理系おじさんの社会学
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ノーベル賞
ノーベル賞発表の時期になると日本でも気候は寒くなる。そういえば授賞式の行われる12月のスウェーデンは相当寒いらしい。今朝、私の住む地域でも、この秋一番の寒さになった。そこで今日は厚手の服を着ることにした。ノーベル賞受賞者は年配者が多いので、彼らの体調も心配になる。しかし今回の受賞者は皆元気そうに見える。

この「元気そうに見える」というのは、そこには素直な笑顔があるからだと思う。細菌に関する医薬品の開発、一方で素粒子論(ニュートリノの重量)といった実用学と基礎物理学が同時に評価されることは私個人的にも非常に喜ばしい。もちろん日本人の受賞であることも嬉しいが、こういう素直な笑顔の方々が受賞されることが何より嬉しい。

科学技術は基礎物理学と実用学との両面から発展したものである。そして、どちらも地道な研究が必要である。今回の日本人受賞者も直向さと謙虚さで成功したことは間違いない。どこぞの国はカネで買収したのでは?なんてコメントする連中も多いようだが、そういう発想しかできない人たちには本当の研究開発はできないだろう。

私も含め多くの日本人というのは、自分の仕事や研究で誰かが幸せになったり、豊かになることに喜びを感じるものだ。特に歳をとるとその傾向が高くなるように思える。そういう喜びは何故か他では味わえない特別な快感になる。それは単純な自己犠牲によるマゾヒスティックなものではない。「誰かの為になること」は自分の存在理由を大きくさせている満足感もあるのかもしれない。

かつて福澤諭吉はこう述べた「世の中で最も醜いことは人の生活をうらやむこと」。世の中には他人の栄誉を妬んだり、他人が失敗するのを喜ぶ人たちが相変わらず多い。おそらく自身の優越感を感じるために他人が落ちぶれることの方が得策と考えるのだろう?結局、そういう精神からは自己発展もないし社会の発展も生まれない。

自分で言うのも何だが、私も50歳近くになってようやく周りからある程度認められるようになった。もちろんノーベル賞受賞者には足元にも及ばないが・・・しかし、私もそれ以上に多くの失敗を重ねてきた。今思えば相当恥ずかしい経験もある。でも、すべてが自分の糧になっている。周りから「あなたは物知りでイイ仕事しますねー」と言われると私は必ずこう答える「それだけの多くの失敗していますから・・・」

今回は「理系おじさん」らしくないコメントだったかもしれない。でも率直にそう思った。本当の科学者や技術者ってそういうものだと。


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エネルギー保存則と相乗効果
「エネルギー保存則」といえば、物理学では基本中の基本である。それは「無から有は生じない」という論理が根底にある。一般物理学でも「作用反作用の法則」や「パスカルの原理」などとしても広く応用されている。

一方で仏教では「無の境地」とか「無から生まれる」という表現がある。何か心の中の雑念を捨てて空っぽにしたときに何か思いが発生するというのは一種の「心のゆとり」が出来て、別のことを考える余裕ができた・・・という考え方もできる。つまり、厳密にいえば心の中のエネルギー保存則が成立していると言える。

そりゃー、ストレスの多い社会人はリラクゼーションを求めるし、ヒマなヒトは何かの刺激を求める。食い物さえあればボーとして生きることも可能かもしれない。しかしそうなると、おそらくヒトは人間性を失うだろう。なぜならヒトは時間軸があり、方向性をもった存在だからだ。もし時間軸もなく、方向性がない存在ならば興石と同じになる。そう、エネルギー保存則は基本とはいえ、時間軸と方向性を持っているのがヒトということになる。

何だって、ミクロな解析すれば「エネルギー保存則」は成立している。またマクロ的な見方としても、例えば地球上の酸素の量が減るとか、二酸化炭素の量が増える・・・とか表現してもマクロ的には「どこかで吸収されているとか、どこかで発散されている」だけの話であり、全体としてはエネルギー保存則は成立している。

しかし、見かけ上「無から有が生じる」ように思える現象は数多くある。たとえば社会では「相乗効果」という言葉がある。また経済でも「乗数効果」というものがある。統計学でも、実験計画法などでは「組み合わせ効果」という表現もある。レストランでラーメンと餃子の単品はそれぞれ300円だが、セット価格で500円・・・となれば、これも相乗効果であるとも言える。

