の良い言論、都合の悪いなんて分けることは不可能だ。規制されたら左翼系の勢力だって困るだろう。結局は「都合の悪いデモは規制せよ」という身勝手な発想だ。

唯一の解決策は、韓国や在日は日本人の信頼を得るような努力をするべきだ。はっきりいって、韓国や在日は甘えている。かつて日系アメリカ人(アメリカ国籍なのに差別された)がアメリカに忠誠を誓い欧州戦線で勇敢に戦った。また日系ブラジル人は農園での過酷な労働から多くの苦労を重ね現在ではブラジル社会で一定の信頼を得ている。

戦争が発生する可能性は極めて低いが、日本に永住するなら国籍をとって日本に忠誠を誓い、日本社会に貢献すべきである。犯罪率が日本人と同等以下、そして社会的にも貢献すれば必ず日本社会は受け入れる。しかし、犯罪率の高さのような諸問題に目を背け権利ばかり主張するから嫌われるのだ。

頭の中で設計する
天才音楽家モーツアルトは、作曲はいつも頭の中だった。通常、作曲家は譜面を書きながら作曲するのが普通であるのに対して、彼にとっての譜面は単純に彼の頭からの書き写しに過ぎなかったという。その証拠にモーツアルトの譜面には修正した痕跡が全くない。ちなみにベートーベンの譜面は修正だらけとのこと。

モーツアルトは何故そんなことが可能だったのだろうか?しかも彼が幼児の頃からそれが可能だったというから驚きだ。彼が天才だと云われる所以はそこにある。まるで天から降り注ぐように名曲が生まれた・・・。誰もがそう考えた。

しかし「頭の中で設計」する人は歴史上、そして現代でも多く存在する。例えば、日本の昔の大工さんは設計図なんて描いていない。「設計図なくどうやって作るのか?」と不思議の思う方々も多いであろう。しかし本当に設計図なんて描いてなかった。つまり「頭の中で設計」していた。

また、大工さんだけでなく、陶芸家や工芸品の職人もそうだ。彼らの頭にあるイメージを元に高度な技術で作品を作る。私は物理学(材料力学)と材料力学が専門だが、昔の刀職人は鋼に含有する炭素量、焼入れによる内部組織変化、そして層状に鍛錬される。そして鮮やかな研磨・・・現代の金属加工の専門家である私が見ても「驚きの高度な技術」である。

彼ら職人は、私のような文献教育は全く受けていない。しかし、すべて身体(脳)で身に付けている。戦後、工業化の更なる推進のためにIS0をはじめとした規格化と統一が叫ばれるようになった(現在でも規格戦争は盛んだ)。当然ながら単純な工業作業は機械によってバラツキが抑えられるようになり、大量生産に大きな役割を果たした。そして職人的な生産が「悪」のような扱いされた。 技術を知らない管理者にとって「技術者とは」感情的にも目障りな存在になりがちだった。

しかし自動車業界や家電業界では品質問題でのリコールがあとを絶たない。それに対して、かつて自動車業界では「トヨタ方式」だとかタグチメソッドで有名な「品質工学」とかが注目をされた(今でもそれに拘っている管理者は多い)。私はそれらをすべて否定する気はない。しかし、こうした手法は「管理方法の改善」であり、「管理設計主義」のような思想である。それは、さながら社会経済システムの「共産主義」とそっくりである。それは設計的な理想論だと考えている。

私は、再び人間も持っている可能性を最大限生かせる「職人的」な人間を育てるべきだと考えている。日本と日本人が世界的に評価が高いのは、こうした「職人的」な人間形成があることも重要な要因だと考えている。「神は細部に宿る」と云われるが、それは「職人的」な行動をとるから「神」が細部にまで見えてくる。 漠然とした「神」がトップにあって「人間」があって「自然」があるという序列ではなく、人間が何か「職人的」なものを身につけるからこそ「神」が見えてくる。


権威の弱い韓国人
ローマ法王の韓国訪問では、野外ミサに80万人が集まったという。たしかに韓国では国民の40%がキリスト教徒であり、内プロテスタントが多いとのこと。(ちなみに日本でのキリスト教徒は1%程度である。) 韓国ではキリスト教は盛んだが、従来の儒教思想も根強いし、仏教もある。国家元首が特定の宗教を特別扱いすることは「政教分離」に反しないのだろうか? そもそも韓国に政教分離の精神があるのかよくわからない。

しかし根本的に韓国人は「権威に弱い」という特徴がある。ローマ法王は世界的に権威がある・・・そういうイメージが強く、そういう権威に擦り寄る傾向がある。 アメリカで従軍慰安婦像を設置するのも、アメリカの権威を利用する。また国連の事務総長に立候補したり、国連人権委員会での行動も、国連という「権威」に頼っていると言える。 またノーベル賞の数やオリンピックの金メダルの数を気にするのも常に「権威」を意識していると言える。

しかし、いくら権威に擦り寄っても、中身が実に薄っぺらいと不信感が募るもの。私を含め多くの人たちは「滑稽」に見えるものである。韓国でのニュース記事でも「やりすぎでは?」との意見が出ている。しかし、こういう国民性というのはなかなか修正できない。こういう社会で生きるって結構辛いだろうな。 実際に韓国では様々な理由で自殺する人も多いが、こういった社会背景もあるのではないだろうか?

ローマ法王の真意はよくわからないが、以前セウォル号沈没事件の際に「韓国民が、この事故を契機に“倫理的に”生まれ変わるよう望む」と述べたという。ローマ法王が韓国訪問したのは、韓国側の要請もあったかもしれない。しかし、法王の真意は「韓国が生まれ変わるのに役に立ちたい」と考えていたからではないだろうか?だが韓国人はそう思っていないだろう。世界的な「権威」がやってきた。というイメージの方が強かったのではないだろうか? 

まあ他国の文化について、とやかく言っても仕方がないが、日本はこれを反面教師にするべきである。好き嫌い関係なく韓国を知るということは、日本を知ることにもつながる。実際に私も仕事の関係で韓国へはよく出張する。おそらく観光として、あるいは日常生活においてはカネさえあれば大きな問題はない。私は、現地で反日活動に出くわしたことは一度もない。また街を歩いていても危険なことに遭遇したことは一度もない。

しかし現地で仕事をすると、彼らの国民性というか特徴がよくわかる。私の結論としては、彼らの文化や考え方は日本に取り入れるべきではないと考えている。セウォル号事件から、今回のローマ法王訪韓でのニュース、そして一連の日韓の政治的な対立は偶然でなく必然だったと考えることができる。 いやそんなはずはない・・・と考える日本人も今だに多いかもしれない。そういう方は是非一度は韓国で仕事をすればよく解るだろう。

「韓国が生まれ変わる?」それはローマ法王の権威をもっても困難な仕事であろう。まず韓国人が「権威」に擦り寄っている以上は「生まれ変わり」は不可能だ。もし権威をもって生まれ変わるのであれば、それは封建制度の社会でしか成立しない。韓国が封建制度へ戻るか? それが嫌なら、本当の意味での「民主主義」と「法治国家」になるべきである。そして一般国民は、真面目に勉強して、真面目に働くことでしか「生まれ変わる」ことはできない。


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サビーナ・アルシンベコバさんの美しさ
東京・有明コロシアムで行われている女子バレーボールのワールドグランプリで日本チームが活躍している。かつて東京オリンピックでは日本女子バレーチームは東洋の魔女といわれて一世風靡した。当時のメンバー(誰だったか忘れた)は試合終了後に勝利の喜びではなく「過酷な練習から解放されることの喜び」が大きかったという。まあ、それほど厳しい練習なのだろう。にも関わらず、一般の観客や視聴者は女子の場合だと「美しい女性を探す」という不謹慎な行動をする。

実は私だってそうだ。悲しい男性の性(サガ)である。特に女子ビーチバレーの場合はスポーツ観戦というより、美女観戦のようになっている。有名な浅尾美和さんも、「そういう理由でもビーチバレーが盛り上がれば良い」という発言をしている。しかし然程人気のない女子選手にとっては内心「ハラワタ煮えくりかえる思い」かもしれない。しかし「美人かどうか」だけでなく実際に多くの人たちは「頑張って動いている姿」が美しく見えると私は思っている。あの「ももいろクローバーZ」も美人かどうかということより、頑張って歌って踊っている姿が共感を呼び、美しくみえる・・・そういうことではないだろうか?

美人アスリートといえば最近では、カザフスタンの女子バレーボール選手のサビーナ・アルシンベコバ(17歳)が美人とのことで話題になっている。正直いって私はスポーツとアスリートについてはあまり詳しくない。従って、その方面に関しては詳しいコメントできない。しかし私は、何故こうした女性が人気があるのかが興味がある。私も早速、サビーナ・アルシンベコバさんの画像や動画を観たが、たしかに私が見ても美しいと思った。他の選手には本当に申し訳ないが私もそう思ってしまった。

しかし何故そう思うのだろう。そもそも「美人とな何か」、まずは「若さ」という要素はあるだろう。かつて日本の平安時代ではふっくらとした女性が美人といわれた。現在のアフリカの一部の地域でも太った女性が人気がある。おそらく、一般庶民は瘠せていて、ふっくらとした女性のほうが身分も高く安定した生活、および子孫繁栄がしやすいという本能が働いたのかもしれない。しかし現代社会では太った女性はあまり人気がない。むしろ貧しい地域の人ほど肥満が多いようにも見受けられる。(アメリカ社会がその典型)

最近の研究では、「平均美人説」というものがある。この説によると、美人像の変遷は、そのコミュニティの構成員の変化を背景としているものと考えられる(鼻が高い人が多くなれば、鼻が高いことが美人の要素となる)。このように平均的な女性が美しいと感じられる理由としては、平均的であるということが、当該コミュニティで失敗のない生殖を行う可能性が高いことを示している(繁殖実績が多い)と考えられるためと説明されている。 (「Wikipedia 美人」より抜粋) 私は、この説はかなり説得力があると考えている。

たしかに、サビーナ・アルシンベコバさんの容姿はアジア系にも見えるし、欧州系にも見える。グローバルとして平均的なのかもしれない。しかしアスリートなので身体能力は決して平均的ではない。私が考えるには「健康的」であり「セクシー」であること、そして顔つきが仔ウサギや仔ネコのような「愛らしさ」があることも要因だと思う。そして不思議なことに美しい女性の多くは美しい髪を持っている。また写真だけでは解らない、動作や仕草にも美しさが現れる。仮に攻撃的な目をしたり、仕草が下品な女性だと、どうしても男性は引いてしまう。サビーナ・アルシンベコバさんの場合は、そうした全体的なバランスも取れている。つまり全体的な平均回帰していることへの美しさというものがあるのかもしれない。

