理系おじさんの社会学
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不可能を可能にすること?
6/27ブログは製品リコールの問題を取り上げ、製品開発スピードの問題を取り上げた。とにかく「開発はスピードが命」というのは幻想である。時間が掛かることはどうやっても掛かる。こういう発想は「技術」「知識」「経験」を軽視している経営者のファンタジーなのである。「開発に遅れて商機を逃す・・・」という経営者の危機感は多少は理解できるが、中途半端な開発は後々もっと苦労することになる。

そもそも技術的に不可能なことは不可能である。例えば、鉄(Fe)がちょっと勘違いしてアルミ(Al)に変身することはない。しかしファンタジー経営者は「不可能を可能にするのが技術者の役割だ」と叫ぶ。ナポレオンのように「我輩の辞書には不可能という文字はない」といいながら結局は目標達成できなかった(不可能だった)。

何か特殊技術があるなら未だ議論の余地はあるが、そんなもの存在しないのに「技術力は1年で3倍にしろ」というようなものだ。以前、日本国内でチーズやバターの価格が高騰した際に、ある政治家が「牛乳生産を1年で倍にしろ」のような発言したことがあった。「牛はすぐには大きくならない」「牛は妊娠しなければミルクは出ない」ということを全く理解していない正しくファンタジー政治家のコメントであった。まあミルクに水と他の白い物体を混入させてば生産量は倍になる。あるいは仔牛に成長ホルモン投与で多少は早くなる。そんなことで「増産した」と威張れるなんてのは許されない。

バカなトップとはホントに困ったものである。その極めつけが毛沢東の「大躍進政策」である。工業政策にしても農業政策にしてもまともな技術者からみればあまりに稚拙であった。毛沢東自身も何の科学的知識もなく、こうした大躍進させる政策をとったのである。もともとは15年かかると言われた政策を3年で実行しようとしたのである。加えていえば「国民思想」が未熟である。中国人民が「迷信」、「偉い人のことば」、「嘘の報告」に拘るようでは科学技術があっても躍進しない。この「大躍進政策」は狂気そのものである。(Wikipedia 大躍進政策の詳細が記載されている)

こうした毛沢東のような経営者が今でも多く存在している。何かを大躍進させたいなら「科学的根拠」がなければ絶対に成功しない。スローガンだけ掲げても、技術がなければ農業や工業は成立しない。それを理解していないファンタジー経営者やファンタジー政治家が今だに多いのは非常に残念なことである。

一番大切なのは「熱意」であると言い切る人がいる。はっきりいってそれも間違っている。ここで有名な英語のことわざを紹介する。

Zeal without knowledge is a runaway horse.  知識のない熱意は暴れ馬

熱意だけでは危険である。知識や技術が伴わなければ毛沢東の「大躍進政策」と同じである。現代の日本ですら開発に失敗する企業は毛沢東のような無能なトップが原因になっていることが多い。実際の中国の大躍進政策では戦争していないのに、数千万人が犠牲になったといわれている。

基本的に「不可能を可能にすることはできない」、特に熱意だけで改革したら恐ろしいことになる。どうしても変革したいなら科学技術を生かして改善することでしか大きな変革はできない。それは決して「改革」ではない。「改善」の積み重ねである。本当の科学技術の進歩や社会の進歩とはそういうものだ。だから簡単に「不可能を可能にする」なんてスローガンを掲げるトップには決してついていかない方が良い。


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テーマ:政治思想 - ジャンル:政治・経済

フェミニストの運命
フェミニストというのは不思議な存在だ。特に目立つ(割合が多い)のが「独身オバサン」と「レズビアン」である。中には純粋に「女性の地位向上」を訴える女性もいるが、それは既婚女性が多く極めて少数派である。まあ「独身オバサン」と言っただけで「差別、差別」と叫ぶだろう。しかし、よくよく観察していると彼女たちは「男女の純愛」や「男女の性的行為」そのものも許せないのである。

多くのフェミニストは専業主婦や子育て行為を憎悪し、影の少子化推進派なのである。こういう人種を少子化対策チームに加えても全く無意味であり逆効果である。それを反日勢力(中国、朝鮮)が上手く利用している・・・というか上手く波長が合ってしまったのが本質である。東京都議会のセクハラやじの被害者?である塩村議員自身はフェミニストには見えない。結局は自民党議員が非難を浴び、維新の会である塩村議員もネット上で誹謗中傷され、喜んだのは共産党系議員だけかも?

フェミニストの敵である専業主婦は一見して「楽」そうに見えたり、「三食昼寝付き」と揶揄されることがある。しかし精神的な苦痛も多い。私の妻も子供が小さい頃は「家に居るばかりは嫌」のようなことを言っていたが、いざ外で働いて仕事が忙しくなると「やっぱり家がいいなあ」なんていう。結局それは長い女性の人生の中での一場面に過ぎない。

女性だって、長い人生の中で様々なことがある。結局は、家族を持ち幸せな気持ちになる瞬間は多くある。苦労しながらも達成感や家族の安らぎがある。とくに夫婦で安定した収入があれば尚更だ。そりゃ夫婦でケンカすることもあれば子供の問題が発生することもある。長い人生の中でそうしたことを経験を経て様々な哲学を感じるようになる。しかし、フェミニストはそれをすべて否定しようとする。

とにかくフェミニストは「嫉妬心」の塊であり、それをパワーの源としている。結局は「女性の人権」という主張は「正義の味方」のふりをして男性への逆差別を生んでいる。そのことに解っていながらも運動を推進する。フェミニストの根本思想はこうだ。「結婚を否定しろ」、「出産を否定しろ」・・・・。

つまり嫉妬心が強すぎるあまりに、「男女の幸福が許せない」というのが根底に存在する。多くの女性は他の女性の幸せは許せないのである。他の女性の不幸は楽しい。自分より綺麗な女性は許せない・・・。これが女性の悲しい性(さが)である。

一方で既婚女性や子供を持つ女性は、独身女性に対して「気楽でいいわよね」といいながら、心の中でバカにしている。そして何よりも独身女性に対する「嫉妬心」は全く持っていない。女性の世界は本当に残酷だ(コワイ、コワイ)。しかし社会学を学ぶにあたってこの議論は避けて通れない。

さてフェミニストは、従軍慰安婦問題で「強制連行とか」「性奴隷」ということが、そもそもの嫌悪感のベースになっていない。これらの主張はあくまでも社会の同情を得るための道具である。本当の嫌悪感は「男女が楽しくセックスする」ことに嫌悪感を持っているのである。

従って、「30万人強制連行は事実じゃないですよ」といっても、そもそもの嫌悪感の焦点がそこではないから話にならない。論点をすりかえて、だれでも馴染みやすい「人権問題」であると主張する。その代表格が東海大の金慶珠である。また、すべての反論を聞く耳持たないのがタレントの田嶋陽子であり、その典型的な存在である。(田嶋陽子はテレビ的には面白かもしれないが、社会悪だから公共電波に乗せない方がよい)

そもそもフェミニズムは何も日本だけの話ではない。起源は様々な説があるが、やはりフランス革命が大きなきっかけになっている。やはりフランス革命は色んな意味で考えさせられる出来事だ。私は「フェミニズム=嫉妬心」と断定してもいいと思っている。これは個人だけでなく、例えば韓国という国家も日本への嫉妬心の強さのあまりにフェミニズムのような反日活動をしていると言える。それが本質でなのである。本当は韓国は日本への反日ではなく「強烈な嫉妬心」なのである。

かつて日本では女性は皆が結婚できた。それは結婚しないと生きていけないことも理由であった。そして身分の高い家柄の女性は嫁ぎ先が最初から決まっており、女性としても魅力があろうが、なかろうが結婚できた。男性側も女性側も初対面で結婚して、どっちが得したかなんてのは誰にも判定できない。

しかし現代社会は自由恋愛が基本である。どうしても婚期を逃す女性や男性が生まれる。独身男性はアダルトビデオを見たり、風俗行けばある程度の性欲解消は可能である。男の性欲は単純であることは生物学的に否定しようがない。しかし女性の場合は40歳過ぎると、どうしようもなくなる。

そういう危機感と幸せな女性に対する憎悪・・・そして「皆が不幸になればいいのよ」という反社会的な行動に出る。そして喚きながら子孫を残せずに死んでゆく運命が待っている。まあ可哀そうと言えば可哀そうかもしれないが、社会にとっては「悪」のような存在であることは間違いない。かといって古典的な「いいなづけ」や「お見合い制度」は認めない。

また、やっかいなのはフェミニストは結構おカネを持っていること。にもかかわらず社会貢献度も低く、モノやサービスを購入するのを控える(ケチである)。そしてプロパガンダ活動でうっぷん晴らしをする。

なかなかこの問題の解決策は難しい。私の奇抜な案だが、フェミニスト特区(あるいは独立国家)をつくって彼女たちだけで生活させる。自治権、経営権、自衛権 (彼女たちは自衛隊否定しているから自警団かなあ)・・・すべての権利を与える。望み通りすべての権利を与える。そして自分たちの力だけで生活させる。ただし出入国管理は厳正にする。日本本土への入国を制限する。・・・うーん、これしかないな。場所は・・・尖閣諸島がいいかなあ。

私は維新の会が推奨する「経済特区」に反対の立場だが、「フェミニスト自治共和国」として「特区」を作るなら大賛成である。さあフェミニストの皆さん、権利を主張するなら私の案に同意できますよね!


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韓国での元「米軍慰安婦」問題
韓国で元「米軍慰安婦」122人が国に賠償求め集団提訴とのニュースを目にした。ここで強調されているのが、政府の厳しい管理下で「人権侵害」であること。たしか当時の韓国大統領であった朴大統領(現大統領パククネの父)のサインもある。争点は「米軍の強制連行」ではない。韓国の「人権侵害」ということなのか?

もともと日本の従軍慰安婦問題に疑問を感じていた韓国の元「米軍慰安婦たち」は大勢いた。今までは、韓国政府によって実質的におさえられてきた。しかし、ここにきて抑えられなくなったようだ。ここでおもしろいのは、「米軍慰安婦」問題なのに訴訟相手はアメリカではなく韓国政府であるということ。

この裁判はどうなるか見ものだ。何度か当ブログで私が述べているように日本の従軍慰安婦問題訴訟(日本、韓国、フィリピン、アメリカ)では日韓基本条約や労働請求権時効を根拠に原告敗訴が確定している。しかし韓国はそもそも法治国家ではない。最近、「労働請求権」に関しては韓国で不条理な判決が出されているので「人権侵害に時効はない」という判決を出す可能性がある。そうでなければ韓国司法の一貫性はなくなる。

そして日韓基本条約での「請求権放棄」のようなものが韓国政府と韓国国民の間に存在しない。そもそも日韓基本条約でも日本側の資金提供は戦争で傷ついた人のためであり、韓国政府が補償すべきものだった。それを知っている韓国の知識人は多い。そうなると当然ながら米軍慰安婦に対しても同様ということになる。

もしかしたら、この訴訟をきっかけに日本の従軍慰安婦問題の熱が下がる可能性がある。というより韓国人の知識人がそれを望んでいるとも考えられる。このままでは日本の嫌韓感情は高まるばかり、長期的にも世界の世論も韓国側に有利になるとは思えない。すでに経済的にマイナスに傾いている。

こんなくだらない問題で韓国経済、そして韓国の安全保障が脅かされることがあっては困る。それは韓国として当然である。実は韓国人の多くはどうしてよいか解らない状況になっており、その解決の糸口として今回の訴訟があると考えてもいいかもしれない。いずれにせよ、この訴訟は原告側が勝訴しても敗訴しても、どちらでも韓国政府の痛手は大きい。

一番よくないパターンは何らかの圧力による「訴訟取り下げ」である。是非、日本の左翼の方々、フェミニズムの方々は原告側を全面的に支援することを願う。もし、そうしなければ彼らは人権団体ではなく単なるプロパガンダだと断定できる。これは見ものだ。




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工業製品のリコール
工業製品のリコールがあとを絶たない。最近では自動車に搭載されるエアバックの大規模リコールがある。このリコールは過去にも発生していて対象範囲が広がったようだ。幸い私の車は対象ではなかった。

また家電製品では衣服乾燥機のリコールがあった。残念ながら私の家電は対象であった。つい最近、我が家にもリコール案内手紙がきた。内容は製品のある部分が水滴と接触すると、煙が発生するというもの。明日、業者が我が家に来て確認予定。(ちなみに今まで何の不具合もない)

こういった不具合は多かれ少なかれ開発時の設計問題がある。通常メーカーは設計問題にしたくないために、製造工程上の「変化点」に着目して「対象範囲」を設定する。しかし設計問題も場合、どれだけ対象範囲を限定しようとしても別のロットからも不具合が発生してしまう。

