理系おじさんの社会学
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目は口ほどに物を言う
全国各地で高校生が反安保法案デモをしたというニュースがあった。写真や映像で様子を見ると何故だかデモに参加する人々の顔(特に目)が奇妙に見えることがある。例えば元プロ野球選手の清原さんの覚醒剤事件に関する報道で、過去の清原さんの映像を見ると素人が見ても不自然に思うことがある。また鬱(うつ)患者の場合、専門医がその患者の「目」を診てすぐに「問題あり」と判断できるという。私は専門医ではないが、何となく病んでいる人の「目」は不自然さを感じる。「目は口ほどに物を言う」と言われるが、精神状態に関しても同じことが言えるかもしれない。

今回の反安保デモに参加している若年層(中高年もいるが)の「目」も気のせいか不自然に見える。こういう人たちに多く共通するのは「睡眠不足」である。まあ、その結果として単純に「寝ぼけている?」とも考えることもできる。例えば、「若年層切捨ての安倍は悪い!」とか「安倍の戦争法案だ!」とか? 彼らは何かに憑りつかれたように叫んでいる。「若年層切捨て!」と言っても、彼らを戦場に送っているわけではない。たしかに格差社会が存在するのは間違いないが、それと安保法案は全く関係ない。要するに主張する内容が支離滅裂なのである。

一方で若くても真面目に仕事をして周りから評価されている人は目が輝いている。それは工場での製造作業者でも農業従事者でも土木工事の若い女性でも、そして夜の人気のホステスさんも・・・どんな仕事でも真面目に働いて成功している人は目が輝いている。実際に真面目に働いているのが日本人の大多数である。目を見れば解る!もちろん仕事をしながら精神的にも病んでいる人も存在している。今の時期には受験で失敗して落ち込んでいる人もいる。そのまま挫折から立ち直れない人もいるかもしれない。しかし多くの日本人は立ち上がっている。

私は以前のブログで何度も述べた。政治や社会を考えるとき、そのときの「失業率」、「犯罪率」、「寿命(事故、自殺含む)」を確認することが解りやすい。そして過去に何度もいい加減なコメントした評論家やヘンな友人を信じないこと!ということについても述べた。最後に他人の主張に耳を傾けるだけでなく目を見て判断すること。健康な人間ならば、病んでいる人の目に見て何か不自然さを感じるはずである。「目は口ほどに物を言う」、それは一理ある。もし本人が精神的に病んでいるとするならば、時間をかけてゆっくりと治すしかない。若年層であれば、それはなおさらだ。ゆっくりと目の輝きを回復させるべきだろう。


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テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

スポーツ偏重の教育を見直せ!
夏休みになると恒例の甲子園での高校野球、その他各種スポーツ大会が盛りだくさんになる。2020年には東京五輪をひかえ、日本国内ではスポーツ振興の機運が高い。しかし今回の当ブログでは、あえてこの雰囲気に水をさす記事を書いてみる。一部のスポーツ関係者やスポーツ大好きの方々には不快に感じるかもしれないが、何卒ご了承を・・・。

もちろん私はスポーツそのものを否定する気はない。テレビなどで錦織選手のテニスを見たり、なでしこジャパンのサッカーを見ることもある。当然ながら日本人選手が世界で活躍していれば応援する。しかし、歴史を紐解けば古代ギリシャや古代ローマでもスポーツは一種の「見世物」だった。現代でも大なり小なりそういう側面は間違いなく存在する。

当然ながら誰もがヒーローに憧れる。そして大衆文化としてスポーツ観戦することが娯楽となるとともにポピュリズムを煽る結果にもなる。そして一般の中学校や高等学校でも国の方針に従ってスポーツを振興する。しかし、そうした中学、高校でのスポーツ推進活動は、一種のスポーツ偏重主義のように感じることが多々ある。時には学力偏重主義と並んで強い違和感を感じる。

