理系おじさんの社会学
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長谷川智恵子さんの発言
茨城県教育委員の長谷川智恵子氏が11月18日の県総合教育会議で「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか。(教職員も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろう」「茨城県では減らしていける方向になったらいい」などと発言していたことが議論を呼んでいる。どちらかというと長谷川氏に対する非難の声が圧倒的である。

私の本ブログでは、この種の問題については何度か取り上げている(カテゴリ「命の選択と社会」参照)。今回、発言者の問題というよりは「命の選択」をどう考えるか?という大きな問題である。やはり、こうした発言は今でも公にはタブーになっているという印象は非常に強い。しかし歴史的にも「命の選択」は数多く実施されてきた。その代表例が出生後の「間引き:子殺し」である。もちろん現代社会ではそれは法的に犯罪であり決して許されない。このことは日本人でもご高齢の方なら必ず知っているはずである。

一方、最近の大きな動きとしては「出生前の羊水遺伝子検査」で胎児の大きな障害は把握できるようになったということである。アメリカなどキリスト教の影響が強い社会でもタブー視されているが、中国の富裕層女性ではそうした検査で問題があれば当然のように堕胎している。日本では法規制もあるが特例(この解釈が様々である)に従って出生前検査の有無に関わらず多くの堕胎が行われている。一説には累計数千万件というデータもあり、特に1970年代は非常に多かった。そう考えるとこの問題を無視して、人口減少対策として大量移民政策を検討することは「愚の骨頂」と断言できる。

先にも述べたように歴史上どこの地域でも出生後の間引きが実施されることはあった。それは現代のフェミニストが主張する「産まない権利」ではなく、先ずは出生後の障害の有無による判断が主であった。いわゆる七五三とは幼児の障害のないことを確認して晴れて「人間」として認められることを意味した。一方で間引きされた子供たちは水子供養とか地蔵供養という形式でまつられた。

もちろん貧しい農村では経済的理由もあり間引きされることは多かった。以前にも紹介したことがあるが、今回の問題になった同じく茨城県で江戸時代にそれを象徴する出来事があった。当時の常陸下総では間引き件数が非常に多かった。その地域の代官であった竹垣直温は、間引きを止めさせる代わりに、小児養育金(今でいう児童手当)を出して子供を育てさせ、結果的に人口の回復と田畑の増加をもたらして村々を再建させたという。現在でも、つくば市の金村別雷神社に竹垣直温を称える碑が残されている。

経済的支援というのは出生と間引き防止に一定の効果があるのは間違いない。かつての民主党の「こども手当」の構想は決して間違っていなかったというのが私の持論でもある(私は民主党支持ではないが)。やはり問題なのは子供の障害の有無である。もちろん現代と同様に、障害の有無や経済的問題とは関係なく身勝手な理由で子殺しされる例も歴史上は存在する。もちろんフェミニストの主張する身勝手な「産まない権利」については私は強く反対である。また法的も認められている強姦による望まぬ妊娠の場合はある程度理解は出来るだろう。まあ様々なケースがあるので、この問題は単純ではなく相当難しい。

基本的に私は出生前検査による堕胎の選択には肯定的だ。それは過去の「間引き」に変わる有効な手段であると考えている。しかし問題がなければ「出生を義務」+「経済的な支援」をすることは当然のことと考えている。

もちろん過去には子殺しもあれば、老人殺し(姥捨)もあった。現在の日本では少子高齢化という問題以上に、そうした行為が社会の闇として黙認されたのが、法的に犯罪となっただけの話である。しかし、そういう話は公にはタブーである。それは変わらない。だからインターネットで議論されることは有意義であると私は考えている。この問題は社会学としては決して避けて通れない。それを多くの人々が理解する必要がある。

