理系おじさんの社会学
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相模原市の事件
相模原市の知的障害者の施設で入居者19人を殺害、その他20人以上が負傷した事件が話題になっている。事件から時間が経つにつれて事件当日の様子や犯人の特徴などが報道されるようになった。犯人は施設の元職員で大麻など薬物汚染の疑いが強い。また「障害者はいなくなればいい」とか「ヒトラーの思想が降りてきた?」などと口にしていたという。また「障害者予算が他にまわればいい・・・」との発言もしていたという。

このブログでも何度か取り上げたが、優生思想にもとづくヒトラーの政策は劣性民族を駆逐するという思想があり、ユダヤ人の虐殺が有名であるが、当時の多くの障害者も虐殺されていた。またその反面ドイツ人(アーリア人)同士の婚姻を奨励した。・・・あれから半世紀以上が過ぎたがドイツでの障害者数は減っていない。むしろ戦後の人口増加とともに増えている。障害とは様々な原因が考えられるが遺伝的要因は比較的少ない。むしろ戦後は妊婦の薬品投与による障害児の数も結構多かった。

かつて明治以前の日本でも間引き(子殺し:特に障害児)や姥捨て(老人殺し)は存在した。それは優生思想というより、社会の安定を目的としていた。しかし、現代と同様に介護者がヒステリックになって弱者を殺してしまうケースも多々あったといわれている。今回の事件の真相はよく判っていないが、犯人が薬物とともにヒステリックになった犯行だと私は考えている。にもかかわらず、優生思想を持ち出すところは、いかにも「自分は障害者でなく優秀なんだ!」そして「社会のため!」なんて思い込む。そのことで精神的な安定を得ようとしていたように思える。薬物に汚染されている彼こそが社会から排除されるべきであろう。

ちなみに将来の日本では確実に医療介護費用は低減される。もちろん、それは高齢者の減少(人口減少)も大きな要因である。実はそれだけでなく、障害者数も将来減少する。それは出生前検査(羊水などの遺伝子検査)など普及により、障害児の出生する確率が減少すると考えられるからだ。もちろん出生前検査ですべてが判別できないが、いくつかの遺伝子異常による障害は確認できる。つまり現代の間引きのようなものである。もちろん人工妊娠中絶に反対する社会的雰囲気も存在するが、日本でもそれが常識になるだろう。

また国民の意識の変化もある。たとえば禁煙、無意味な薬品投与の抑制・・・。国民はバカではない。薬品投与による障害児の出生は確実に低下しつつある。そう考えると医療介護ビジネスや医薬品関係が困ることになるだろう。もちろん危険ドラックの密売人も困ることになる。彼らがどのような手段に出るのか?国民は注意深くなる必要がある。テレビマスコミは医薬品メーカがスポンサーが多いので騙される。・・・このマスコミも大きな問題である。

まあ、とにかく今回の犯人のように薬物による犯罪者は極刑に処されるべきであろう。私は何度もコメントしているように死刑制度に賛成である。もちろん私はかつてのヒトラーのような優生思想には断固反対であるが死刑制度には賛成である。そして私は、出生前検査による人口妊娠中絶にも賛成である。もし優生学の考え方のすべてに反対するのであれば、人工妊娠中絶も死刑制度も否定されるであろう。ここは非常に重要な議論である。もちろん私は今回の犯人は許せない。ヒトラーのような極端な優生学を否定している。しかし死刑制度は絶対に維持すべきである。今回の犯人、そして薬物販売した人物・・・かれらを極刑にすべきである。それこそが正しい優生思想であると私は考えている。


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生物多様性と遺伝子汚染
漁業における養殖魚研究者は、同一品種の魚を数世代に渡り同じ場所で養殖すると脆弱になることを知っている。それは遺伝学的に多様性を失うこと、そして比較的に波が少なく一定区域で連続して養殖することで水質が悪化することが原因ともいわれている。つまり遺伝と環境による影響である。農業においても、同一場所で繰り返し同じ作物を栽培すると品種によっては連作障害が発生する。そこには遺伝的要因だけでなく、その土地や海の栄養バランス崩壊、そして病害虫や病原菌の影響も関連している。

