理系おじさんの社会学
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不倫騒動の本質
最近、タレントのベッキーさんの不倫とか、自民党の宮崎議員の育休中?での不倫騒動が週刊誌やテレビで話題になっている。そもそも有名人のスキャンダルにはあまり興味のない私なので、こうした話題は素通りしようと考えていた。しかし、よくよく考えると社会の深い闇が見えてくる。

英国での報道では、ベッキーさんの問題は「女性差別」とのコメントもあったそうだ。たしかにイスラム諸国では浮気は女性側に問題があるとか、古い日本でも浮気は男の甲斐性であり、女性は許されないような風潮はある。一方で女性の側でも、よく「どろぼーネコ」という表現されるが、それは男性を誘惑する女性を揶揄する表現としてよく使われる。

今回のベッキーさん騒動や宮崎議員の問題では、奥さんが法的に訴えている訳でもない。騒いでいるのは周りやマスコミだけである。宮崎議員は議員なのでスキャンダルは政治利用される。ベッキーさんの場合、彼女は美人で清楚なイメージがあるので、一般女性から嫉妬や軽蔑の目があり、それが騒動を大きくしているように思える。

つまり、これらの問題は女性差別というより、むしろ女性(特にフェミニスト)が美しい女性を攻撃したり、だらしない男性を外野から罵声を浴びさせているというのが事の本質のように思える。はっきりいって、プライベートな話にも関わらず全くカンケー無い人々がゴチャゴチャ文句言っているだけの話である。

もし不倫女性がベッキーさんでなく大阪の吉本芸人である山田花子さんだったら、多くの女性から「よくやった花子!」と絶賛されるであろう。また宮崎議員も不倫がばれずにイクメンぶりを発揮して、それだけをアピールすれば、世間の女性から「やさしい、いい男だねー」となるわけだ。実際に、そういう不倫がばれずに世間の評判を良くしている男性は大勢いるかもしれない。

このように他人のスキャンダルや嫉妬や軽蔑心というのは、人々の心を狂わせ「うねり」になって社会を変えることは歴史上でも多々存在した。例えば、フランス革命ではオーストリアから来た王妃マリーアントワネットが諸悪の根源のように誤解され、挙句の果てにギロチンで処刑されるまでに至った。そこには、つまらないスキャンダルや嫉妬心、そして軽蔑心が背景にあった。そして、それを政治的に上手く利用したというのが事の真相だった。

現代でも民主主義であるが故に社会的イメージを上手く政治利用する動きは多々ある。様々なプロパガンダがそうであろう。現在のマスメディアはプロパガンダの塊であり、それに翻弄される人々は相変わらず多い。もちろん、どのような世界でも「空気」や「雰囲気」というものがあり、そこに風が吹いたり、渦を巻いたりすることはある。そうそう、最近では「重力の波動」が発見されたと話題になっているが「波動のうねり」とは一般社会でも様々な形で存在する。

しかし問題なのは、民衆の「怒り、妬み、嫉妬」というのは、大きな「うねり」をつくり易いうことだ。一方で幸福や歓びのうねりというのは日本では発生しにくい。むしろ「嫉妬心」の方が強調されることが多い。例えば、オバサンの井戸端会議では各々の「不幸自慢」することが常識となっている。そこには素朴に「同情をかって欲しい」という気持ちもあるだろうが、同時に「良い話は他人の嫉妬を買う」という恐怖心の裏返しのように思える。また、他人の喧嘩は面白いとか、他人の不幸は自分の幸せとか・・・相対的に他人が落ちぶれることでしか、自己の存在価値が上がらない人が多いということだろう。

まあ、一般庶民の心をどーこー議論しても仕方がない。しかし中にはまともな事を言う人もいる。私の妻もそうだ。不倫報道をテレビで見た私の妻はこう言った。「そりゃー、不倫したいという気持ちは誰だってあるんじゃないの?」、「奥さんもある程度は許しているんだから、いいんじゃないの」、「何でこんなくだらないニュースを何度もするんだろー」・・・うーん!マトモ過ぎる。そう、一般国民もバカじゃない。私の妻と同じことを思っている一般女性は数多く存在している。まあ、たしかにゴシップ好きな人々も多いのは事実であるが、マスコミが思っているほど日本国民はバカではない。