*以前に記事にしたカテゴリ「命の選択と社会」を読んで頂ければ幸いです。


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「安楽死」と「命の選択」が高齢化社会を救う
前回のブログで「道徳教育と裁判員裁判」について記事にした。そこで私は「犯罪は許さない」ということを強く主張した。では日本の現行法の犯罪の定義は適切なのか?という問題に直面する。凶悪犯罪は誰もが許さないのは皆同じだろう。もちろん「ヒトを殺して何が悪い?」という哲学や歴史的解釈は存在するのは事実だ。しかしそうした表現は、誤認や誤解が生じやすくなるので極力避けたい。やはり現行法の犯罪の定義を考える必要があるだろう。

今回テーマとしている「安楽死」と「命の選択」について、私は合法化すべきと考えている。最近、高齢化社会の進行により「老老介護」とか「介護ノイローゼ」といった問題が多く発生している。そういう問題は「安楽死は犯罪である」という罪の意識と極限状態の苦痛との精神的な葛藤が根底にある。それは妊婦の出産前羊水検査も同じだ。つまり「命の選択」という罪の意識と「生かされることの苦痛」といった背景が存在する。

これらの問題は、当ブログのカテゴリ「命の選択と社会」の中でも詳しく記事にしている。たしかに法律は法律、ダメなものはダメという判断は法治国家として機能するにはある程度は必要なシステムだろう。しかし法というものは絶対ではない。三権分立の理念は決して司法が頂点に存在しないことを意味している。しかし多くの現代政治家たちは「法の支配と民主主義の重視」なんて政治家なのに政治的判断はしませんよ!と発言する。それは国家権力増大に対する民衆の不安感(過去のトラウマ)に配慮しているといえるだろう。

殺人に関して、犯罪者の人権を考える際に「安楽死させた」とか「命の選択をした」というケースには「情状酌量の余地」という何だか「お情け」のよう表現で刑を軽減したり無罪になったりするケースが多い。私は、何もそんな「上から目線」のような判決ではなく、「安楽死は合法」、「命の選択は合法」とすれば良いと考えている。もちろんそれを認めるためには様々な厳しいルール(ガイドライン)は必要だが。

一方、そうすれが本当の凶悪犯のような犯罪は絶対に許さないという認識になりやすくなる。加害者の人権を叫ぶのであれば、加害者の人間性や社会的影響を考慮した判決が望ましい。残念ながら現行法ではそうでないので裁判員裁判において仮に社会的に適切な判断をしたとしても、前例主義(判例主義)の最高裁では覆されるのが現実だ。もちろん裁判員裁判において大衆迎合するような判断も恐ろしいこと。やはり法律を根本的に見直すことが必要だろう。

あと問題になるのは人々の倫理、思想哲学だ。科学的根拠に乏しい倫理というのはいくらでもある。例えば「売春は悪」だとか「マリファナは悪」だとか。あの俳優の石田純一が「不倫は文化」という発言は芸能ネタとして受け入れられている程度だ。かつてポール・マッカートニーが来日したときにマリファナ所持が問題になったことがあったが、彼は「マリファナは健康に悪影響はない」といった趣旨の「事実」をコメントしているのに一斉に日本社会からバッシング受けたことがあった。まあ覚醒剤は医療以外では絶対禁止でマリファナは合法化すれば良い話なのだが・・・。

つまり法律というのは可能な限り「科学的根拠」と「社会性」との整合がとれるようにすべきというもの。もちろん、それでもすべての法律と社会的ギャップが完全に埋まることはない。だから法律が社会の頂点になることはあり得ないということだ。あのシナ朝鮮が法治国家ではなく、人智国家であることを決して肯定しているわけではない。基本的な法整備と法の下の公平公正は絶対に必要。しかし時代の流れに法整備が追い付かないようなことが多い。また悪法も数回適用されれば正義(判例主義)となる。それこそが裁判員裁判なりで判断となるわけだが、裁判員の責務は重いわり報われない。

やはり学問に基づいた世論形成というものが根底になければ、こうした法改正は難しい。もうひとつ大きな問題は何しろ日本国憲法が一度も手がつけられない。今後、益々少子高齢化社会が進行する。こうした社会に適応するためには少なくとも「安楽死の合法化」と「命の選択の合法化」を進めるべきだ。こうした動きは必ず日本社会を豊かにすることができると私は確信している。

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6歳未満の脳死状態での心臓移植
悲しいことだが、希望のあるニュース。

このニュースをどうとらえるか?