しかし平均回帰は統計学上の論点であり、遺伝や優生学とは一般的に異なる普遍性であると言われている。しかし、突然変異の美人というのが存在するのかどうか? 「平均美人説」が正しいとすれば、突然変異から美人は生まれない。しかし、その突然変異が多数派になれば美人になれるということなのか? 優生学的に天才は突然変異が多いという説と天才を多く輩出する家系というのも存在する。

ここで統計学者で優生学者であったフランシス・ゴルトンは平均回帰の法則を人間にも当てはめて研究した。また同じく統計学者で優生学者であったロナルド・フィッシャーは多様性が進化を発生させると論じた。

しかし、ここに大きな疑問が生まれる。それは「美人の数は少ない」という現実だ。例えば中学のクラス40人学級で女子が20人の場合、美人だともてはやされるのは2-3人くらいしかいない。街歩いていても美人ばかりなんてことはない。仮に「平均美人説」が正しいとして、「平均回帰」するとなれば、正規分布の法則からしても「美人は一番多く」なければならない。しかし一般的には美人は少なく、その前後?が最も多いように思える。つまり正規分布ではなく、平均値の度数が少ない。(まあ、こんな研究したらフェミニストからボコボコに攻撃されるだろうが・・・)

つまり、正規分布になっていないということは、これは何らかの別の要素が含まれていると判断できる。統計学的にはフィッシャーがいうように多様性と進化に関連する可能性があると私は考える。それは時代が変わって、新たな美人の価値観を多様性によって準備しているという考え方である。

もうひとつは、何度か述べているように単なる顔つきだけでなく「動き」「仕草」「態度」という要素が大きいように思える。サビーナ・アルシンベコバさんも普通に街を歩いていたら背が高いので目立つかもしれないが、そうでなければ「誰もが振り返る絶世の美女」と思われることはないだろう。やはり彼女はバレーボールをプレイするから美しく見えるのだろう。

一般的に少数派というのは美人であっても、学校でイジメの対象となることが多い。社会的な平均回帰への意識が強いのか? 少数派を迫害する精神が子供のイジメという形で顕在化することが考えられる。しかし、一旦そこから解放されると、美人は美人同士で、そうでない人はそうでない人同士が友人になりやすい。つまり「類は友を呼ぶ」という現象である。そして愚かな男どもは美人を求めて行動する。それを見た他の女性は嫉妬する・・・こういう社会構造がある。

しかし「美」というものは、それほど単純なものではない。男女ともに「強さ」が「美しさ」になることある。そして「強く、美しい者同士」が「理解しあえる大人の仲間」になる。私は、誰だって「美しくなるチャンスを持っている」と思っている。子供のころはそれほど注目されなかった子供が大人になって「強く」「美しく」なっている人は大勢いる。そういう人たちは必ず何らかの訓練をした経験をもっている。それは、スポーツ、文化活動、勉強、技能・・・人によって様々だ。

まあ私は「努力」という言葉はあまり好きではないが、たしかにトップアスリートや音楽演奏家には「血のにじむような訓練」をしている人は多い。しかし、そこまでしなくても日々の簡単な「訓練の継続」だけでも10年、20年後には立派な大人になることはできる。そういう人は「強く」そして「美しく」なれる。女性だって、それほど美人でなくても素敵な女性は大勢いる。しかし、それを最初から諦めた女性は「嫉妬心」と「恨み」だけが残り、いつまでも美しくなれない? そんな気がするのは私だけだろうか? 


災害対策と遷都論
日本は古来より、地震、津波、台風、豪雪に見舞われてきた。そして最近では、集中豪雨が各地で被害を受けている。特に今回の広島での災害は本当に痛ましい。犠牲者の方々の冥福を祈り、今後どのような対策が必要かを我々は真剣に考えなければならない。もちろん、災害を完全に無くすことはできない。しかし被害を少なくすることは可能である。今後、私が特に心配するのは首都東京。大正の関東大震災から90年以上の歳月が流れた。いつ同じような地震が発生してもおかしくない。

1980年代のバブル期に東京の地価高騰に伴い首都機能移転論というものあった。当時はどちらかといえば土地高騰対策のような意見であった。しかし最近では首都直下型地震への対応として地方にバックアップ機能を持つべきであるとの主張もある。内閣官房参与の藤井聡氏は「国土強靭化論」でも、このような主張をされている。

韓国でも同様に現首都であるソウルが北朝鮮との国境に近いことより、首都を南で移転するという議論があった。これら安全保障上、首都を移転することは十分理解できる。しかし、日本にしても韓国にしても首都を中心に国家が繁栄してきたシステムの上に様々なことが成立しているので全面移転はそう容易ではない。完全に遷都することは様々な混乱は避けられない。

当然、遷都はシステム上の問題は発生するかもしれない。しかし私は東京のバックアップとしての一部首都機能移転は賛成である。朝鮮半島有事の可能性は良くわからない。しかし東京の首都直下型地震は、早かれ遅かれ、必ず訪れる。もともと、東京の皇居以南は海であった。しかも各地に沼地があり、宅地造成のための盛土された地域が数多くあり軟弱地盤である。

戦前の東京は大量の地下水を利用して地盤沈下するすることもあった。しかし現在では地下水を利用しないために、地下水が増え続けており、東京駅は水に浮いているような状態だという。こうした現象は東京各地で発生しており、とくに南部では海水も混じり軟弱地盤である。そして大きな問題は、不安定な状況が進行していることである。今年発生した相模湾沖震源の地震では東京南部が一番震度が高かった。

さらに南東京から千葉にかけての一帯は有数のガス田であることも知られている。ガスが地上付近に溜まり、ガス爆発する危険も増している。実際に温泉施設で爆発事故が発生している。しかしガスの利用に関しては都市部であり環境問題が発生するために規制されている。

また東京湾は、もともと江戸前の漁業(昔はウナギが大量にいたらしい)が盛んであった。ある意味で豊かな資源地域である。つまりこの地域は資源地域であり商業地域ではあるが、そもそも首都機能を置くような場所ではない。現在の東京では高齢化が進み、コンクリート構造物の老朽化も目立つ。従って、有事の際には大混乱になる可能性がある。何も東京在住の方を脅すつもりはないが、将来の朝鮮半島有事の可能性より、首都直下型地震の可能性の方が高い。

おそらく東京都の関係者は「不安を煽るな」って訴えるだろう。だが歴史をみる限り、発生しないことのほうが不思議である。東京都民だけでなく、日本国民として現実をしっかりと確認する必要がある。


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広島土砂災害
大雨に影響による広島各地域で土砂災害が発生している。残念ながら犠牲者の数が増える情報が続いている。今回は、たまたま広島であって山間部での宅地開発された地域では同じようなことが発生しても不思議ではない。

かつての日本では、60年代から70年代にかけては山林の保水性が低く洪水になることが多かった。しかし現在では森林放置と腐葉土の堆積で保水性が良過ぎるくらいである。逆に地盤の弱さとそれに伴う「洪水」ではなく、「土砂災害」に変化している。

また古くからの沢に住む村の人たちも多く存在するが、新たに山間部の宅地開発が進んだ背景もある。人口増加による無理な宅地造成も指摘されている。また非難勧告が遅れた理由は「地盤の水分」の予測が難しいという指摘もある。確かに複雑な地形の場合、水の浸透方向を予測するのは極めて難しい。ただし水が集中するのは何処かということはある程度予測できる。しかし今回のような予想を越える雨量の場合は、その予測が追いつかないこともあるようだ。

警察や消防、そして自衛隊員の努力には毎度ながら敬服する。私は、こうした危機管理とその後の対応は日本の場合はしっかりしているという認識がある。何故なら現場の能力、士気ともに非常に高いからである。もちろん二次災害の危険はある。しかし「命を惜しまず救援する部隊が存在する」というイメージがあるだけでも、社会は安心するものである。

一方で安部首相がゴルフをしていたからどうこう・・・というネガティブな報道もあるが、首相はしっかりと関係部門に「指令」することが任務である。ゴルフしようが何しようが、「指令」や「命令」を出すことがトップの仕事だ。有能な部下がいれば、「指令」さえあれば行動する。すぐに現場に向かうトップもいるが、かえって邪魔になるケースも多い。別に私は安部首相をすべて肯定するわけではないが、大きな災害が発生している最中に誰かの責任追及しようとする人たちにはあまり同意できない。 まず、それぞれの役割をしっかりこなすことが重要だ。


自己組織化と風水
今回も「自己組織化」について考える。「自己組織化」について、物理学的にも様々な分野で研究が進んでいる。しかし、あまりミクロすぎる議論やマクロすぎる議論は話が長くなってしまう。また「人間も社会も自己組織が大切だ」と常に私は主張しているが、それは決して即効性があるわけではない。時間を掛けて積み重ねることが基本である。しかし、もっと気軽に考えることのできるパターンがある。特に今回は身近な自然と生活の例を取り上げよう。

ある若い夫婦が、ある土地を購入してマイホームを建てるとしよう。一生に一度?の大きな買い物・・・誰だった慎重になる。しかし大抵はカタログやモデルハウスなどを見て、さらに予算を考えて決定するであろう。

しかし、その建てる予定の土地がどういう環境であるかということが非常に重要なことである。どこかのモデルハウスと同一の建物をそのまま予定の場所に建設しても上手くいかないケースがある。

まず土地の地盤はどうか?震災後に何かの耐震性とか話題になるが、そもそも軟弱地盤では建設不可能な場合がある。
また、日当たり、隣接する建物、風の流れ、水の流れ・・・これらに合わせた建設方法を検討するのが望ましい。例えば、どれだけ広い窓を準備しても隣接する建物に日光が遮断されるのであれば、あまり意味がない。

実際にマイホームの建設後には様々な面白い現象が起こる。例えば、庭先のある場所に必ず「落ち葉が集まる」とか。あるいは日当たり悪い場所に「コケやカビ」が発生するとか。建物2階の窓付近に何度も「風の渦」が発生する・・・とか。

ある場所に「落ち葉が集まる」⇒「腐葉土になる」⇒「草が生える」⇒「丸い円状の緑の形が形成される」ってな感じで・・・時間が経てば更なる世界が形成されていく。まさしく自然界の自己組織化の現象だ。よく「風が吹けば桶やが儲かる」のストーリーも一つの社会(経済)の自己組織化であるといえる。