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同じ価値観を共有!?
私がよく訪問するケント・ギルバートさんのブログ「ケント・ギルバートの知ってるつもりで」で「史実を世界に発信する会」からのメールが紹介されている。そこでは「公開質問状」として日、英、中の各語で紹介されている。そういえばRape of Nankingの著者のアイリス・チャンも公開質問状を渡されたことがあった。もちろん彼女からの正式な回答することなく自殺したことは有名な話だ。

おそらく中国政府も回答することないだろう(回答できない)。中国は、アイリス・チャンのように自殺はしないにせよ追い詰められるのは間違いない。シナ人(韓国朝鮮人も)というのは間違っていても誤りと決して認めない民族である。どうやって言い訳するか?どうやってプロパガンダするしか考えない。なぜなら「誤りを認める=死」を意味するからだ。

つまり全く価値観が違うわけだ。最近ではTPP交渉やG7会合の後に日本の関係者は「価値観を共有する仲間」という表現をよく使う。もちろん日本人と欧米人の価値観も違いはある。それでも、まだ共有できる要素は多い。そしてインドやアフリカも日本とは相当価値観が違う。それでもインド、アフリカの良いところは自分たちの価値観を他国に押し付けないことだ。

もちろん、かつての欧米も彼らの価値観をアジア・アフリカに強要しようとした(今でもしている)。しかし日本の場合は、江戸時代以前より、社会や経済の仕組みは表面的には違えども比較的ヨーロッパに近い価値観を持っていた。また新しいモノ好きの日本人の要素も加わって、すんなりと欧米の価値観を理解した。

もちろん戦後のGHQの洗脳教育は敗戦国としてアメリカ戦略によるものであったことは間違いない。しかし日本人はアメリカの政策であったにせよ日本人としての精神は失われていなかった。むしろ、そうした日本人らしい精神は多くの諸外国(特亜三国以外)からの深く理解されている。少し違った形であれ日本を理解する国々が多く存在するのは間違いない。

特に日本人を理解する国々や人々が増えたのは、やはりインターネットの影響が大きい。逆にそのインターネットが規制されている国では日本を理解する人が少ない傾向がある。TPPの議論では、著作権や知的財産保護の話題になることが多い。しかしアメリカが主張するような保護では、本当の文化発展はありえないだろう。

多くの人々が価値観を共有するためには、知的財産保護は最小限にすることが望ましいというのが私個人的な意見だ。しかし保護がなければ文化振興や新規開発の妨げになるとの意見も一応は説得力はある。考えてみれば、アメリカが得意とする医薬品や工業製品は開発に時間が掛かり、開発費用と回収という考え方は理解できる。

しかし文化やエンタメについて開発費用とか回収という世界ではない。日本の人気マンガやアニメも当初にビックマネーを稼ぐための投資なんて一切していない。スシやテンプラだって誰がどれくらい開発費用を投じたかなんてナンセンスな議論だ。良いものは残り、悪いものは消えていく・・・それが文化である。そして、そうした文化が共有できる環境とそうしたネットワークを構築させる必要がある。

文化の価値観を共有する。この考え方は工業製品、サービス、投資などと決して同じではないということを理解する必要がある。



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テレビを見るとバカになる!?
昔、私が小学生の頃、学校の先生から「テレビを見るとバカになる」と言われたことがあった。当時、私はテレビが大好きで夏休みになるとよくアニメの「ど根性カエル」を楽しんで見ていた。だから「先生って酷いこと言うなあ」なんて思ったものだった。しかし結論から言うと当時の先生の言うことは正しかった。それは、むしろ現在のテレビに完璧に当てはまる。

私が子供の頃、ドリフの「8時だよ全員集合!」とか、「電線マン」とか実に低俗な番組が多かった。しかし、それなりに面白かった。また藤本義一のイレブンPMは、当時の小学6年生男子でも興味深深の番組だった。母親の目を盗んで1台しかなかったテレビを見たのを思い出す。現在では放送倫理委員会とか、何を基準に「倫理」を語るのかよく解らない規制が出来た。また、当時はヤクザが出てくる番組も多かったが最近ではそういうネタもめっきり減少した。