食べ物のセット価格の議論は別として、一般的に「相乗効果」というのは波動力学でいう「共振」とか「共鳴」という言葉
で説明されることが多い。つまり波形のピークが共振するとパワーも増大する・・・とか。例えば、オーケストラが心地よくグルーブするときは、個々の楽器パートのピークの音がそれぞれの音と共鳴したり、絶妙な「間」があったり、全体のバランスが取れることで生まれる。

音楽でいえば「リズム」という要素は非常に大きい。団体スポーツでも一致団結したプレーをすればとてつもないパワーを発揮することがある。スポーツの個人競技だって、自己の体力や精神をプレーに向けてピークに導く・・・といった表現が多くのトップアスリートが口にする。つまり団体であれ個人であれ、リズムとピークをどうやって導くか?が重要と言える。

結局、私は何が言いたいかというと「エネルギー保存則」はすべての物理学の大原則であるが、人間社会の中でどうやって「相乗効果」を出せるかかが重要となってくる。私の個人的な感覚かもしれないが、「美しいもの」には必ず時間的な要素がある。音楽はもちろんのこと、絵画や文学も物質としては静止しているが、ヒトが見たり読んだりすることで、そこに「時間的な感覚」が生まれる。

人間社会においてもそうだ。誰かが何処がで頑張っているから社会が成立している。それは、ゆっくりとしかも確実に・・・。そして、いずれは世代交代していく。そう、時間は流れていく。消えていくモノ、積み重なる文化・・・それらは比率を変えながら社会が変化していく。

「奪い、奪われ」とか「恨み、恨まれ」・・・なんて行動は単純なエネルギー保存則にしか見えない。何の生産性もない。でも時間とともに人々が何かに喜びあったり、文化を蓄積したり、そうそう!「相乗効果」・・・そうした現象って素敵だ。モノゴトを時間を止めて考える人は非常に多いが、それは虚しいことでもある。時間が動いているから社会は楽しい、そして美しい・・・

そういえばコメディアンであり、コント赤信号の渡辺さんだったかな? テレビ番組で「時間が流れることは素敵だ」と述べていた。私も全く同感だ。(それに対して歌手の和田アキコさんは意味が解っていないようだったが)。私は時間の流れを楽しむ人たちと共に生活できたら社会も人生も楽しいと思う。もし、時間が止まっていたら社会の楽しさは半減するだろう。

「エネルギー保存則」と「相乗効果」・・・そんな難しそうな言葉も、「時間の流れ」って考えると結構楽しくなる。


西田顕郎氏と物理学
筑波大学に西田顕郎という先生がおられる。歳はおそらく私と同世代か少し若いであろうか。彼は、農学、生物学が専門のようだが物理学に関して学生に対してすばらしいメッセージを贈っている。

なぜ物理学を勉強するのか

2009年10月30日の日付になっているので、ちょうど5年前になる。最近、私は偶然インターネットで見つけた。これほど物理学について私が共感を得た小論文は見たことがなかった。彼のこのメッセージは5年経った現在も、そして将来にわたって若い世代に伝えたいメッセージだ。同時に社会人になって、ある程度年齢に達した方々も一読されることをお勧めします。

特に「・・・物理学は公平な学問です。その公平さを体験的に理解することも重要です。そうすれば、他の学問も、どのように学べば良いか、わかるでしょう。」・・・いやー全く同感だ。なぜなら世の中には、偏見だらけの学問や学問にも満たない解析や主張が蔓延しているからである。そして何か壁にぶち当たったとき「公平さ」のある物理学を応用すると納得した行動をとることができる。

たしかに一般的には物理学は人気がない。微分方程式を見るだけでアレルギーの方々も多く存在する。しかし子供の頃に算数が苦手だった私ですら、物理学については多少は語ることができる。そして、その考え方を文化、経済、政治、そして社会学に応用して考えていることができる。(それがこのブログ「理系おじさんの社会学」です)

もちろん物理学を勉強するのには時間が掛かる。私も大学では物理学専攻であったが、当時あまりの難解さに授業についていけなかった。当時の教授たちがある意味で異星人のようにも見えた。・・・が、しかしである。現在40歳代半ばを過ぎて自分が物理学を学んでいたことに感謝することが多くなった。そして当時学んでいたことが少しずつ理解できるようになった。おそらく、すべてを理解するためには一生掛かるかもしれないが、現在の行動に影響を及ぼしていることは間違いない。

もちろん学生時代に物理学を学んでも、サービス業や警察官、タクシードライバーといった物理とは直接関係のない仕事をしている方々も大勢いる。一見関係ないように思えても役に立つことがある。特に工業界や経済界では必ずどこかで役に立つ考え方だ。物理学を勉強することが、あらゆる分野においてアドバンテージが得られるのは間違いない。