よく「風水」や「家相」は迷信だと思っている方々は結構多いが、色々と確認してみると良くも悪くも何らかの「自己組織化」現象が発生して、風水や家相の内容と辻褄が合う部分が多くある。 例えば「鬼門」や「裏鬼門」は中国の風水とは関係なく、日本独自の「家相」発想のようだが、たしかに「湿気を帯びやすい」だとか「風が抜けない」という人間が生活する上ではマイナス作用が働くことが多い。一方で南側に広い空間があり風通しが良い家の場合は、夏は涼しくて、冬は日差しが入って暖かい・・・といった現象が起こる。

これらは季節によって、光、風、水そして土や植物がそれぞれの組み合わせによって何らかの「自己組織化」しているといえる。マイホームそのものを機械的に設計する場合はあまり考慮されていない場合も多い。一方でこれを真剣に考え取り組んでいるハウスメーカも存在する。カタログからパーツを単純に寄せ集めるのではなく全体のコンセプトがいかに重要であるか? それを理解していない若い世代は多い。 (*ただし全体コンセプトを重視したハウスメーカは高価である) しかし、こうした自然現象をいかに上手く取り入れるかが、マイホームを建てる時の極意である。それは当然、家の中の間取りだってそうだ。

「家相」や「風水」というと何やら眉唾なことのようにも思える。実際に、嘘っぽい本や詐欺のような業者も多いようだ。しかし西陽しか入らない、風通しが悪い、電車が通ると揺れる、隣のペットのイヌがうるさい・・・とかマイナス面が多いと人間はノイローゼにもなりやすい。しかし同時に安いアパート物件とは、そうした場所が多い。一時的生活はやむを得ないかもしれないが、マイホームとなったら色々考える必要がある。

どのような環境か? そしてそこには季節を通じてどのようなことが発生するのか? 最近のニュースでは、東京駅前を広い公園にする構想がある・・・というのがあった。これが完成すれば、かならず夏場の気温は低下する。そして風が吹く。そして鳥がやってくる。先に述べた「風がふくと桶屋がもうかる」というように自然と社会は繋がっている。これは通常の現代設計では難しい。しかし古来(特に江戸時代)より日本人にはこういう発想を多くしていたから驚きだ。

少なくとも、こういう発想をもっている技術者や管理者は絶対に強い。だから多くの研究者はやっきになって研究する。雨傘に使われる素材はサトイモの葉を参考にしたとか、iPS細胞は挿し木で成長するのは何故か?という発想から生まれている。つまり自己組織化は単純なパーツの積み重ねるようなCAD設計ではなく、何かと何かの条件下で秩序が生まれる。それを利用するというもの。以前のブログでも述べたように西洋文明は「ヒトが自然を支配する」という考え方だが、正しく「自然の中にヒトがある」という日本人的な思考が「自己組織化」の発展に多いに寄与する分野であることを確信する。

風水を単なる迷信としてだけでなく、「自己組織化」という観念で考えると結構おもしろい。また「癒し」とはどうやって生成されるか? なぜヒトは自然と触れ合うと「癒し」を感じるのか? 少し科学的な要素を入れて考えると「ヘンな洗脳」ではなく「心が多少は満たされる?」・・・かもしれません。


不登校問題
8/17の産経新聞のニュースによると、不登校、中学時代の経験者の約4割が「後悔」 肯定的評価は約1割とのこと。不登校といっても様々なタイプがあるようで同記事では「無気力型:40.8%」、「遊び、非行型:18.2%」、「人間関係:17.7%」とのこと。

また、不登校経験者の高校進学率は85・1%で、同世代の全国平均98・0%との記事がある。私は意外にも不登校経験者の進学率は高いという印象をもった。私はこのブログで「イジメ」が原因であるなら不登校になってもよいと主張してきた。また、学校が嫌でも勉強はしっかりとすべきとも主張している。

つまり「後悔」している人たちは、勉強しなかったことの後悔と学歴社会である現実に対応できなかったことの後悔だと考えられる。一方で約1割が肯定的評価をしているというのも驚きの大きな数値だ。不登校だからこそ何か得たものがあったのかもしれない。

基本的に小中学校では、仲間を選ぶことはできない。私は以前から主張しているように、学校での勉強とはつまらないことが多い。もちろん解りやすく、楽しく授業されている教員の方もおられる。しかし児童や生徒は教師を選ぶことは難しい。「無気力」とはそうした背景があるのか。そもそも基礎教育とは何か? これは非常に難しい議論になる。

あまり日常生活とかけ離れたような内容だと、どうしても興味は薄れる。同じく産経新聞で報じられた「近現代史」が文部科学省が科目新設の検討を始めたとのニュースがあるが、まだこうした内容の方が興味が湧くだろう。あとは以前から私が主張しているように、職業訓練の実習を高校生に義務つけるのも良い方法だと思う。

まず学校関係者に多く見受けられる「不登校」自体が問題だという考え方、それは問題は履き違えている。問題は「どうやって勉強するか」ということ。勉強が重要であることは誰も否定できない。今回のデータは、その勉強方法が問題であって、不登校自体が問題ではないということを示していると私は解釈している。しかしこのニュースのタイトルだけを見ると「不登校で後悔する人が多い。だから不登校はよくない」と勘違いする人も多いだろう。


辺野古への移設
米軍普天間飛行場の固定化だけは避けるという政府の意向はよく理解できる。私は、辺野古への移設は急ピッチで進めるべきと考えている。しかし、海底のボーリング調査の準備を進めただけで反対派は大騒ぎである。

よく知られていることではあるが、こうした反対派は地元の人々は極めて少なく、本土から来た雇われてきた活動家が多い。また景気が悪いとフリータが増えるが、こうしたフリータが「平和活動」という洗脳を受けて「日当」と「旅費」を貰って活動しているとも言われている。まあ、こうしたフリータの存在も問題ではあるが、はたして誰がその「日当」を支払っているのであろうか。 様々な資金源があるといわれている。 

様々な団体や海外の工作活動資金もよくとり立たされる。仮説であるが、「中国共産党の資金」も相当あるといわれている。最近ではアメリカをはじめとして「カネの流れ」が管理できるシステムが構築されつつある。そうであるならば、こうした海外勢力の活動は制御できるのではないだろうか?「言論の自由」に紛れたプロパガンダ資金があるとしたら、取締の強化は可能だ。

所詮、まともな思想信条もなく日当で雇われた活動家は、カネの切れ目が縁の切れ目だ。こうしたカネの流れを徹底管理することは非常に有効だ。それが仮に外資による政治活動ならば完全に法令違反である。そして、そうした活動家が日本人の場合、まともな社会の生産活動(仕事)に復帰できるよう政府は政策を推し進めるべきである。周知の通り、日本の各業界で「人手不足」は深刻だ。沖縄で誰かからカネもらって政治活動するようなことをしても社会が良くなるわけではない。一方で活動家が外国人の場合は、法令違反なのでただちに国外退去処分にすべきである。


テーマ:沖縄問題 - ジャンル:政治・経済

カネで動く人々
かつて労働について、「働くために食うのか?食うために働くのか?」という議論があった。一般的に労働における対価(報酬)は「賃金」であり、「手当」といった「カネ」であるという認識が強い。しかし、実際に真面目に働くと誰だって気づくことだが「カネ以外の喜び」という存在に気づく。例えば「顧客が満足してくれたときの歓び」、「知識や技術を身につけた時の満足感」、「目標達成したときの達成感」、「仲間と一緒になった時の一体感」・・・などなど。辛い仕事でも、こうしたものがあれば仕事は長続きするものである。

一方で頑張っても報われない。賃金も上がらない。仕事はきつくなる。人間関係も悪くなる・・・といった悪循環も多い。いわゆるブラック企業というのも確かに存在する。特に労働者というのは機械と違って「生身の人間」である。先に述べたカネ以外のメリットがなければ、たとえ自給1800円にしても長続きしない。また、法律的には「福利厚生」というものがあるが、企業側は節税対策といった目的が強く、管制娯楽のようにうまくいかないケースが結構多い。実際に福利厚生費が豚積みになっている組織や団体も非常に多い。

あるコラムでは、自殺防止のためには男性も女性のように「愚痴」を吐きましょう・・・というのがあった。たしかに常に愚痴を吐いている人は多い。しかし傷を舐め合うどころか、それを陰で軽蔑している人も多い。他人の愚痴を聞くというのは聞く側のストレスが増えるものであって、物理学的に言うと「エネルギー保存の法則」や「作用、反作用の法則」が成立している。つまりストレス発散としての「愚痴を吐く」行為は誰かがストレスを受け止めているだけで何の解決にもなっていないこと。実際に愚痴を吐く人は相手が人間でないと気が済まない。まあ相手がペットや人形ならいいかもしれない。ちなみに私はペットがお勧めだ。(*大人で人形相手だと少し怖い)

あと最も困った人種は、「誰も信じない」、「国家なんて信じない」、「会社なんて信じない」、「仲間なんて信じない」・・・といった人たちである。こういう人種は「他人に弱みを見せない」、「愚痴を言わない」・・・一見して立派に見える。しかし「信じられるのはカネだけ」であるということ。こういうタイプは特に中国人に多い。中国人の場合は「誰も信じない」、「カネと親族だけを信じる」というのは、正しく歴史的、文化的、人種的な背景によるものだ。また韓国人や一部の日本人にもそれは当てはまる。つまり、こういう人たちは「カネだけ」で行動が決定しているのである。

例えば、弁護士、政治家、プロパガンダ集団・・・こうした人たちは自ら直接的な「生産性」はない。誰かからの支援や報酬、つまりカネで動いている。こうした人たち、すべてとは言わないが「カネだけで動いている」人たちも多い。つまり活動内容は何でもいい。カネさえ貰えば良いということ。それは先に私が述べた「カネ以外の喜び」が少ないことも意味している。問題なのは、そうした活動が社会にどれだけ悪影響を及ぼすか? 結局は、社会を犠牲にして一部の人たちの報酬に替っているのすぎない。

こういった現象は、「奪うか、奪われるか」、「何かを犠牲にして何かが得をする」といった現象であり。これも物理学的にいうと「エネルギー保存の法則」が成立しており、社会としても何も発展していないことを意味している。つまり「カネだけで動く」という行為は、社会が発展しないことを意味している。だから中国や韓国は本質的に社会が発展しないのである。もちろん日本だって、一部の団体や企業も同じである。