そもそもこうした製品は開発時、あるいは出荷前に検査合格になっているはずである。誤って不具合品が流出したのではなく、問題ないと判定されて出荷された。こうした不具合はなぜ開発当初には確認できないのであろうか?私が考えるには以下の理由がある。

① 通常の評価試験では判らない。
② 全数検査(特に破壊試験)、あるいはその代用試験ができない。
③ 様々な環境での経時変化がわからない。

例えば一般的な構造物(特に建築)の場合、構造設計というものがある。部材の強度、重量、そしてそれらの構造によって破壊に対する設計が容易である。建築での強度計算が簡単である。しかし衝撃や疲労、磨耗そして腐食耐久というものを短期間で評価することは極めて困難である。各種の促進試験は存在するが、それが実環境でどうなるかを推測するのは難しい。

しかし物理学(特に材料力学や電磁気学)の高度な知識や深い経験がある技術者ならば、ある程度の危険予知が可能である。一般的に開発、設計者は機械系の学校を卒業しているケースが多い。しかし何故か「物理学」が苦手な開発者が多い。これは致命的である。つまり、こういった製品は開発者の物理学の能力レベルに左右されるところが非常に大きい。更に品質保証部門の技術的な知識がどこまであるかも重要である。

とにかく最近の開発は、「軽量であること」「低コストであること」「法規や仕様を満足すること」これを目標としている。 ここで実環境での品質はどうなのか?という深堀ができていないのである。特にアッセンブリ業界(組付会社)は部品や素材特性を十分に理解していないことが多い。部品や素材特性を知らずに上記の3項目だけを目標にして設計すると必ず問題が発生する。

もう一つ問題なのは、こうした問題のある製品の開発者(設計者)は若い技術者が多いこと。早い話が「経験不足」と「知識不足」である。もともと経験不足なのに従来品よりも上記3項目を要求されるのである。さらに問題なのは、開発スピードである。特に自動車や電気業界の場合は開発スケジュールが決まっており、これを遅延することは許されない。要するに見極めが不十分なまま合格になってしまうケースも多々あるというわけだ。

まあ当面は各社で製品リコールは残念ながら減少することはないだろう。

日本の教員働き過ぎ
昨日の時事通信ニュースで「日本の教員働き過ぎ?」という記事があった。一部抜粋すると。

 調査結果では、勤務時間は加盟国平均の週38.3時間に対し、日本は53.9時間。授業とその準備などに費やす時間はほぼ変わらないものの、事務作業5.5時間(平均2.9時間)と課外活動指導7.7時間(同2.1時間)で大きな差がついた。校外で行う研修への参加率も低く、8割以上が「仕事のスケジュール」を理由に挙げた。

まず私なりに問題の要因を解析する。

① そもそも教員が少ない: 将来の少子化へ向けて人員を意図的に抑制している。
② 余計なことが多すぎる: この記事にもあるように「課外活動指導」がそれに当てはまる。

次に考えられる大きなリスク

③ 校内のイジメに気付かない。
④ 教員自身の勉強の時間がない ⇒ 教育する側のレベルの低下
⑤ 教育を受ける側のレベルの低下 ⇒ 中途半端な教育では生徒のレベルも下がる。

私の提案(新たに実施する内容)

⑥ 60歳定年した各種技術者を雇用して専門分野を教育させる。
⑦ 現役あるいは引退したプロスポーツ選手や文化人等の臨時職員として各分野の教育実施 
⑧ イジメ監視の強化 (現在の教員は忙しいのを理由にイジメから目を避けている)
⑨ 教員のスキルアップ研修の義務化

私の提案(無くす、あるいは制限するもの)

⑩ PTAを強制的に解散させる。
⑪ 日教組を強制解散させる。
⑫ その他、課外活動を公的に制限する。

最近、自民党政権は女性の社会進出を推進しているようだが、若い既婚女性で子供を持つ母親の労働参加への障害は間違いなくPTAであり、町内会や婦人会である。あとは訳のわからない課外活動である。そういうレベルの低いものが半ば強制的に参加させていることが社会を歪めている。

それと同時の教職員として一番のネックは日教組であり、PTAであり、課外活動である。そもそも学校は勉強する場所である。何故にして本業である教育を疎かにして別の活動をするかが理解できない。そして何でも新たな委員会や組織を作ろうとする連中は稚拙である。どんなに低レベルな組織や団体でも一旦はじめると止めるのは容易ではない。

そして教員たちは忙しいが故に常に「ご家庭の協力が必要です」と訴える。挙句の果てに子供の問題発生すれば「家庭に問題がありそうです」なんて主張するからやっかいである。

また保守系の人間はなぜか町内会を重視する。そもそも町内会やPTAや課外活動は法的根拠は全くない。ボランティアとは名ばかりで実は必ず利権が絡んでいる。たしかに過去には一定の役割を果たしたこともあったかもしれない。しかし大切なことはプロフェッショナルな指導と管理である。

教育者や教育に関わる人間は仕事のプロフェッショナルでなければならない。それぞれの専門家が後継者を育成すべきである。現在のPTAや日教組は社会のプロではない。間違いなく利権やプロパガンダが絡んでいる。その証拠に各種怪しい団体に寄付金を拠出している。そもそも、素人が素人を教育し管理しても「素人」しか生まれない。

三菱重工の元会長であった飯田庸太郎は次のように述べている。

「昔は偉い人がリーダーになれた。しかし今では本当のプロしかタスクはとれない」

それと同様に私はこう訴えよう。

「戦後、教育者はプロバガンダと利権があれば誰でも活動できた。しかし今では本当のプロしか教育や管理はできない」

かつて江戸時代では、商人は丁稚奉公、職人は寄合などで「プロがプロを育成」していた。しかし現在の町内会、PTA、そして婦人会のプロフェッショナルのレベルは極めて低い。社会的なメリットが極めて薄い。中にはカネを強制徴収して、強制ボランティアさせるだけの組織もある。

プロが後継者を育てる。この当たり前のことが戦後の日本では欠落している。

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世界遺産ベルサイユ宮殿は無駄使いか?
6月22日のブログで「プロパガンダの犠牲者」としてマリー・アントワネットについて述べた。マリー・アントワネットはフランス革命にて「贅沢の限りを尽くした」という汚名(=プロパガンダ)で処刑されるわけだが、はたして本当に贅沢だったのか?たしかに賭博好きだったり、ブルボン家の伝統を無視したりすることはあったが贅沢のせいで国家転覆するようなことはなかった。今回は最も象徴的とされるベルサイユ宮殿について数字(金額)で考える。

ちなみに最近、日本では富岡製糸場が世界遺産になったとテレビ等で報道されているが、ベルサイユ宮殿はエジプトのピラミッド同様に真っ先(1979年)に世界遺産になっている。かつての日本の「国宝」が、あまりにも登録が増えすぎて「重要文化財」への格下げ多くなったことがある。おそらく「世界遺産」から「世界重要文化財」に格下げされる日がくるかもしれない。

まあ余談はさておき、ベルサイユ宮殿に話を戻す。ベルサイユ宮殿は18世紀初頭に太陽王といわれたフランスのルイ14世によって築かれた。決してマリー・アントワネットのために建設されたわけではない。(むしろ建設当時はアントワネットの実家ハプスブルグとブルボン家は犬猿の仲であった。) 宮殿は数年かけて建設されている。プチトリアノンはあとで追加された。それもマリーアントワネットの為ではなかった。

ベルサイユ宮殿を現在の金額で建設した場合、大手ゼネコン大林組の試算によると総工費は400億円とのこと。ちなみに東京都庁は1200億円掛かっている。ちょっと本当からなあ、と思ってしまうが大手ゼネコンの公式コメントだから全くの嘘でもないだろう。私もベルサイユに訪問したことがあるが、パリ郊外の小高い丘にある。ただし水源がないために大掛かりな水道工事(ローマ水道を参考にしている)を行って貯水池を作っている。広大な庭園の噴水はそれを利用している。その分が400億円に含まれているかはわからない。

その他の絵画や彫刻を含めた芸術品を含めたらどうなるか?それでも1000億円は超えないだろう。通常、大規模な戦争が発生すると数千億円~兆円単位の予算が必要である。そう考えると確かにベルサイユ宮殿が国家として無駄とは言いがたい。

マリー・アントワネットが個人で使用した金額なんて大した金額ではない。食事とドレス代で国家転覆はしない。当然ながら現在のようなパソコンやスマートフォン、ゲーム機なんてない。そして「オラの村には電気はない」といった調子だ。そして当時はトイレがなかったともいわれている。・・・見せかけだけで、どこが贅沢なんだ。

さて現在の経済効果はどうであろうか。現在フランスは年間8000万人以上の外国人観光客が訪れている。一方、日本では昨年ようやく1000万人突破したといニュースがあったくらいである。8000万人・・・この数字はとてつもない数字だ。観光客一人が1万円消費したとしても8000億円の消費ということになる。もし一人が5万円は使うとしたら、4兆円になる(日本の防衛予算と変わらない)。

もちろんフランスの観光はパリやベルサイユだけではない。同じく世界遺産であるモンサンミッシェルや南仏も観光名所であり、大抵の観光客は数日かけて数か所をまわるのが普通である。こうした名所があることは間違いなくフランスの財産である。そして重要なことは「歴史と芸術がある」ということ。更に加えて自然環境の美しさもある。

多くの観光客は当時の歴史を思い浮かべながら縁の地を訪れ芸術や自然環境を目にする。そして季節の移り変わりで景色が変われば更に趣き深いものである。もし不毛の大地に何の歴史もない知名度のない立派な建物だけが存在しても人々は飽きてしまうだろう。

絵画にしてもマリー・アントワネットの肖像画だから人々の興味がわく。どこか無名の金持ちオバサンの自画像が豪邸に飾ってあっても自己満足にしか見えない。まあそのオバサンが歴史的に有名になれば観光客が訪れるかもしれないが・・・

日本では、かつての民主党の事業仕分けに代表されるように「無駄の削減」を叫ぶのが好きな人が多い。質素倹約精神そのものはすべて否定できないが、必要なものまで我慢するなんて人間らしくない。想像してみよう。文化も歴史もなく、ただ無機質に生きることが将来の発展にどれだけ寄与するのだろうか?固有の文化や歴史が無い国家は、将来にかけて発展する可能性が低いのは明らかだ。そう今やベルサイユ宮殿は無駄使いではなかった。莫大な観光資源になっている。

日本にも数多くの文化遺跡があり、整備や復元すれば観光資源としての潜在能力は十分あるのに「無駄である」と決め付けている。あの富岡製糸場ですら(失礼)、大勢の観光客が押し寄せるようになっている。観光産業の問題点は色々あるが、経済効果としては結構なことである。

しかし考えてみれば伊勢神宮をはじめとして日本の伝統的な建造物は建替(式年遷宮)や整備をすることで伝統を守っている。こういうものこそ「継続性」そして「生まれ変わる」という永遠を賛美するのに相応しいと考える。なんでもかんでも世界遺産登録するのは反対であるが、「国宝」として日本が自主性を持って文化を守ればいいと思う。

歴史と文化、そして自然環境、これらがいかに大切かはベルサイユ宮殿が物語っている。

*以前当ブログ分類(日本文化と思想哲学)では「3月30日: 仁徳天皇稜を整備せよ」、「3月27日:日本の森とルネッサンス計画」では日本の伝統建築の復興を私は訴えている。


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セクハラやじの解決策
東京都議会のセクハラやじで、鈴木章浩都議が名乗り出て塩村文夏都議の目の前で謝罪する光景がテレビで放映されていた。また鈴木章浩都議の事務所に生卵が投げつけられる事件も発生している。そもそもくだらないニュースだが、ここまで波紋を呼んでしまうのはプロパガンダの匂いがプンプンする。

あの橋下大阪市長ですら「自民党はけしからん」という状況になっている。「結婚したほうがいいんじゃないか」って解釈によっては何とでもなる。そもそも「結婚」や「出産」はめでたいものである。「離婚したほうが・・・」とか「死んだ方が・・・」というのは問題あるだろう。しかし女性が30歳代後半になると「結婚」「出産」は禁句になる。

それは何故か? ずばり女性の「嫉妬心」に火を着けてしまうからである。セクハラのプロパガンダ集団はこの「嫉妬心」の塊のような存在である。一方でインターネット上では塩村議員への誹謗中傷も多い。これも結構本人にとってはキツイと思うが・・・ そもそも誰かに唆されているように見える。

大抵の恋愛や結婚は性的なことは伴うし、男性は第三者からみたらセクハラのような言葉も使う。しかし女性はそれを受け入れて結婚するのである。しかし「嫉妬心」の強い女性はそのこと自体が気に入らないのである。