しかし数百年~数千年単位において、同一地区で同種の交配を続けると必ずしも衰退するわけではなく、むしろ完全にその環境に適応するパターンがある。例えばニホンミツバチは体格こそ小さいがスズメバチに絶滅させられることはない。もちろん輸入されるセイヨウミツバチに駆逐されることもない。一方でセイヨウミツバチはスズメバチに絶滅させられたり、カビや病害虫に侵されて全滅したりする。これはニホンミツバチが長期に日本の環境に適応した結果を意味している。

人間においてもアフリカのある地域では「いとこ婚」を繰り返しているが、むしろ環境に適応していると言われている。それはかつてのスペイン・ハプスブルグ家のように繰り返された近親婚の弊害と対照的である。つまり、これらの事実は遺伝による多様性と環境が重要としながらも、閉鎖された地域だからこそ生き延びた生物のたくましさを意味している。そういう生物や地域では、別地域で生息していた同種の生き物と交配すると遺伝子攪乱(一般的に遺伝子汚染という)が発生し、環境適応できなくなり全滅することもあるという。これをミクロレベルで異種交配による「生物多様性の損傷」という表現される。

生物多様性の損傷は日本ではメダカの世界で発生している。それは他の地域のメダカを放流し交配させたことが原因といわれている。それは同じ日本国内であっても環境の違いで発生する現象である。従って、場所が遠く離れていても似たような環境であればその生物での遺伝子汚染は発生しにくいとも言える。例えば不思議な現象と思われるが、エベレスト(チョモランマ)の植物と昆虫は富士山の植物と昆虫と非常に似ていると言われている。また人間社会でも気候風土が類似している民族は何となく性格や文化も似ている。また国境を越えて類似の雰囲気の人間が存在することは、遺伝要素というよりその環境での存在理由があると言えるのかもしれない。

生物遺伝学的に言うと、単純に多様性になれば良いというわけでもなく、閉鎖的になることが良いという単純な事ではないことは明らかである。よく人間社会でも「引きこもりはダメ」とか「社交的はよい」とか言われることがある。また国際的にもグローバル化は正しいとか、国家主義は閉鎖的でよくない・・・という論調は今でも多い。しかし科学的に全く根拠のないことである。特に近年の「多様性は良い」という勘違いが多くの混乱を招いている。ご存知の通り、欧州では移民問題で大混乱になる。また各種感染症が世界に蔓延すると大問題になる。そして外来生物がある地域で繁殖すると大問題になる。

ここで、一般的に遺伝子汚染とか優生学を議論すると非人間的とか非難されることがあるが、何が優性で何が劣性かということは環境で変わるものである。これは科学的に明らかな現象であることを強調したい。また異種や性質の異なる生物個体もその集団社会での存在理由があれば存続し繁栄することができる。しかし同じような性質だけの集団では社会が成立しないこともまた事実である。百人いて百人がパン屋をしても社会は成立しないように・・・もしすべての人間が同じであれば社会は成立しない。一方で遺伝子錯乱するような交配や過度な多様化社会は一切調和することなく破壊につながる。

こうした事実を人類もよーく理解する必要があるだろう。都合のよい理論だけをピックアップして社会を論じる輩があまりにも多すぎる。それは人間社会を見るよりも素朴に動植物を観察したり研究する方が理解しやすい。


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雑種は本当に強いのか
いよいよ桜の季節がやってきた。現在、日本で桜といえばソメイヨシノが有名。しかし、この全国に広がるソメイヨシノは「クローン(コピー)」であることはよく知られている。通常、微生物のように細胞分裂による増殖(クローン)する生命以外の動植物としては「クローン」は非常に弱いといわれる。たしかに何らかの環境の変化で一気に壊滅するリスクはある。しかし、ソメイヨシノは寒暖にも耐え、非常に強く生命力はある。