最近、何かと話題の朝日新聞「いわゆる従軍慰安婦」の報道もそうである。結局は、社会(日本も韓国)を犠牲にして誰かが報酬を得たわけである。結局は「カネだけで動く」、「カネしか信じない」・・・そういう思想が根底にある。現在の韓国では、慰安婦問題も含めた「反日予算」は今だに膨大な予算である。予算さえあれば、内容は何であれ「カネだけで動く」人々を集めることができる。 どこの国でも、どんな企業や団体でも、予算は重要である。だって、カネだけで動く人間がこれだけ存在するのだから。

しかし、「カネしか信じない」人たちは何か重要なことを見落としている。それは「作用、反作用の原理」、「エネルギー保存則」・・・つまり社会を犠牲にする行為は、いつか必ず社会から制裁を食らうということだ。振り子の原理のように、受けた報酬以上の社会的制裁である。 おそらく元朝日新聞記者の上村隆氏がまともな人間だったら「生きた心地」がしないはずである。 従軍慰安婦問題が捏造と気づいて、誰かからカネを貰って活動する人は「生きた心地」がしないのが普通である。

しかし残念なことに、こうした「カネしか信じない」人たちが社会の制裁を受けると、更に社会が信じられなくなる。そして益々「カネしか信じない」が強くなる。・・・それを延々と繰り返す。・・・ある人は活路を海外に求め移住する。そして、移住先でも揉め事が発生する・・・まさに無限ループである。おそらくハイパーインフレが来るまで、それ繰り返すであろう。・・・愚かだ。我々はこうした人たちを反面教師とするべきだ。社会を甘く見てはいけない。社会的な制裁ほど強力なものはない。


「洗脳工作」への対処としての「理系のススメ」
よくインターネットなどでは、マスメディア情報や各種エンタメはプロパガンダ、あるいは洗脳工作が含まれているという主張がある。まあインターネットだって多かれ少なかれ「洗脳手法」が含まれているだろう。私のブログだって、そんな無意識の「洗脳手法」はあるかもしれない。結局は、どっちが洗脳させようとしているかは、すぐには解らないものだ。

しかしサイエンスというものは違う。確立された数学や物理学はまず嘘をつかない。統計学を学んだ人は常にフェアな議論を考慮する。不真面目な輩には数字のマジックで人々を洗脳することはある。実際にデータ収集とはたいへんな作業である。 そのデータ収集方法と統計手法が明らかにできない情報はまず無視していいだろう。例えば「従軍慰安婦30万人」とか「南京事件20万人」という数字はまず無視してよい。しかし、このような曖昧な数字が一人歩きして社会問題になることが多く、それに翻弄されること自体がレベルが低いことを意味している。まあ、挙句の果てに、「数字なんてどうでもいい」という人もいるが、そういう人は完全に無視したほうが良い。

しかし、仮にデータとしてある程度明確になっていたとしても議論の余地がある場合が多い。例えば、JIS(日本工業規格)では、各種測定方法を細かく規定している。しかし、その規定が何らかの物性を知るために本当に適切な条件なのかを議論すると結構奥深いものがある。 材料試験(測定)を長年経験された方はよく理解されていると思うが、どれだけ最新鋭の測定器でも基本的な測定方法は古典的でアナログなものである。最近では、そうした理論を知らずに測定する臨時職員も多いようだが、その理論を知ると「それが本当に適切な測定方法なのか」疑問に思うこともある。つまりJISの試験方法(データ収集方法)ですら議論の余地があるということ。

それが社会データになるともっと曖昧になる。もっとも身近な例では「世論調査」がある。まず「固定電話」を対象としているあたりから社会を反映したデータとは言い難い。また個別のアンケート調査でも質問内容によって結果が何とでもなる情報は多い。 「・・・何々の件では不十分と思いますか?」なんて質問したら「・・・不十分かも・・・」になって不十分に一票入るようなもの。 よく「皆が言っている!」という発言する日本人は多いが、そうした人たちはマトモな統計データを見ていないことが多い。そして「皆が言っている!」という言葉だけで安心する人が詐欺に遭いやすく、洗脳されやすい。

そうした曖昧な情報が氾濫する一方で気象庁が発表する気温、湿度のデータは精度が向上しており非常に参考になる。また日本の場合は、犯罪率や失業率などの社会データも精度が高いために信頼度は結構高い。(日本の場合と注釈したのは、海外の場合は全く当てにならないことがある。) また各種経済指標は、その内容によって精度が大きくことなる。 この「精度」、あるいは「バラツキ」という概念を常に持たなければ情報に振り回されて、結局は「洗脳」されることにも繋がる。

基本的に科学、社会事象を考える場合、「物理学的な思考」はとても有効で効果的だ。そこで重要となる概念となるのが「還元法」つまりモノゴトには何らかの原理原則があり、そこからランダムに枝分かれしている。従って理解困難になる事象は根本事象をとらえれば全体事象が解りやすいというもの。当然ながら「還元」した場合の「精度」が悪ければ意味が薄れることは多くある。それは「再現性」といったことで証明することができる。

そもそも「還元法」とは、高校レベルの数学では「因数分解」というのがその典型といえる。また大学の物理学などで学ぶ複雑な物理現象もモデル化した「微分方程式」がある。それも複雑事象を数学的に「還元」させているといえる。しかし数学が苦手な方はそうした「微分方程式」を見ただけで拒絶反応があるだろう。しかしイメージ図(または映像)を示して説明を受ければ多くの人は理解することができる。

こうした話は大学で物理を専攻された方には、すぐに理解していただける話だ。文系の方でも社会人になられて、何となく理解されている方々も多いと思う。そもそも、おそらく文系を選択された方々は文系が好きというより、数学や物理が嫌い(というかよく解らない)という理由で文系を選択していることが多いのではないだろうか。特に女性にその傾向が多い。本来は理系だの文系だの分けるべきではないのだが、私も含めて学校の生徒たちの方こそ、そういった区別をしていた傾向がある。

とにかく、訳の解らない「洗脳」に対処する方法は「理系のススメ」である。しかし、中高年以上の方々(特に女性)に今更「物理学を勉強すべき」と訴えても、あまり効果がないだろう。 では、どうすれば様々な「洗脳」から解きほどかれることができるか? それは「真面目に働くこと」 それに尽きると思う。 人々を洗脳しようとする人々は、「真面目に働くのが嫌?」であるように思えてならない。 まあ、そんな調査データは持ち合わせていませんがね。それを「仮説」として調査しても面白いかもしれない。


終戦記念日なんて言いたくない、先祖に感謝する日だ。
私は子供の頃、近所にうるさいオッサンが住んでいて、よく怒られていた。最近は他所の子を叱るオッサンはめっきりいなくなった。今思えば、当時は典型的な「悪ガキ」だった私が怒られるのは当然だった・・・ある日、私はそのオッサンに「うるさいジジイ。早く死ね」って言ってしまったことがあった。それから数カ月後、本当にそのオッサンが亡くなられて、考え込んでしまったことを鮮明に覚えている・・・。まあ、子供なんてそんなものかもしれない。不思議なもので、当時そのオッサンが住んでいた家(借家)は後に取り壊され、現在はその場所に私と私の家族が住んでいる。

また、もうひとつ面白いエピソードがある。これもまた私が小学低学年の頃、親戚の戦争経験者にある質問したことがあった。「ねえ、おじいちゃんは戦争で何人殺したの?」・・・あまりにも純粋すぎる質問にその老人はとまどって「なんて質問すんだ」と・・・それでも、しつこい私は繰り返し聞いた。すると「遠いところから撃ったことがあるが、遠いのでよくわからなかった・・・」 その後、よほど私の質問がショックだったのか、あとで私の両親にそのことを伝えたようだった。・・・でも私の両親は少しも私を怒らなかった。

今思えば、「子供に非難されるのが恐かったのか?」、「そういうことが言えない時代だったのか?」 。本当はこう言ってほしかった。「もちろん殺したさ。それが任務だから。でなければこちらが殺される。戦争とはそういうものだ・・・」 かつて撃墜王といわれた板井三郎氏や今年亡くなられた小野田寛郎氏は「敵を撃墜した」と明言されている。 やはり幼い子供にそうしたことを教えるべきでないと考える方々は多いのだろうか? 少なくとも私が子供だった70年代はそういう雰囲気だったように思える。

昨日のブログで靖国神社にいる私の祖父のことを記事にしたが、私の祖父は戦地で敵に攻撃されて死亡したのか、あるいは病死したかは今でも判らない。しかし戦死通知が来ている。・・・それだけである。祖父といっても当時まだ20歳代で、海軍の特攻のようなものだったようだ。一方で私の曽祖父は日露戦争に陸軍騎馬兵として参加していて、戦後に無事に帰国している。 実家に古い写真アルバムあり、馬の乗った当時の猛々しい若い祖父の姿がある。子供心に「かっこいい」と思っていた・・・いや今でもそう思っている。あいにく曽祖父は私が生まれる前に亡くなったが、「日露戦争で愛馬との別れ際に馬が涙流して泣いていた・・・」という逸話が私の両親に伝わり、さらに私にも伝わった。そして現在、私はこの逸話を私の子供たちにも伝えている。

今日は8月15日、私はあえて「終戦記念日」なんて言い方はしたくない。今日は新暦のお盆だ。純粋に先祖に感謝する日にしたい。 悪ガキだった私の相手をしてくれた先輩たち・・・戦争で戦った先祖たち・・・科学技術を構築した先輩たち・・そして、家族、そして国を守った人たち・・・ 静かに祈りを捧げたい。


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靖国神社への思い
私が子供の頃、実家の和室にある欄間に額縁に収められた靖国神社の写真があった。私の父から、「ここにお前の祖父がいる」って教わった。まだ小学低学年?だった私は「じゃあ、靖国神社に遺骨があるの?」って聞いたら、「いや遺骨はない。魂(御霊)がある」 しかし、子供であった私はよく理解できなかった。人が死んだら骨になって墓に入る・・・というイメージしかなかったからだ。学校はもちろんのこと、テレビでもそんな話は聞いたことはなかったから。実際に祖父の墓は町にあるが、そこにも遺骨はないと教わった。・・・当時の私にはよく理解できなかった。

しかし今ではよく意味が解る。大人になって初めて靖国神社を参拝した。目的は当然ながら祖父に会うためだ。そのとき何故か中国人観光客がバスに乗って近くにやってきたのを覚えている。興味本位でその場に訪れる中国人に激しい嫌悪感を覚えた。気を取り直して、有名な遊就館にも入った。英霊の遺影や花嫁人形があったのが印象的だった。私の祖父の遺影はそこにはない。当然、一部の遺族が納めたものしか存在しない。 本当はもっともっと多くの英霊たちが靖国にはおられる。