またサスペンスでも、あの「土曜ワイド劇場」はすでに長寿番組になった。当初は結構おもしろかった。しかし現在では観光地PRがメインになっており、ストーリー性の乏しい内容となっている。それどころか有名女優の入浴シーンがあると辛うじて視聴率が上がる程度だ。それはかつての「水戸黄門」の由美かおるの入浴シーンで視聴率が少し上がる現象と全く同じだ。

最近では「家政婦のミタ」とか「半沢直樹」とか比較的ヒットしたドラマもあるが、それらは原作や脚本の良さが大きな要因であって決してテレビの良さではない。テレビ局独自の製作で上手くいっている番組なんてほとんどない。その証拠に俳優さんや芸人さんもテレビ局に対する不信感は強まっているという。

まあ、今も昔もテレビが低俗であることは変わりない。私もドリフの「全員集合」は見ていた。当時、私は勉強も疎かになって多少バカになっていたかもしれない。でも、今は真面目に働いている。そして家族も養っている。当時のドリフの加藤茶や志村けんは真剣にバカを演じていた。そういう真剣さは子供にも伝わっていた。私は、あれはあれで非常に良かったと思っている。

がしかし・・・現在のテレビは違う。バカをやっちゃいけない風潮にある。それは放送倫理とか何とやらのせいもあるかもしれない。また1980年代頃から「報道番組」が増えた。そこでは一種の「世論操作」や歪んだ「人権意識」が潜んでいることに容易に気付く。討論番組でも決して結論を導かないようになっている。なぜならスポンサーを見るとその意味は解る。・・・つまり「土曜ワイド劇場」の観光PRと同様に、報道番組も人権団体などの各種団体のPRの場と化しているということだ。

結局、テレビはすべての宣伝やプロパガンダの場であり、庶民の娯楽の場ではなくなったということだ。当然ながら昔のテレビでもスポンサーは存在した。しかし番組自体の内容に露骨に介入することは少なかった。なぜなら、ある程度視聴率が高ければ、そういう小細工する必要もなかったからだ。しかし現在は全く違う。すべてのテレビ局の視聴率は低下に一途である。CMだけでなく番組自体にコマーシャル性がなければスポンサーになるメリットがないということ。そうでなければカネを出さないということだ。

宣伝やプロパガンダに振り回されるテレビ・・・。当然ながら視聴者も「バカ」になる。それはドリフの全員集合を見て「バカ」になるのとは意味が全く違う。真剣にバカになることは素晴らしい。スティーブ・ジョブスの「Stay Foolish:バカのままで」という発言は多くの人の共感を得た。しかし、一方通行であるテレビ番組では思考停止となりバカになる。そういう意味で現在の「テレビを見れば本当にバカになる」と断言できるだろう。


テレビは天気予報だけで十分だ!
もともとテレビ嫌いはの私だが、最近ますますテレビに嫌悪感を感じてきた。8月になると決まってくだらない戦争ネタ番組を報道する。また「ヤラセ」「世論操作」がミエミエの番組が多すぎる。一時期はニュースだけは見ようと思っていたが、それも偏向報道ばかり・・・朝からイライラ、ムカムカがたまる一方だ。さわやかの朝を迎えるためにはテレビはもはや邪魔な存在となった。

しかし天気予報だけは違う。気象衛星の画像も鮮明になり、予報の的中率も向上している。天気予報だけレベルは向上している。これはテレビ番組が努力したわけではない。気象庁、ならびに技術開発に関わった様々なスタッフの努力があるのは云うまでもない。もちろんスポット的なゲリア豪雨などは現在でも予測するのが難しいといわれているが広範囲で危険予知することは可能だ。

また、お天気キャスターはそのルックスだけでなく「気象予報士」という公認の専門家が行うことが多い。それもレベルアップにつながっている。原稿を読むだけでなく、質問にも答えられるような人材育成をしている。通常のお天気だけでなく、台風や竜巻、地震や津波情報は重要な情報源であることは間違いない。こういう人材育成は地味なようで結構重要かもしれない。