とは言いながらも、私自身も中学と高校ではバリバリの体育会系だった。自慢ではないが中学高校ともに主将をつとめ地区大会の優勝も経験している。当時も今も男子生徒で、ある程度体格が良ければスポーツをするのが当然だった。そこには、何となく「学校の威信」、「国家、自治体の威信」、そして個人では「男子生徒としてのメンツ」のようなもの存在した。当時の私もそれが当然と考えていた。しかし、その影で三年生であっても、どれだけ努力していてもレギュラーになれず悔しい思いをした生徒も非常に多かったのも事実だ。

一方、甲子園高校野球などで大人の事情による大きな問題が発生する。それは、やはりおカネの問題だ。生徒たちは真面目に練習しているが、全国大会となると学校関係者や父兄、さらにはOBにも金銭的、時間的な負担が大きくなる。従って、意図的に全国大会に出場できないような操作が入ることもあるという。この問題は今に始まったことではない。私が中学高生のときも、そうした話をよく聞いたことがある。また90年代以降バブルが崩壊し地方が疲弊する中で同様の問題は後を絶たないとのこと。やはり、どこか「メンツ」とか「カネ」という問題が付きまとう。

以前も「体育会系の悲劇」という記事を書いた。スポーツというのは残酷なものだ。当然プロになって稼げるのはごく一部である。はっきりいって宝くじの確率と大して変わらない。しかもプロ生命は短い。長くて20年、短くて数カ月というのが多い。引退後、運が良ければコーチや監督、ニュース解説者や評論家になることもできるが、それもごく僅かだ。当然ながらスポーツというのは本人の努力も重要だが、体力、素質というのが大きく影響する。

確かに、一流になれなくともスポーツを通じて体力、精神力、協調性は養える。しかしスポーツでなくても、例えば「部屋の掃除」や「畑作業」をすれば十分汗をかけるし運動になる。精神力だってスポーツ以外の分野でも養うことは十分可能だ。また協調性もスポーツ以外でもいくらでもある。例えば、私は趣味で様々な楽器を演奏するが、楽器をマスターするというのは相当な根性が必要だし、アンサンブルは協調性が重要だ。しかしスポーツと違って地道に継続すれば誰でもマスターすることは可能だ(これを理解していない音楽ビギナーは非常に多いのが残念)。

つまりスポーツで勝ち負け以外の目的とされる内容はどんな分野でも可能なわけだ。例えば、高校生が医療介護の現場で作業を体験したり、土木建築の現場で体験したり、実際に自分たちで小さなプロジェクト(クリエイティブな)を推進したり・・・むしろ、こういう活動の方が社会人になってから役に立つ(この話は当ブログ「教育問題」で何度も主張している)。つまりスポーツでは直接的な勝利や名誉を得るための一種の覚醒作用が働いており、現実の泥臭い社会で生き抜く力が弱まることがある。その最も大きな要因はプライドである。スポーツ能力が高かった人物ほどそういう傾向にある。

夢を追い続けることはダメとは言わない。でも、それだったらスポーツ以外でいくらでもある。例えば、体格の良い男子生徒がスポーツ系でなく吹奏楽部でウッドベース弾いたっていいと思う。手先が器用な女性が機械工作部に入部したっていい。かよわい女子生徒がパワーショベルを運転練習してもいい(パワーショベルは体力はあまり関係ない)。綺麗な女子高生が医療介護をやってもいい。・・・そうした社会と関連するようなトレーニングこそ人間力を養うことができる。

おそらく教育委員会やPTAは子どもに「仕事をさせるのはけしからん」という発想をする・・・まるで「こどもにポルノは見せてはいけない」というような「仕事=俗悪」なものというイメージを教育委員会やPTAは持っているのだろうか? 子供って、昔は家の手伝いしたり、丁稚奉公したり、職人の弟子入りするのは当然だった。たしかに「強制」は伴うものだったかもも知れないが、現在の義務教育だって子どもへの「強制」そのものだ。中学生から社会(仕事)を知ることは重要だ。短期の中国人研修生受け入れるくらいなら、継続的に中学、高校生にトレーニングさせる方が有意義だ。