今も昔も靖国神社の意味を理解している人は多くない。ましてや外国人には解らないだろう。いや解らなくてもよい。ただ。「靖国神社では静かにしてほしい」 否定するなら来なけりゃいい。我々には我々の文化がある。この御霊という思想。これはモノやカネしか興味のない人種には解らないだろう。いちいち、この時期に政治家の参拝を報じて「公式か私的か?」とか「公費か私費か?」とか、くだらない質問を投げかけるマスメディアは日本人ではない。あるいは日本人になりきれてない幼児と同じである。

誰かが何処かで努力があるから安定した社会が成立している。歴史的にも先人たちの知恵や努力、そして英霊たちが戦ったからこそ現代の日本がある。そして大自然や一般的な道具にまで「万物に神が宿る」という考えかたは世界でも日本くらいしかない。そして、そうした神々に感謝する・・・この思想があるからこそ、日本は文化と技術が発展してきた。 ・・・日本人として誇りに思う。 靖国に限らず神社を訪問するときは、そういう気持ちになる。  

高度な文化や社会は、必ずそこには高度な哲学や思想がある。科学技術とは常に客観性があり、フェアな判断ができる。
唯物論は哲学を否定する? そんなことはない、科学技術を学べば学ぶほどに自己の哲学が磨かれる。そして社会に貢献すべく労働すればするほど、そこに必ず自己の思想が見えてくる。特に「社会に貢献すべく労働」が重要な要素だろう。

日本文化とは、学び働き、そして社会を知れば知るほど理解が深まる。そう、私が子供の頃はすべてにおいて未熟であるが故に日本文化や英霊を理解していなかった。 もし誰かが「日本文化」を理解したい、あるいは「英霊とは何か」知りたいのならば、何もしないで日本を眺めたり、神社を見ても決して理解できない。

私はこう述べたい 「科学技術と歴史を学べ」 そして 「真面目に働け」 そうすれば日本文化と英霊が見えてくる。


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国連を自然解消して、新たな国際組織を作ろう。
外務省のホームページによると、国連通常予算分担率・分担金はアメリカ(22%, 6億2千万ドル)に次いで日本(10%, 2億7千万ドル)、ドイツ(7.1%)、フランス(5.5%)、イギリス(5.1%)、中国(5.1%)・・・その後は欧州諸国が続き、13番目にようやく韓国(1.9%)となっている。そもそも国力に合わせた負担率だが、GDP世界2位の中国は負担率は6番目、中国は常に負担滞納することは有名である。韓国も大した国際貢献はしていないのに事務総長は何故か韓国人であり、韓国人の国連スタッフは反日プロパガンダ活動に日々努力する。

安全保障理事会や各特別委員会採決を除けば基本的には「1国1票」である。ヒト単位の1票の格差は誰も問わない。ちなみに太平洋に浮かぶツバル共和国の人口は約9500人である。日本の人口は130000000人(1億3千万人)である。つまり、国連での一票の格差は、なんと13684倍(1万倍以上)である。日本国内で議論になっている5-6倍のレベルではない。何故か日本の国政選挙での一票の格差を問題視する人は、国連の一票の格差を問題視しない。

そして、何かと話題の国連人権理事会(旧人権委員会)は全191加盟国による無記名投票で、人権理事会の47の理事国が選出される。各地域グループ毎に選出される。最近では大きな議題としては「パレスチナ問題」が話題になっているが、過去には北朝鮮の人権問題や日本の慰安婦問題も取り上げられた。慰安婦問題がパレスチナ問題や北朝鮮の人権問題と同列視するほど、「情報量の少なさと判断力の甘さ」が露呈している。まあ日本の左翼集団や人権派も無茶苦茶な主張をここでもしている(先般、あのテキサス親父もそれを指摘していた「国連は偽善者の集まり・・・」)。

国連は各国の思惑が対立する場でもあり、特にパレスチナ問題ではイスラエルとアメリカが数の力で押し切られることがある。しかし人権理事会の声明や勧告は何ら国際法の拘束力もなくイスラエルもアメリカも「面倒な国連だ」と思っている。特にアメリカとっての国連は負担ばかりが多くメリットは極めて少ない。そして日本も同様である。負担金は多く、安保理の常任理事国でもない。そして国連人権理事会は国際世論を味方に付けるための「プロパガンダ合戦」と化していることは誰もが認めるところであろう。

このように現在の国連は、安保理の「拒否権を持つ:中国、ロシア」と「韓国を含む途上国」に有利なシステムになっている。はっきり言って「日米欧」にとっては国連は迷惑なシステムだ。G7(先進国首脳会議)が消えそうで消えないのは過去の東西冷戦云々だけでなく、こうした国連の矛盾に嫌気がさしているからである。いっそのこと「一国一票制度」はそのままにして「負担金は一律」にするほうが良い。負担金を長期滞納すれば自動的に国連から脱退させられる。そうすると各国の対応は大きく変わる。しかし、国連改革は国連自身の投票で決定されるので不利になる国々は同意しない。つまり改革はできない。

(*ちなみに町内会は一世帯で一定の会費(負担金)、そして総会での投票は一世帯代表に一票であるのが普通。会費(負担金)が累進課税のようになることはありえない。 国際社会は町内会のようなものであり、国家運営とは違う。主権があるのは個人主権、国家主権しかない。国内地方主権や国際主権は存在しない)

例えば、人権を世界規模で考えるなら、それこそインターネットを通じて一般議論、および世論を収集すべきである。そして、それを国連人権理事会の場で公表すればよい。どうせ国連の会場では各国の代表は自国のことしか考えていないし、投票でも利己的投票しかしない。国連での議論よりネット上の議論の方がはるかにレベルは高い。「明確なエビデンスとそれに伴った主張」を収集して「国際機関として」の声明なり勧告をするほうがはるかに効果的である。

いずれにせよ、現在のままでは国連改革は不可能である。ここで次のようなシナリオを考えると結構楽しい。

1.日本、欧州、アメリカは国連負担金を払わない(故意に滞納する)。⇒ 国連機能が麻痺する。

2.現在のG7(日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、カナダ、イタリア、EU)を中心とした国際機関を創設する。

3.G7を基軸として新国際連合を創設する。各国に加入を促す。

4.G7は常任理事国として例年通り1回/年の会合を行う。

5.常任理事国に新たに5カ国 (ロシア、インド、ブラジル、エジプト、南アフリカ ?)を加える。

6.加盟国の負担金は一律5000万ドル/年、常任理事国は+5000万ドル、その他の寄付金も募集する。

7.準加盟国の負担金は最低 500万ドル/年、滞納した場合は自動的に加盟を取り消す。

8.各委員会での議論はネット、テレビ会議(公開する)を利用して現国連の予算を大幅に削減する。

まあ少し冗談も入っているが、それくらいのことをしないと国連は変わらない。そもそも現在の国連はカネがかかり過ぎる。要するにカネの切れ目が縁の切れ目。莫大なカネで無意味な国際活動をするなら、節約したカネで意味のある国際活動に変えるべき。そもそも国際社会が、非民主主義国家や非法治国家、さらには紛争国家に管理できるわけがない。


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往生際の悪い人たち
「往生際の悪い」という言葉がこれほど当てはまる人たちはいない。先般の朝日新聞の「従軍慰安婦の記事撤回」についてテレビやネットで議論が続いている。このような「往生際の悪い」連中に同情は要らない。一方で「良かれと思って、この問題を追及した人たち」、「何となく女性の人権を考えて政府を非難していた人」も多かったことも事実である。そういう人たちが、ようやく考え方を改めて、反対の主張をするようになっている。こういう人たちもある意味で詐欺の被害者である。

8月10日のフジテレビ報道2001でも、この問題がテーマだった。共産党の小池氏、東海大の金慶珠は「吉田証言が否定されたからと言って従軍慰安婦問題はすべて否定できない」という。ホントにバカじゃないだろうか。じゃあ何をもって肯定するのか? これを説明する義務が彼らにある。今まで散々小さな噂話をもって、それがあたかも全体であったように主張してきた彼らは「大きな虚偽証明」があるにも関わらず小さなことであると主張する。

特に金慶珠は「慰安婦でなく売春婦だったというイメージが強くなるのを心配する」ような発言をしたが、「売春婦でなく性奴隷だったというイメージを根拠もなく強くしたのはあなたたちでしょ!」と叫びたくなった。結局のところ彼女の思想は「事実関係でなくイメージ戦略で勝つか負けるか」だけである。以前、金慶珠は「20万人という数が重要ではない」とも述べている。結局は事実関係なんてどうでもいいのである。中国人、韓国人の特徴的な思想である。

人を無意味に裁こうとする人たちは必ず同じ方法で裁かれる。 

弁護士の野村氏が述べたように冤罪の人権をどう考えているのか小池氏も金慶珠も全く答えない。彼らを「人権侵害」として訴えるべきだ。そして永遠に末代まで責任追及すべきである。朝日の虚偽報道からすでに32年。朝日新聞社前に「虚偽の像」を建立する。そして韓国大使館前に「タカリの像」を建立する。そして国連の人権委員会で「冤罪の人権宣言を採択」・・・もう何でもできるなあ。これはすごいぞ。普通の日本人なら思いつかないような発想を彼らは伝授してくれた。・・・ある意味感謝だ。

一方で橋下市長は「道義的責任は認めるが、法的責任は認めることはできない」と主張する。そりゃ個人レベルで誰だって道義的には考えることはあるだろう。基本的に橋下市長の主張は理解できる。しかし、こういう発言は一般的に問題をややこしくしている。要するに敵に「つけ入る隙」を与えているのである。つまり韓国人や人権派は「妥協」とか「折半」とかホントの意味での「話し合い」の思想は存在しない。「勝つか、負けるか」あるいは「奪うか、奪われるか」 それだけである。そういう相手の特性を知った上で行動するべきだ。日本人的な「やさしさ」や「倫理観」を彼らの前に出してはいけない。彼らを心の中で「ゴキブリ、ダニ、ウジムシ・・・在特会のヘイトスピーチみたいに」に考える方が良い。

「道義的責任」について私の考えはこうだ。「法的責任は無いのは当然だが、道義的責任もすでに無い」

何故ならすでに70年の歳月が流れているからだ。もし現在も同じような問題があるなら現代社会において「道義的責任」はあるだろう。しかし政治システム、社会的背景、そして倫理観も全く異なる時代について、法的責任がなければ道義的責任も存在しないといえる。過去の道義的責任なんていったら欧米諸国は未来永劫に旧植民地に対して永遠に「道義的責任」を果たさなければならない。確かにナチスのホロコーストのような特殊な場合には「人権に時効はない」と思想が蔓延している。それはそれで問題であるが、「時効がない」というのであれば「冤罪に時効はない」ということもあってしかるべき。歴史上で冤罪で生贄にされた人々の数は計り知れない。