ここで、いっそのこと塩村議員と鈴木議員がこれをきっかけに結婚したらおもしろいだろうなあ。セクハラのプロパガンダ集団は発狂するだろう。塩村議員はインタビューでこう応えれば良い。「私はあのヤジで目覚めました」「彼の正直さに惹かれました」。

YOU TUBEで問題のシーンが流されたが、ヤジのあとに塩村議員は笑っていた・・・そしてセクハラのプロパガンダに利用された。そして大手マスメディアは「セクハラは良くない」と言うしかない。完全に罠にはまっている。


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文明の発展と衰退は農業にある (中国)
6月19日のブログに引き続き「文明の発展と衰退は農業にある」を考える。今回は中国の歴史をざっくりと考える。

どこの古代文明も発祥地域は大河の上流に位置することが多かった。黄河文明もそうした発展だった。それが夏王朝、そして殷王朝へと繋がった。殷王朝では、有名な甲骨文字(漢字の原点?)や青銅器の文化が生まれた。しかしその後の周王朝では文化のレベルが徐々に下がっている。これは何を意味するのか。

もともと四方の国境が明確でない地域であるため、常に異民族の侵攻を受けている。現在、当時の黄河文明を築いたオリジナル民族はすでにこの地域には住んでいない。虐殺されたか南方へ逃亡したと考えられている(その一部が客家であるといわれている)。

北方民族の侵入は、欧州でのゲルマン人大移動と同様に世界規模であり、これは地球の気候変動が影響している。当時の北方狩猟民族というのは農耕民族にとってやっかいな存在だった。北方民族は農耕民族のような土地意識はない。また野生動物を狩るように人間を狩ること、そして富を奪うことに何のためらいもない民族だった。しかし、それが彼らの生き方だった。気候変動によって彼らも飢えていた。

中国の歴史は異民族の侵攻の繰り返しだった。秦の始皇帝は「万里の長城」を築いたが、現在の長城は明代のものであり、常に北方民族の侵攻脅威が存在していたことを物語っている。ちなみに現在の中国人の7-8割は北方民族の血を引いている。

気候変動(冷害)⇒北方民族侵入⇒国土荒廃⇒人為的虐殺

戦乱の度に国土は荒れた。清朝初期には新しい作物(サツマイモ、トウモロコシ)の導入で安定した時期もあった。それでも荒廃のきっかけはやはり気候変動(冷害)だった。よく西洋列強の進出が清を衰退させたような歴史記述もあるが、当初イギリスの進出は清に莫大な銀(今でいえば外貨獲得)をもたらしていた。その後イギリスの政策転換とアヘン戦争が清の混乱に拍車をかけた。

今世紀に入って中国を大きく荒廃させてしまったのは、毛沢東による文化大革命とともに「大躍進政策」である。ここでも農業政策、および工業政策はあまりに稚拙極まりなかった。理系の知識人なら誰でも「あまりに馬鹿げた政策」であったことを認識する。つまり毛沢東は科学的思想は全くなく、独自の共産主義思想に洗脳された実験屋であった。人類史上最悪の出来事であったといっても過言ではない。これはナチスのホロコーストどころではない。様々な説があるが数千万人が犠牲になっているといわれている。この傷跡は今だに残っている。

このとき官僚の腐敗やデータの捏造が追い討ちをかけた。科学技術を重視せず「迷信」や「偉い人の言葉」に簡単に作用される独特の中国人の特徴も災いしている。

そして何よりも農業政策の大問題である。気候変動と農業政策の失敗、これが文明は発展と衰退に必ず関わっている。逆にいえば、気候変動を考慮した農業政策、とくに農産物の供給能力維持をいかに対応するかが政治の基本中の基本であると断言できる。


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プロパガンダの犠牲者(フランス革命)
フランス革命前にルイ16世の王妃マリー・アントワネットが「パンがなければケーキを食べれば良いではないか」と述べたとされた。現在では事実ではないことが明らかになっている。有名な「首飾り事件」とともに「贅沢の限りを尽くした」として革命の「生贄」にされたのが事実だった。それは当時のパリ市民に憎悪させる手段として利用された。

これは西洋史で典型的なプロパガンダだったと言える。フランス革命の原因は様々ある。私は遠因は気候変動と考えている。「文明の発展と衰退は農業にある」と私は常に述べてきた。18世紀中ごろは世界的に冷害の被害が多く、それに追い討ちしたのがアイスランドの火山、そして日本の浅間山の噴火だった。噴火の影響は現在でも議論はあるが、世界的に冷害があったことは事実。(日本でも江戸時代に四大飢饉が発生している)

フランス革命以前、いかに当時のブルボン王朝が優雅な暮らしといっても、それでフランス経済が傾いたわけではない。それは当時の経済データからも明らかである。しかし当時の庶民は現在のような学問が普及しているわけでもなく情報も制限されているので「食料危機」があれば仮想敵を簡単に作り出せる情勢だった。そしてマリー・アントワネットが諸悪の根源のようなプロパガンダが流され革命に利用されたわけだ。

ここで歴史を考えるときの重要なことは、当時の自然環境(冷害)、経済指標、そして社会情勢である。こうした内容を地道に確認すれば事実だったか嘘だったかが解明できる。歴史は歴史文献だけを見ても解らない。科学的検証や経済的検証が必要である。また社会的にも嘘のプロパガンダの影響で「空気」をつくりベクトルがマイナス方向に向かえば社会に必ず歪が生まれる。フランス革命後に歴史家のフランソワ・ギゾーや思想家のアレクシス・トクビルはそうしたことに逸早く気付いていた。

現在、フランスでは1789年バスチーユ牢獄の攻撃のあった7月14日を革命記念日にしている。しかし現代フランスの知識人たちはマリー・アントワネットがプロパガンダの犠牲者だったことを皆知っている。革命後に処刑されたマリー・アントワネットの遺骨は後の掘り起こされ、ルイ16世のとなりに葬られている。この行為もフランス人の歴史的事実に対する謙虚さと正義感のあらわれであろう。

そしてベルサイユ宮殿も当時のまま残されている。もしこれが中国や朝鮮だったら、すべて破壊されてブルボン王朝を1000年の恨みの対象にしていただろう。「パンがなければケーキを食べれば良いではないか」というのが事実でないと言えば「歴史修正主義」と言うであろう。しかしフランスはそうではなかった。このあたりがフランス国民の高い民度を示している。現在フランスは様々な問題を抱えているかもしれないがフランスの潜在的な強さは決して失っていない。

私個人の話で恐縮だが、ちょうど今から20年前のこと。私がベルサイユ宮殿を訪問したときのことを今でもよく覚えている。少し古びれたオレンジマーブル(大理石)が敷き詰められた宮殿。有名な鏡の間の奥に様々な部屋がある。マリーアントワネットが出産した際のベットがある。高々としたベットは出産を多くの関係者で確認する場であったという。本人はさぞかし嫌だっただろう。

そして大きな彼女の肖像画がある。ルーブル美術館にも同じ絵があるがバラの色だけが違っている。どちらかが白いバラで、どちらかが赤いバラだがよく覚えていない。そして少し離れた場所に、プチトリアノンと呼ばれる田舎風の建物がある。彼女はそこをこよなく愛していたという。田舎風の服を着てごく親しい人たちのみを招待していたとのこと。実は人間味あるれる人物だった。私は何故かグラントリアノン(メインの宮殿)よりも、この田舎風のプチトリアノンに魅了された。

現在でも世界各地で様々なプロパガンダが行われている。純粋に国威高揚としてのプロパガンダすることは然程問題ではない。フランスの作曲家ドビュッシーの名言「芸術は最も美しい嘘である」・・・これもたいへん結構なことである。しかし事実でない「醜い嘘」を事実のように政治的プロパガンダとして利用する。これは絶対に許してはならない。

幸いなこと現代社会はフランス革命当時と異なり、エビデンスが重視され様々な情報入手が可能である。虚構ファンタジーに惑わされることなく社会を構築すること可能である。最近ではあのアメリカでさえイラク戦争以降はプロパガンダ戦略の限界を感じている。こういう社会に成りつつあることに感謝するとともにプロパガンダの犠牲者に哀悼の意を捧げたい。


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塩村議員へのセクハラ発言
東京都議会での塩村議員へのセクハラ発言が話題になっている。少子化問題について政策を述べる中で「はやく結婚しろ」とのヤジが飛んだとのこと。以前も少子化対策の議論で国会議員が「産む機械」といって問題になったことがあった。もし女性議員が特定の男性に「種付けマシーン」と発言しても何の問題にならないどころか大爆笑になるであろう。これが男女の悲しい差というものだろう。

はっきりいってくだらないニュースだが、結局は他党への攻撃と世論操作が目的としか思えない。そもそも少子化問題の対策をタブー抜きで考えると「託児所整備」とか「補助金支給」くらいしか出てこない。常識的に考えても、この程度の対策で解決するはずがない。もしかしたら「本気で解決する気がない」かもと思えてしまう。もし本気で解決する気がなく適当なコメントを出して少子化を黙認、あるいは少子化推進しているとしたら本当の「影の売国奴」といえる。

こういう問題はもともとデリケートな問題なので議論が難しい。例えば「夫婦はもっとセックスしましょう」とか「一夫多妻を認めよう」とか主張すると必ず一部の女性から猛烈な反発がある。ここで重要なポイントは「一部の女性」というところ。実は女性の中には「子供が欲しいのに旦那が抱いてくれない」とか「性欲のない男性はダメだ」と思っている女性は結構多い。しかし、そういう女性たちは世間的にはみっともないから公言できない。(こういうことを男が言うと「それは男の論理だ」といわれるから始末が悪い)

一方で「セクハラは許せない」という主張は誰も反発できない(特に男性は絶対にできない)。多少のセクハラは許されると内心思っている女性がいたとしても公言できないわけだ。結局こういう議論は本音が言えない。つまり社会的空気で「言論封鎖」されていると言っても過言でない。

少子化対策に関する私の意見は何度か当ブログで述べている。一つだけ追加して主張したいことがある。それは「人工妊娠中絶」についてだ。よく「産むか産まないかの決める権利は女性にある」と主張されることがある。たとえば強姦されて「望まない妊娠」したときに中絶するケースはあるだろう。これは十分理解できる。しかし夫婦間や恋人同士で金銭的な問題や世間体を気にして中絶することもある。そういうケースは何とかすべきである。

よく「でき婚」とか不倫の末の「妊娠」、あるいは学生の「妊娠」とか、色々と社会的な圧力が完全に消えることはないだろう。しかし「産んで孤児院に預ける」または誰かの「養子、養女」にする選択はある。状況によっては一部の民間団体や地方自治体で対処できないケースもあるだろう。そういう場合は国家が積極的に関与すべきである。

あるいはシングルマザーを公的に認めて補助するとか、既婚男性の不倫女性の子供への養育費(本妻の反発は強い)の問題解決のために行政も一部負担する・・・こういう議論をすると「不倫を公的に認めるのか」という反発がある。

結局のところセクハラを訴えて女性の人権向上を訴える一部の女性は「少子化対策なんてどうでもいいのである」、あるいは「日本の人口減少しても構わない」、そして「女性の権利をよこせ、女性にカネよこせ」というのが本音であることが多い。そして正論をもとに何らかの提案をする男性を「セクハラだ」と言って攻撃して失脚させる。

塩村議員はあんなヤジを受けても、その場で「わたしも早く結婚したいです」、「たくさん産んで少子化歯止めに自ら貢献します」なんて発言したら「本気で少子化対策考えているなあ」って思えるのに。それを後になって誰かに悪知恵?つけられたのか、本人がそう思ったか知らないけど「自民党議員がヤジ?」なんて言い出して。結局のところ議長は不受理した。

残念ながら現代社会では少子化対策の「本気さ」を社会で示せるのは女性しかいない。男性には無理だ。変なことをいうと抹殺される。今回の私のブログも非難されるだろう。女性が本気出して少子化対策を提案してほしい。


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スポーツの楽しさ
ブラジルで行われているワールドカップが話題になっている。その中で、あえて少しマイナーなニュースについて考えた。それは「ウルグアイの不調は食事のせい」というニュースだ。

この種のニュースは結構よく目にする。以前、ワールドベースボールクラッシクのアジア予選の際に「韓国選手の敗戦理由は台湾での食事が原因」との報道もあった。こういう話は敗戦理由の「難癖」のように思える側面もある。たしかにアスリートにとっては食事による健康管理は非情に重要である。食事で体調を壊しては、今までも努力も無駄になる。

しかし世界的なスポーツ大会といえども、国外からの食品の持込は厳しく禁止している国が多い。中には空港で没収されるケースも多い。乳幼児の食事や小さなお菓子まで没収される国も増えている。日本は比較的甘い方である。

あの陸上競技のウサイン・ボルトも食事には拘っている。しかし彼の場合は栄養面とかそういうことではなく、何処へ行っても自分の好きなものを食べるというポリシーがあるように思える。

例えばボルトは中国での大会では中華料理を勧められても、それを拒否して大好きなチキンナゲットばかりを食べていたという。また韓国滞在中も韓国料理は一切食べずのピザやハンバーガーを食べている。

おそらくボルトは、無理して現地の料理は食べずに、自分のペースで生活することが何よりも大事だと考えているようだ。一方、ソチ冬季五輪でレジェンド葛西が現地のピロシキ食べてお腹を壊したことがあったようだ。極端な言い方かもしれないが、レジェンド葛西が現地のピロシキでなく北海道のウニを食っていたら金メダル取れたかもしれない(冗談です)。

しかし葛西選手にしてもボルト選手にしても、敗戦の理由を滞在国の食事のせいにすることは決してない。葛西選手はピロシキでお腹を壊しても、「むしろそれでよかった」とのコメントを述べている。そしてボルト選手は食事の栄養面というよりも、「自分らしく」ということを重視している。

確かにオリンピックやサッカーワールドカップは格別な緊張感やプレッシャーがあるだろう。したがって、普段以上のパワーを発揮するなんて不可能だと思う。「オリンピックは魔物が棲んでいる」とかいうが、それはそうした独特な緊張感が生んでいるから?