しかし残念なことに一般的な中学校や高校では、7-9割が体育会系だ。大学になるとようやく意味不明のサークルも含めて多様化する。韓国の学校だと「独島部」という日本人からすれば意味不明な政治的サークルも存在するが、そんなことにパワーを浪費する生徒が哀れだ。せめて日本の義務教育である中学校や公立高校では、半数がスポーツ以外の活動であることを望ましい。特に文化、技術、福祉・・・本当の日本社会はそういう人材を求めている。つまりスポーツ偏重の教育を見直せ!ということをここで私は強く主張したい。


独学のススメ~法律と保証は違う! 
マスコミのニュースでは安倍総理の戦後70年談話はどうこうとの話題になっている。どこぞの新聞では有識者?談話報告(原案?)について「若い世代に教えたい」なんてコメントもあったようだ。まあ確かに教育基本法は改正した方がいいだろうが、公式、非公式問わず多くの子どもや大学教授、そして学者も含むすべての日本国民がそれぞれで改めて「独学」することが最も重要だとつくづく思う。それは今まで「教える側」から惑わされることが極めて多かったからだ。

特に歴史や憲法なんてのは解釈が皆違う。アメリカのように現在でも「原爆投下は正当」なんて信じているアメリカ国民が結構多い。それは一方的なアメリカ公式教育によるものだろう。また韓国のように強烈な反日教育を公式に実施すれば、学校成績が優秀の人ほど反日な人間になるのは当然のことだ。従って学校成績が悪い人の方が実社会で「真人間」なるケースも多いと言える。あるいは学校卒業してから事実を知って愕然とする若者も増えていること。「公式な教育」とは国民の価値観を共有する意味では有効かもしれないが事実を一方的な視点から構築されるリスクは大いにある。だから「独学」は重要である。

全く別の視点から考えると、物理学においてモノゴトを単純化して考えることは非常に重要なことだ。複雑に見える微分方程式もモノゴトを単純化した結果である。またコンピュータプログラムの基本は0と1の二進法、あるいはYesかNoのフローチャートの積み重ねで成立している。特に二進法はミクロからマクロなシステム開発に有効だ。しかしマクロからミクロへの二進法はどうしても多くの矛盾が生じる。それが法律というものである。法律とはどこかに勝手に線引きしているに過ぎない。また何か全体のコンセプトを考えるときにミクロを意識したコンセプトでないと成功しない場合が多い。それは以前ブログで記事にした新国立競技場の奇抜な意匠設計が典型的な例である。

従って憲法学者が単純二元論を社会に適応するのには違和感を感じる。何となく共産主義的な匂いがする。三権分立とは、憲法が常に上位にあることを意味しているのではない。また憲法が政府を縛るものではない(護憲左翼の解釈は絶対に間違っている!)。法律とは紛争や損害が発生した場合に、ルールに基づいて判断するもの。論争は紛争ではない。論争を法律で解釈するのは不適切だ。例えば、日本の核保有論は非核三原則や核不核拡散条約に違反していない。なぜなら紛争ではなく論争だからだ。

「法律の整合性などどうでもよい?」のような意見が国会で出たようだが、これはある意味で的を得た良い発言だ(安倍総理は厳重注意したようだが)。例えば、私は長らく工業界で品質保証の業務をしてきた。私は会社で「関連法規や法令順守と品質保証は全く別次元の問題だ!」ということを強く主張してきている。なぜなら工業製品でルールを守ったからといって、その工業製品に品質不具合が発生しないとは限らないからだ。どれだけルールを守った製品を製造して、何らかの公的認証を得たとしても社会(顧客や市場)に多大なる迷惑をかければ責任を厳しく追求されるのは企業として当然のことだから。