6歳未満の脳死判定された子供の心臓が別の男児に移殖されるとのこと。

両親は「きっと子供は理解している」と話したという。

私はこのブログで「犠牲」ということは何度も論じた。

将来への希望につなげることができるのであれば社会に犠牲は必要。

それは医学だって、医薬品だって、工業製品だってそうだ。文明社会に生きるならば、犠牲は必ず付きまとう。

いや自然環境で原始的な暮らしをしたって、トラやライオンに襲われたり、自然災害で犠牲になることはある。

リスクをゼロにすることはできない。でもゼロに近づけることはできる。

人を責めることは簡単だ。

でも犠牲があることを受入れて感謝をする。

現代人は、教養があるがゆえに、この当然のことを困難にしている。

日本人は元来、そういう精神を持っていた。

この子の命は失われても自然界は生きている。



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水子供養、そして座敷童子伝説
この一週間(8/30-9/5)、当ブログでは「命に選択」について社会との関連を深く考えてきた。今回も日本の風習や伝説とともに現代社会を鋭く考察したい。

昔から東北を中心(特に岩手)では、一種の「おばけ伝説」として「座敷童子(ザシキワラシ)」がある。4-5歳の子供の精霊が座敷に現れる、あるいは物音がする。子供にしか見えないと。しかし、それは決して不吉なことではなく幸運が宿るといった伝説がある。私が子供の頃、「おばけ本」が流行していて、ワクワクしながらよく読んだものだった。

この伝説には様々な由来の説がある。私は、その中でも東北でよく実施された「間引き(子殺し)」と関連する可能性が非常に高いと考えている。「少しイタズラはするけど決して悪事はしない」とか「生きている子供に近づく」・・・これらは「死んだことに気づいていない子供たちが、現生の子供たちと遊んで欲しい」、「決して現世の子供たちを恨まないよう・・・」そういう大人たちの気持ちがあったのではないだろうか?「間引き」は現代の人工妊娠中絶と違い、母親は当然ながら産声を聞いているだろう、また顔姿も見ている。そして、その行為に及んだムラ人も辛い思いだったことは間違いない。その思いは、人工妊娠中絶を経験した現代女性の比ではない。

関西でよくある「地蔵盆」もそうだ。これも様々な伝承が重なり合っている(おそらくカモフラージュ?)。しかし「間引き(子殺し)」が一番関連していると考えられる。年に一度、子供が好きそうな物をお供えをする。そして現世の子供たちとふれあい、お地蔵さんの恨らまれないよう・・・そんなムラ社会としての「大人たち思い」があったのかもしれない。おそらく、それは一家族だけでなく「ムラの掟として」、そして「最大のタブー」として・・・そう考えるとそこには「残酷さ」ではなく、社会を重んじ、現世の「子供たちへのやさしさ」、「大人(母親)たちの自己説得」、そして何よりもあの世へ行った子供たちへの愛情のようなものがあったと考えられる。そして「神にお返しする」とか「ムラ社会の安定のための犠牲に感謝する・・・」それは現代人の考える単純な「罪と罰」とは決して違う。

一方で以前に社会問題になった統一教会(当然、名称を出してもよいだろう)による霊感商法があった。今でも似たような悪徳な霊感商法は数多くある。統一教会のやり方は「イエスキリストの名の下に」、人工妊娠中絶をした女性へ「罪悪感」を植え付けさせ、原価数千円の壷を数百万円で売りつけたというもの。このときの壷とともに「水子供養」すれば救われる・・・信じる者は救われる・・・。全く許しがたい行為である。女性の不安感を煽り、カネを巻き上げていたのである。