従って、どんな場面でも「いかに普段通りのプレイ」ができるかが重要。日本サッカーの熱狂的サポータの一部には怒られるかもしれないが、私は負けたっていいから「自分らしいプレイ」すれば本当のサポータは納得すると思っている。

ソチ五輪では葛西選手も納得したプレイをしていた。金メダルとれなくて銀メダルだったが誰も文句言わなかった。それどころか彼は世界の英雄である。浅田真央選手も金メダルじゃなかったけど、納得できる演技だったから多くの人を感動させた。特に個人競技はチームプレーと違って「自分らしいプレイ」が重要であろう。

確かに国家の威信をかけているチームやサポータも多い。しかしスポーツ大会は戦争ではない。勝つことを目標にするのは良いが、勝つことだけがすべてではない。最近、ウサインボルトは日本陸上の桐生選手に非常に興味深いアドバイスをしている。

「国のために頑張るな、自分のために頑張れ・・・・それが国のためになる」だったかなあ。

またボルトは以前、このようなことも述べている 「僕は変わらない。僕は僕だし、変わる必要もないから。」そして彼はどんなに他国からオファーがあっても母国ジャマイカの生活を変えることは無い。とにかく性格の明るい彼はだが、しっかりとした哲学を持っているように思える。

やっぱりスーパーアスリートって凄いなあ。当然、個人競技とチームプレイは違う。でも日本サッカーチームは日本チームの「らしさ」がある。それが発揮できることを期待している。それがスポーツの楽しさだと私は考えている。




文明の発展と衰退は農業にある
イラク情勢が混迷が続いている。イラクの混乱は今に始まったことではない。しかし、もともとはメソポタミア文明の発祥の地であったこの地域が何故このような状況になってしまったのだろうか?

古代エジプトでも古代メソポタミアでも大河とともに文明のベースは農業だった。現在の乾燥した大地と違って、エジプトやメソポタミアでは森林や肥沃な大地が広がっていた。文明が衰退した理由として、大規模農業と森林伐採を繰り返したことにより土地が痩せたことも一因であるといわれている。それと同時に気候変動の影響もあった。地球の平均気温が2℃程度下がったことによって海水の水蒸気化が抑制されて砂漠化を促進したとの説がある。

そもそも世界の古代文明は、そのほとんどが約1万年前の氷河期が終了してから始まっている。大きな視点で考えれば、温暖化によって古代文明がスタートして、温度低下にて古代文明が衰退したといえる。しかしエジプトやメソポタミアの場合は、大規模農業と上流の森林伐採が重要な衰退要素だと言われている。仮に文明当時の温暖化に戻ったとしても、当時の肥沃な大地に戻すことは不可能である。

現在、メソポタミアといわれた地域の土壌は乾燥だけではなく塩気、および強アルカリ土壌になっている。従って農業に適さない土地である。この状態はすでに1000年以上は経過しており、福島原発による放射能土壌汚染のレベルと比較しても回復困難な悲惨な状況と断定できる。(ちなみに放射性セシウムの半減期は30年)

例えばアマゾンのジャングルで、人々が数ヶ月かけてテニスコートやグランドを整備したとしよう。あいにく施設の需要がなく数年放置すると、また元のジャングルに戻ってしまう。これが回復力スピードというもの。しかし残念ながら現在のエジプト、メソポタミアにかつての肥沃な大地への回復力とスピードは存在しない。

現在のメソポタミア地域(イラク、イラン)は農業ではなく産油国として発展している。またエジプトは石油産出できないが、観光(古代遺跡)とスエズ運河による経済発展している。つまり完全な外需依存であり、本当の意味での自主独立が困難な状態である。

ヨーロッパに目を向けると、かつての古代ギリシャも肥沃な大地であった。古代エジプトやメソポタミアと同様に大規模農園と森林伐採で現在でも痩せた土地になっている。そして欧州の文明の中心は、西(スペイン、ポルトガル)と北(フランス、イギリス)へ移動した。

現在のスペインも大地は痩せている。欧州で肥沃な大地があるのはフランスとドイツくらいである。こうした背景が現代の経済情勢にも影響している。もともと貿易と外需依存であるギリシャ、スペイン、ポルトガルはEU統合のあと、自国の金融政策まで失い経済的な自主独立を完全に失っている。

このような歴史を考えると自国の農業を失うと外需依存になることを意味している。


コンバインドサイクル発電
コンバインドサイクル発電というものがある。これは一般に普及しているエコカーと同様にエネルギー効率は高めた発電である。現在の仕様は、天然ガスと軽油のハイブリッド発電が中心のようである。最近では発電形式を石炭ガス化複合発電 (IGCC)も注目されている。

ただしエコカーと同様に各部品の耐久性がどの程度あるか不明な部分がある。前回のブログでも少し述べたが、エコカーの場合は「軽量化」のため各パーツが小さくなっていること、アイドリングストップするためにエンジンプラグの使用頻度も増える。エンジン自体も小型で高性能化している。しかし必ず定期的なオイル交換が必要である。オイル交換を10年無料保証しているメーカが存在するのはそうした理由がある。

それと同様にコンバインドサイクル発電も各部品の耐久性が問題であり定期メンテは必須である。通常、こういう分野では旧来のJISや法規といったものが実環境に準じた規格になっていない場合が多く、独自の設計思想になっている場合が多い。特に使用燃料によっては配管の腐食や汚れによる劣化が激しくなる。設備やその部品の高度な知識と技術が必要である。

それでも、こうした発電には期待できる。現在、原発の停止により火力発電を中心に発電しているが、古い火力発電を使用しておりエネルギー効率は非常に悪い。しかも古い設備をフル回転させているため、「原発よりも危険」と電力会社の関係者は述べている(実際に事故も発生している)。

私の考えであるが、まず安全確認できた(世界一基準の厳格なルールをクリアした設備)から再稼働させるべきである。当面は原発を再稼働させて、その間に最新鋭の火力発電の開発と建設をすべきである。


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ガソリン価格とエネルギー効率
昨日に続きエネルギー問題を考えたい。先ずは身近な例で自動車のガソリン価格について確認してみよう。

最近はイラク情勢で原油の先物価格が高騰する傾向である。当然ながらガソリン価格はこの影響を受ける。また原油は米ドルを基準として取引しているので為替の影響も大きい。

もう一つ重要な要素がある。それはエネルギー効率である。古い自動車ではガソリン1Lで8km程度しか走らなかった。しかし新たに1L で32km 走る車を購入したとしよう。1000km 走行するために必要な金額は単純計算で以下のようになる。

1L=150円の場合

① 1000km/8km × 150yen = 18750円

② 1000km/32km × 150yen = 4687円

1L=50円の場合

③ 1000km/8km × 50yen = 6250円

④ 1000km/32km × 50yen = 1562円

*ただし部品パーツの耐久性がどれくらいあるかは不明 (日本の場合、道路整備状況もよく、定期メンテをしているので諸外国に比べて悪くない⇒これも重要な要素)

消費者は、どうしてもリッターあたりのガソリン単価が気になる。当たり前の話ではあるが、実際に単価が1/3なるより、燃費が1/4になる方が効果は大きい。

たった1000kmでこれだけ違う。 最近のエコカーの燃費は本当に32km/L なんてざらにある。そういう車は税制面でも優遇される。一方、ガソリン価格が1/3になることは考えにくい。またガソリン単価そのものに税制面での優遇策はない。

ちなみにトラック等の輸送コストは、上記のガソリン価格と燃費以上に「積載効率」が非常に重要である。さらに渋滞緩和も輸送コストに影響する。(国内の道路整備は結果的に輸送コストの低減にもつながる)

日本の場合はガソリンは1Lあたり56円の税金が掛っており、さらに消費税が加算される。明らかな二重課税であるが大きな税収でもある。また石油備蓄は200日分を確保しており、一部放出すれば当然価格は下げられる。ちなみに韓国の場合は、政府がガソリン価格そのものを優遇して調整している。

つまり日本の場合、民間の省エネ対策だけでなく、原油の輸入価格や為替変動に応じて大幅な調整が可能であることを示している。この調整の幅が広いということは国の安定した強さを維持していると言える。


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石油、天然ガスは枯渇しない
最近、中東情勢により原油価格が高騰している。電力を火力に頼る日本にとっては大きな痛手である。しかし日本は度重なる石油ショックを乗り越えてきた。

かつて70年代の日本はオイルショックよって、石油はあと30年で枯渇すると多くのマスコミが報じた。当時、小学生だった私は自分が大人になったら石油は無くなると信じていた。いや私だけではない。多くの国民がそう思っていた。しかし騙されていた。

ちなみに私は天文物理学者のトーマス・ゴールドの石油無機起源説を支持している。つまり「石油は枯渇しない」という説。また地球上でどこでも地下深く掘れば石油産出できるというもの。たしかに天然ガスは有機物が起源になっていることは事実であろうし、石油も有機物が関連している。しかしそれだけでは説明できない。いずれにせよ石油の有機起源か無機起源かは、様々な議論がある。

しかし地球全体、あるいは長期的(数億年単位)でいえば物質的にも「エネルギー保存の法則」が成立している。たとえばCO2の増加による地球温暖化が主張されるが、C(炭素)もO2(酸素)も原子レベルでいえば総量は同じである。また太陽光という外部のエネルギーを受けるとともに、温度や放射線は地球外に放出されている。石油や天然ガスという天然資源も同様である。マクロ的に見れば必ず「エネルギー保存の法則」が成立している。これはマクロ経済でいう「お金は消えない」という理論と同じである。

従ってマクロ的に論じれば「石油が枯渇」するというのは嘘である。さらに「石油無機起源」が正しければ、中長期的にも「石油は枯渇する」は間違っているということになる。結局、1970年代の中東危機をきっかけに 「将来は枯渇する」と騙されて高価格で買わされてきたわけである。それはスーパー等で期間限定商品といって高値で買わされる現象と同じである。

問題は地球全体の埋蔵量の議論ではなくコストの問題である。

(採掘コスト+輸送コスト+管理費+利益) ×販売量 = 購入価格

そもそも石油自体は水と同じで原価はタダである。これほど儲かるビジネスは地球上に存在しない。トレーダーによる価格コントロールしながら、いかに儲けるかを考えている連中も多い。私は産油国や石油メジャーは悪だとは言わない。結果的に世界のマネーがまわるきっかけを作っていることは間違いない。

たしかに日本の場合はいいカモになっているという見方ができるのも事実。日本の場合、輸送費用が高く(ジャパンプレミアム)といった高価格となっている。特にガス価格は石油価格と連動しLNG(液化天然ガス)にするため、非常にコスト高になっている。

しかしこのような逆境だからこそ、日本は省エネ技術が世界最先端になったことも事実である。結果論であるが、日本が産油国であれば「働くことを忘れた」動物のナマケモノのようになっていただろう。

この日本人のエネルギーは枯渇しない。日本の自然も枯渇しない。そして石油も枯渇しない。そう考えれば「石油が枯渇する」という「脅し」に屈することなく日本が発展することに自信が持てるはずだ。