さて人間や動物の世界でもクローンとか近親交配するとどうなるかという議論がある。かつて人間でも「近親婚は病弱な子供が産まれる」とか「雑種は強い」という説があった。たしかに歴史上、近親婚を繰り返したことによるリスクとして、かつてのスペイン・ハプスブルグ王家のようなケースもあった。また、南米ではメスチソと呼ばれるアフリカ系民族と現地インディオ系の混血が体格的に強靭であるという説もある。

またイヌやネコのペットの世界でも、雑種は強いとか、可愛らしさと生命力とは反比例するとか表現されたことがある。人間でも「美人薄命」という言葉があり、その事実関係については定かではない。とにかく生命力としては雑草は強いとか雑木林は強いとか云われ、美しいものは弱いという日本人的な文化意識も混在して、雑種は強いというイメージは強かった。

しかし当ブログのカテゴリ「遺伝学と優生学」でも述べたが、人類の場合は長期に渡り同じ地域で「いとこ婚」を繰り返した民族は近親婚の弊害が少ないという論説があることを紹介した。また遺伝的な優劣は環境によっても異なり、異民族が異環境のもとで近親婚を繰り返すと優生とおもわれた特徴ですら逆に劣生となることがある。そもそも優生学上での優劣は便宜上の表現でしかない。最近のニュースでは、日本人のみが「海苔」を食して分解できる能力があるとかいう話題がある。それは長期間の環境適応による日本人独自の優生遺伝であるとも言える。

では、植物に関して目を向けてみる。日本では植物や野菜の品種改良が盛んだ。桜だってソメイヨシノだけでなく、もともと様々な品種があった。それがさらに品種改良された。また、種なしブドウとか、甘いイチゴとか・・・品種改良には様々な掛け合わせで長い時間を掛けて開発する。あの統計学者であり優生学者として有名な英国のロナルド・フッシャーは「実験計画法」を考案したが、現在でもそうした品種改良の試験に役立っている。

品種改良で新たに開発されるまでの経緯のなかで、様々な世に出回らない生物(品種)が生まれる。例えば、イチゴの開発の場合、商品になりそうにもない試作イチゴが多くある。それは全体の90%以上だという。つまり、ごくわずかに品種のみが新種として市場に出回ることになる。もちろん市場での商品価値を高めることが目的なので、生物としての強いとか弱いというのが全てではない。しかしイチゴの場合、輸送中に崩れにくいとか腐りにくいとか生物的な強さも求められる。

ここで興味深いのは、決して雑種だから強いとか、近親交配だから弱いという結果には必ずしもならないこと。遺伝とは、あくまでもランダムな方向性であることが解る。そして重要な要素は環境だ。例えば、水が多い少ない、日光が多い少ない。そうした要素との組み合わせで品種改良における商品性が決定する。こうした様々な条件を振ることは、四季があり気候変動の多い日本だからこそ可能であり、それにプラスして地道に開発する日本人技術者の気質によるところが大きいだろう。

雑種は強い。たしかにそういう側面もあるだろう。一方でオーストラリアのコアラは、弱い存在であるが故に生き残ったと云われている。それはかつてのオーストラリアの厳しい気候変動より多くの植物が絶滅して、それとともに多くの動物も絶滅した。従って、土壌も痩せてユーカリのような植物しか繁殖しなかった。そして、それをエサとするコアラが生き残った。

日本の場合も遺伝的要素というより、四季折々の環境下の中で様々な進化を遂げたといえるだろう。そして、美しい桜であるソメイヨシノもクローン(コピー)ではあるが、日本の環境が生んだ美しく強い存在であるといえるだろう。