例えば、過去の公害で「水銀」「カドミウム」・・・などの重金属汚染が問題になったことがあった。当初、企業側は因果関係が明確でないために(つまりはルールを守っていた)ため責任はないと主張していた。皮肉にも、それが実社会で問題が長期化した主な要因となった。最近ではエアバック問題で「硝酸アンモニウム」がどうこうとの議論が出ているが、過去の公害問題と同じパターンになるのが心配される。つまり本当の責任問題を考慮するなら社会的影響を優先すべきということ、しかし高齢者がトップにいると一時的な個人の責任や名誉を気にすることが多く、その弊害も少なからず存在しているかもしれない。

つまり私が何を言いたいかというと、大きな問題やリスクが想定される場合に「因果関係の解明」とか「法令との整合性」など後回しにしてでも応急措置や何らかの対応をすべきだということだ。それが社会的責任である。企業には社会的責任がある。当然ながら政府(国家)にも社会的な責任があるということだ。役所の一般職員や企業の一般社員は決められたことを粛々と行動する。しかし国家運営や会社運営は違う。法律を守っても守らなくても社会から責任追及されるなら、社会や個人の立場になって最終判断すべきということだ。

トップの役割とは何か?例えば金融政策は時の経済状況に合わせて政策金利を決定したり、金融緩和や引き締めを行う。政府も社会情勢に合わして財政出動したり、税のあり方を変更したりする。マクロ政策とは、そのご時世に合わせて対応する。当然のことである。憲法改正が容易にできないのが日本の悲劇でもあるが、少なくとも立法府がご時世(世界情勢も含む)に合わせて法整備することは当然のことだ。それに学術的に因果関係が明確になっており、財政経済的にも問題がなければ迷う必要などない。

特に最近話題の集団的自衛権は、安全保障の専門家や経済学者も学術的に「正しい」と判断している。特に経済学者の高橋洋一氏は、集団的自衛権によって戦争のリスクは40%低減し、予算も70%削減できるというのが研究結果があると発言している。つまり因果関係はすでに学術的にも明らかになっているということ。反論するのであれな同じく学術的に数字で表現すべきだ。むしろ私はそういう議論を期待しているが、反対派は憲法を振りかざすか、反米の精神論を振りかざすかがほとんどである。私も反米思想はあるが、ここでは憲法学以外の学術的な議論をそれぞれ「独学」することが有効だ。


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師弟関係と独学がヒトを発展させる
日本の教育訓練といえば、小学+中学の義務教育、そして高校、大学といった流れが基本になっている。もちろん家庭でも親から子への教育はある。特に歌舞伎界のように世襲で親から子へという教育は延々と続いている。また各界(相撲)でも親方と弟子というのは今でも続いている。一般企業でも上司と部下の関係もあるが、それはどちらかというと管理システムの話だ。むしろ先輩から後輩への指導というのが重要な役割を果たしている。先輩後輩の教育関係は、一般教育というより学校の部活動や企業でのOJT(仕事をしながらの教育)で有効である。

もちろん「独学」も重要だ。現代社会では、何か調べ事する際にはインターネットを利用する。地図だって、翻訳だって、ちょっとした学問はほとんど検索できる。一昔前のように辞書を購入してペラペラめくったり、技術文献を入手したり、図書館へ出向く回数も減っている。そうした古い勉強の仕方に拘っておられる方も多いが、私は「独学」するなら、こうしたツールは大いに活用すべきだと考えている。そして私は、勉強の基本は「独学」だと思っている。自分自身で勉強やトレーニングをしたうえで先生や師匠に微調整をしてもらう。こういうやり方が効果的だと考えている。

さて最近では、世襲が低迷していることと?あるいは核家族化が進行したためか? 親子での教育が減少している。というか両親共働きは普通のことになったし、教育は学校に任せておこう!という気運が高いのかもしれない。あるいは、そもそも親が子に教育しようと思っても、親にその能力が備わっていないケースだってある。その代表的な例が「英語」だ。ようやく、ここ数年で日本企業もグローバル化した影響か?英語を話せる大人も多少は増えた。しかし、それでも日本人が全体として英語が苦手なのは変わらない(そもそも日本の通常生活では英語は必要ないのが大きな理由だが・・・)。