それは、さながら「いわゆる従軍慰安婦問題」や「いわゆる南京大虐殺事件」にて日本人に「罪悪感」を植え付け、カネを巻き上げる・・・全く同じ手法である。そこには絶対的な支配感が存在し、勝者と敗者の姿を明確に描く。そうした思想は、古来の日本人には存在しない。残念ながら、多くの現代日本人は近現代以前の精神を忘れ、欧米やシナ大陸の歪んだ思想に惑わされているのである。

やはり、私は日本の歴史や文化、そして事実(闇の事実を含む)を知ることは絶対に必要だと断言する。当然ながら「間引き」や「人工妊娠中絶」は悲しいことかもしれない。そんなことを幼い子供に細かく教える必要はない。せいぜい、「エンマ大王の伝説」を伝えるくらいである(*この話だって人権派は残酷だといって反対している)。 しかし誰もが大人になって、こうした伝説や伝統文化は「何を意味しているのか?」、そういう事を大人は理解する必要がある。そうすれば悪徳商法に騙されたり、「罪悪感」を引きずって生きることはなくなる。そして「社会とは何か?」、日本の社会学の真髄が見えてくる。


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「知的障害のある長女殺害」母親への無罪判決
読売新聞は以下のニュースを報じた。一部抜粋します。

難病で知的障害のある長女(当時29歳)を殺害したとして、殺人罪に問われた母親(58)の裁判員裁判判決で、大阪地裁は3日、無罪(求刑・懲役4年)を言い渡した。裁判長は「介護の負担から重いうつ病となり、犯行当時は心神喪失状態で刑事責任能力はなかった」と述べた。母親は昨年10月、自宅の浴槽に長女を沈めて殺害した後、池で入水自殺を図ったところを発見され、逮捕、起訴された。・・・裁判では責任能力の有無、程度が争点となっていた。

ここ数日、このブログで「命の選択」をテーマにした記事を書いていた。まるで、それに合わせるかのようなニュースだ。「・・・裁判では責任能力の有無、程度が争点となっていた」とある。たしかに法律的にはそうなるだろう。どのような詳しい背景があるのか?また医学的な見解がどうであったか詳しくは報じられていない。裁判員裁判ということで一般的な同情されるところもあったかもしれない。

しかし、問題の本質は違う。 最近(8/30-9/3)の当ブログに是非目を通して頂きたい。何度もいうが、こういうことは珍しいことではない。29歳の女性というと、一般的には社会で最も輝いている時期である。・・・だから余計に人の心はキズ付くものだ。「命を大切に」・・・そういう綺麗事は誰だって考える。特に子供のころから、学校の先生も含めそういう教育をするのが当たり前になっている。

しかし重い病気と向き合うということが、どれだけ残酷なことか? 自殺する人は「経済的な理由」よりも「健康上の理由」の方が多い。たしかに障害を乗り越えて活躍されている方々も多く存在する。教員で有名な乙武洋匡さんや盲目ピアニストの辻井伸行さんは社会で大活躍している。彼らに励まされる障害者は多いだろう。また自閉症やアスペルガー症候群の人の中には天才のような方も多くおられる。しかし「重度の知的障害」というのは社会で成功することは極めてゼロに近い。また小児麻痺のように知的障害を伴わないからこそ精神的な苦痛が大きくなることもある。それが現実なのだ。

本当の人権とは何か?本当の社会の安定とは何か? この問題はまさしく「現在進行形の人権問題」である。私は妊婦の出生前検査は絶対に推進すべきであると改めて思った。それが現時点で100%確実でない方法だとしても・・・。科学技術(遺伝子学や生物学)は驚くべき進歩をしている。「命の選択」だとかいって反対する人権派や宗教関係者は「無知無意識の偽善者」、あるいは「確信犯の偽善者」である。


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「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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