まあ、ちょっと難しい議論をすると上記のようになる。表向きはこのような主張をすべきである。しかし一般社会はそれだけでは不十分である。 心の中で「ゴキブリ、ダニ、ウジムシ・・・に同情は要らない」 これでよい。今までの日本人は、中韓、そして国内の人権派に対してあまりにも優しすぎた。 「日本は優しいからつけ込まれた」 本当の問題の根源はそこにある。 


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循環型の変化が自己組織化を推進する。
各地で被害をもたらした台風がようやく日本海に通り抜け、静かな空がやってきた。大きな台風が来るたびの思う。空気が入れ替わり、水をもたらす。たしかに被害が発生するが、間違いなく大地に富をもたらしている。乾いていた私の小さな畑が水で潤った・・・。

日本には四季があり、台風があり、猛暑があり、寒い冬がある。私がかつて東南アジアに住んでいた頃、ジャングルの中の一本道を車で移動することがよくあった。しかし年中景色はいつも同じだった。常夏であること、スコール(大雨)はあるが強風はない。当然ながら森林の紅葉や雪化粧は存在しない。そして人々の服装はいつも夏服である。まあ当たり前といえばそれまでだが・・・。

この「変化」というものが様々な文化、技術、社会を生んでいることは間違いない。しかし「変化」だけして「カオス」状態が続くと悲惨な社会が待っている。ここで重要なことは「循環型の変化」が文化を生むということ。当ブログでは何度も「自己組織化」について考えた。それと関連している。

私は「自己組織化」が「閉鎖された空間」で「一定の条件下」において発生しうると述べた。一方ですべてが解放された状態の場合、エントロピー(でたらめさ)は増大してカオスになる。移民問題はエントロピー増大の方向性をもっている。移民問題は決して循環型ではない。

この「循環型の変化」もマクロの意味で「閉鎖された空間」であり「一定の条件下」であると考えることができる。つまり「循環型の変化」とは「エントロピー増大」とは明らかに違う。つまり、時間が掛っても元の状態に戻り、それぞれのプロセスで生きるための工夫や技術が生まれる。

さて現代社会に目を向けよう。パレスチナではすでに数千人の子供や女性を含む人々が亡くなっている。中国では大気、水質、土壌汚染は有名だが今年になって旱魃(かんばつ)も大きな問題になっている。そして新興国や韓国に確認できるような経済や社会は、ここ数年は好調に見えたが実は脆弱であることが露呈されている。

これらの問題に関して共通しているのが「循環型」の社会(経済)が形成されていないこと。つまり循環型変化ではなく、無秩序な変化の方向性であること。つまりエントロピー(でたらめさ)が増大するだけで「自己組織化」ができない状況であるといえる。おそらく、そこには「変化」は受け入れるが、そこに「循環型」を見つけられないところに悲劇が存在する。

パレスチナ問題では、恨み恨まれ、殺し殺されの連鎖・・・中国では、官僚腐敗が横行し、拝金主義で環境を犠牲にする・・・韓国では、奪い奪われ、騙し騙され・・・そういう社会構造では高度な社会の「自己組織化」は不可能である。日本としては、そうした社会を反面教師とするべきである。

そして、もう一つ大きな要因として、生物学的、あるいは哲学思想的な要素がある。それは「利己的行動」 「血縁選択性」そして「自己犠牲の精神」・・・これらは民族によって明らかに違う。これは遺伝的(優性学的)な要素も考えられる。人間に限らず社会性のある昆虫や動物だって、「血縁選択性」や「自己犠牲」は存在する。優性学については「人種差別」に繋がるとの懸念からタブー視されてきたが、今後は優性学も含め、こうした「循環型社会」と「自己組織化」について研究が盛んになることを期待する。

まあ、それより今日の問題は私の畑だ。 台風あとの私の畑を整備しに行こう。

(*当ブログのカテゴリ「遺伝学と優性学」、「毒性学」、「物理学と社会」・・・を参照)



テーマ:自然科学 - ジャンル:学問・文化・芸術

王 毅(おう き)と尹炳世(ユン・ビョンセ)
ミャンマーを訪れている岸田外相は9日に、韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)と会談を行い、中国の王 毅(おう き)外相とも会談を調整している。私は常に中韓とは距離を置き、交流を最小限にすべしと主張している。基本的に首脳会談はもちろんのこと外相会談ですら行う意味はないと考えている。

韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)は言うまでももなく「反日の塊」のような人物である。このような人物には外交儀礼も必要ない。どうしても「日本と話し合い」がしたいなら、「在日朝鮮人(南北ともに)の不法滞在も含め、犯罪者の引き取り」、「竹島の国際司法裁判所への共同提訴」、「慰安婦問題に対する日本人への謝罪」、「韓国政府関係者の靖国神社の発言禁止」、「仏像返還」・・・などなど。これを受け入れなければ交渉しない。何も無茶苦茶な要求ではない、すべて国際法、国際常識、歴史的事実・・・に照らし合わせてもまともな要求である。韓国だって日本に対して訳のわからい条件付きでの会談を要求することもあるのだから、日本ができない理由はない。

実際に韓国人の「話し合い」とは日本人の「話し合い」とは明らかに違う。自分の非は黙認させて、相手を譲歩させる・・・これがすべて。「話し合い」とは日本人が考えるような「国際法順守」、「妥協点も模索」とは違う。韓国人は「奪うか、奪われるか」それだけである。テレビなどで東海大の金慶珠の話を聞いていると、それがよく解る。明らかに韓国人的な思考である。こんな連中と簡単に交流しようなんて考え方がそもそも間違っている。仮に個人レベルで理解し合うだけでも相当な時間が掛る。それは呉善花さんの著書を読んでいるとよく解る。現在進行形で行われている日韓交流は明らかに表面的であることは言うまでもない。

一方で中国の王 毅は少し違う。彼は日本語が堪能で駐日大使も務めた。日本のことをよく知っている。しかし、それでも中国共産党の高官である。中国の立場を主張するのは当然だろう。当然ながら台湾問題や靖国問題では中国の立場を維持しようとする。しかし彼は韓国の尹炳世のようなバカではない。台湾人や華僑に多い客家系の人物である。経済感覚や文化感覚も備えている。日中関係は日韓関係と異なり、経済規模や安全保障上での問題は大きい。基本的に大陸との関係は距離を置くのが日本にとって得策である。ただし、ビジネス上で日本は中国と深い関係になってしまった以上はその調整に対して「話し合い」はやむを得ない感がある。そこでそうした「話し合い」が可能なのは王 毅くらいしか存在しない。

中国との関係は、外相というより経済産業省レベルの話である。先般、レアアースの禁輸はWTOでの日欧米側の勝訴に終わった。これに関しては私は珍しく中国側に同情するところがある。レアアースの採取は明らかに環境問題が生じる。その環境問題を中国に押し付けて安価で日欧米は得てきた経緯いがある。自国の資源保護、環境問題・・・これらの主張は私個人的には正しいと考えている。むしろWTOの考え方は「グローバリズムは正」という判断している。まあ、そもそもWTOはそういった存在だ。WTOに加盟した時点で中国もそれを覚悟すべきだった。禁輸した後も実際には闇で密輸されたり、各国が脱中国の開発を進めたために結果的には中国は自分で自分の首を絞めたことになった。

そうした苦い経験をもった中国は今後は、経済的な交渉として各国との駆け引きが活発になるだろう。中国側としては各国の「脱中国」を避けたい。しかしこの「脱中国」の方向は決して変わらない。そこで日本も含め各国は「どうやってスムースに撤退するか?」がキーワードになる。先般の「チキンナゲット事件」のように、中国に難癖つけようと思えば、いくらでもネタはある。おそらくWTO判断のように中国には勝ち目はなく、国家としてはカオス状態になる。(すでに中国は国家としてはカオスである) このままでは再び大戦前の中国のような状態に戻る可能性すらある。日本としては、一定の距離を保ちながらも日本が損害受けることのないような戦略を考えるべき。

周辺諸国へ配慮?これも詐欺の一種
今朝のNHKのニュースで「安部首相は終戦の日に靖国神社に行かない方針」と報道しているのを目にした。実際に安部首相は行くとも行かないとも言っていない。毎年のように、こんなくだらない内容をマスメディアが報じているのに多くの人たちが呆れている。本当にNHKはバカとしか言いようがない。私も妻も「腹が立つからテレビ消そう」といって消した。もともとはテレビで台風情報が見たかっただけだった。これでまたNHKは全国から抗議の電話やメールが殺到するだろう。

おそらくNHKは自分たちのバカさかげんに気付いていない・・・だからバカなのだ。何が周辺諸国への配慮だ。周辺諸国って限定国家じゃないか。ここは日本だ。いいかげんに訳のわからない「配慮」なんてことを考えること自体がバカまるだしだ。外国(特に中国、韓国)に配慮など必要ない。中国、韓国が日本に何か配慮したことがあるか?そんなこと小学生の私の子供も理解している。それを理解できないNHKは幼稚園以下の知能しかない。

一方でNHKは日本国民への配慮はないのであろうか? 朝日新聞にしてもそうだが、日本国民に配慮できないマスメディアは潰れる方向であることは間違いない。どれだけ一部の活動家が支援しても、日本国民全体を敵にまわしたら勝ち目はない。しかし、団塊の世代や中高年女性を中心に今だに朝日新聞やNHKを信用している層が多い。こうした人たちが「オレオレ詐欺」に引っ掛かる。要するに、騙されやすい人が朝日新聞を読んでいるということ。

現在、警察は様々な「オレオレ詐欺」対策を実施している。それと同様に様々な新たな詐欺を認定しよう。

1.周辺諸国へ配慮詐欺: NHK、朝日新聞、田中真紀子・・・等がよく使用する。

2.仲良くしようぜ詐欺: 反ヘイトスピーチ集団やいじめっ子も頻繁に使用する。

3.かわいそう詐欺: 人権派、フェミニストがよく使用する。

オレオレ詐欺に遭いそうな人々にターゲットを絞って、上記の1、2,3の注意喚起をすると効果は高いかもしれない。そういえば「大阪のおばちゃん」はオレオレ詐欺に遭う件数が少ないとのこと。こういう「おばちゃん」にも協力してもらってこれらの注意喚起すれば効果は更に増すかも?やはり日本では「おばちゃんパワー」を活用するのがよい。
 