従って、親が子に「しっかり英語を勉強しなさい!」って言っても「おかあさんだって英語できないでしょ!」と言われてそっぽ向かれる。これは結構深刻だ。何しろ勉強しろっていっている張本人が勉強内容知らないのだから説得力ないのは当然だ。親子の教育が充実していないのは様々な理由があるだろうが、親にその分野での能力がないというのが最も大きな理由のような気がする。だから、勉強は学校や塾に任せよう・・・というのは決して間違ってはいないということになる。

かつての古い家長制度なら、権威ある長老の「勉強しろー」の一声で、何だか解らないが勉強しなければならない状況に陥ることもあるだろう。いわゆるサザエさんの浪平さんのような存在だ。当然ながら、それに対応できる子供とそうでない子供も存在する。子供の潜在成長にはバラツキもある。カツオくんも決して学業が優秀ではなかったように・・・。しかし師弟関係の場合は違う。多少、物覚えの悪い子供でもそれなりに立派なプロになることはできる。一対一の教育は有効だ。その人に合わせた教育ができる。もちろん、質の悪い師匠、やる気のない弟子に出会うとキツイかもしれないが・・・。

一般的に昔からよく言われるのは「不器用な人ほど出世(成功)する」・・・それは、間違いなく何らかの師弟関係のなせる技だと私は考えている。(一般教育だとタダの「落ちこぼれ」になるケースは多い) 実はこの「師弟関係」、そして「独学」こそが様々な文化文明を築いているというのが私の考えだ。それは学校の先生と生徒、会社の上司と部下・・・というより先輩と後輩、親と子の師弟関係のように「損益とは関係のない世界」で、より強固な伝承が達成できていると考えられるからだ。

このような文化を持つのは世界では欧州と日本くらいである。日本の場合、それは最近始まったことではない。「式年遷宮」ははじめとして、大工の棟梁、番頭、そして商家では丁稚奉公、そして寄合など師弟関係は延々と続いている・・・一方でフランスの学者であるエマニエル・トッドは「家庭形態と社会の関連性」を議論して、日本はドイツとの類似性を指摘していた。しかし、現代日本も核家族化が進んで家族形態は昔とは大きく変貌した。それでも学校や企業での師弟関係、もちろん芸能スポーツなどでの師弟関係、そしてそれぞれの「独学」が生きている。この影響が最も大きい・・・というのが私の考えだ。

一方、儒教思想の影響が強い中国や朝鮮半島では、日欧のような師弟関係ではなく、主従関係が中心になっている。もちろん中国や韓国でも学校教育や企業での指導はある。しかし報酬の伴わない先輩後輩の教育は然程活発ではない。彼らの思想としては個人レベルの知識や経験は個人の武器であり、他人に渡さない。そして運がよければ給与の高い企業へ転職するのが当たり前である。まさしく「個人主義」である。しかし、だからといって「独学」に力を入れているわけではない。どちらかというと中国韓国の場合は、血縁選択性のような一族結束主義のような思想が根底にある。

さて、残念なことに近年の日本ですら、こうした師弟関係による教育訓練は衰退している。「独学」に関しては個人レベルなので詳しいデータがないので判らない。少なくとも「師弟関係」が停滞したのは「仕事がない」、「人が足らない」、「景気が悪い」というのが大きな要因であることは間違いない。これでは間違いなく国家が衰退することを意味している。私は現在の日本の教育システムをすべて否定しているわけではない。しかし人々が師弟関係の重要性を再認識する必要がある。そして、それぞれが「独学」を続けること・・・そうした環境文化を維持成長させることこそ日本が発展できるベースとなると私は確信している。


安倍首相の英語表現
前回のブログではアメリカでの安倍首相の演説についてのコメントした。まあ、色々と国内外ともに賛否がある。だが、私は立派な演説だったと思っている。特に硫黄島でのアメリカ軍人スノーデン氏と栗林中将の孫である新藤大臣とのかたい握手はホントに涙を誘う。このシーンを見て感動しない者はアメリカ人として失格であり、日本人として失格である・・・と個人的 には強く思っている。テレビでは報じられていないこのシーンは絶対に必見だ。