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近親婚のリスク ②
前回に引き続き「近親婚のリスク」について考える。前回は「生活環境における適応能力に劣性がある場合、そこで近親婚を繰り返すとリスクが増大する」と述べた。その代表的な例がスペイン・ハプスブルグ家である。また必ずしも近親婚によってリスクが発生するとは限らないとも述べた。さて今回は日本に目を向けてみよう。

かつて、日本でも各地のムラ社会における同族同士の婚姻は盛んであった。また皇族と貴族(特に藤原系 五摂家 )との婚姻が繰り返された歴史がある。日本の歴史上でも、たしかに近親婚による問題は発生したかもしれない。だが実際にどれくらいの近親婚のリスクが顕在化したかはよくわからない。なぜなら、詳細な記録がないからである。乳幼児の死亡率が現在と比較して高かったのは、近親婚に限ったことではないし、上流階級に限ったことではない。

こうした問題は闇に葬られるケースもあるかもしれない。しかし欧州や中国のように頻繁に問題が発生していたとは考えにく。歴史科学の研究によると、かつての日本人の死因は遺伝病というより栄養の問題が多かったと思われる。特に平安時代より貴族や上流階級では、脚気(ビタミンB不足)が多かった。また江戸時代の徳川家定、徳川家茂も直接の死因は脚気だったといわれている。これは食の流行(あるいは制限)が原因であり、遺伝的疾患ではない。その証拠に江戸で蕎麦が流行したり、明治からの洋食の導入で脚気による死亡は大幅に減少している。

日本の場合、近親婚のリスクは比較的低かったのではないだろうか?例えば聖徳太子のように近親婚の子でありながら頭脳明晰な人物を輩出した割合が多かったのではないか?世界で語られる神話の神が近親婚で生まれたとする伝説は何を意味するのか?何らかの事実をもとにしている可能性がある。そして日本では他国と異なり近世になるまで、近親婚を公的に禁止した例はない。これは何を意味するのだろう。

これは私が想像するには、2000年以上の時をかけて日本列島にて形成された日本民族は日本の自然界における劣性を淘汰して進化してきたのではないだろうか?(縄文系の人たちにとっては1万年以上になる) 

しかも実際に日本人の遺伝子ハプログループはかつての上流階級と一般庶民と分布は大して変わらない。要するに日本では「支配階級」「一般庶民」「一般移民」「奴隷」という明確な身分と民族区別が存在しない。さらに皇族は臣籍降下によって地方へ分散したり、有力貴族の養子にもなっている。これは世界の歴史でも稀なことである。

<中世 欧州の場合>
スペイン・ハプスブルグ家(異民族) ⇒ スペイン領民 ⇒ 植民地からの奴隷(異民族)

<中世 中国の場合>
モンゴル皇帝一族(異民族) ⇒ 色目人(異民族) ⇒ 漢民族 ⇒ 生口 (朝貢による異民族奴隷)

日本は歴史上、上記のような社会構造になったことは一度もない。

しかし近現代の社会システムは150年で大きくかわった。特に戦後68年で日本社会も大きくかわった。当然ながら、この大きな変化に上手く適応できるヒトとそうでないヒトが生まれる。それは日本だけでなく文明国家の多くは同じである。ただし諸外国と日本が異なるのは、日本人は2000年以上もこの地に生活していることである。

異民族による支配と外国人奴隷の流入、そして社会身分の確定が近親婚のリスクを高めた可能性は非常に高い。



近親婚のリスク ①
生物学、あるいは遺伝学において「血縁選択説」がある。ヒトにおいても血族、親族で一致団結する行為は歴史上でも多々ある。しかし血縁選択性に伴い近親婚や同族からの婚姻することも多かった。

近親婚を繰り返すと生物学的なリスクがあること一般的にもよく知られている。古代中国や李氏朝鮮でも近親婚は公には禁止され、欧州でも一部の地域で禁止されていた。(実際には中国や朝鮮では近親婚というより近親相姦が多かった)これは何らかの大きな負の経験を持っていることを意味している。現在でも韓国では厳しい法規制がある。

近親婚で有名なのは16-17世紀のスペイン・ハプスブルグ家である。フェリペ1世の頃から近親婚を繰り返し、病弱な王を多く輩出した。最後のカルロス2世も非常に病弱であったといわれる。ハプスブルグ家はもともとはスイスあたりの出自と言われ、オーストリアを中心に栄華を極めた。

ハプスブルク家は現在の欧州国境には関係なく、飛び地のように領地を保有していた。当時は現在のような国民国家ではなく、一族支配という色彩が強かった。特にスペイン・ハプスブルグ家は、支配しているスペイン領民と婚姻することなく外国に居住する同族(結果的には近親婚)のハプスブルク家との婚姻を繰り返した。

生物学、遺伝学では哺乳類の場合、多様性による進化を基本としている。近親婚のリスクは、劣勢遺伝子が重複されるのが原因という説が主流になっている。実際に自然界の雄雌のある動植物は、近親婚をさけるような生態システムがある。人間においても匂いやフェロモン?で近親者を避ける本能があるとのこと。

しかし必ずしも近親婚による障害が発生するとは限らない。特に長年に同じ地域で近親婚(特にいとこ婚)が繰り返された一族はむしろ「劣性遺伝子」が淘汰されるという説もある。逆に新しい時期に近親婚の頻度が高くなった地域でリスクが高いという報告もある。

こういう現象は、どちらかというと植物に見られる「連作障害」のリスクに似ている。例えば、連作障害リスクの低い植物が存在する。たとえばタマネギ、サツマイモ、大根などである。一方でナス科の野菜であるトマト、ナス、ジャガイモは連作障害のリスクは高い。これらは元々の原産地での環境が影響している。

特殊な輸入植物が1年目はよくても、同種で交配させると次年度からは土地に馴染めず、病害虫に侵される事例もある。逆にトウモロコシのように同種で交配させるほうが味が落ちないというケースがある。

基本的に人間の場合、栄養素は食を通じて体内に吸収される。しかし近年の研究でビタミンDに関しては皮膚からの生成および吸収があるとの報告がある。従来は強い紫外線から身を守るためにメラニン色素が増えて肌の色が濃くなっただけと考えられてきた。実際には、ビタミンDの生成が大きく影響している。

また太陽を触れる機会の少ない夜勤の仕事を長期間続けると体調(特に胃)を悪くすると言われている。これはストレスによる分泌物等による可能性もある。抗鬱剤などである程度は治療は可能とのこと。ちなみにブロイラー鶏は日光に当てず、運動量を減らし、太らして育てる。この際に病気にならないように抗生物質を投入することは本質的には同じである。

つまり直接的、あるいは間接的にも太陽光は人に何らかの作用を起こし、特性を形成し、それが遺伝する。おそらく太陽光だけでなく、温度、空気、水分等に対する適応能力も同様であろう。逆に少しでも日光を浴びると過剰に拒否反応を起こす患者が報告されている。また少しでも乾燥すると体全体に負担がかかるケースもあるという。

つまり生活環境における適応能力に劣性がある場合、そこで近親婚を繰り返すとリスクが増大するということである。例えば北欧に住むアフリカ系黒人はビタミンD不足の病気の発祥率が高いとか、オーストラリアに住む白人に皮膚がんが多いということがある。またビタミンDだけではなく、耐寒性、耐乾燥、耐熱性など民族によって傾向が異なる。さらにそうした異なった環境で同族同士の婚姻が続くことによって、遺伝学的に優性であるはずの因子が大きなリスクに転じるということが推定される。

歴史上、ある場所に異民族が侵入してそこを支配する。そしてその権限や資産が散逸しないように同族で近親婚を繰り返す。そうするとリスクが高くなるというわけだ。これは歴史的事実と合致するのではないだろうか?そして、当時の民衆は心中で「土地を奪い、富を一族で独占した」ことによる先住民の「呪い」であると信じた・・・実際にスペインのカルロス2世は「呪い」をかけられたと信じられてきた。

「呪い」の有無については私は解らないが、少なくとも遺伝学と環境学を合わせたこうした考えが歴史的事実と符合しているのではないだろうか?私は歴史家ではないので断言はできないが、詳しい方おられたら教えてください。


「同情を得ようとする人」は嫌われる
特に女性に多いかもしれないのが「不幸自慢」である。何かと他人からの同情を得ようとして「愚痴」や「人の悪口」をしゃべりまくる。最初はしょうがないから多少は聞くことはあるが、毎回毎回こういう話を聞くのは苦痛以外の何ものでもない。

この極めつけが中国の「従軍慰安婦問題」「南京大虐殺」のユネスコ記憶遺産の申請である。しかも70年も前の話であり、内容の殆どがデタラメであり明らかな捏造である。そして最近の出来事である「天安門事件」という事実を「なかったことにする」。

こういうニュースを聞いていると「同情を得ようとする人」に非常によく似ている。都合の悪いことは「ああ聞きたくない。聞きたくない」と言う。そして「難しいことはわからない」という。そして平気で嘘をつく。

先ず、個人的にそういう人間とは直接関わりたくないが、社会学的には興味がある。私の結論はこうである。こうした人たちは「大人になりきれていない」あるいは「未熟」だということ。なぜならヒトの乳幼児は「泣いたり」「わがまま」いうのが仕事である。当然ながら乳幼児に社会知識はない。しかし、それによって大人にアピールし利益を得る。大人にとって「可愛らしさ」と「癒し」、そして「親子愛」のようなものに屈服して子供に奉仕する。

しかし大人の場合、「泣いたり」「わがまま」さらに「無知」であると、可愛らしさなど皆無であり、憎たらしさだけが増大する。さらに嘘をついていると解った時点で、優しい人ですら同情から憎しみに変化する。

動物でも可愛い動物は得をする。小動物だけでなく、草食動物である牛や鹿は目が可愛い。象も体はでかいが目は可愛い。実際にこれらの動物は何もしなければ攻撃性はない。インドで像や牛が神と思われるのは何となく理解できる。

また女性は「美人で可愛い」と多少のわがままは通じることがある。従って、草食動物、子供、可愛い女性は「ズルイ」と思われるかもしれない。しかし人間の本能として母性本能のようなもので左右されてしまうこともある。偏見かもしれないが、実際の可愛い女性は攻撃性は低いように思える。

そうすると「嘘」をつき「同情」を得ようとする「可愛くない」存在は嫌われるのである。まだ癒しのあるウサギの方がよい。さらに攻撃性のある嘘吐き人間や嘘吐き国家は、「社会の毒」と断定して徹底的に対抗すべき。どう考えてもこういう結論になる。





社会の毒性とは
毒性学シリーズとして「植物の毒性」、「人間の毒性」、と続きいよいよ今回は「社会の毒性」について考えてみる。「社会における毒性」は実に様々ある。代表的なものが、犯罪、災害、飢餓、疾病、失業、貧困である。

人類は、社会通念や宗教のように「道徳教育」を通じてモラルや規律を維持し、そうした毒性を抑制してきた歴史がある。また国家としては、これらに毒性に対して「法整備」「治安維持」「インフラ整備」が行われる。例えば、安全保障政策、国土計画、経済対策、食料政策、エネルギー政策など・・・これらの政策は詳細内容はともかく、社会の発展だけでなく、社会の毒性を除去する、あるいは軽減ずるという目的を持っている。

一方で「軽度な毒性」の場合は長期的に毒性に慣れさせるという考え方がある。福沢諭吉はあの「脱亜論」の中で「西洋文明は麻疹のようなもの」であり「それに慣れさせることが重要」と述べている。江戸末期、西洋文明は文化的侵害であり「毒性」であると当時の保守派の多くは考えていた。たしかに文化的、あるいは精神的な毒性はあったかもしれない。不平等条約はその代表的なものだった。

しかし、それ以上の科学技術という果実の方が社会に有益であると判断した。つまり西洋文明というものがすべて「毒性」ではないということ。また欧米列強の武力という「毒性」に対抗するために、日本は富国強兵することで「抗体」を生成しようとしたという解釈ができる。当時、この判断が可能だったことが他のアジア諸国と異なり日本が発展した大きな要因である。

さて現代日本に目を向けて簡単な事例を考えよう。例えば「天下り」にどんな毒性があるのか? 既得権益? 賄賂? これらは社会にどれくらい毒性があるだろうか?はっきり私は明言する。大した毒性ではない。 だって、誰か国民が殺されましたか?誰か国民が餓死しましたか?誰か国民は職を失いましたか?・・・特捜部の仕事が増えた。マスメディアのネタが増えた。では民間公募で「変な人」が特殊法人の所長、または学校の校長になりました。むしろその方が「毒性」が強い。結局のところ「天下り」というものは「毒性」は低く、ただ人々の「嫉妬」の対象であっただけというのが私の解釈である。