30-40年程前の欧州ではテレビ番組は1日数時間というのが当たり前だった。現在でも日本の地方局では放送のない時間帯も存在した。私もテレビなんてものは朝と夕方の合わせて2時間程度で十分だと思っている。それ以外は有料でアニメやスポーツなど専門番組をやればいいと思っている。あとはネット中継などで十分だ。

そして何よりもテレビ大好きの60歳代以上の老人たちを何とかしなければならない。「テレビを見るとボケる」から開放させることも必要だ。だいたい家でゴロゴロして何もせずテレビ鑑賞に明け暮れているからボケが更に進行する。テレビ放映を強制的にシャットダウンさせる。そうすれば外に出て少しはカネ使うかもしれない。もちろん熱中症には気をつけて、朝の天気予報だけ見てから外出する。そうすれば高齢者の人生は明るくなる! だからテレビは天気予報だけで十分だ!


100年後には「お台場のフジテレビ」を世界遺産に?
昨日、明治日本の産業革命遺産がようやく登録決定したとのニュースがあった。色々とすったもんだして、いわゆる「強制連行」という誤解が継続するリスクを含んだ登録だった。はっきりいって関係諸国も呆れているというのが実態だろう。ネット上では「慰安婦問題の二の舞だ!」などの批判も多い。もちろん、そうしたリスクはある。一方、日本(地方)としては地域活性化の目玉になるか、ならないかは大きな問題である。良い悪いは別として地域の経済効果があることは間違いないので地元支援者は真剣になるのは当然のこと。そのため、地元では間違いなく「嫌韓」が拡大したようである。これはいずれ韓国への大きなしっぺ返しになるだろう。

そんな中、全然関係ない話だが、私は何気にお台場にあるフジテレビ建屋の映像を観た。そのとき、ふとこんなことを思った・・・。この建物、100年後に世界遺産申請したら面白いかも? 何となく想像してみる・・・。フジテレビは十数年後に崩壊し、100年後には建物が廃墟と化して・・・。あの軍艦島と同様に潮風に打たれて崩壊していく。そんな「輝かしくも、忌まわしい」フジテレビの栄枯盛衰の物語をさながら平家物語のように語り継がれ、それが文化となっていく・・・。それって、なかなか面白いかも・・・

さて、100年後とはいわなくても現在でも日本各地に廃墟は増加している。少子高齢化社会に伴い、東京や大阪などの都市部だけでなく地方でも空家や廃墟が増加しており、近隣住民への影響が問題視されている。レベルの低い建物は所有者の資金(+自治体の援助)などで解体される。そして、中レベルなら一般への売却が進む。そして高レベルの建物の場合は国や自治体によって保護され、運が良ければ文化遺産として保存される・・・。こうした動きは今後も増加するだろう。その高、中、低のレベル分けは非常に難しい。しかし、その判定はその時代背景によって変わることも十分あり得るだろう。

また、あの原爆ドームのように建物そのものというより「象徴的」文化遺産という形式もあるだろう。東日本大震災の一本松や役場庁舎など「象徴的な遺産検討」というのも今後増えていくだろう。このような戦争や自然災害を忘れないための遺産というのは、世界各地に存在している。時には政治的なプロパガンダに利用されることも多い。こういうものは文化遺産というより、慰霊碑のような扱いにすべきというのは私の基本的な考え方だ。

日本では古来より「竹取物語」「源氏物語」・・・そして「平家物語」のように本居宣長が述べた「もののあわれみ」とか「栄枯盛衰」という世界に文化を感じ、歴史を感じるものだった。そういう意味では明治の産業革命遺産も、そうした感覚を覚えることはあるだろう。 そもそも、そうした感覚は外国人、とりわけ韓国人には理解できるのだろうか? 以前にもブログで述べたが、日本人が日本文化を大切にすればいいだけの話であり、外国人がその文化に興味があれば自然と広がっていくというのが本来「あるべき姿」だ。

何だって文化遺産に登録申請することはできる。しかし、もうそろそろ一旦打ち切りにして各国でそれぞれで実施すればよいだろう。かつて日本でも国宝が多すぎて重文に格下げされたことはあった。もうユネスコのこうした活動は限界がある。あと数年で終わらせるべきでだ。そうでなければ100年後にお台場のフジテレビ建屋が世界遺産になる。


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Author:小室沢直樹
「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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