まあ、そんな難しいことばかり考えないで素朴な気持ちで桜を眺める方がいいだろうが。


「木を見て森を見ず」は正しい
よく世間では「木を見て森を見ず」とか「胃の中の蛙(かわず)」という言われ方をするが、これらの言葉はネガティブなイメージが非常に強い。なるほど確かに何か小さいことだけに拘って、大きなことを知らないことは愚かなことかもしれない。しかし私は昔から「大きなことを知る人ほど小さなことを知っている」と思うことが非常に多かった。それは何故だろう?たとえば、街の古い豆腐屋さんや職人さんは世間を語るときに結構正論を口にしていた。一方で(一部の)学校の先生やPTAの担当者はどこかズレていると感じることが多い。

さて近年になって、あの山中教授のiPS細胞をはじめ、様々な遺伝子研究が進んだ。そして昨日のニュースではガン患者の匂いを「せんちゅう」が判断する最新研究とか、何やら小さな物質や小さな性質で大きなことを知ることが注目されている。こうした考え方は最近にはじまったことではない。例えば、金属のミクロ組織を制御することで全体の構造物の強度を保持することは重要な技術だ。また小さないくつかのサンプルを計測して母集団(全体)を知ることは統計学の基本中の基本であり、科学技術の発展とともに統計学が果たした役割も大きかったことは疑いのない事実だ。

一方でマクロ経済学のようにミクロ経済では説明できない要素を考えたり、ニュートン力学と量子力学を比較することも学問的にも実学的にも有効であることは近代文明が証明している。しかし、一般的に会社経営を考える上で「資本金がどれくらい」とか「従業員がどれくらい」とかいう議論は何となく「ふーん」で終わってしまう。国際関係でも「GDPがどれくらい」とか「人口がどれくらい」という議論は、それだけでは何の議論にならない。株価や利益率といった数字だって結果として重要ではあるが、それを見て「だれそれがどうした」という議論にはすぐには到達しない。

ある一人の人間を見て、その人の遺伝子を勝手に想像することはできても科学的に推定することはできない。しかしある遺伝子からその人の病気の可能性や性質を推定することはできる。つまり、木を見て森を推定することはできても、森を見て木を想像することは困難であり、仮に想像できても経験則によるもので科学的な推定ではない。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言われるが、私は経験に学ぶ人を決して愚者とは思わない。しかし時代の流れとともに経験が生かされないこともある。歴史が科学的な統計の集大成だとするならば、それに学ぶことは賢者といえるかもしれない。

人間社会で関係しうる範囲(スケール)をどの程度に設定するかは色々と議論はあるだろう。少なくとも人間一人の単位(次元)で考えた場合、とにかく「ひきこもり」と言われてもいいから何かに集中して訓練や勉強すれば、広い世界が見えてくることは間違いない。これは私自身の経験でもある。一方で無知無力でグローバル社会に飛び込んだりしても世間に埋没するだけのケースが多い。また個人の力量が乏しい人がひたすら「しくみ作り」や「システム設計」することは法的優位性やビジネス戦略の一つとしてはあり得るかもしれない(アメリカのTPP戦略のように)。たしかに技術力だけではビジネスに勝てないとか、そういう議論は正しい。がしかし技術力がなくシステムつくりに情熱を注いでも大した成果は生まれない。

本当の素直さや謙虚さというのは「木を見て森を知る」という精神のような気がする。逆に「胃の中の蛙」という言い方は腹の中にある乳酸菌に失礼であり、どこか傲慢さを感じる。そう、上から目線なのだ。成功者の多くが素直さと謙虚さを持っていたことに説得力がある。そして、私が子どもの頃から感じていた「大きなことを知る人ほど小さなことも知っている」という理由が大人になって何となく理解できるようになった。こういう考え方って様々な分野でも同じことが言えるのではないだろうか?