しかし長期的にはどうでしょう?50年先?100年先?保守ばかりを叫び、現行システムに胡坐すると毒性を帯びることはある。また時代の流れとともに制度疲労を起こすこともあるだろう。たしかに人間は楽になればなるほど怠け者にもなる。平和ボケにもなる。そして忘れた頃に大きな災害(台風、地震)が発生したり、内乱(戦乱)や外部から攻撃(元寇)をうけて人々が目覚める。それが日本の歴史だった。

このように「社会の毒性」というものを考えると社会が良く見える。時代の流れとともにシステムの矛盾が生じることは理解できる。だからといって、まるで「焼畑農業」のように「改革」との美名のもとで「ガラガラポン」すれば良いものではない。ここは日本である。どこかの腐敗天国とは明らかに違う。そして善悪二元論のように「悪」と決め付けたものを徹底的に破壊するのは非科学的なマインドコントロールと同じ発想である。

社会の様々な毒性にいかに対峙し、いかに利用するか? これが国家としての政策の哲学とすれば、自ずと何をするべきで、何をするべきではないかも見えてくる。「社会の毒性」とどう向かい合うか、それが政治の役割であってほしい。


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人間の毒性とは
毒性学シリーズ「植物の毒性とは」に続いて今回は「人間の毒性」について考えたい。

まずヒトは一部の植物や動物のように化学物質を外部に放出し、敵を攻撃する能力は備えていない。しかし生物学的な抗体というものは存在する。血液中の白血球が代表的な例であるが、細菌やウィルスに対抗する免疫を保持している。また進化論や遺伝学において、攻撃本能や防衛本能は存在すると言われている。ここでは、そうしたヒトの攻撃性や防衛本能についても一種の「毒性」と定義して考えたい。

かつて優性学者で統計学者のロナルド・フィッシャーが述べたように、「多様性が生存機会を増やす」ということは間違いないだろう。しかし毒性を持つということは様々な化学物質の多様性から生まれるとは言い難い。

変異の理由もそこにあるとも言われている。人類生物学的には「ホルモンの分泌」とか「アドレナリンの分泌」があるが、その指令を出しているのは脳の神経細胞(ニューロン)である。この神経細胞がまことに不思議な存在であり、現在も様々な研究されているがすべては解明されていない。

人間を含む動物の場合、交換神経が興奮した状態で、いわゆる「闘争か逃走か 」のホルモンが敵から身を守るシステムがある。しかし逃走能力もなく、直接に闘争することのできない植物にも防衛本能として「毒性」があるが、それが人間の場合の「闘争」がある意味の「毒性」に相当する。

医学的に現代人の各種アレルギーというのは、清潔な環境によって生まれたとも言われている。つまり人間は本能的に害虫やバイ菌を攻撃する能力、あるいは抗体を持っている。そうした能力が誤作動することによるのがアレルギー反応であるといわれている。

またヒトの小児に多いとされる「自家中毒」は、体内の脂肪やタンパク質をエネルギーにしようと分解する際に副産物のアセトン体が起因といわれている。自分の体で作られる物質(毒性)である。これは直接的な攻撃とか防衛とは性質が異なるが、「何かを犠牲にして、何かを得る」ということのバランスが崩れたと考えられる。

植物のケースを考えると、唐辛子はもともと辛い野菜だが、やさしい環境で栽培を何度か繰り返すと甘い「シシトウ」になる。それでもときどき「アタリ」に出くわすこともある。私も何度か卒倒するような辛さに襲われたことがあった。やはり遺伝は完全には消えないようである。これはまるで「凶悪犯罪者」を刑務所でやさしく矯正させたが、数年後に同じような「凶悪犯罪」するのに似ている。

最近の日本国民に当てはめて考えてみよう。例えば国民が戦後に「平和ボケ」して外国から食われやすい存在になったことを考えよう。危険がなければ「トゲ」はなくなり「平和ボケ」になることは感覚的には理解できる。しかし国際情勢の取り巻きの変化の中で、日本人もトゲ(毒性)を持つようになったのは当然の成り行きかもしれない。

このように「人間の毒性」とは社会環境や遺伝によって形成される。しかし人間には寿命というものがあり、世代交代がある。歴史は一種の最終結果としての記録として残るが、「人間の毒性」に関する遺伝や変異をどう考えるべきか?

次回は「社会の毒性」というテーマで考える。


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植物の毒性とは
先週(6月6日)の当ブログでは「自己組織化]と「腐敗の温床」について論じ、毒性の有無に注目すべしと考えた。

先ず、自然界の毒性とはどんなものか確認してみたい。植物が何らかの外敵にさらされると植物自身が抵抗するために天然化学物質を生成するといわれている。それが時には農薬よりも毒性を持つことがあるという。これは「突然変異原性」の検出法「エームズ試験」で有名なエームズ博士らによって報告されている。従って、最近話題の遺伝子組換食品は、逆説的に安全確保できるという考え方があるが、これは全く嘘とはいえない。

この事実は何を意味しているのだろうか?多くの植物性の食品は、人間にとって毒性の低いものである。しかし世の中には毒性の高い植物も多くある。人間にとって毒性とはいえないが、香辛料のように刺激物であり防虫効果があるものも存在する。香辛料は主にインドや東南アジアのように高温、多湿で風が少ない地域で発生している。これは雑菌や害虫がこれらの地域に多いことを意味している。

温帯地域での原産であるネギやタマネギの成分も人間以外の動物(イヌ、ネコ等)には猛毒のようだが人間ならば問題はない。植物は、花の蜜や果物が動物をおびき寄せる手段とは反対に柿や栗の「渋み」や「苦味」も果実が熟する前の警告としての微毒を利用しているといえる。

つまり、植物は種子を残すために蜜や果実を生成するだけでなく、化学兵器で敵を攻撃や警告、あるいは抗体による防衛を繰り返していることになる。これは生物学的な変異や遺伝も関連している。

もう少しマクロ的に植物の毒性を考える。農業において、連作障害(同じ場所で繰り返し栽培したときの障害)がある。この要因は、植物自体が発する毒素の過多(自家中毒)、必要な栄養がバランスを失う、病害虫の温床・・・といわれている。それを避けるために植物自身は種子を遠くへ運ばせる仕組みがある。また農業従事者は、有機肥料の追加、輪作(栽培場所をローテーションさせる)、土の天地返し、土の消毒・・・を行う。

つまり植物も人間社会と同様に、繁栄と衰退を繰り返し、外的要因にも調整されてきた経緯がある。一般的に農業では、「日当たり」「空気」「水」という要素とともに、土の栄養(窒素、リン酸、カリ)といったものが重視される。ここで「植物の毒性」という要素を考えると自然科学の奥深さを感じることができる。


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毒性とは何か
以前、当ブログでは以下のようなコメントを述べたことがある。

「日本でも戦後の高度経済成長の頃に、先に述べたイタイイタイ病や水銀が原因である水俣病が発生した。それらの有害金属の許容限界値が今だにはっきりしていない。放射能にしてもそうである。法的基準値はあるが人間の許容範囲なんてのは複数回の「人体実験」しない限り、明確なことは分からないのである。」

毒性とは、金属、放射能だけでなく、自然界の植物、動物にも多く存在する。あるいは何かと何かが混合して毒性を持つこともある。しかしそれぞれの毒性の人間に対する許容限界量は良く分かっていない。生物界では「毒をもって毒を制す」ということばがあるように攻撃、あるいは防衛手段としての利用される。

毒性学でもよく論じられるが、もともと酸素(O2)は地球上での毒であった。しかしこの酸素を活用する生物が出現して、それが動物となった。我々人間でも酸素は欠かせない物質である。

このブログは「理系おじさんの社会学」なので、こうした毒性学と社会というものをじっくり考えてみたい。かなり奥深い議論になるので何回かに分けて公開します。


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量子力学と社会学
量子力学はアインシュタインの相対性理論とともに現代物理学にとって基礎的な概念だ。ニュートン力学のように、物質を粒子と考えるのと同じ様に、光や電子を粒子と考えると様々な矛盾が生じることに由来している。それは加速度という時間の概念が光や電子では適用できないから。アインシュタインは時間という要素が光速度によって支配されており、人が光速度に乗れば時間が止まることに気付いている。しかし実際にはそのような単純なものでなく電磁気学(微分方程式)で考える「ゆがみ」のようなものと考える必要がある。

中学?高校?の数学の授業で学習する虚数 (√-1)は何の意味があるのだろう?と多くの生徒たちは考えがちだ。しかし大学へ進学するとその謎が解る。 是非、中学高校で学ぶ生徒さんたちや先生方々にも「虚数」には重要な意味があると思って欲しい。私にとっても、量子力学を学んだときの衝撃はとてつもなく大きなものだった。社会人になって量子力学を改めて考える機会は減っている。数式などは覚える必要はない。どういう概念なのかを知ることが重要である。

実際に電子工学の基礎を考える上で絶対に必要なことである。そして現代のハイテク電気製品は量子力学が基本概念になっている。しかし最近では量子力学自体を改めて論じることは極めて少ない。何故ならある程度は理論が確立しているからだ。どちらかというと素材(レアアース、レアメタル、超伝導、カーボンファイバー、特殊セラミック)開発力が重要視されている。(素材も量子力学と関連しているが・・・)

量子力学とは「量子」という素粒子の仮設からスタートしている。有名な「シュレディンガーの猫」では、「猫が死んでいる」+「猫が生きている」が重なっているという話である。光や電子が「粒子性」と「波動性」の両方を持っていることの説明に用いられる。

社会にも二面性というものがある。しかし量子力学と社会学を合わせて論じることはあまりない。何故なら社会現象を数式化させるのが極めて困難だからだ。どちらかというと「エントロピー」「散逸構造」「転位論」の方が社会学を説明しやすい。

社会の二面性というのは量子力学的な考え方で説明するのは難しい。善悪二元論を否定する際に、量子力学をそのまま使うことはできない。そりゃそうだ。社会や個人は、光(電磁波)でもないし電子でもない。「シュレディンガーの猫」は猫が主役ではなくラジウムの電子線が主役である。

それを人や社会に当てはめると、それこそ「心の哲学」のような話になる。例えば「辛い仕事だった。しかし楽しかった。」というのはマインドの問題である。しかし、このマインドが経済学では重要な要素である。社会学の場合は更に複雑である。また表社会とか裏社会という言葉があるが、同時に存在するといえば量子論的ではある。しかし社会の裏表というものは必ず存在し、それを議論することは価値がある。

たとえば日本の「ヤクザ」に代表されるように合法的であり、「社会必要悪」であるという表現がある。また「売春」に関しては現在は日本では違法であるが、かつての日本、および一部の国では合法であり、「必要悪」と考えられている。この合法であり「必要悪」というものをどのように考えるべきであろうか。

先ず、法的に合法であれば罪に問えない。これは法治国家であれば当然である。あとは個人のマインドの問題と社会的な影響がどうであるかという問題である。功罪の裏表が同時に存在するならば、あとは確率論のような議論になる。

特に政治というのは様々な政策が社会にどのような影響があるのか?様々な事象から発生しうる確率からの推定値によって評価されるべき。

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ノルマンディー上陸70周年
1944年6月6日はナチスドイツの占領下にあったフランスに連合国軍が上陸した日であり、それから70周年になる。ヨーロッパ各国は大きなニュースとして取り上げている。記念式典とともに外交交渉の場となった。G7に不参加だったロシアのプーチン大統領やウクライナの新大統領、エリザベス女王も参加していた。(ちなみに安部首相はイタリア訪問し、イタリア首相との会談、およびローマ法王と会見している。)

記念式典では、当時のナチスドイツの残虐な映像を大型スクリーンに流したり、「ヨーロッパ解放」という連合国側の主張をアピールされた。それはフランスという場所がら仕方のないことかもしれない。オランド大統領のパフォーマンスと政治的に利用している側面もある。一方でドイツのメルケル首相や旧ドイツ軍将校も招かれている。そして全面的にドイツを批判するようなことはしない。このあたりは中韓の1000年の嘘と恨みで一色にする姿勢とは明らかに異なる。

欧州各国の退役軍人も多く参加していたが、皆90歳を超えており元気なのが印象的だった。当時、若くして命を落とした軍人とはある意味で対象的だ。しかし、亡くなった者も生き残った者も軍人として敬意を表する。これは極めて当然のことだ。

戦争は敵を攻撃する、あるいは攻撃されるのが任務である。たしかにそのこと自体が残酷なことである。極端な言い方すれば式典に参加された退役軍人の中に多くの敵兵を殺した者もいるであろう。しかしそれでも彼らは尊敬される。

かつて日本の撃墜王といわれた板井三郎は、アメリカのポール・ティベッツが原爆投下の命令遂行したことを賞讃し、坂井も原爆投下を命令されれば実行したと発言して二人は握手した・・・。というエピソードがある。当然、この発言に日本の被爆者やアメリカの人権団体からも非難の声が上がった。そしてポール・ティベッツは原爆投下の責任はトルーマン大統領にあると述べた。(最近、ポール・ティベッツのノートが競売にかけられ話題になっている)