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ノーベル物理学賞
2014年のノーベル物理学賞に、赤崎勇、天野浩、中村修二の三名が受賞した。青色発光ダイオードに対する研究成果とのこと。私の第一感想としては、「今頃になって・・・」だった。山中教授のiPS細胞は全くの初期段階でこれから臨床試験という段階で受賞を受けたが、青色発光ダイオードはすでに実用化されており、完全にビジネスベースに乗っている。

そもそも光(色)というのは、電磁波でありそれぞれの色に固有周波数がある。特に青色は周波数が低いため高い強度を得るのが難しい。一番簡単な方法は「銅を燃やせば青色」が放出される。またリン(P)を燃やせば紫外線に近い電磁波も放出される。しかし、それでもその強度は非常に弱い。また、銅は結晶化の形態によっても青色になる。宝石のサファイアも銅が主成分である。

こうした熱(エネルギー)や高価な結晶化(圧力、時間)のようなコストを掛けずに、色の光を簡単にON-OFFするためには半導体(ダイオード)が必要である。しかし青色だけが長年困難であった。私はその研究過程について詳細は知らないが、おそらくその素材の結晶化と発光強度と関連している。いずれにせよ画期的な発明である。今までは、この凄さを理解していない人はあまりにも多すぎた。今回、身近な生活でも多く使用されているものの発明功績を多くの人が知るいい機会になったと思う。

もちろん、物理屋の私としても彼らのノーベル賞受賞は非常に嬉しい。特に中村修二氏に関しては、もともと彼は一企業のサラリーマンであった。以前、企業の知的財産か社員の知的財産か?で大きな論争になったことがあった。当時、テレビ報道も多くなされ、お怒りの中村氏の映像がよく映されていた。ここまできてようやく認められたという感じがした。彼は、今でも学者というより技術者というイメージが強い。同じく学者ではなく一企業の技術者である私にとっては、そこが重要なポイントだ。

とかく天才的な技術者というのは大企業では扱いにくい存在になることが多い。大企業というのは、「管理」で何とかしようとする傾向からだ。「管理」でモノつくりはできない。しかし管理が大好きな企業側は、技術者を道具のように扱う。こういう考え方は欧米でも同じである。「技術者より学者の方が格が上」という認識が強い(特にドイツ)。また中国、韓国では技術者を低い身分と判断している。中国では、そもそも研究素地の裾野は狭いし、韓国では技術開発には興味がなく「権威」だけに憧れる。

日本では、もともと技術研究の裾野は広い。ノーベル賞は第一回目から北里柴三郎や野口英世は受賞候補だった。おそらく現代であれば間違いなく受賞しているだろう。また、それ以降大勢のノーベル賞クラスの日本人学者が存在した。戦前では、そのほとんどが「推薦状を出していない」とか「英語の論文ではない」とかくだらない理由で受賞を逃している。また「白人至上主義」とも関係しているとも言われた。まあ、ノーベル賞だけがすべてではないが、日本人の活躍があまり世に知られていないのは残念なことだった。

私はノーベル賞に関して、平和賞、文学賞、経済学賞は全く興味がない。特に平和賞はイグノーベル賞と同等でギャグの世界である。日本の憲法9条が推薦されるとか、それを受理する方もおバカ丸出しである。おそらく受賞されないと思うが(受賞されたら日本のバカ丸出しだ)、誰かが本当にイグノーベル賞に推薦するほうが余程マシだろう。

まあ、くだらない話はさておき、ノーベル賞の自然科学関連、特に物理学賞は特別だ。私自身も物理屋であり、一技術者として、そして日本人として誇りに思う。


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自己組織化と風水
今回も「自己組織化」について考える。「自己組織化」について、物理学的にも様々な分野で研究が進んでいる。しかし、あまりミクロすぎる議論やマクロすぎる議論は話が長くなってしまう。また「人間も社会も自己組織が大切だ」と常に私は主張しているが、それは決して即効性があるわけではない。時間を掛けて積み重ねることが基本である。しかし、もっと気軽に考えることのできるパターンがある。特に今回は身近な自然と生活の例を取り上げよう。

ある若い夫婦が、ある土地を購入してマイホームを建てるとしよう。一生に一度?の大きな買い物・・・誰だった慎重になる。しかし大抵はカタログやモデルハウスなどを見て、さらに予算を考えて決定するであろう。