不登校の実態
この10年間で不登校の件数が減っていたのが、最近になって急激に増えているというニュースがある。また、学校関係者から児童の所在が確認できないケースが全国で数百件あるとのこと。先般、不明になっていた児童がアパートで白骨死体で発見されており、児童虐待の関連が指摘されている。従って、こうした確認できない多くの児童が家庭内虐待と関連していないか懸念する声が多い。

いわゆる「消えた高齢者」のように手当(児童手当)が目的で死亡報告を役所に提出していないこともあるかもしれない。しかし年金に比べて児童手当はあまりにも低額すぎる。しかし役所に死亡報告しないことは今も昔も同じだろう。逆に出生届けを出さずに東南アジアのように人身売買を闇で行われている可能性もある。

一方で最近になって不登校が増えた理由は、親が「イジメの懸念があるなら学校に行かなくてもよい」と判断しているとの指摘がある。私も以前から、自分の子供に本当にイジメなどの嫌なことがあるなら学校へ行かなくてもよいと伝えている。
何度か当ブログでも私は「学校がすべてではない」と書いている。

おそらく教育委員会やPTAは「義務教育だから」とか「子供を甘えさせるな」とか「不登校が増えると困る」とか勝手なことをいう人たちは多い。また学校関係者の笑わせるコメントが「学校は子供にとって大切な時期」・・・これは学校至上主義の思想である。「大切な時期」なんて学校以外でもいくらでもある。大人になってからの方が勉強することが多い。

基本的に教育関係者は「学校での問題を内密」にして「家庭の問題」にすりかえる傾向がある。たしかに一部の家庭では家庭内暴力や児童虐待はあるかもしれない。しかし学校だって陰湿なイジメを放置すること多くあるし、何より先生たちは忙しいので実態を把握できないのが現状だ。わたしは「どっちもどっち」だと思っている。

いずれにせよ最近の不登校が増えているのは、先に述べた「イジメの懸念があるなら学校に行かなくてもよい」という思想が着実に増えていることだと私は考えている。家庭内の児童虐待なんて最近はじまった問題ではない。つまり、これは良い傾向かもしれない。確かに国民は教育を受ける義務がある。しかし、どういう形であれ勉強すれば良いのである。当然、学校へ行かずに遊んでばかりいても問題であるが、人間はずっと遊んでいると飽きてくるもの・・・ある日突然、勉強欲が出てくる人もいる。・・・実は私もそうだった。

以前、当ブログでは「内向き」とか「閉鎖された空間」こそが自己組織化させる一つの方法であると述べた。学校へ行かずに専門的な知識を身につけたり、技術を身につければ・・・意外にも多くの天才を生むきっかけになるように思える。たいていの天才は引きこもりだった時期があったことは様々な歴史でも知られている。

もっと不登校の実態を調査すると、本来の教育のあるべき姿が見えてくるのではないだろうか? 是非、詳しい方おられましたらコメント頂ければ幸いです。


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自己組織化と社会
私は何度かこのブログで自己組織化と社会について考えた。自己組織化とはエントロピー増大のようなデタラメさの中で何かの指令や設計ではなく自然と秩序が生まれる現象である。以前、私はこれを科学では氷の結晶や鋼の熱処理での内部組織を例に挙げた。そして社会においても歴史上では農業を中心としたムラ社会や企業城下町のような社会の自己組織化について説明した。

一部の学者が何故に「自己組織化」に注目するか?それは先に述べたように「何かの指令や設計」での組織形成が失敗することが歴史上で何度も繰り返されてきたことにある。。一方で自然界の動植物や古い人間社会のように長い年月を掛けて形成さらた秩序は非常に強固なものであることに知識人が気付いたからである。そして、最近の科学ではiPS細胞に代表されるように自己組織化する万能細胞・・・これも間違いなく自己組織化の発想がそこにはある。

かつての社会制度としての封建制度は「トップからの指令」であり、共産主義は「設計主義のようなもの」であり、新自由主義というのは「エントロピー増大」・・・それぞれに長所と短所があり、常に社会は個人主義(あるいは特定集団の利益)をイデオロギー対立に置き換えてきた歴史がある。残念ながら、そこには自己組織化という概念は薄かった。特に欧米社会では、「神」がいて「人間」がいて「自然」がある・・・どちらかというと自然とは人間に支配される存在という哲学が強かったことが影響している。

現代の工業界でも、似たような現象がある。工業製品の多くが設計不良によるリコールが多いこと。もちろん工業製品の設計は非常に重要な仕事である。しかし工業界でも「設計主義」に陥っているところがある。ここに自己組織化させる発想があると全く違ってくる。しかし工業界ではその「自己組織化」という発想が弱いのだ。特に材料特性や工程特性に弱い設計者は失敗が多い。そもそも、絵画でも音楽でも、設計図どおりに作成するというものではない。ジグソーパズルの組み合わせとは違う。そこには何か絵具や楽器の特性を生かした広がりを持たせている。この何らかの特性で広がりを持たせる・・・という発想は自己組織化と同じ発想である。

以前、私は「思考や学習による知識の自己組織化」、「運動や訓練による体力や技術の自己組織化」これがヒトが生きる上で最も重要の事と述べた。まさしく人間社会の中枢はそこにある。誰かが知恵や技術、そして体力を使っているから社会が成り立っている。そこには多様性による進化が生まれる。

社会や環境での自己組織化の利用とは、実際に様々な分野で応用されている。「自己組織化」について考えると本当にキリがない。今後も当ブログの重要テーマとして何回かに分けて考えたい。


「不作為の代償」と「確信犯の代償」
理化学研究所の笹井芳樹副センター長が自殺するという悲しいニュースがあった。複数の遺書が残されていたようで、報道によると小保方氏へ向けては「あなたのせいではない」「STAP細胞を必ず再現してください」・・・あったとのこと。

今回のSTAP細胞の論文については問題はあったことは確かだろう。また理研の関係者の管理責任もあったかもしれない。亡くなった笹井氏は小保方氏の教育係であったとして深い責任を感じていたのであろう。しかし、何か大きな犯罪を犯したわけではない。ただ社会への波紋が広がってしまった。「不作為の代償」がこのような形になって良いはずがない。

かつて「Rape of Nanking」の著者のアイリスチャンが亡くなったとき、自殺か他殺か議論になったことがあった。彼女は聡明で正義感の強い女性だった。そして、公開質問状に回答することなく死亡した。おそらく本当の南京の事実を知ったのか?あるいは誰かに脅されたのか? 強い正義感を持っているが故に耐え切れなくなったのでは?

また、昨日のニュースで「朝日新聞が従軍慰安婦の記事の誤りを認める」というのがあった。多くのネットユーザは「今更何だ」という気持ちが大きいであろう。しかし朝日新聞としても「訂正記事」を掲載するしかない状況に追い込まれた。植村記者はすでに朝日新聞を退社している。今回の記事ではまだ植村記者を擁護するような姿勢で、政府を批判する姿勢は崩していない。この頑な姿勢こそ「歪んだ報道の自由」を生んだ元凶だと考えることができる。

朝日新聞の場合は、「不作為の代償」といえない部分がある。植村記者は韓国の市民団体とつながっていたのは公然の事実。また朝日新聞の上層部は団塊世代の影響を受け、プロパガンダ集団からの支援を受けていた。もし植村氏が正義感の強い人物であれば自ら命を絶つ可能性もある。しかし朝日新聞本体は壊滅するどころか、断末魔の叫びのように、「反安部政権」という架空社是を追求する。・・・哀れだ。

一般国民の中にも、良かれと思って純粋に「従軍慰安婦問題」を追及した人もいただろう。そして純粋に「人権問題」や「平和」を訴える人も多いであろう。誰だって個人レベルでは何らかの正義感を持っている。ここで重要なことは、理研のような「不作為の代償」を追求すべきではない。科学技術の先端機関であった理研たたきは日本国民にとって何の有益性もない。本当に追求すべきは「確信犯の代償」である。

「確信犯」は間違っていると解っていてもそれを認めない存在である。弁護士だってそうだ。弁護士の仕事は依頼者の要請に従って「事実や正義はどうであれ」、依頼者に有利になるような活動をするものだ。それは一部の政治家だってそうだ。支持者の要望に応えるのが彼らの仕事だ。たとえそれが反社会的であったとしても、その要望に応える・・・本来なら、そういう利己的な要望をなだめるの政治家や弁護士の重要な役割のはず・・・

本来のマスメディアや言論は、そうしたことを見極める存在であるべきだ。今回の笹井氏の自殺はそうしたことを改めて考えさせられた。


「語り部」の言葉より「モノ」が語る。
米軍が日本に原爆を落として69年が経とうとしている。明日8月6日は広島、週末の9日は長崎で原爆の日を迎える。当時を知るいわゆる「語り部」が活躍する時期でもある。彼らはすでに80歳代後半以上の年齢になっている。必死で後世に伝えたい気持ちは解るが、記憶は薄れていく。中には高校生から「この死に損ない、くそじじい」といわれて、学校に抗議する・・・。多くの子供をふくめ、語り部の証言から何を得るのかが課題になっているように思える。

いつの世もそうであるが、人の証言ほど曖昧なものはない。突然の出来事では気が動転して何も覚えていないことのほうが多い。「ドーンと大きな音がして、凄まじい爆風があって、・・・気がついたら周りは死体だらけだった・・・」こんな台詞は誰だっていえる。最後のキメ台詞は「やっぱり戦争はよくないね」・・・そして「安部政権はよくない・・・」そんな現代の政治問題につなげようとするプロ市民も相変わらず多いようだ。皆がうんざりしてるけど表立っていえない。

人の記憶とは本当に曖昧なものだ。私の個人的な小さなエピソードだが、小銭入れをなくして近くの交番にかけよったことがあった。そこで「どんな財布?」ときかれて「えーと深い茶色だったかなあ(実際は黒だった)」そして「四角の財布(実際は丸みを帯びていた)」 なんて応えて交番の警察は不思議そうな顔をした。あと「いくら入っていた?」その質問にも全く答えられない。結局は財布の中にあった小さなどこかのお土産品で私の財布というのが、ようやく証明できた。

そのとき思ったのが、いつも身近にあるアイテムですら殆ど覚えていない自分に愕然とした。でも実際に記憶というのはそういうものだ。ときには話している間にストーリーが変わっていくことすらある。もちろん何かに集中しているとき(スポーツ)などでは、鮮明に覚えているという。はっきりいって時と場合によって、そして人それぞれだ。すべての語り部が正確に話していると思わない方がよい。