私は板井三郎とポール・ティベッツの考えは理解できる。軍人とは「任務を遂行する」ことである。国際法上で誰が有罪かというと間違いなくトルーマンである。東条英機は無罪である。しかし、もう70年経ったことである。今更、罪に問えとか裁判やり直せなんて主張する気はない。しかし現代において、こういう論説をすることは社会的にも政治的にも大きな効果がある。欧米の知識人にもそれを理解している方々が多い。

この式典の様子を眺めて、たしかにパフォーマンスや政治性も強いとは感じる。しかし改めて欧米諸国は中韓と違って日本との国際交流可能な諸国であることを再認識させられる。


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「自己組織化」と「腐敗の温床」
当ブログでは、何度か「散逸構造」とか「自己組織化」について考えた。今回は社会問題でもよく表現される「腐敗の温床」について「自己組織化」と関連付けて考えたい。

かつて小泉政権下にて郵政民営化の推進にともない議論となったのが「財政投融資」である。この存在がよく「腐敗の温床」といわれた。また国の省庁役人が特殊法人への天下りすると、それが「腐敗の温床」であるとも表現される。

そもそも「腐敗の温床」とは何だろうか?例えば、空気や光を通さない閉鎖された空間で「水と栄養」があれば菌やカビが増殖する。また虫歯や歯槽膿漏の原因は、歯垢や歯石がばい菌の温床になっている・・・とか表現される。

一方、物理学的な「自己組織化」とは一定の閉鎖された条件下のもとで結晶を生成するような現象をいう。この「腐敗の温床」というのは自己組織化に似たようなものである。では、このような現象は善なのか悪なのかということである。

例えば、発酵食品や室内キノコ栽培のように閉鎖された空間で一定条件のもとで生成されるという現象は社会では多く有効活用されている。人間だって一定条件で守られた(安定した仕事と収入)状況があるからこそ、安心して将来への投資(家のローンや子供の教育)が可能になる。

しかし公務員や企業の正社員は既得権益があり腐敗の温床である・・・という新自由主義者の論調がある。たしかに安定に胡坐を組んで安穏としている人は存在するかもしれない。しかしそれは本当に悪だろうか?

私はこのように考えている。自己組織化の中で生まれたものが、人間に対して、あるいは社会に対して「毒性」があるかどうかである。この考えが非常に重要であると。先に述べた菌やカビというものは人間にとって有効なものもあれば毒性のものもある。

ここで一般的に社会での「腐敗の温床」と呼ばれているものが「どの程度の毒性を持っているか」を明確にする必要がある。ここで「毒性」というのが相手を攻撃するものと定義する。すると大した毒性がないにも関わらず、逆に攻撃されている場合がある。むしろ攻撃している方に毒性があるとも言える。

このように「自己組織化」、「腐敗の温床」そして「毒性」と考えると社会の真相が見えてくる。


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G7(主要国首脳会議)の新しい役割
G7(先進国首脳会議)がベルギーのブリュッセルで開催されている。現在ロシアが除外され、当初のソチ開催が急遽変更された。ウクライナ情勢によって「冷戦構造の復活」との意見もあるが、はっきりいって当時の冷戦構造とは全く違う。また、ここ数年で新興国の台頭もありG8に替わりG20に主導権が移り多極化の時代と言われた。従ってG8、あるいはG7の役割は既に終わったとの論調も多い。しかし私は、「G7が新しい役割」を持つようになったと考えている。

先に述べたように、戦後の国際秩序は米ソの冷戦構造を中心とした二極化の時代であった。その後、アメリカの一極集中、さらにグローバル化により多極化が進行した。そして、Brics (ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)といわれる新興国はたしかに発展した。しかし、この動きはすべて「資本の移動と拡散」が中心であった。つまり、いつ「バブル崩壊」してもおかしくない発展である。

新興国の場合、社会の基本である「平和、治安、衛生」、そして国民の「教育、訓練、勤労」がベースになっていない。つまり物理学的にいうと、「エントロピーが増大するだけ」であり「散逸構造から自己組織化できない」ということである。さらに生物学的に表現すると「複製(コピー)だけ」であり「コアとなる万能細胞が存在しない」ということである。カネは「コア(核)」にはなりえない。カネは自己組織化できない。

つまり国際社会のコアとなりえるのはG7のみなのである。日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、カナダ、イタリア、(欧州連合)、(ロシア)、いずれもカナダ以外は旧列強である。そもそもイタリアは第一回サミットとから勝手に入ってきたし、カナダはアメリカの要望で欧州寄りになるのを防ぐために入っている。結局、100年経っても強い国は強いし、弱い国は弱いのである。

現代におけるEU統合やグローバリゼーションという、壮大な実験が失敗に終わる。それに人々が気付くのは、そう遠くない将来のすがたであろう。そして現在、G7には共通の課題がある。それはグローバリズムによる国民の負担である。さらに問題点を詳しく整理すると。

1.経済のデフレ化
2.失業率
3.移民問題
4.少子高齢化
5.伝統の崩壊
6.新興国(中国)の軍事的台頭

これらは驚くべきほどG7に共通する課題である。そしてG7は民主主義で各国から選ばれた代表である。どれだけ資本家から政治資金貰っても、国家が社会不安になるようなことはG7首脳は決して望んでいない。

日本の右傾化していると懸念する声もあるが、欧州でも保守勢力が強くなりつつある。それは誰かの陰謀でも何でもなく、当然に成り行きと言えるであろう。

かつての欧米列強による植民地支配とグローバリゼーションは発展途上国の人々を苦しめた。そうした行為は二度とできない。「できるだけ関わらない」という方策が一番よい。アメリカもかつての「モンロー主義」のような思想を一部復活させてもいいであろう。そして共通の価値観を共有する国家同士で結束することは何ら問題ない。(ちなみに韓国は共通の価値観を共有していない)

しかし、G7の一番の問題は「国際法上の根拠がない」ということである。従って、本当の意味での無力化した国連を早急に解体してG7中心の世界秩序を構築すべきである。そもそも「国連中心主義」なんて本気で思っているのは、中国、韓国、その他の弱小国家、そして日本では小沢一郎くらいである。今だに「敵国条項」があり、日本は多額の負担金を強いられている。しかも事務総長は韓国人である。現在の国連は全く百害あって一利なしである。

もっと分かりやすい説明をすると。G7の無力化を一番望んでいるのは、中国であり、韓国である。だから日本としてはG7を強化する。これは当然のロジックである。一方、ロシアはG8に戻すべきと考える。最近、ここぞとばかりに中国がロシアに接近すかのように報じられているが、ロシアにとって中国と友好関係を持つメリットは少ない。どちらかというと中国がロシアを取り込もうとしてG8分断工作している可能性もある。しかしプーチンは中国に取り込まれるような無能な男ではない。プーチンは本気で自国民のことを考えている。今回のウクライナ紛争でもロシア人、およびロシア系住民の保護を訴えて実際に行動している。(中国は本気で自国民のことなど考えていない)

むしろプーチンの考え方は、反グローバリズムであり国粋主義者のように見える。アメリカとイギリスの反発は強いが、ロシアの本音は軍事的な拡大に積極的とは思えない。ロシアがG8に戻り、バランスのとれたG8の復活が望ましい。もう少し時間が掛かるだろうが。


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留学生30万人計画
政府は移民受入計画とともに留学生30万人計画を打ち出している。理由は「先進国と比較して日本は少ないから」とか「グローバル戦略」とか、なんだかよく解らないことを主張している。

本当の理由は、日本の各大学の学生減少を外国人で補おうという単純な話である。前回のブログ「医療・介護の人手不足」と同様に、「人口減少する」→「新たな投資はできない」→「施設は維持したい」→「外国人を受入」という構図は全く同じである。

しかも現在の留学生は、反日国家である中国が63.5%、韓国が13.5%で計80%である。2020年までに30万人にするために、大学側に交付金を支援するとのこと。各大学も生き残りのために必死なのはよく判る。海外からの要求というより、日本の大学関係者が政府を後押しているのは間違いない。(地方や民間の医療・介護機関が外国人受入を政府に要求しているのと全く同じ構図である)

それにしても中国・韓国人が80%であることは大きな問題である。特に中国人留学生に関しては様々なトラブルも発生している。どうやら中国では日本留学のためのブローカも存在するようである。日本側も「受入」を優先してまともな審査していないようである。そして決め台詞は「国際交流は大事でしょ」である。それで多くの人が納得するのである。綺麗な言葉に皆が騙されている。(当ブログ4/25「交流は対立を生む」参照)

政府は「同じ価値観を持つ国との連携」と宣言している。であるなら、せめて「同じ価値観の国」を優先して欲しいものだ。少なくとも犯罪率の高い国、あるいは反日国家の留学生は受け入れに積極的になるべきではない。

まあ、とにかくコンセプトが悪すぎる。大学も医療機関も国が当てにならないから外国を頼ろうと思っているのかもしれない。30万人というのが大学破綻しない数字なのかもしれない。たしかに、いずれ日本の多くの大学が破綻することは間違いない。

まず地方の比較的新しい大学が破綻の危機になる(すでに危機的状況になっている大学もある)。そもそも地域活性化のために強引に大学を設立したのも大きなツケとなった。地方の責任も大きいが、簡単に承認した国の責任も大きい。

ここで私の提案です。

① 留学生受入を一部廃止し10万人以下にする。(審査を厳しくするだけで10万以下になる)
② 一部の大学を破綻させて、国が買い取る。
③ 主要な大学は存続させる(当面は国が補助金拠出)
④ 日本の高校義務教育化、および職業訓練義務化(医療・介護、土木、建築)する。
⑤ 旧大学校舎を日本人の職業訓練場として利用する。
⑥ 旧大学校舎を医療・介護の施設として利用する。

*留学生は「同じ価値観を持つ国」、あるいは発展途上国(中国は発展途上国ではない)に限定する。

大学経営が苦しいというが、国内の一般社会人でも「もう一度大学で学びたい)という人は結構多い(私もそうです)。しかし、時間的な制限や金銭的な問題で実現できないケースが多い。そこでパートタイム学生として専門分野の聴講生として、あるいは研究室への参加枠を認めてほしい。当然、所属企業の支援もあれば大学も助かる。

とにかく「日本人の教育訓練を充実させる」という理念を最優先にしていれば、色々とアイディアは浮かぶものだ。外国人受入を主張すれ人たちは、「調整弁」「使い捨て」「ビジネスチャンス」としか考えていないのは明らかである。そして何かと「国際交流は大切だあ」を叫び人々を騙す。そうしたやり方は許せない。

まあビジネス人がそう思うのは仕方がないかもしれない。しかし教育は国家の基本である。日本政府は誰のために政治をしているのか再度考え直すべき。大学を存続させるためではない。外国人のためではない。労働者を使い捨てするためではない。一部のブローカに利益のためではない。 

教育は、国家・国民のためにあることを忘れてはならない。


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医療・介護の人手不足
今回は医療・介護の人手不足について考える。この問題は現代日本の最大の社会問題である。あらゆる角度から真剣に論じなければならない。基本的に、医療・介護の問題は社会の構造的な問題があると思っている。

今後、たしかに医療・介護の需要は高まる。しかし年齢別人口バランスより、その後に必ず需要が低迷する。特に民間の場合、長期的な投資はできない。つまり、設備や人材を確保しても、10数年後には多くが不要になる。だから何らかの調整弁(臨時社員)で対応せざる得ない。従って外国人を活用・・・という話になる。

これは地方の介護施設でも同様のことがある。例えば、ある地域の特別児童養護学校では、ここ数年で障害のある児童の人数は確実に増えている。にも関わらず教室は増やすことができない。そして職員も増やすことができない。なぜなら10数年後には人数減少に転じると予測されているからである。将来、設備が放置されるのも問題であるが、何より人材(地方公務員)が不要になってしまうことの方が大きな問題でなる。こういう施設は都道府県(自治体)が運営していることが多く、予算や人員の問題が必ず発生する。

いずれにせよ現状のままでは、医療・介護の分野で人材の「調整弁」が絶対に必要ということになる。そこで日本人を正社員にすると解雇できないから、外国人なら解雇できるとだろうというわけだ。外国人を受け入れるにしても、いつか解雇することが最初から決まっている。

要するに「いずれは人口減少するから」というマインドが医療・介護業界を直撃し、ピークにも関わらず何も対応できない(何も対応しない)。つまりはピークに達する要介護者を「見殺しにする」というのが事の真相なのである。