しかし、その建てる予定の土地がどういう環境であるかということが非常に重要なことである。どこかのモデルハウスと同一の建物をそのまま予定の場所に建設しても上手くいかないケースがある。

まず土地の地盤はどうか?震災後に何かの耐震性とか話題になるが、そもそも軟弱地盤では建設不可能な場合がある。
また、日当たり、隣接する建物、風の流れ、水の流れ・・・これらに合わせた建設方法を検討するのが望ましい。例えば、どれだけ広い窓を準備しても隣接する建物に日光が遮断されるのであれば、あまり意味がない。

実際にマイホームの建設後には様々な面白い現象が起こる。例えば、庭先のある場所に必ず「落ち葉が集まる」とか。あるいは日当たり悪い場所に「コケやカビ」が発生するとか。建物2階の窓付近に何度も「風の渦」が発生する・・・とか。

ある場所に「落ち葉が集まる」⇒「腐葉土になる」⇒「草が生える」⇒「丸い円状の緑の形が形成される」ってな感じで・・・時間が経てば更なる世界が形成されていく。まさしく自然界の自己組織化の現象だ。よく「風が吹けば桶やが儲かる」のストーリーも一つの社会(経済)の自己組織化であるといえる。

よく「風水」や「家相」は迷信だと思っている方々は結構多いが、色々と確認してみると良くも悪くも何らかの「自己組織化」現象が発生して、風水や家相の内容と辻褄が合う部分が多くある。 例えば「鬼門」や「裏鬼門」は中国の風水とは関係なく、日本独自の「家相」発想のようだが、たしかに「湿気を帯びやすい」だとか「風が抜けない」という人間が生活する上ではマイナス作用が働くことが多い。一方で南側に広い空間があり風通しが良い家の場合は、夏は涼しくて、冬は日差しが入って暖かい・・・といった現象が起こる。

これらは季節によって、光、風、水そして土や植物がそれぞれの組み合わせによって何らかの「自己組織化」しているといえる。マイホームそのものを機械的に設計する場合はあまり考慮されていない場合も多い。一方でこれを真剣に考え取り組んでいるハウスメーカも存在する。カタログからパーツを単純に寄せ集めるのではなく全体のコンセプトがいかに重要であるか? それを理解していない若い世代は多い。 (*ただし全体コンセプトを重視したハウスメーカは高価である) しかし、こうした自然現象をいかに上手く取り入れるかが、マイホームを建てる時の極意である。それは当然、家の中の間取りだってそうだ。

「家相」や「風水」というと何やら眉唾なことのようにも思える。実際に、嘘っぽい本や詐欺のような業者も多いようだ。しかし西陽しか入らない、風通しが悪い、電車が通ると揺れる、隣のペットのイヌがうるさい・・・とかマイナス面が多いと人間はノイローゼにもなりやすい。しかし同時に安いアパート物件とは、そうした場所が多い。一時的生活はやむを得ないかもしれないが、マイホームとなったら色々考える必要がある。

どのような環境か? そしてそこには季節を通じてどのようなことが発生するのか? 最近のニュースでは、東京駅前を広い公園にする構想がある・・・というのがあった。これが完成すれば、かならず夏場の気温は低下する。そして風が吹く。そして鳥がやってくる。先に述べた「風がふくと桶屋がもうかる」というように自然と社会は繋がっている。これは通常の現代設計では難しい。しかし古来(特に江戸時代)より日本人にはこういう発想を多くしていたから驚きだ。

少なくとも、こういう発想をもっている技術者や管理者は絶対に強い。だから多くの研究者はやっきになって研究する。雨傘に使われる素材はサトイモの葉を参考にしたとか、iPS細胞は挿し木で成長するのは何故か?という発想から生まれている。つまり自己組織化は単純なパーツの積み重ねるようなCAD設計ではなく、何かと何かの条件下で秩序が生まれる。それを利用するというもの。以前のブログでも述べたように西洋文明は「ヒトが自然を支配する」という考え方だが、正しく「自然の中にヒトがある」という日本人的な思考が「自己組織化」の発展に多いに寄与する分野であることを確信する。

風水を単なる迷信としてだけでなく、「自己組織化」という観念で考えると結構おもしろい。また「癒し」とはどうやって生成されるか? なぜヒトは自然と触れ合うと「癒し」を感じるのか? 少し科学的な要素を入れて考えると「ヘンな洗脳」ではなく「心が多少は満たされる?」・・・かもしれません。




プロフィール

小室沢直樹

Author:小室沢直樹
「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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