しかしモノは違う。アルミ製の変形した弁当箱・・・。これだけでも「どれくらいの熱が加わったか」、どれくらいの「衝撃荷重がかかったか」・・・そういうことを物理学的に推測することができる。また上野正彦氏の「死体は語る」は有名だが、血痕の大きさだけで、どこまで飛び散ったか?どの方向からどれくらい力が加わったか推測できる。何より、死体やモノは嘘をつかない。

また、核分裂や核融合では数千度の温度になる。人間は1500℃以上で跡形もなくなる。800-1000℃で衣服や毛髪はなくなる。500℃以上の熱風で息をすれば肺が焼ける・・・。400℃未満で命は取り留めるが、重い後遺症になる・・・
(*それぞれの数値はおおよそ) こんな感じで科学的な知識を身につけた上で原爆に関する資料や語り部の言葉を耳にすべきだろう。

別にすべての語り部を否定する気はない。ただし中学生以上だったら、そうした歴史的、科学的背景を理解したうえで語り部に耳を傾けるべきであろう。そして脚色が加わっているかも?って思っても良い。例えば、日本の歴史の語り部で有名なのが稗田阿礼(古事記の語り部)がいた。確かに多くの事実と脚色があるだろう。だからといって無視できない。そんな感覚を、左も右も関係なく耳を傾けるのもいいだろう。そして後でじっくり考えればよい。

「内向き」で自己組織化が可能になる。
九州大学の施光恒(せ・てるひさ)さんが面白いコメントをされていた。一部抜粋します。

ここ数年、「現在の若者には「内向き」志向が蔓延していてけしからん!これをどう是正すべきか」みたいなことが一部の年配者(特に財界人や政治家)からよく言われます。しかし私は、若者の「内向き」よりも、年配世代の行き過ぎた「外向き」のほうが、はるかに害が大きいと思います。

私も全く同感です。是非もっと興味のある方は施光恒さんの書籍や講演などを参考にされると良いと思います。以前、当ブログ「世代交代は絶対必要だ」では団塊の世代をはじめとして歪んだ左翼思想に染まった人たちに早く引退してほしいという主張をした。そのためには「手切れ金(人民元か韓国ウォン)を払え」という皮肉たっぷりの記事を書いた。

こういう人たちに共通するのは、「何となく感じる海外への憧れ」、そして「広く世界に羽ばたくことは素晴らしい」・・・そういった思想が根底にある。よく小中学校の校歌でも、そうした歌詞が付けられることも多く、私も中学高校生くらいではそう考えた時期もあった。そして彼らはボブディランやジョンレノンの音楽だけでなく思想的にも憧れる・・・私は個人的にジョンレノンの曲は好きだが70年代にヤクに溺れて反戦ソングを歌っていた頃のジョンレノンはどうしても好きになれなかった。まあ、そういう時代だったのだろう。その後、1980年にジョンレノンが射殺される前に純粋な家族愛を歌っていたのが私は今でもお気に入りである。

さて話は戻って、それから何年か経って私は社会人になり海外赴任や海外出張を重ねるにつれて、当時の「平和運動」なる思想が幻想であることに気付く。結局は、会社や個人の技術力、そして知識と管理能力が重要であって、外国語は話せても仕事ができなかったら、どこへいっても子供と同じということ。海外旅行が趣味な人たちは多いが、よく「自分探しの旅」という言葉がある。しかし最終的には「自分の心の中」、あるいは「自分の体(肉体的)」にしか見つけることはできない。「ナポリを見て死ね」という諺は、決してナポリが主役ではなく本人自身が主役であること・・・

まずは個人レベルでの知識、技術そして体力などを「自己組織化」させるということ。この「自己組織化」と言う言葉は、もともとは物理学の用語であるが、こうした議論では重要な概念だ。何か個人で高度なモノを作り出す、あるいは何かを高度な能力を身につけるためには「閉鎖された空間」が絶対に必要になる。誰だって必死で勉強するとき、高度な絵画を描くとき、音楽を作曲するとき、そして何かのテクニックを身につけるとき・・・雑念を捨てて、集中力が絶対に必要になる。このとき、単純なジグソーパズルのように組み合わせるだけでなく、自己組織化させるような現象を利用しているものである。それには閉鎖された空間で安定した諸条件(照明、温度、湿度、色、雑音・・・など)があって集中できるもの。

何度か当ブログではこの「自己組織化」という言葉を多く使っている。これは個人の知識や能力だけでなく、社会学を考える大きなキーワードであることは間違いない。「内向き」や「閉鎖的」を何となく否定している人たちは多い。おそらく多くの人たちは「自己組織化」はどうやって生まれるか?偉大な進化や発展はどうやって生まれたか?その意味とそのすばらしさを理解していないからだと断言する。

物理学の詳細は知らなくても構わない。しかし「自己組織化」の意味はあらゆる分野で理解することは社会を考える上で重要な手段となるべきである。何となく極端なグローバリズムは間違っている・・・と考える方々は増えている。しかしその根拠が物理学的なエントロピー増大、自己組織化・・・こういったことで説明できる。


静かな努力?
本日のMSN産経ニュース記事によると、ブラジル訪問中の安部総理は日中首脳会談について「お互い静かな努力を続けることも大切だ。11月の北京でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)の際にできればよい」と期待感を示した・・・とのこと。「静かの努力」・・・まあ「うるさい努力」よりはマシかも・・・

相変わらず、記者たちはブラジル訪問にも関わらず中国について質問することが多い。これは安部総理が第二次安部政権が発足後より、中国と韓国を除いた各国を歴訪していることに関して「中国包囲網」との認識が強いからだろう。

安部首相の真意はわからないが、私が首相の立場だったら「中国包囲網」なんて発想はないだろう。ただ単純に今までODAも含めて外交的にアジア重視だったのを普通の外交に変えるだけ・・・従来のODAをはじめアジア重視だったのは地政学的な理由だけではなく事実上の戦後処理の色合いが濃かった。

もう日本は中国や韓国には十分責任は果たした。もし交渉があるとしたら「日本の知的財産の保護」、「中国、韓国人の日本での不法滞在や犯罪率の改善」を要求する。・・・つまり中国、韓国側の日本に対する責任を果たす時である。それを彼らが拒否するなら、交渉は一切必要ない。しかし、この両国は相変わらずマヌケな歴史問題を振りかざすだろう。しかし日本は毅然とした態度で、いわゆる従軍慰安婦問題とか南京大虐殺という「嘘吐き」とは付き合わない・・・と明言すれば良い。

だって子供でも嘘吐きの子供を敬遠する。また、子供はいじめっ子と一緒に遊ぶことを拒絶する権利はある。大人でも嫌な異性からストーカのように付きまとわれたら犯罪である。昨日のブログでも述べたが、「日中友好」とか「日韓友好」なんていらない。そもそも相手を国と思ってはいけない、カネだけ興味のある怪獣「カネゴン」のようなものと思えば良い (ちょっと古い・・・カネゴンファンの方・・・失礼)。

少し考えれば簡単なこと、ストーカから「仲良くしようぜ」とか言われ「そうですね・・・わかりました」というバカはいない。また怪獣カネゴンからカネくれっていわれて「ハイ どうぞ」なんてはウルトラマンだってそんなこと言わない。たしかにカネゴンは強かったが、宇宙のゴミ?としてウルトラマンに処分された。宇宙のゴミ?に異論はあるかもしれないが、やはりウルトラマンはヒーローだ。


世代交代は絶対に必要だ
例えば「日本の財政破綻論」、「従軍慰安婦20万人強制連行」、「南京大虐殺」・・・こういったことは虚構であり、嘘であることは多くの知識人、およびネット上ではもはや常識である。しかし一部の政治家、活動家、マスコミ、弁護士、なになに団体・・・は何らかの目的(カネや権益)のために必死になって訴えている。中には無知が故に、嘘に気付いていない人たちも今だに多い。

こうした無知が故に・・・という人のために何が必要か? まずは教育、そしてマスメディア改革が必要である。教育に関しては、最近は優秀な先生方が増えている。また子供たちもネットを通じて嫌韓、反中思想は確実に浸透している。先生がヘンなこといえば子供から、あるいは父兄からボコボコにされることも多いようだ。実はマスメディアも若手を中心に変革意識がある者も増えている。確実に変わりつつある。しかし遅い、とにかく遅い。

その大きな理由がある。そうした偏った教育や報道してきた世代が今だに現役で居座っていること・・・団塊の世代はかなり引退したが、反日左翼の影響を受けた世代はまだまだ多い。例えば、70年代は右も左も朝鮮半島との関わりは重要との認識だった。自民党に多い日韓議員連盟だって、その名残である。また旧社会党系は親北朝鮮であり、その名残はいまだにある。結局は一度始めた事はなかなか止めることができないということだ。

以前から私が主張しているように、日本は大陸とは距離を置く。特に朝鮮半島には関わらない。これが本来あるべき姿だ。何が日中友好だ、何が日韓友好だ、そんな嘘吐き国家(中国、朝鮮人は嘘は悪でないという思想がある)と付き合う必要はない。それは歴史が証明している。

やれ日中友好だあ、とか日韓友好だあ、と訴えた年配の連中は歳とって「今更間違っていた」なんて言うわけない。たしかに当時は戦後処理としてのある程度の意味はあっただろう。しかし既に戦争が終わって70年経とうとしている。もう「戦後」は終わりにして、世代交代させるべきである。やはり世代交代というのが一番有効な手段だ。

そこで、その障害となっているのが年金制度だ。支給年齢の65歳引上げにともない、職場では本人の希望あれば強制的やめさすことができない。もちろん給与は下がるが・・・企業内でも仕事がなくウロウロする年配者が増えている。

私の個人的な案だが、こういう連中に「手切れ金」を渡して強制的に引退させる。「手切れ金」は政府が補助する。ただし支給は現金のみで「韓国ウォン」か「人民元」にする。ちょうど円安傾向だから彼らも嬉しいだろう。マスメディア、学校教諭、公務員、人権派弁護士、政治家もだ。腐った外貨を政府がいくら持っていても無意味である。

彼らは、これらの国に移住すればよいのでは?まず田中真紀子に「人民元」を与えて中国へ移住させる。田嶋陽子に「韓国ウォン」を渡して韓国へ移住させる。そして二度と日本に入国させない・・・中国、韓国も歓迎する・・・すばらしい案だと思いませんか?


テーマ:日本を正常な国に戻したい - ジャンル:政治・経済



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小室沢直樹

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「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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