私がよく訪問するブログでリンクも紹介させていただいている「山岸勝榮先生の日英語サロン」でも、この安倍首相の演説についてコメントされている。翻訳字幕ナシだが動画も添付されている。これは是非とも英語のまま聞くべきだ。もちろん英語が苦手な方は難しいかもしれない。しかし、この全文を自分で翻訳して朗読すれば結構レベルの高い英語の勉強になる。・・・特に英語な苦手な学生にお勧めだ。

ちなみに山岸先生は既に大学教授を退任されたそうだ。しかし私にとって先生であると勝手に思い込んでいるので、あえて先生と書かして頂きたい。山岸先生のブログでは、安倍首相の演説は日本人訛りの英語であり、決して流暢ではないかもしれないが・・・ 「すばらしい英語」と評されている。私も同じように思った。一方で演説を非難した小西民主党議員を山岸先生は強く非難されている。

私も仕事柄、中国人英語やインド人英語とやり取りすることが多い。特にインド人の英語は独特で、今でも戸惑うことは多い。おそらく相手側も私の日本語訛りの英語に戸惑っているだろう。・・・がしかし一緒に仕事はできる。なぜなら仕事に関する「知識」、そして「意欲」があるからだ。誰も私のヘタクソな英語を笑う人はいない。そして私も彼らの独特な英語を笑うことはない。だって仕事に懸命なのだ。そんなくだらないことを考えている余裕はない。

結局のところ、内容がどうであるか。そして、どうやってメリハリ付けた説明するか。言語は何であれ、政治家の場合は政治家だからこそ演説が上手いということもあるだろう。オバマ大統領だって、あのヒトラーだって演説の名人だと言われた。もちろん安倍首相は彼らほど演説は上手くないかもしれない。いや、あまり演説だけ上手いような政治家にはなってほしくない。ただ今回は純粋に安倍首相の演説はよかったと思った。その純粋さが政治では重要なのかもしれない。

長年、アメリカでは日本は旧敵国という意識が強かった。しかし、この演説が一つの節目になったと言えるだろう。こういうイメージつくりって、政治的とはいえ結構効果的だ。もちろんTPP交渉をアメリカに大幅に譲ったりすることは好ましくない。そして軍事的にもすべてアメリカ追従が良いのか議論は尽きないだろう。これからが重要であることは間違いない。

さて相変わらず不思議なのは、先に述べた小西民主党議員や中韓の反応だ。特に韓国は「外交的敗北」といった論調が多いようだ。何が「外交的敗北」なのかよく解らないが、パク・クネに怒りの矛先が向いているとのニュース記事もあった。何だかよくわからない国だ。いっそのこと安倍首相より流暢な英語で反撃すればどうだろうか?おそらく低レベルな人たちは言葉も問題くらいしか反撃要素がないってことかもしれない。でも英語や語学力がある程度ある人間からみれば、あまりにもバカバカしい議論ということに気づく。

また安倍首相は今は亡きダニエル・イノウエ元上院議員を偲ぶコメントもしていた。たしかにダニエル・イノウエは立派な人物だった。日系アメリカ人だけでなく、多くのアメリカ人にも愛された。一方で同じく日系アメリカ人のマイク・ホンダは相変わらず「反日」のようだ。しかし両者ともに英語は上手い。そりゃそうだ。だってアメリカ人だもん。そして今回、アメリカでも中韓系のデモもあったようだが、彼らだって英語は流暢だ。そりゃーアメリカに住んでいるのだから・・・。でも一体どれくらいの人たちが彼らの英語による主張に共感するだろうか?

安倍首相の演説は、英語が下手な私に少しだけ勇気を与えてくれた感じがする。今回の演説で、流暢な英語じゃなくても
アメリカの最高機関で「思いを伝える」ことができることを証明した。そういう意味でも貴重な演説だと確信している。


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小室沢直樹

Author:小室沢直樹
「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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