何でもそうだが、中長期の計画と予算が重要である。例えば政府の公共投資の場合は、人口減少になろうが継続して予算を積み上げることは可能である。防衛費だって、人口減少とは関係ない。地方でも、公立の小中学校のように教員数はそのままで40人学級を20人学級にすることは可能である。児童や生徒がゼロになり廃校にならない限り教育予算は計上できる。

しかし医療・介護はそうはいかない。相手は生身の人間であり個人単位である。需要が大幅に変動した場合、対応は不可能になる。日本の場合、仮に大量に人員を採用することが可能であっても、あとで大量解雇することは極めて困難である。現行法では、外国人を調整弁として活用するしか選択がないように見えてしまう。


誰だって生きていれば老いる、病気にもなる、障害を抱えることもある。医療・介護はすべての国民の共通の課題である。そもそも、これは国家として対応すべき事業である。民間や地方に委ねれば予算や人員は確保できない。地方では予算削減するのが当然になっているし、民間だってそんな分野に長期的な投資なんてできない。

政府に規制緩和させて、派遣業界等(ブローカー)が新規参入して一時的に儲けたいという連中が存在するだけである。当然ながら需要が低迷すれば、そうした労働者を解雇されるだけである。既にシナリオは決まっている。

従って、今のままでは「要介護者は見殺し」あるいは「労働者が使い捨て」にされるか、のどちらかであることは間違いない。医療・介護の民営化を推進する国会議員だって、自身が要介護者になってようやく気付くであろう。まことに愚かである。「見殺しにされる」これは脅しでも何でもない。すでにそれは進行している。いくつかの介護施設では優先順位が設けられ、中軽度に見える要介護者、さらには手遅れの思われる高齢者が「後回し」か「放置」されている。姥捨て山に放置された老人のように「あきらめ」の境地になっている老人すら存在する。今後、この状況はさらに深刻さを増す。

老人介護の場合、とにかく人手が必要だ。実際には様々なタイプの要介護老人がいる。ただ見ているだけでも必要な場合もある。急変しないか? 徘徊しないか?暴れないか? 時には、押さえつけたり、運んだり、なだめたり・・・また、食事、入浴、着替え、排泄、床ずれの処置、病気の応急措置・・・様々なサポートも必要である。介護施設では必ずしも高度な知識や技術が必要としているわけではない。どちらかというと、日本語と日本の生活文化を知っていることの方が重要だ。そして、何より一番必要なのは気力と体力だ。

私の知人(若い介護士)の話によると、要介護者に暴力を振るったこともあったとのこと。ときどきテレビ等で虐待ニュースとして話題になるが、実は大なり小なり日常茶飯事の出来事のようだ。また労働時間も一般の仕事のように1日8時間で週5日の40時間も働いたら過労で体力的にも精神的にも持たない。交代制で十分な休暇を与えないと介護する側の人権問題になる。そんな過酷な労働でも、要介護者が他界すると多くの介護士は涙を流すという。そして直接介護に携わらなかった近親者は淡々としている。私は、そこに何か人間の真実があるように思えてならない。

私は常に高校の義務教育化と教育訓練の実施を主張している。これを一刻も早く対応すべきだ。基本的にすべての国民は「人間らしく生きる権利」がある。一方、国民の義務である「教育を受ける」「勤労する」「納税する」について改めて考える必要がある。私は国民が「医療・介護」の教育訓練を受けることは「義務」であると考えている。「勤労」に関しては、職業選択の自由があるが「予備役」としての義務を持つべきだ。個人としても決して損する話ではない。家族に介護は必要になったとき、また事故や災害での医療対応等、役に立つことは数多くある。

極端な言い方すれば、そうした義務を果たした国民こそが政府の「医療・介護」を受ける基本権利があるといえる。逆に義務を果たさない者は民間の医療・介護を利用する・・・それくらいのことを基本理念としても良いのではないか?

教育を受ける側がいれば、とうぜん教育する側も必要である。従って第一段階として現場のスタッフを増やすこと。それがスタートラインである。私が考えるシナリオは以下の順序になる。

① 国家公務員(厚生労働省)の職員を多く採用する。
② 医療・介護現場の厚労省の新人スタッフを配置する。
③ 医療・介護の現場のスタッフの一部が、高校生の教育訓練する側に回る。
④ 教育を受けた高校生から国家公務員(厚労省)を一定枠採用する。
⑤ 医療・介護の需要が減少するとともの厚労省スタッフは地域の厚生課に配属、転勤
⑥ 医療・介護の需要が減少するにあわせて厚労省の新規採用枠を下げる。
⑦ 上記のプロセスを経た者は最後に厚労省に「天下り」する。 *あえて「天下り」と表現しました。

要するに「調整弁」は外国人の使い捨てではなく、国家が対応すべきということである。そして教育訓練を充実させること。さらに 医療・介護に関わる人材は、安定した給与、安定した生活が確保されなければならない。そうしなければ要介護者だって安定した介護は受けられない。これは民間主導や地方主導では絶対に成り立たない。

民業圧迫なんてくだらないレベルの問題ではない。日本社会の問題である。「要介護者を見殺しにしない」「労働者を使い捨てしない」、そのためには国家が権力を持つべきである。時には既得権益を持って民業圧迫しても構わない。天下りだってしても構わない。国民を苦しめない、国民のためなら、それが優先されて当然である。 

そして、何よりも多くの若者が医療・介護の実習して学ぶことは社会的に意義は非常に大きい。まず「健康ほどの最高の財産はない」ということに若者が気付くであろう。「生きる」とは何か?「仕事」とは何か? 人の死で涙を流すことに、どういう意味があるのか? 若い世代に是非考えて欲しい。日本人なら必ずできる。この最大の社会問題に対処できる能力は潜在的に日本人には存在すると私は期待している。


テーマ:労働問題 - ジャンル:政治・経済

不発弾処理の自衛隊員に感謝しよう
昨日(6月1日)、宮崎市の工事現場で発見された不発弾処理が無事に終了したというニュースがあった。近隣住民約1万人が一時避難し、各交通機関も規制を行った。テレビのニュースでは淡々と内容を報じており、地元でのインタビューも報じられた。「こわかったけど安心しました」とか「重い雰囲気が、軽くなりました」とか安心のコメントが多かった。

そのとき私が思ったことは「やはり自衛隊は凄い」ということ。彼らは様々な訓練をしており、こうした不発弾の処理方法も熟知している。とはいっても危険は伴う。処理に失敗するケースもある。つまり「命を懸けて仕事をしている」ということだ。それが彼らの任務であり仕事である。そこで誰か一言でもいいから「自衛隊員への感謝の意」を述べて欲しかった。そしてそれを全国ネットで報道してほしかった。

とかく大手マスメディアは自衛隊員や警察官の不祥事やスキャンダルを「おもしろおかしく」報道したがる。しかし、そのような不祥事なんて民間企業では日常茶飯事である。つまり大手マスメディアは自衛隊の不祥事は大々的に報道するが、自衛隊のすばらしい活躍は報道しないのである。

私はすべての仕事(モノやサービスを供給する行為)は尊敬されるべきであると考えている。それが掃除のオバさんであろうが、街の豆腐屋のおじさんであろうが。収入の差はあるにせよ平等に尊敬されるべきである。しかし様々な仕事の中で「自衛隊」「警察官」「消防隊員」「レスキュー隊」といった仕事は「命を賭けている」という点では他の仕事と一線を画しても良いであろう。

特に今回のような不発弾処理ができる「自衛隊」は崇高な仕事であると断言できる。彼らは軍事訓練だけでなく、ありとあらゆる訓練を行っている。そして日本の社会を守っている。自衛隊に感謝できない日本人に「恥を知れ」と言いたい。


テーマ:地域のニュース - ジャンル:ニュース

竹中平蔵氏を論破し、日本国民のために提案しよう。
テレビ愛知の「激論コロシアム」という番組がある。地方番組であるが、遅れてYou Tubeでも見ることができる。5月10日の放映分を見たが、なかなか見応えがあった。出演は、竹中平蔵氏と三橋貴明氏、さらに藤井聡氏も参加されていた。

大胆な規制改革を訴える竹中平蔵氏であるが、それに対して異議を訴える三橋貴明氏と藤井聡氏という構図であった。まず竹中平蔵氏の主張は全く論理的ではない。例を挙げると以下のとおり。

1. 経済特区を作る ⇒ 新規事業参加させる ⇒ ??? ⇒ 経済活性化する? ⇒ 賃金が上がる?

2. 正社員は既得権益 ⇒ 残業ゼロにする ⇒ ルール作成(規制?) ⇒ ??? ⇒ 景気活性化?

3. メイドが規制されている ⇒ メイドを自由化する ⇒ 女性が外で就業できる ⇒ ??? ⇒ 景気活性化?

4. 労働人口不足(本当は不足していない) ⇒ 移民を受け入れる ⇒ ??? ⇒ 景気活性化?

この「景気の活性化」という目的に繋がっていない。三橋さんや藤井さんが懸念事項を指摘すると竹中氏は「だから改革が必要だ」とか全く意味不明(話が繋がっていない)の反論である。

一方、三橋貴明氏は「日本人の生産人口8000万人であり、労働市場参加率を現在の74%から80%にすれば480万人の潜在供給能力がある。」 これはデータに基づいた立派な論理的説明であり、話が繋がっている。移民を受け入れる前に日本国民の雇用や賃金を考えるのは当然だ。 

また竹中氏は「国民の賃金が下がることを政府は望んでいない」と主張したが、上記1-4はすべて人権費削減の方向である。要するに竹中氏は「支離滅裂」であり「論理的思考に欠けている」としか言いようがない。仮に竹中平蔵氏が「日本国民の賃金を下げるのは正しい」とか「移民を受け入れて日本を滅ぼす方が良い」という主張をする方がまだ筋は通る。

結局のところ竹中平蔵の政治目的は「自由にする」ということだけである。藤井聡氏は「バランスが重要」と述べたが、竹中氏は「バランスをとるために改革が必要」・・・とにかく「自由にする」という結論が決まっているように思える。

ここで私の独自の論法で考えたい。物理学的に竹中氏の思想は「エントロピーの増大させる(改革による自由)」、つまり「カオスの状態」になることを意味する。もう少し利口な人は、自由にすれば勝手に自己組織化すると主張する。しかし以前から私が主張しているように「自己組織化」とは「閉鎖された一定条件」でなければ形成されない。一定条件というのは社会でいうところの「規制」も該当する。

ただし規制でガチガチにすると組織が脆くなることがある。金属でいうところの「転位:欠陥」や「合金元素」が必要ということになる。転位は自由度を持つ、いわゆる流動性に寄与する。社会でいうところの「就職率」や「転職率」のようなものだ。また合金元素は料理でいうと「隠し味」か「スパイス」というものである。

そこで藤井氏の述べたようにバランスが重要ということになる。このバランス比率については様々な議論があると思う。私は鋼材バランス比率が非常に参考になると考えている。Fe-C平衡状態図ではC(炭素)量は0.67wt%で共析鋼となる。合金元素も考慮した炭素当量(溶接目安)が0.5-0.7wt%にすれば適当であると言える。⇒ 強く安定した組織ができる。

つまり移民(短期労働者や研修生含む)は人口の0.5-0.7%で十分ということである。日本の総人口が1億3千万人だとすると、65万人から91万人で十分ということになる。当然ながら、難民や日本に帰化する目的の優秀な移民もいるであろうから、その分を考慮すると100万人程度が適切ということになる。ちなみに現在の在留外国人は200万人以上と言われている。たしかに100万人が日本社会の飽和限界だというイメージと符号する。1000万人(人口の1割)移民受入なんて、ありえない数字である。

雇用の流動性については、まずは単純に「求人倍率」が1.0以上あること。これがなければ流動性もへったくりもない。求人側の空席はまさしく「転位」であり、転位が動きやすくすることは靭性が向上すること、つまり雇用の流動を意味する。「誰かの仕事を誰かが奪う」となると求人倍率は変わらない、あるいは外国人労働者が増えれば求人倍率は下がる。なぜ竹中平蔵はこんな当たり前のことが理解できないのだろうか?バカなのか確信犯なのか私には解らない。

しかし問題なのは、求職側の「職のアンマッチ」、「教育訓練不足」さらには「職に対する偏見」などなどがある。三橋氏が主張するように480万人の潜在労働供給能力は人数のことであり、そこに知識や能力が伴わなければならない。

何度も私が主張しているように、高校を義務教育して労働訓練(土木建築、医療介護、農業、防衛・・・選択性にする)をさせる。国民の潜在労働能力を上げ、国民の職業偏見をなくすことである。そういう提案をしてほしい。

*当ブログの分類「物理学と社会」を参照


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「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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