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パーソナリティ障害?
長崎県同級生殺人事件での加害者の少女の父親が亡くなった。報道によると、どうやら首吊り自殺のようだ。この少女の母親はすでに亡くなっているために少女の両親がすでに他界したことになる。

少女は現在、精神鑑定中とのこと。一体何故このようなことになってしまったのだろう。この精神鑑定結果の詳細が報道されるかどうか判らないが、私は少女のパーソナリティ障害の疑いを持っている。

まあ「パーソナリティ障害」なんて聞きなれない言葉かもしれないが、かつての「人格障害」、「性格障害」と同じである。差別的に聞こえるかどうかの議論はくだらないので今回はしない。私が勝手に言葉を選ぶと「攻撃性のある人格障害」といった方が解り易い。

攻撃性のある子供や大人は多かれ少なかれ、どこにでも存在する。それが不思議なことに家庭環境はごく一般的だったり、むしろ裕福な家庭でも存在する。そして家族の他のメンバーはいたって普通なのに一人の子供(青年)だけにそうした症状がある場合がある。

よく児童相談所や学校では、「家庭の問題」を強調したがる(実は学校の問題の方が多かったりするが)。たしかに両親が子供に対する家庭内暴力もあるかもしれない。そして児童虐待の経験のある子供はその両親、あるいは他人へ攻撃的になることもあるという。

しかし、そうしたことでは説明つかない現象もある。私はそれが「遺伝的」あるいは「優生学的」なアプローチによって解析されるべきと考えている。先に述べたように「人格障害」、「性格障害」と言っただけで「差別的」と判断し、「パーソナリティ障害」という何だか解らない言葉に置き換えるくらいだから、社会が遺伝学や優生学のようなアプローチを避けるのは間違いない。・・・しかしそれで本当に良いのだろうか?

妊婦が出産前羊水検査によって胎児の遺伝子異常を事前に把握することは一般化しつつある。そしてダウン症のような障害のある胎児を「命の選択」として人工妊娠中絶することは肯定的な意見も増えてきた(私も肯定的だ)。何度か当ブログで述べたように歴史的にも「間引き:子殺し」は存在していたし、その理由が何らかの障害が多かったことも事実である。

しかしダウン症の子供に「攻撃性」はない。自閉症の子供たちも様々なパターンがあるが総じて「攻撃性」は低い。また小児麻痺や生まれつき五体不満足の人たちだって攻撃性は極めて低い。それでも「命の選択」の対象となってきた歴史がある。

私は「攻撃性のある人格障害者」は何らかの遺伝的な要因が潜んでいると考えている。例えば、ヒトや動物を殺して解体することを得意とする。これは狩猟民や遊牧民にとっては間違いなく優性(その生活社会において)である。しかしそれが農耕社会では劣性となってしまうわけだ。

もしこうした遺伝的要因(異常とはいえない)を事前に察知して、人工妊娠中絶されればこうした悲劇は防げるかもしれない。私は人権団体に非難されることを覚悟でいうが、長崎の加害者の少女こそ殺されるべきだったと考えている。父親が自殺する必要なんてなかった。・・・それが本来の「命の選択」であると考えている。

多くの凶悪犯は、自身に問題があることに気付いており「俺を殺せ」、「そうしないと誰かが殺される」と本気で叫んでいるという。それは一般人からすると理解できないことかもしれない。しかし凶悪犯罪の受刑者で、本人の希望により死刑執行されているケースが非常に多いという。

結局、「人権とは何か」、「社会の安定とは何か」・・・遺伝学や優生学をタブー視してはならない。それこそ何の罪のない子供たちや一般市民が無残な殺され方する社会が放置すれば、誰もその社会を信じられなくなる。


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小室沢直樹

Author:小室沢直樹
「常に勉強」それがモットーの理系おじさんのブログです。理系おじさんの目から見た現代社会を鋭く論じたい。またこのブログに関する意見があれば賛否両論問わず受け付けます。基本的には現代社会を勉強して共有するのが目的です。

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